第25話 ―朱音とティオ②―
絶望の坩堝と化しつつあった広場に、少女の澄んだ声が流れる。
藤堂朱音の歌うような声が、その魂の言霊を紡いでいく。
それは、自らの魂を自覚した、乙女の清なる歌声である。
「触れ合いたい、繋がりたいと切に願う――」
恋しい、愛しい、あたしはあなたに恋をしている。
あたしはやっと初恋に気付いた。
「然れど想いは届かない――」
この想いを伝えたい。なのに伝えられない。
「この言の葉は、私の心を映さないから――」
あたしの言葉は、素直じゃないから。
恥ずかしくて、あなたの顔を真っ直ぐに見られない。この心を、真っ直ぐに伝えられない。
「だから抱き締めさせて――」
あなたの温もりを感じたい。あたしの温もりを感じて欲しい。
「この肌と温もりで、私の親と愛を伝えたい――」
あたしの言葉が想いを伝えないのなら、触れ合うことで伝えよう。
あなたに恋していると、この身体で教えさせて。
「虹と煌めくこの絆を、私は永久に紡いでいこう――」
恋人、親友、家族、仲間――その全ての絆は、あたしの宝物だから。
永久に大切にしていきたい。
「――魔法具象――」
それが、藤堂朱音の魔法。
光り輝く至上の幸福を謳う、絆の魔法である。
「“絢爛虹糸”!」
光が、朱音の両の手から溢れ出る。
それは迸る閃光ではなく、暖かな虹色の光だ。それは集いて一つの形を成していく。光りを縒り合わせ、朱音の魔法が具象化する。
それは糸だ。
虹色の光の糸が、朱音の十指から紡がれていた。
七体の魔族が、朱音に殺到する。
誰かの悲鳴と、逃げろと叫ぶ声が聞こえた。
そして、次の瞬間――
七つの異形が吹き飛ばされていた。
一方、“母体”との最前線において、森人の少女の歌声が響く。
ベアトリスは、ティオの唇から紡がれるその言の葉を、驚愕と共に聞いていた。
「地、水、火、風、其は万物に宿りし根源なり――」
それはかつて、ある森人の女性が紡いだ自然への感謝と敬意の詠唱である。
「四精、我が庭にて集いて歌え――」
彼女は、剛き戦士であり、強き母であった。
「地よ、其は豊穣の祝歌を――」
「水よ、其は慕情の恋歌を――」
「火よ、其は勇気の凱歌を――」
「風よ、其は自由の遊歌を――」
貴族殺しの罪に追われる彼女とベアトリスは幾度か刃を交え、ついぞ決着が付くことは無かった。
「其は我が友、我は万感の謳歌にて其に応えん――」
何故なら彼女は、娘の身を慮って自ら投降したからだ。
敵手であったベアトリスに娘の命を託し、彼女は処刑台にその首を捧げた。
「――魔法具象――」
その詠唱は、魔族に身体を汚され苦難に生きながらも、愛を失わなかった森人の戦士の魔法である。
彼女の名はリオ。ティオの母だ。
「“精霊庭園”!」
今、リオの娘の唇から、母と全く同じ魔法の銘が叫ばれた。
同時、ティオの周囲に四つの自然の化身が具象する。
土の巨漢が、
水の淑女が、
炎の蜥蜴が、
風の妖精が、
森人の少女の傍らに在った。
大切な友を――あるいは、我が子を護るが如く、四精はティオに侍っていた。
ベアトリスがリオとの戦いで幾度も見た、四つの具象体の姿である。
ティオに、魔族が殺到する。
ベアトリスは思わず駆け出そうとして、
四精により砕け散る魔族を見た。
魔族が、吹き飛ぶ。
第三位階に至った朱音の武技により、その総てが迎撃されていた。
そして、それだけでは終わらない。
朱音の指から紡がれる彼女の魔法、“絢爛虹糸”の光の糸が、吹き飛ぶ魔族の一体一体に繋げられている。
朱音は、既に己の魔法の本質を理解していた。
それは、つまり――
魔族に繋がる朱音の虹糸が、手繰り寄せられていく。
同時に、異形のその手に吸い寄せられ、強制的なカウンターとなって次々と朱音の蹴撃によって紫の塵と帰していく。
1体、2体、3体、4体、5体――成す術もなくその異形の頭部を砕かれていく。
第三位階に達した朱音の蹴りは、中位魔族の魔力の装甲を易々と貫いていた。
6体目と7体目――その頭部は膨れ上がり、自爆寸前だ。
朱音の身体は自爆の射程圏内であり、もはや逃れることは不可能である、
ように見えた。
「…………っ」
朱音は冷静に指先から魔族に繋がる虹糸を切り離し、そしてその虹糸を操って広場の端の建物の壁へと繋げた。
魔族の異形と建物の壁が、虹糸で繋がれ――
次の瞬間、異形が高速で広場の端へと吸い寄せられていく。
そして二つの異形は壁に激突――誰も巻き込めない遥か遠くで自爆し果てた。
対象物と対象物を“繋げ”、“引き寄せる”ことのできる光の糸。
それが、藤堂朱音の魔法、根っからの寂しがり屋の魔法であった。
一見すると地味な能力であるが、これは戦闘面において敵手との間合いを支配できることに他ならない。格闘術を得意とする朱音にとって、最適といえる特性を言えるだろう。
そして、“糸”という道具の用途の広さを鑑みれば、この魔法の汎用性はそれだけには留まるまい。
七体の中位魔族を屠った朱音は、高々と叫ぶ。
朱音の活躍を呆然と見ていた皆に向けて、
「皆! 諦めないで! 全員で生きて帰るのよ!」
それは仲間である皆のため、そして、恋する悠のため。
己の初恋を認めた乙女は、ついに自身の魂の本質へと辿り着いた。
朱音の檄に、美虎の唇が獰猛に吊り上る。
内臓を痛めているのだろう、その唇から血を漏らしてる長身の少女は、広場に響く叫びを上げる。
「おい、おめーら! 1年坊の女子だけに気張らせる気か! 悔しくねーのかよ!」
広場の至る箇所から、猛き声が上がる。
絶望の空気が、皆の鬨の声によって払われた。
今にも膝を折り屈しかけていた少年少女が、希望を瞳に燃やしながら魔族に立ち向かう。
「アカネ様を打撃力の中心として陣を組み直します!
トウマ様とザクロ様は――」
ルルの差配によって、朱音を主力とした陣が再編成される。
広場の戦局は、人類の反撃の局面を迎えた。
「何故、貴公がその魔法を使えるのだ……!」
ベアトリスは、“精霊庭園”を操るティオへと言葉をかける。
魔法とは、己が魂を具象化する技法である。
つまり、原則として同じ魔法は存在しない。特性が似通ったものは存在しても、全く同一の魔法が発現するなど、本来はあり得ないのだ。
赤ん坊の頃から狂的な教えによって魂レベルから調整を受ける“焔巫女”のような例外的な存在はあるが、普通は例え家族であろうと魂は異なるものであろう。
しかし、今ティオが具象化した魔法は、彼女の母であるリオと寸分違わぬ特性を有していた。
つまり、地、水、火、風のそれぞれの力を有する四つの具象体を生み出し、それを操る。
扱いは難しいが高い汎用性を持つ強力な魔法だ。
「私は“混じり者”デス!」
知っている。
彼女の母は、汚染者だったのだから。
しかしティオの外見に変化は無く、検査においても異常は見られなかった。
ティオは、自分の胸に手を当て、
「“これ”が、私に混じってたものでス!
お母さんが、私の中にずっといたんデス! 見守っててくれたんデス!」
「何だと……?」
汚染者である母の魂が、娘に宿る?
聞いたことがない。
だが、あり得ないと否定する材料も無いだろう。
汚染者と半魔族に関する研究は、少なくとも帝国においてはさほど進んでいない。
魔族とは不条理の塊のような存在であり、その影響を受けた母体が子に及ぼす影響も未知数と言えた。
つまり、ティオは半魔族の中でも極めて稀なレアケースということになる。
恐らくは、母体の魔道的特性が、汚染者としての特性を通じて我が子に遺伝されたのではないか――
(いや……)
ベアトリスは苦笑と共に頭を振った。
マダラのようで癪であるが、それは詰まらないだろう。
母の魂が、死した後も娘を護っている。
それでいいではないか。そこに科学的考察を行うなど、無粋というものだ。
母の愛が理を超える――寿ぎこそすれ、厭う理由など微塵も無い。
それに、ベアトリスはリオを尊敬していた。戦士として、女として。
願わくば、討つべき敵手として出会いたくなどなかったのだ。
こうして戦場で、彼女と轡を並べられるというのは何とも痛快な話ではないか。
「ティオ! “精霊庭園”の奥の手は分かってるか!」
「はい! 出来まス!」
よし、とベアトリスは頷き、今も魔族を吐き出し続ける“母体”に目を向ける。
「私が道を開ける! 貴公は全力で“それ”を叩き込んでやれ!」
「了解しましタ!」
頷くティオの気配を背に感じながら、ベアトリスは駆ける。
そして彼女の征く道に、無数の紫の塵が舞う。
鎧袖一触、魔族は反応し抵抗する暇すら与えられずに切り捨てられていく。
そしてその後を、ティオが追う。
彼女を護る四精と共に、その身には力が満ち満ちていた。
近付く二人に脅威を感じたのか、魔族の群が“母体”を護るべく集結する。
だが、それが一体何の意味があろうか。
元来、ベアトリスは“攻め”を旨とする剣士だ。
今までの守勢の戦いは、ベアトリス・アルドシュタインの本領ではない。
その真価を発揮した帝都第一位の剣閃が、魔族の海をものともせずに割っていった。
そう、“母体”に肉薄するだけならば、容易いことなのだ。
しかし問題は、“母体”を迅速に倒せるか否かである。
近付けば近付くほどその“母体”の巨大さに眩暈がしそうだった。
街の街区を一つ飲み込むほどの、狂気の芸術品がそこに在る。
ベアトリスの魔法は謂わばバランス型である。このような巨体を一撃で屠る火力は無い。
故に、切り札はティオの“精霊庭園”なのだ。
ベアトリスは渾身の一閃によって、“母体”へと繋がる道を作り出し――
「ティオ! 頼むぞ!」
「はイ!」
ベアトリスの切り開いた道を、ティオの小柄な身体が駆けていく。
周囲の四精が、濃密な魔道の気配を纏っていた。
そして四精が溶け、一つの輝きとなってティオに集う。
「光輝・第五精霊!」
ティオの叫びとともに、その光輝の魔道が“母体”に叩き込まれた。
それは、「愛する自然と共に戦いたい」というティオの母の魔法の願いから転じた、「愛する自然を汚す悪に許さない」という“精霊庭園”の別の側面。
本来、自然の概念には存在しない第五の元素である。
その効果とは、即ち世界を汚す悪――魔族に対する特攻効果。
“第五精霊”の光輝の波動は、魔族に対してのみ絶大な破壊力を生み出す。単なる威力だけではなく、魔族の身体を崩壊させる自滅因子を叩き込むのだ。
それは、“母体”の巨体であっても耐えられないほどに。
轟音と爆発。
紫の塵が街区を満たす。
ティオの放った“第五精霊”は、“母体”の要塞の如き巨体を一撃で消滅させていた――
そして中位魔族との死闘は、二人の少女の覚醒と活躍により終結へと向かっていく。
残るは、悠と粕谷の決闘のみである。
そしてその戦いもまた、最終局面を迎えていた――




