第26話 ―粕谷 京介―
人は成長するものである。
それは、悠と粕谷の決闘を見届けているマダラが口にした言葉であり、さして珍しい台詞でもないだろう。
「呵呵っ、こいつぁなかなか……」
マダラが、顎を撫でながら笑みを深める。
人は成長するものである。
成長の機会というのは、誰にでもあるものだ。
もう一つの“成長”の姿が、ここに在る――
「なっ……!」
悠は、その光景を驚愕の眼差しで見上げていた。
粕谷京介の魔法、<機甲蟷螂>。
先ほどまで悠に幾度も襲いかかり、そして悠の十の白刃によって次第に削られ、その動きを徐々に鈍らせていった鋼の魔蟲に、変異が訪れていた。
変化ではなく、変異である。
異常な光景が、そこにあった。
<機甲蟷螂>が、変形している。
ただの変形ではない。その巨躯を構成していたパーツは更に質量を増して形状を変えており、その肉食蟲の威容は更に禍々しいものへと変異していく。
そして、主である粕谷は、その蟷螂の腕に抱かれるが如く、その胸部に収まり悠を凶貌を以て見下ろしている。
「神護ぃ……!
殺してやる、俺の手で直接バラバラにぶち撒けてやらぁっ!」
極限を超えた粕谷の魂の変容が、その変異を生んだのだろうか。
<機甲蟷螂>は、その胸に主を抱きながら、死神が如き巨大な威容を以て悠を睥睨していた。
その巨躯は二周りは巨大化しており、そこから放たれる剣呑な兇の気配は先ほどまでの比ではない。
鋼の死神が、悠を見下ろしている。
悠への明確な殺意を持ち、その魂を刈り取らんと紅き複眼を光らせていた。
「何で……」
さすがに、耐えられなかった。
何故、どうして――
「何でだよ粕谷君! どうして僕をそこまで憎むんだよ! おかしいよ君は!」
たまらず、悠は叫ぶ。
粕谷が悠を嫌っているのは分かる。
だが、これは異常に過ぎるだろう。
相対している悠には分かる。
<機甲蟷螂>は、悠を害するために進化したのだと。
己が魂を変異させるほどの、明確な殺意をその身に受け、悠の心は激しい動揺に襲われていた。
「おかしいのはてめぇだろうが神護ぃっ!」
粕谷が叫び返す。
同時に、<機甲蟷螂>の全身が紅き悲鳴を発し始める。
それは、先ほどまではあの大鎌が放っていた、超振動の波動である。
背筋が凍るような悪寒と、本能的な危機感に従い悠は十刃を前方に配し、時間停止の障壁を展開した。
次の瞬間、“機甲蟷螂”の全身が咆哮を上げる。
「くっ……!」
障壁を展開できなかった側面から漏れ出た超振動の余波が、悠の身体を蝕んでいく。
同時に発動する超再生がそれを治癒するが、全身に走る激痛が悠の集中力を掻き乱していく。
更に、魔道面においても作用する超振動は、時間停止の障壁すらも虫食いの如く蝕んでいた。障壁が食われ、食われ、薄くなり、刃が次々と砕け――
――消滅する寸前で、ようやく超振動の咆哮は消えていった。
十刃のうち一つでも反撃に回そうなどと欲を掻けば、そのまま終わっていただろう。
「何て威力……それに……」
広場は、殆ど更地と化している。
威力も恐ろしいが、その広大な攻撃範囲こそが厄介である。
先読みして避ける避けないの話ではない、十刃全てを防御に回すしか凌ぐ術が無い。
“機甲蟷螂”は、悠を害するために進化している。
その直感が現実であると確信し、悠は身の毛もよだつような寒気を覚えた。
粕谷は、歪んだ形相で唾を飛ばしながら言葉を続ける。
「てめぇは何なんだよ神護!
俺が何やろうが顔色一つ変えやがらねぇっ!」
それは、学校での日々のことだろう。
粕谷の悠への憎悪は、そこまで遡るということか。
「クラスや学校の連中みたいに怖がるでもねぇっ!
藤堂みたいに突っかかって来るでもねぇっ!」
<機甲蟷螂>が突っ込んでくる。
更に巨大化した大鎌が、絶叫を響かせながら振り下ろされた。
しかし、主導権を粕谷が握ったからだろうか、“機甲蟷螂”の攻撃は今までのそれより大振りで、無駄の多いものだ。
つまりはオーバーキル、その分回避の余力が生まれる。
「くっ……!」
悠は傍らを過ぎ去る大質量に肝を冷やしながら、反撃の刃を叩き込むべくその装甲に刃を滑らせ、
刃が砕け散った様を見て血の気を引かせた。
その装甲には、傷一つ入っていない。
<機甲蟷螂>の強度は、悠の<斯戒の十刃>では傷一つ付けられないほどに高まっている。
「てめぇは気持ち悪いんだよ神護ぃ!
何を考えて生きてやがるんだてめぇはよぉ!」
粕谷の仕打ちに関しては、何も思ってなかった。
全く、何もだ。
あの研究所の日々に比べれば粕谷のしてきた事など、悪戯程度の可愛いものであったと言える。
硫酸のプールに1時間以上叩き込まれる。
肩から下を、プレス機で徐々に潰される。
フッ酸を飲まされる。
器具で頭蓋骨を脳ごと破壊される。
全て意識があるまま、麻酔も無く、だ。
そんな地獄に比べれば、粕谷の暴力や苛めなど天国と言って差し支えない。
だが、悪意を向けられて何を返さないそれは、果たして健全な人間の姿だったろうか――悠は、今になってそう思い、そして粕谷の言葉で確信した。
あの時の悠は、間違っていたのだと。
それは、人が人に返すべき対応ではなかったのだ。
朱音の言う通り、何かを返すべきだったのだ。
何だって良いのだ。空虚な愛想笑いや言葉ではない、良くも悪くも実のある何かを示すべきだったのではないか。
悠は、自分の過去や境遇に甘えてそれを放棄してはいなかっただろうか。
まともな15年では無かったのだから仕方がない。
可哀想な人生を送って来たのだから、それぐらいは無理もない――と。
粕谷は、悠が何を考えて生きていたのかと叫ぶ。
悠は、せめてその問いにだけは誠実であろうと口を開いた。
「僕はね――」
朱音は、悠と粕谷の決闘が行われている広場へと急いでいた。
既に魔族との戦闘は終結し、だが魔界は維持されている。つまり、決闘は未だ決着が付かず、マダラがまだ魔界の維持を行っているということだ。
悠はまだ、戦っている。
本来、第一位階の皆の身が危ないのだから、一刻も早い解除を求めるべきなのだが、いつの間にやら彼等には魔道の保護が働き、とりあえずは命に別状は無いようだ。
恐らくはマダラによるものであろうとベアトリスは言っていた。
朱音の両隣には、ティオとルルの姿もある。
魔族の全滅を確認したベアトリスが、三人を行かせてくれたのだ。
ティオがいることには心底驚いたが、彼女はどうやら第三位階の力に目覚めたらしい。
親友であるティオと同じタイミングで第三位階の力を得たことに仄かな喜びがあり、ティオも同じことを思ってくれていたようで、頬を緩める朱音に太陽のような笑みを返してくれた。
どうも、ティオは普通の第三位階とは毛色が違うようだが、それは後々に聞けばいいことである。
今は、悠の勝負を――その勝利を見届けなければならないのだ。
しかし、広場の方からは酷く禍々しく、剣呑な気配が感じられた。それは、あの粕谷の“機甲蟷螂”の気配を何倍にも強くしたような、不快な気配である。
胸騒ぎのする朱音は、道を急いでいた。
それはティオとルルも同様のようで、その表情には緊迫したものを浮かべている。
そして広場に辿り着き、決闘を見届けているのであろうマダラの、目立つことこの上ない背中が見えてくる。
彼はこちらを一瞥すると、煙管を咥えた唇をにやりと釣り上げた。
面白いことになっているぞ、と言っているような笑顔であった。
酷く不吉な気分にさせられる笑みである。
短い付き合いだが、マダラがこういう笑みを浮かべている時は碌でもないことが起きている気がする。
朱音達はそのまま広場に出た。
視界が開け、決闘の場の様子が一目瞭然となる。
信じられないほど破壊された更地同然の広場と、
禍々しく変異している“機甲蟷螂”と、その胸に抱かれる粕谷と、
どこか弱々しい様子で、泣きそうな子供のような風情で立っている悠の姿が在った。
悠が、何かを粕谷に話している。
「僕はね、ずっと友達が欲しかったんだ」
悠の語る言葉に、粕谷の攻撃が止まっていた。
その凶相はそのまま悠を睨みながら、しかし悠の話を聞いているように思える。
「夢だったんだよ。僕は生まれた時から、ずっと“施設”にいたから」
冬馬や朱音に軽く話すことはあっても、こうして改まって話すのは初めてである。
その相手が、まさか粕谷になるとは思ってもみなかった。
「学校に通って、友達を作って、一緒に遊んだり勉強したり、たまに喧嘩して、仲直りして……」
それは、外の世界の人間が当たり前に過ごす普通の子供の生活だ。
悠が焦がれてやまない夢の光景であった。
「僕は、そのために学校に来たんだ。そのためだけに、来たんだよ」
人生最後の1年を、そうして過ごしたいと思っていた。
だが同時に、死んだ“みんな”への罪悪感が、悠に一歩を踏み出させることを躊躇わせていたのだが。
しかし昔も今も、願いは微塵も変わっていない。
粕谷とだって、最初は友達になれればと思っていたのだ。
粕谷は、己の学校に現れた異物を、冷たい眼差しで見下ろしている。
「ねえ、粕谷君……一つ聞いてもいいかな?」
「……何だよ」
それは、ずっと疑問に思っていたこと。
しかし誰にも問いかける機会が無く、胸の内に封じていたことだ。
「粕谷君は、朱音のことが好きなの?」
「……あ?」
「僕が、朱音と一緒に住んでたから、粕谷君は僕を苛めてたの?」
粕谷の悠への憎悪が、悠の空虚な態度にあったとしても、その発端があったはずだ。
そもそも、粕谷が悠を苛めた発端とは何だったのか。
それは悠が転入生の挨拶で盛大に言葉を噛むという醜態もあったのかもしれない。
だが、悠にはそれは違うような気がするのだ。
粕谷と朱音の仲は険悪である。
だが、それ故に粕谷は朱音を特別扱いしていたのではないか、と悠はそう思っていた。粕谷の不器用な恋の形なのではないか、と。
そして朱音と一つ屋根の下で暮らす悠に嫉妬を抱いていたのではないか。
悠は、他者を評するにあたり、まずは良い所を探そうとする。頑張って、出来るだけ多く。
それは、粕谷相手でも例外ではない。
恋とそれ故の嫉妬。
見るに堪えない外道を行う粕谷にも、そんな真っ当な想いがあるのではないかと、悠は思っていたのだ。
「だから、決闘に朱音も賭けさせたんじゃないの?」
朱音を、どんな形であれ自分のものにするために。
悠は、その疑問を確かめるべく粕谷を見上げた。
この疑問に答えを得ることは、今の悠にとってどうしても必要なことだったから。
粕谷は、そんな悠の疑問を受け止め、
「はっ……」
小さく笑みを漏らし、
「……馬っ鹿じゃねぇのか、てめぇはよぉ!」
嗜虐に満ちた笑みを浮かべていた。
何をくだらないことを言っているのかと、悠を心底馬鹿にした声である。
「あんだけ顔も身体もイイ女は滅多にいねぇんだよ!
そりゃあヤッちまいたいに決まってんだろうが! それに処女だろうしなぁ!」
その口から吐き出されるのは、下種な獣欲の発露であった。
「嫌がる処女を無理矢理ヤっちまうってのが好きでよぉ、特に強気な女が泣き叫ぶのが最高なんだよ!
藤堂みたいな顔と身体も極上の女なんて手を出さねぇ訳がねぇだろうがよぉ!」
その表情が、喜悦と欲望に汚れ歪む。
「あぁ……てめぇが藤堂と一緒に住んでるのは心配だったぜぇ。
藤堂がいつてめぇに股開くんじゃねぇかと気が気じゃ無かった。どう見ても藤堂はてめぇに――いや」
粕谷は、苦虫を噛み潰したような表情で、言葉を切った。
しかしすぐに、先ほどとは別種の歪みを浮かべた表情で、
「ああ、そうそう、ティオはなぁ――」
「黙れ」
悠はただ一言、そう発した。
この場にあの3人が戻ってきていることには気付いていた。
彼女達の前で、間違ってもその続きを言わせる訳にはいかない。
同時に悠は、内心でこう思っていた。
――ありがとう、粕谷君。
本心である。
粕谷がそう答えてくれて良かったと、悠は心からそう思っていた。
もし粕谷が共感してしまうような真っ当な返答をして来たらどうしようかと不安でもあったのだ。
だから彼に感謝する。
ありがとう、粕谷君。本当に酷い奴でいてくれて。
これで、僕は――
悠は、粕谷を真っ直ぐに見上げる。
粕谷は、愉しみに水を差されたと言いたげな怒りの形相を浮かべていた。
「粕谷君、君に――いや」
悠は、頭を振った。
違う、こうではない。
自分の今の気持ちをこの相手に正確に伝えるなら、こうだ。
「粕谷……お前に、朱音とルルさんは指一本、触れさせない。ティオにももう二度とだ!」
「てめぇ……!」
粕谷京介は、神護悠の敵である。
その事実を認めることに、もう悠は何の躊躇いも感じていなかった。
……この男を、痛い目に遭わせてやらねば気が済まない。
誰かを護りたいとか、それが正しいことだとか、そんな部分とは全く別の部分で、燃え滾る感情が叫んでいる。
ここから先は、決闘などという格調の高いものではない。
悠は二刃を構え、八刃を操りながら、
「粕谷、僕とお前の喧嘩を始めよう……!」
「神護ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
悠と粕谷の戦いの、第二幕が上がる。
<機甲蟷螂>の死神めいた巨躯が、悠の細身に襲いかかる。
象よりも巨大なその威容から放たれる大鎌は、悠の身体を容易く肉片へと変えるだろう。
超再生など関係なく即死させる可能性が高い。
それを悠は――真正面から迎え撃つ。
「悠ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
朱音が叫ぶ悲痛な声が聞こえる。
大丈夫だよ、と悠は小さく微笑んでいた。
<機甲蟷螂>の悲鳴の大鎌を、悠は二刃で受け止めるべく構えを取っている。
以前は到底受け止められないと、必死で避けていた攻撃である。そして、進化を遂げた今は恐らくそれを遥かに上回る破壊力があるだろう。
粕谷に主導権を渡した“機甲蟷螂”からは以前の精密な動作と判断力が消えており、素人丸出しのその攻撃を避けることはさほど難しくは無い。
避けるべきである、と理性は言っている。
だが、駄目なのだ。それでは、悠は納得できない。
それは悠にとってこの喧嘩の“勝利”ではないと、そう悠の意地は訴える。
欠点を付いて勝利するなど、そんな決着は断じて認めない。
故に、悠は粕谷の渾身の一撃を、真正面から受けた。
轟衝。
地面が割れ沈み、悠の足が埋まる。
悠を中心として発生した衝撃が、広場を舐め回す。
朱音やティオの悲鳴じみた声が聞こえた気がしたが、間近の大鎌の上げる絶叫が煩くて、良く分からなかった。
「なっ……んだぁ……!?」
粕谷の驚愕と恐怖の声が上がる。
信じられないと、その声は震えていた。
悠は、大鎌の一撃を受け止めていた。
その華奢な身と薄い刃で、その破壊力を完全に殺していたのだ。
先ほどまでなら、あり得なかった光景である。
何せ、悠の白刃は<機甲蟷螂>の装甲に負け砕けていたのだから。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
悠の裂帛の気合いと共に、双刃が煌めく。
疾る二つの剣閃が、受け止めていた大鎌を、切断していた。
「ぎゃあああああああああああ!」
粕谷が絶叫を上げる。
恐らく、<機甲蟷螂>の受けたダメ―ジが粕谷にも幾分か反映されているのだろう。
粕谷は、恐慌も露わな表情で、悠を見下ろす。
「ふざけんな! 何でだよ、何でそんな弱っちい剣でそんなことが出来る! 何かインチキでもしたのかこのクズがぁ!」
悠は、真っ直ぐに粕谷を見上げながら、間合いを詰めていく。
粕谷の絶叫と共に、<機甲蟷螂>のもう一つ大鎌が振り下ろされた。
「簡単なことだよ、粕谷。
それはね――」
悠は、落ち着いてその大鎌を迎え撃つ。
「――僕が、怒ってるからだ! 当たり前だろ!」
よくも朱音とティオを、大切な友達を侮辱したな――悠の猛りが迸る。
悠の声と共に、もう片方の大鎌も切り飛ばされ、魔素となって魔界の空気に溶けていった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
最早声なのかも分からない、粕谷の叫びが広場に上がる。
先ほどまで、<機甲蟷螂>に劣っていたはず悠の“斯戒の十刃”の強度は、完全に逆転していた。
魔法の具象の系統として、強度の優位が粕谷にあるにも係わらず、である。
それは、悠の基礎的な魔法の強度が、粕谷のそれを完全に上回っているからに他ならない。
つまり、魔法の相性差ではどうにもならないほどに悠と粕谷に間には地力の差が生じているということだ。
何故か――それは、悠の心構えの差にあった。
先ほどまで悠は、「勝利を得るために“機甲蟷螂”を削り切る」ということを胸に戦っていた、そして今は、「友を侮辱された怒りを粕谷京介をぶつけ、倒す」ことを想っている、
粕谷京介を明確に仇敵であると認識し、相対することで、その武器として機能している悠の魔法は、未だかつてない強度を発揮していた。
魔法とは、魂の具象である。
魂とは、人間の心そのものだ。
悠の心は、“怒り”という欠けたピースを完全に嵌め込まれたことで、より強い強度を獲得したのだ。
悠の白刃はより鍛え込まれ、悠の肉体もまた先ほどまでとは別格の身体能力を得ている。
そして、その時間停止の力も――
八刃が、<機甲蟷螂>の装甲に次々と突き刺さっていく。
八の刃を生やしたその巨躯は、動きを完全に停止させていた。
あの超振動波も放つことは出来ないだろう。
「くそっ! くそぉっ! くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
来るんじゃねぇ、この糞野郎!」
双刃を手に近付く悠に、粕谷が恐怖の悲鳴を上げる。
「降参する?」
粕谷は、口をぱくぱくさせていた。
何かを話そうとしているが、良く聞こえなかった。
悠は、声が聞こえるようにと更に近寄り、
腹部と胸に、熱い衝撃を感じた。
「ぐぅっ……! あ……がっ……!」
粕谷の手に、隠し持っていた二つの紅い刃が握られており、それが悠を刺し貫いていた。
同時に、その刃はあの大鎌と同じ超振動を放っており、悠の内臓を破壊していく。
悠は口から夥しい血を零した。
「ぎゃはははははははははは!
ざまあみろ、死ねや神も……りぃ……?」
我が世が春と言わんばかりの嗤いを上げていた粕谷は、自分の武装に貫かれ、内臓を破壊される悠を見ながら次第に声を震わせる。
悠は、黙って粕谷を見据えていた。その眼差しには、微塵の動揺も無い。
腹と胸を貫く刃を、それがどうしたと言わんばかりに粕谷を睨んでいる。
「あっ……な、なんで……」
粕谷が、絶望的な呻きを漏らす。
悠が、双刃を振り上げた。
「ひぃ……やっ、やめっ……」
情けなく頭を振る粕谷を見ながら、悠は思う。
もしかしたら、あの学校で悠がもっとまともであったなら、粕谷はここまで壊れなかったのかもしれないと。
この世界で、ここまでの外道に及ぶことも無かったではないかと。
そんなことを思っていた。
しかし、同時に浮かぶ光景があった。
親を失い、奴隷となり、多くの辛い目に遭って来たティオに粕谷が強いた、惨い仕打ちの数々。
そして、朱音とルルという大切な二人の友人を、同じ目に遭わせようとしている下劣さ。
自分が負けた時の3人の光景を思うと、吐き気がこみ上げるようだ。
そして、結論する。
結局は――
「お前が……悪い!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
粕谷の悲鳴ごと切り捨てるように、悠は双刃を振り下ろした。
粕谷の両腕が、広場に飛ぶ。
「あぎゃあああああああああああああ!」
そして、両腕を失った粕谷の絶叫と共に<機甲蟷螂>の巨躯が崩壊を始めた。
まるで急に寿命が訪れたが如く、その鋼の威容は錆びるように力を失い、そしてバラバラに崩れて魔素として魔界の空気に溶けていく。
10秒ほどの時間を要して<機甲蟷螂>は消滅し、そこには両腕を切り落とされて叫び転げ回る粕谷だけが残された。
今は両腕を失っているが、魔界化が解除されれば繋がった状態には戻るだろう。
多少の後遺症は残るかもしれないが、リハビリも含めいい薬だ。
悠は、見届け人であるマダラの方を見遣る。
彼の下には、三人の少女もいた。
朱音も、ティオも、ルルも悠に微笑み、頷いている。
屋根の上に胡坐を搔いていたマダラも、満足そうに頷いた。
煙管で屋根を叩き、乾いた音を鳴らしながら。
「宜しい! 勝者は神護悠! この“偽天”マダラがしかと見届けた!
三人とも持ってゆけい!」
マダラの声と共に、魔界の光景が剥がれ落ちていく。
魔界化の解除が始まった。
「…………はぁー……」
悠は、こちらに駆け寄ってくる三人の少女を見ながら、その場にへたり込んだ。
今すぐ気を失いたいほど疲れていたが、再生中の胴体の内臓の激痛がそれを許さない。
腹の中に硫酸を流し込まれているような熱さと痛みであった。
ティオが悠に抱き付き、ルルが優しげに微笑み、朱音が何故か顔を真っ赤にしてこちらから顔を逸らしていた。
しかし朱音がただ一言、
「……やったじゃん」
「……うん」
悠はにこりと頷き、次第に見えてくる青い空を見上げた。
まだ時刻は昼を過ぎたぐらいだろうか。
世界を隔てる膜が消え、麗らかな陽光が広場に差し込んでくる。
まるで悠達を祝福しているかのように、太陽は悠達を照らしていた。
……こうして、混迷を極めた魔界での戦闘は、全て終結を迎えたのだった。




