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第29話 -友達-

 超動体視力。

 瞬間記憶能力。


 悠の持つこの二つの能力は、“特技”や“才能”と呼べる範疇で説明が出来るものだ。

 その性能は人体の細胞が耐えられるレベルを超えているらしいが、程度の差はあれ他にも持っている人はいるだろう。

 それでも普通を逸脱している能力には違いなく、地球での生活では藤堂正人や彼等の仲間の意向もあり秘密にしてきたものの、この世界においては悠は自分の責任を果たすために仲間にこの二つの能力を打ち明けていた。

 仲間達は、驚きはしたもののそれを受け入れてくれている。


 だが、もう一つの能力。

 あらゆる肉体の損傷を高速で治癒する超再生能力。

 これは、先の二つの能力とは次元を異にするものだろう。明らかに真っ当な生物の範疇を超えた異常な能力である。まるで漫画や映画の登場人物の如く、殆どファンタジーの領域だ。


 この能力は、悠の命を幾度も救った能力だ。

 だが同時に、悠の最大の劣等感コンプレックスの原因である。

 この能力が発現するたび、悠は自分が人間ではなく、化け物であると言われ続けているような気がしていた。

 物語においても、こういった能力を持つ者が蔑視、忌避される展開は付きものだろう。


 こんな能力、気持ちが悪いに決まっている。人に知られるのが怖い。

 藤堂正人から絶対に人に教えるなと言われているということもあるが、結局は悠は、自分自身のためにそれを恐れている。


 誰も近付いてくれないかもしれない。

 仲良くなった皆も、自分から離れてしまうかもしれない。

 一人っきりになってしまうかもしれない。

 だから、魔道の力であると誤魔化して朱音や皆に説明していたのだ。


 だが、今それが――




「……じゃあ、何で悠の魔道はあの時発動したの?

 あの傷が治る魔術よ。ほら、ティオを庇って塔から落ちた時の」




 特に親しい友人の一人である、朱音の口から暴かれた。


「…………っ」


 心臓が止まるかと思った。

 その言葉のみで、全ての脳細胞が壊死したかと思うほどショックが悠を襲っている。


 悠は、今更に自分の失言を悟った。

 あの時、塔から落下した悠を心配する朱音に答えた言い訳――魔道があるから大丈夫だという言葉。

 馬鹿か自分は、帝都内で魔道を使えないということを完全に失念していた。

 状況が状況だったので、あの場の誰もそのことにまで頭が回っていなかったのだろう。


 何も考えられない。思考が働かない。

 嫌だ、嫌だ、バレたくない。

 どうしよう、何を言えばいいのだろう、どうすれば誤魔化せるのだろう。


「そういえバ……」


 ティオも、唇に指を当てながら同意する。


 朱音とティオに忌避の目を向けられる光景を想像し、悠は激しい頭痛と眩暈を覚えた。

 そしてルルや冬馬、綾花らクラスメイト、玲子、省吾に伊織といった仲間達――彼等に化け物と蔑まれる光景が脳裏に描かれる。

 自分は今、ベッドに座っているはずだ。なのに、自分がどういう状態でどこにいるのかが分からない。認識できない。


 息が苦しい、いや、息ができない。

 まるでそうなる前に身体が死を選ぼうとしているかのように、悠の喉は痙攣し空気を取り込むことを拒んでいた。


 朱音が、怪訝な目をこちらに向けてきた。

 それだけで、悠は心臓を絞られたような心地を味わう。

 そのまま物理的にねじ切られた方が遥かにマシだと思える恐怖が悠の総身を襲う。


 すぐにでも追及が来るだろう。

 上手い言い訳など思い付かない。自分はそんなに頭が良くはないのだ。

 悠は死刑宣告を待つような心地で震え、朱音の言葉を待つ。


 そして朱音の続く言葉は、


「……魔道封じの機能が、上手く働いてないのかしら」


 悠への追及ではなく、帝都のシステムの不備を疑うものであった。


「……え」


 確かにそれも考えられる可能性の一つではあるのだろう。

 朱音は、悠が自分たちに嘘を吐いている可能性ではなく、長い歴史を誇り多くのプロが管理に携わるであろう帝都のシステムの不備の可能性を先に疑うことを選んでいた。


「悠はどう思う? 何か、違和感があったりとかしなかった?」


「……あ、いや、どうだろ、分かんないや……」


 悠を縛っていた恐怖が、急速に溶けていく。


「あの魔道装置は、300年ほど前にマダラ様が考えられたもので、未だ誰も再現には成功していないそうなのデス。

 ですので、装置の整備が上手くいっていない可能性はあるかもしれまセン」


 ティオも、朱音の考えに乗って来た。


 二人とも、悠が自分的に隠し事をしていないと、信じているのだろうか。

 しめた、という思いがあった。


 良かった、助かった。

 これで、皆の友達でいられる――


(……あ)


 そして悠は、別種の悪寒に襲われる。

 それは罪悪感、自己嫌悪といった、己で己を苛む種類のものだ。


(最低だ僕は……)


 二人の友は、悠を信じてくれている。

 友達として、悠よりもまず帝都を疑う選択を選んだ。あるいは、悠が何か隠し事をしているなど、そんな疑問すら抱いていないのかもしれない。 

 その二人の友情に、自分は今何を思ったのか。


 しめた、良かった、助かった……友達を、続けられる。

 そう、思った。何ら恥じ入るところも無く。


 あれほど夢見て欲していた友情に、悠はただ甘えたのだ。

 自分を信じる友達を騙し続ける選択を、平気で続けようとしていたのだ。 

 この、恥知らずの下種め。


 断じて、許せない――


「この……大馬鹿野郎!」


 悠は、叫んだ。叫ばずにはいられなかった。

 朱音とティオは、仲良くびくりと肩を震わせる。


「ゆ、悠っ……?」

「ど、どうされまシタ?」


 答えず、悠はベッドの端に移動して石造りの壁へと向き合う。

 無機質な壁に両手で触れると、ひんやりとした石の感触が伝わってくる。

 とても硬そうだった。

 申し分ない。


 悠は、身を仰け反らして、


「悠っ!?」


 全力で、壁に頭を打ち付けた。

 頭蓋と石が衝突する硬い激突音が、部屋に響く。


 激痛が、皮膚から頭蓋、そして脳へと走っていく。

 一瞬、視界が真っ白になった。脳まで響く衝撃が、悠の目に火花を飛ばす。

 額が割れたのだろう、顔を血が伝っている。


「何してるんですカ!?」

「この、馬鹿ぁっ……!」


 寄ってくる二人を、悠は手で制す。

 そして彼女達に向き直り、顔を近付けた。

 自分の顔、そして自分の額の傷が、良く見えるように。

 悠は自分の傷を指さしながら、


「見て」


 悠の鬼気迫る様子に、朱音とティオは口を噤んで、渋々その言葉に従った。

 そして、


「えっ……!?」

「あ、どうしテ……?」


 二人は、悠の傷が再生していく光景を目にする。

 魔道の封じられているこの帝都で、悠が己の魔道と語った能力が発動しているのを目の当たりにしていた。


 朱音とティオはすぐに自分の魔道を使えないか試してみたようだが、当然ながらその場には何も起こらない。


 二人は信じられないものを見るような目で、悠に目を戻していた。

 悠はその視線を真っ向受け止めながら、語りかける。


「二人に、聞いて欲しいことがあるんだ」


 そして、悠は自分の本当の過去を語っていく――






 ある、研究所があったこと。

 そこでは、人間を改造して“神”を作ろうとしていたこと。

 悠は、赤ん坊の頃から研究所にいたこと。

 そこで、15年間に渡り狂気的な実験の素体とされていたこと。

 その過程で多くの悠と同じ境遇の子供達が犠牲になったこと。

 最終的に命と心を保っていたのは、悠だけであったこと。

 研究者の中で子供達に同情的な女性がいたこと。

 そして彼女の内通と、朱音の父である正人達の活躍によって、その研究所が潰されたこと。


 悠の身体の能力はその時の実験の結果であり、魔道ではないこと。

 つまり、悠の身体自体に、この異常な能力が備わっていること――






「…………っ」

「ぅ……」


 二人とも、悠の話に次第に顔色を失い、今は絶句していた。


「ごめん……嘘吐いてて本当にごめんね。

 正人さんに止められてたこともあるけど、僕は結局、怖かったんだ」


 二人は今、何を思っているだろうか。

 その瞳は今まで見たことがないような感情の色を湛えている。

 悠を気持ち悪いと、思っているのかもしれない。化け物だと、思っているのかもしれないのだ。


「気持ち悪いよね、こんな身体。

 知られたら、朱音やティオ……それに皆に嫌われちゃうんじゃないかってずっと怖かった」


 ああそうだ、と悠は付け加える。


「それに……こんな身体で二人を抱いちゃって、ごめん。

 その……子供が出来ることはまず無いから、安心して」


 二人は、無言で悠を見ている。

 先を促されていると判断し、悠は言葉を続けた。


「さっき僕は、疑われてないことにホッとしたんだ。このまま黙っていられるって。

 二人は僕を信じてくれてるのに、僕はそのまま二人を騙そうと思ったんだよ。

 友達なのに、友達だと思ってるのに僕は……!」


 涙が浮かんで来る。

 悔しくてたまらなかった。

 平気で二人の友情に背こうと思った自分が恥ずかしくてたまらない。


「罵倒するなら何でも言って。絶交されても文句は言わない。

 ……ただ、本当にごめんなさい」


 そして、悠は両手を突き、頭を深々と下げる。

 それは土下座だ。悠がこの場で出来る、可能な限りの謝罪の意を示す体勢であった。 

 もうそれぐらいしか、悠には二人の友情に返す誠意が見つからなかった。


「……悠。頭を上げて」


 朱音の声。

 その声は、感情を感じられない声色だ。

 顔を上げると、


(……ああ、やっぱり)


 朱音は、鋭い眼差しと厳しい表情で悠を見下ろしている。

 ティオも似たような顔だ。

 きっと、悠を軽蔑している。嫌悪しているのだ。


 毒のような諦観が悠の胸を蝕んでいく。

 たぶん、自分は友達を失った。

 でも自業自得だし、仕方がない。仕方がないのだ。


 ……そう思っていても、自分の胸中で嫌だ嫌だと図々しく暴れているものがある。

 狂おしいほどに泣き叫ぶそれを、悠は懸命に抑えていた。


 悠は上半身を起こし、彼女達を目線を合わせた。

 彼女達の口から放たれるであろう罵倒や決別の言葉を、きちんと受け止めるために。


「…………」


 朱音は、真剣な顔で両の手で悠の頬に触れる。

 何をするつもりだろうか、彼女は大きく身を反らしている。

 そして彼女は大きく息を吸い込み――




「ふっ……ざけんじゃないわよぉっ!」




 その額を、思いっきり悠の額に打ち付けた。

 要は、頭突きだ。


「あぐっ!?」


 予想外の不意打ちに、悠の視界は真っ白に染まる。

 頭に響く衝撃に、耳鳴りがした。


 悠が体勢を整える前に、朱音がまたもや悠の頭を両手でホールドする。

 再び朱音の顔が向かってくる。

 また来るのか――悠は衝撃に怯え、目を瞑った。

 

 ……が。

 こつん、と朱音の額が自身の額に当たる感触は、とても緩いものだ。

 悠は、当惑に恐る恐る目を開ける。


「あ……」


 朱音は、泣いていた。涙が次から次へと溢れ、頬を伝っている。

 そして怒っていた。その柳眉は吊り上り、悠を睨んでいる。


 悲しみと怒りが同居した、悲壮な表情をその美貌に浮かべていた。


「悠の身体のことを知ったら、あたし達が悠のことを嫌うかもですって……?」


 朱音の頭が少し退き――


「あつっ!?」 


 再び、額が強くぶつけられた。

 痛みと衝撃に呻く悠に、朱音の怒声がぶつけられる。

 

「そんなことで友達止めたりする訳あるかぁっ! 舐めんなこの馬鹿ぁっ!」  


「あ……」


 それは、あるいは先ほどの頭突きより遥かに強く、悠のこころを打っていた。

 悠は言葉を失い、鼻先にあるの朱音の顔を呆然と見つめている。

 そして、


「えいっ」


 いきなり頬を、摘ままれた。

 いつの間にか傍らに移動していたティオが、苦笑めいた笑みを浮かべながら悠の頬を摘まんでいる。

 一見すると可愛い動作であるが、その指は結構な力が籠っていた。

 かなり、痛い。


「アカネが暴れたおかげで怒りそびれちゃいまシタ。

 でもお仕置きデス」


「ふぃ、ふぃお……」


 ティオは悠の頬から手を離すと、自分の胸に手を当てた。


「……ユウ様は、“混じり者”の私の身体を気持ち悪いと思いますカ?

 汚いって差別されますカ?」


 そんな馬鹿な。

 その言葉に、悠は焦って否定する。


「そっ、そんな訳ないよ!」


 ティオの苦笑がいっそう深まった。

 悲しそうな表情で、彼女は言う。


「……ユウ様は、私やアカネがそれをすると思ってたのですカ?」


「…………あ」


 そこで、悠はようやく気付いた。

 自分が如何に彼女達を侮辱していたのかを。

 彼女達の友情を、どれほど軽く見ていたのかを思い知らされた。


 穴があれば、今すぐ入って自ら埋めてしまいたい心地である。


「ごめん……」


 気の利いた言葉など、何も言えない。

 ただひたすらに自分が情けなかった。

 自分の被害妄想じみた自虐心で彼女達まで傷付けたことが悔しくてたまらない。


「……自分がどれだけ馬鹿か分かった?」


「うん……」


 返す言葉も無い。

 自分は、友達という存在に対して全く誠実でなかった、真剣でなかった。

 友達を欲しながら、友情を疑っていた。


 朱音にもっと素直になれば友達が出来るのになど、良くも臆面もなく思っていられたものだ。

 自分は何様のつもりだったのだろうか。


「……でも、話してくれたのは嬉しかった。

 話し辛かったっていうのも分かるわよ」


「私もデス、ユウ様」


「朱音、ティオ……」


 二人とも、悠を見ている。

 悠の身体を見下すでもなく、悠の境遇を憐れむでもなく、ただ悠を真っ直ぐに見つめていた。

 それは、対等な友達としての目だ。悠の過去を知っても変わらぬ友情の眼差しだった。


 ……ああ、そうだ。

 これが、“友達”だ。

 悠がずっと夢見ていたものなのだ。


「ありが、とう……!」


 頬を伝う涙が、とても暖かかった。


「……罰として、今度一緒に帝都に出かけるわよ」


「うん」


「ご飯奢りなさいよ」


「うん」


「服も買うから、一緒に選んでよ」


「うん」


「色々行きたい場所あるから付き合って」


「うん」


「……じゃ、許す」


 頷くたびに、朱音の口元が上機嫌に緩んでいく。

 本当に悪いことをしてしまった。そんなことならお安い御用だろう。

 

 朱音もティオも、友として誠実でいてくれた。

 自分もそれに報いたいと、心から願う。


 故に、悠は思うのだ。


 もう一つの秘密も明かすべきなのだろうと。


 即ち、悠の余命のことについて。

 自分は恐らくあと1年も生きることが出来ない可能性が極めて高いという事実を。


 悠は涙を拭い、悠を見つめる二人の少女を真っ直ぐに見た。


「ねえ、二人とも……もう一つ、隠してたことがあるんだ」


「……な、何よ改まって」

「……ユウ様?」


 二人の表情と姿勢が、身構えるように引き締まる。

 今度は何が来ても驚かまいと、待ち構えている表情だ。


「あの、ね……」


 悠は、そう遠くないうちに死ぬ。


 彼女達がそれを知れば、どんな顔をするだろうか。

 きっと、悲しむだろう。泣くかもしれない。

 それを伝えるのはとても心苦しいけど、友達だからこそ言わなければならないことのはずである。


「その……」


 自分の身体の特異性を告げるよりは、遥かに気が楽だと思っていた。

 少なくとも、気味悪がられたりするような内容ではないはずだから。


「……う」


 そう思っていたのに。 


「…………っ」


 ……何故、話すことが出来ないのだろう。

 話すことが、こんなに怖いのだろうか。


 身体が震えてきた。

 歯がガチガチと鳴っている。

 涙がまたもや溢れてきた。

 息苦しい、気持ち悪い――


「……悠?」


 朱音の心配そうな声は遠く、ティオが自分の肩に手を置いているような気がするのだが、肌の感覚が分からない。自分は今、どういう体勢でいるのだろうか。


 そして、

 

「うっ……」


 嘔吐した。

 吐瀉物がベッドのシーツにぶち撒けられ、異臭を放つ。


「悠っ!?」

「ユウ様っ、大丈夫ですカ!?」


 二人が、悠の豹変に切迫した声を上げている。

 しかし悠はそれに返答する余裕もなく、胸を押さえて喘いでいた。

 誰かが背中を撫でている気がするが、それが誰かさえも分からない。


「なっ……んでっ……」


 今まで余命のことを話さなかった理由は、単に憐れみの目を向けられたく無かったからだ。

 対等な関係で始まる友人関係が欲しかったからだった。


 同時に、そこまで重くみていた訳では無かった。

 場合によっては話さざるを得ないかもしれない程度には思っており、特にこの世界に来てからは悠の立場に責任が伴いつつこともあり、長引くようなら打ち明けるべきだろうとも考えていたのだ。


 なのに、一番怖れていた自分の超再生のことを打ち明けられたのに、何故か寿命のことが話せない。

 話すのが怖いのだ。話そうとすると、身体が拒絶してしまう程に。

 まるで、口にしてしまえば本当にそれが事実として確定してしまう気がして――


(……ああ、そうか)


 悠は、気付いた。


 死ぬのが、怖い。

 それは、あの森での死闘で自覚したことで、人として当たり前の感情である。


 だが、1年という余命は受け入れているつもりであった。そればっかりは仕方がないと。 

 つい先ほどまでは、自然に受け入れていたことだった。


 怖くなってしまったのは、たった今だ。

 こんなに良い友達に囲まれていることを知ったことで。この上無い未練が生まれたことで。

 昔は「ああそうか」と受け入れられ、何ともなく自分の人生の予定に書き込んでいた己の余命、己の死が恐ろしくて仕方が無かった。


(……死にたくない、生きたい……!)


 同時に、頭の片隅で都合の良いことを考えている。

 今も少しずつ進行しているであろう、内臓の劣化が何かの拍子で止まるのではないか。むしろ、この超回復で快方に向かうかもしれない。

 そもそも、悠の肉体は現代医学の常識では未知数の要素の塊である。

 1年の余命など、あの時の情報を所与としたに過ぎない推測ではないか。出鱈目かもしれないのだ。


 ……正人やその仲間が、どれほど精査に精査を重ね、希望を持てる要因を探し続けてきたかは知っていた。

 その結果として、正人が断腸の想いで悠に余命を告げたことも察している。

 しかしそれでも、甘い妄想が消えないのだ。


 自分は、本当はもっと生きられるのではないか。

 その妄想じみた可能性が、口に出すことで消えてしまうのではないか、そんな論理性の欠片も存在しない想いが、悠の言葉を止めていた。

 馬鹿馬鹿しい、そうは思うが悠はそこから先の言葉を続けることが出来なかった。

 話すことを、身体が許さない。


「う……あぁ……」


 ようやく戻ってきた視界に、悠が吐き出したばかりの吐瀉物があった。

 臭い、汚い、掃除をしないと……顔も酷いことになっているだろう。涙と鼻水と吐瀉物でグチャグチャだ。洗わないといけない。


 そんなことをぼんやりと考えている悠の頭に、誰かの両手が回された。


「えっ……」


 そのまま、抱き寄せられる。

 顔に、暖かで柔らかな肌の感触があり、そのまま悠の顔が埋まった。


 朱音だ。

 朱音が、悠の頭をその豊かな胸元に抱き止めている。

 では、背中を優しくさすっているのはティオだろうか。


 悠は、濡れ震えた声を何とか絞り出した。


「……きたないよ、あかね」


「……いいから」


 朱音の手が、悠の頭を優しく撫でている。


「無理しなくていいわよ、悠」


 彼女の表情は見えないが、その声はとても柔らかく優しかった。

 死の恐怖に震え固まっていた心に染み渡る声色だ。


「あたしもティオも、待ってるから。何だか分からないけど……いつか、決心が付いた時に話してよ」


 背後から、ティオの声も聞こえてくる。


「そうですよ、ユウ様。いつでも、どんな内容でも受け止めますカラ」


 二人は「だって」と言葉を重ね、小さく笑みが零れる気配がして、


「友達じゃない」

「友達じゃないですカ」


 そう、言ってくれたのだ。


「ふぇ……」


 もう、駄目だった。

 目元が熱を帯びる、喉が震えてくる。

 耐えられない、男の癖に情けないと思っていても止められなかった。


「……うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」


 悠は、幼子のように泣きじゃくった。

 男としてのプライドも、恥も外聞もなく、朱音の胸の中で、ティオに慰められながら、ひたすらに嗚咽と涙を溢し続けた。

 二人は悠が泣き止むまで、ずっと付き合ってくれていた――






 ――翌日。

 麗らかな日差しと爽やかな風に包まれた、小鳥の囀る朝の時刻。


 悠は、魔道省の敷地内に在る、雑草の生い茂る開けた一角に立っていた。

 そして悠の目の前には、大勢の少年少女達が立っている。


 朱音がいる、ルルとティオがいる、冬馬達クラスメートがおり、玲子達もいる。美虎とその取り巻きや、その他にも見慣れない者もいた。

 皆が悠に注目している。


「み、見てて下さい」


 悠は、緊張感に身を震わせながらも皆の前で腕を掲げてみる。

 そして、もう片方の手にはナイフを持っていた。

 裾を捲り、肌の露出した細い腕に、刃を当てる。


 悠は、その刃を躊躇わずに一気に引く。

 鋭い痛みと共に、肌と肉が裂け血が溢れ出た。


 誰かが小さく悲鳴を上げた。


 そして、次に――


「え……?」


 悠の腕の傷がみるみるうち塞がっていく光景を見て、呆然とした声を出す者がいる。

 その他にも、皆の間でどよめきが起こっていた。

 ルルや玲子、省吾や伊織、それに美虎は小さく驚きは見せたものの、黙って悠の言葉を待っている。


 悠は、勇気を振り絞って声を上げる。


「聞いて下さい、僕は実は――」






 超再生のことを、皆にも正直に話す。

 これは、悠が決めたことだった。


 皆の仲間として胸を張るために。

 皆と本当の意味で友達になるために。


 朱音もティオも、止めはしなかった。

 ただ、頑張れと言ってくれた。






「――そういう訳で、僕の身体は普通じゃないんです。まともな人間の身体ではありません。この力は、魔道じゃないんです。嘘を吐いてて、すみませんでした」


 そう言い、頭を下げる。

 そして言わなければならないことがもう一つ。


「……もう一つだけ、皆に隠していることがあります。きっと大事な事です。

 でも、僕に勇気が無くてまだ話せません。

 だから、僕に勇気が出るまで待っててください……お願いします」


 頭を下げたまま、そう付け加えた。


 結局、寿命のことは話せなかった。

 話そうとすると、身体が拒絶反応を起こしてしまうのだ。

 我ながら情けないことこの上ない。


 だから、これが今の悠に伝えられる限界なのだ。

 精一杯の勇気と誠意だった。


「…………」


 皆は、言葉を無くしているように思える。

 話している最中、顔色を悪くしている者も少なくなかった。


 今、皆はどんな顔をしているのだろうか。


 悠が不安に怯える中、最初に声を上げたのは、ルルだった。


「私は、ユウ様の過去がどうであろうと変わりません。このルルはユウ様の奴隷であり、忠誠を誓う者です。

 ……ユウ様、良く頑張りましたね」


 そう、言ってくれた。

 次に声を出したのは、クラスメートの冬馬だ。


「……ま、普通じゃねーなってのは薄々分かってたよ。

 でも、俺ら友達ダチだろ? 関係ねーよ、そんなこと」


「うん……そうだよ悠君」


「そそ、細かいことは気にしねーって」


 冬馬に相槌を打った綾花や澪に続き、クラスメートの皆が次々に「そうだ」「気にするな」などと声を上げてくれた。

 そして彼等に続くように、次々と言葉が悠に投げられる。


「いいのよう、悠君は天使で可愛いからそんな細かいこと!」

「……別に傷の治りが早いだけだ、大したことねぇよ」

「自分はむしろ便利だと思うがな」


 悠を責め、忌避するような言葉は一つも無かった。

 中には、打ち明けた悠を労うような言葉もある。悠の過去に心を痛めるような言葉もある。


 悠は顔を上げる。

 知った顔の皆が、それぞれの形で笑いかけていた。

 友達や仲間達が、悠を受け入れてくれている。

 勿論、全員という訳ではない。中には複雑な表情を浮かべている者もいる。だが、それでも受け入れようと努力してくれている気配があった。

 少なくとも、悠を拒絶し忌避する者はこの場にはいなかった。


「あは……」


 自分も笑みを返そう、そう思った。

 そして笑顔を作ろうとして、頬に伝わる熱に気付く。


「……あれ?」


 いつの間にか、涙が零れてきた。

 笑顔を見せたいはずなのに、涙が次から次へと溢れて来る。


 駄目だ、耐えなければ。

 悠は懸命に抑えようとしても、涙は堰を切ったように止まらない。


「あはは……ごめん、ごめんね、ちょっと、おかしいな」


 嬉しいのだ。

 嬉しくてたまらない。

 その気持ちを皆に伝えたくて、晴れやかな笑顔を見せたかったのに。


 最悪だ、恥ずかしい。

 15歳にもなる男子が、こんな大勢の前で――そう思ってても止まらない。

 この溢れる感情を御するには、悠の情緒はまだ未熟に過ぎた。


「すぐ、止めるから……ひぁっ……」


 堰を切った感情は、次第に嗚咽となって悠の喉から溢れて来る。

 悠はそのまま、泣き笑いの顔を皆に晒す羽目になっていた。


「あらあら」

「困りましたネ……」


 ルルやティオが呑気な声を上げ悠に駈け寄っていく。


「悠君可愛いっ、超可愛いわっ! 保存、保存しないと……!」

「ちょっと玲子さん、写メ撮るの止めてあげて下さいよ!」


 興奮する玲子を朱音が止め、


「……お前、またかよ」

「ほんと泣き虫だね……」


 冬馬や綾花が苦笑して顔を見合し、


「……おい伊織、どうしたよ?」

「何か、胸がドキドキしとるばい……」


 様子のおかしい伊織を省吾が呆れ顔で見下ろして、


「美虎姉さん、ちょっと顔赤いっスよ?」

「な、何でもねぇよ……」

「姐さん……ギャップ萌え?」


 美虎が取り巻きに何やら追及され、何やら焦っており、



「みなっ……えぐっ……あり、ありがっ……とっ……うぇっ………ほんとに、うれしっ……」



 晴れ晴れとした青空の下、悠の嬉し涙と泣き声が溢れ続けていた――





 

 かつて悠は、死にたくない、生きたいと思った。

 今は、少し違うことを考えている。


 朱音と一緒にいたい、ティオと一緒にいたい、ルルと、冬馬と、綾花やクラスの皆、玲子や省吾、伊織達とだって、まだまだ一緒にいたい。

 1年後も2年後も、10年後もその先だって。

 未来に続く、人生が欲しい。


 この日から、悠の人生は“死”ではなく“未来”に向かい始めた――

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