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第24話 ―朱音とティオ①―

 悠が、戦っている。

 あの十の刃を繰りながら、鋼の蟷螂と死闘を繰り広げていた。

 悠の魔道に自己再生の能力があることは聞いている。しかしあの華奢な身体で蟷螂の大鎌を食らえば、体勢を立て直すことは困難だろう。

 機甲蟷螂の動きには次第に鈍さが目立ち始めたが、同時に悠の様子にも危うさが感じられる。


 ティオは、彼のそんな姿を固唾を飲みながら見守っていた。

 彼の決着を見守ることは、朱音達から頼まれた役割である。

 しかし同時に思うところがあった。


 自分は何をやっている。これでいいのか。

 そんな焦燥感が、ティオの小さな胸を焼いている。


 朱音も悠も、ティオのことを友達だと言ってくれた。

 悠の仲間である他の皆も、ティオにとても優しくしてくれた。友達になりたいと言ってくれた。

 彼等は今、生命の危機にあり、あるいは命を賭して魔族と戦っている。


 先ほどから、時折妙に頭の巨大な異形が現れては突然潰され地面に張り付き、紫の塵となって消えていた。

 マダラが近付く魔族を排除しているのだろう。

 そして彼等はあの異形と戦っているのだ。


 では、自分は何をしているのだろう。

 ここで、この“天”の男に守られながら、ただ立ち尽くして悠の死闘を見守るだけなのか。

 それは彼等の友達としての在り方として、正しいのだろうか。


 それは、英雄譚における無力なヒロインの姿としては正しいのだろう。


 だが、ティオが憧れる姿は違うのだ。

 彼女が目指す理想とは、大切な人を守れる戦士だ。自分を守ってくれた、母のような強き女性の姿なのだ。

 決して、安全な場所に身を置き、友に戦わせるような無力な少女ではない。


 故に、この状況において、ここは自分の居場所ではないのだ。


「私も、戦いマス」


 その決意を、ティオは頭上のマダラの顔を真っ直ぐに見上げながら告げる。

 “天”に名を連ねる最強の魔道使いの一角から眼を離さずに、ティオは己の強固な意志を口にした。


 マダラは、屋根の上で胡坐に頬杖を突きながらティオを見下ろしている。

 その顔は、赤子が突然喋り出したのを見かけたような驚きの色が浮かんでいた。つまり、ティオへの多分な侮りが見える。

 この娘は何を馬鹿なことを言っている。彼の表情にはその意思がありありと見えていた。


「……お嬢は第一位階レインフォースじゃろうが。

 儂が今、こうして守ってやらなんだらぶっ倒れとるぞ?」


 その通りだ。

 魔界が落ちる寸前、マダラは足元のティオを何らかの結界で包み、保護してくれていた。

 それ故に、ティオは魔素中毒から免れている。

 彼の保護下から離れれば、即座に魔素中毒による臓器不全に襲われるだろう。


 だから自分も、当初は今の状態に甘んじていたのだ。


「でも……!」


 ティオは自分の胸の想いを告げようと口を開き、


「こんな場所でただ突っ立って、小僧共のダチ公言えるんか……そんなところじゃろう?」


「あっ……」


 マダラに、そのおおよそを言い当てられ言葉を噤んだ。

 彼は、珍しく諭すような遊びの無い口調で言葉を続ける。


「で、お主はここでぶっ倒れてどうするつもりじゃ?

 お主の友情とやらは、ここで魚みたいにのた打ち回ってりゃあ証明されるんかい」


「……っ!」


 ティオは、唇を噛み締めた。

 マダラの言葉は正論である。ここでティオが意思を貫いて己の想う友情に殉じたところで誰も喜ばない。あまりに身勝手な自己満足があるだけだろう。


 だが、そんなことは分かっている。

 そんな当たり前のことを言われて引き下がるようなら、初めから口になど出していないのだ。

 ここは、ティオが彼等の友と胸を張って生きられるかの分岐点だ。ここで黙って立ち尽くし、死闘を終えた彼等を恥知らずにも笑顔で迎えるなど、ティオには到底できそうにない。

 ティオはそう考えており、それ故にその覚悟は固く重い。


「……第一位階じゃなければいいのでショウ」


 無茶である、と理性のどこかは言っている。


「……んん?」


 マダラは、訝しげに片眉を上げた。


「私が今から位階を上げることが出来れば、戦うことを認めていただけますカ」 


 そう、第二位階以上であれば、何の問題も無いのだ。

 自分も、何らかの形で彼等の力になれるだろう。

 特に第一位階から第二位階の壁を突破するという事は、それなりに見受けられる事例である。


「…………ふぅむ」


 見上げるティオの顔を、マダラは細い目で見下ろしている。

 

 普段は感情表現豊かな男であるが、今の彼の目から感情を窺い知ることは難しかった。

 その視線は、ティオの何かを見定めるように不可思議な光を宿している。

 そして何かの結論を得たのか、その目を僅かに伏せ、


呵呵カカっ、よろしい」


 煙管を咥えた口元をにやりと歪め、


「……ぁっ!?」


 ティオの小さな身体を、重圧が襲った。

 まるで巨人の掌が圧し掛かかっているような、その身体が押し潰されると思うほどの物理的負荷である。

 とても立っていられず、ティオはその場にへたり込むが、それでも耐えられずに上半身を伏せった。

 まるで寝そべる犬のような体勢になりながら、ティオはその重圧に喘いでいる。


 そんなティオを、マダラは紫煙を燻らせつつ、愉快な見世物を眺めるような目で見下ろしていた。


「そのばくを破ってみい、そしたら征くことを認めてやるわい」


 つまりこの重圧は、マダラの力に因るものなのだろう。

 ティオは、頬を地面に押し付けられながらも、マダラをしかと見上げ、


「……二言は、ござい……ませんネ?」


 そう言い放つ。

 その瞳の意思の光は、微塵も揺らいでいない。

 そんなティオの意気にマダラは愉しげに小さく喉を鳴らしながら、


「応よ、おとこに二言があるはずなかろう。

 小僧共やお嬢にはどやされるじゃろうが、全部儂が請け負ったるわい」


 頷き、頬杖を突いてティオを見下ろす。

 やれるものならやってみるがいいと、その細い目の中で光る眼光はそう言っている。

 そして、どうせ出来まい、せいぜい身の程を知れと言われている気がした。


「ぐ……!」


 カチンと来た。

 この男の鼻を明かしてやりたい。

 その激情が、更なる力となってティオの覚悟に上乗せされる。


 ティオは、まずは立ち上がるべく全身に力を込めて身体を持ち上げた。

 まるで全身の細胞の重さが数十倍にもなったような、異様な重量感が全身を襲っている。

 ティオは震える膝を押え、背を猫のように丸めながらも、何とか立ち上がることに成功する。


 どうだ、とマダラを見上げると、


 彼はこちらを一瞥もせずに、悠と粕谷の決闘に目を向けていた。

 どうせ無理であろうから見る価値などあるまい、そう言外に言われている気がする。


「ぐぬぬ……!」


 更にカチンと来た。

 絶対に、この男を驚かせててやろう。

 断じて諦めるものかと、ティオの意思はますます強固となる。


 故に、マダラの言う“縛”を破らなければならない。

 魔道を用いて破れと、マダラはそう言っているのだろう。

 ティオは、暇を見つけては少しずつ勉強していた魔道の知識を思い出す。


 魔道とは、ある一人の賢者の記した書物を理論の祖とする技法である。


 魔道とは、その名の通り“道”を征くことを本質とする。

 “道”とは、この世界の理の根源と言われるより高次の次元へと続く概念であると言われている。

 そして、“道”を征くその過程において人は魔術、魔法、顕天とより上位の力を得ていくのだ。


 第二位階“ゼノグラシア”とは、その“道”を認識し、一歩を踏み出した者である。


 第三位階“ゼノスフィア”とは、その先の道なき“道”を、己が魂を道標として歩む者である。

 

 第四位階“アルス・マグナ”とは、“道”を踏破し根源たる天に至った者である。


 と、そう記されていた。

 一説によれば第五位階という存在が示唆されていると言われているが、賢者の遺した書物の解釈の間違いであろうという説が主流である。


 では、第一位階“レインフォース”とは如何なる者か。

 それは、“道”を認識することが出来ない者の総称を指す。

 彼等は、魔道の位階の一つに属する者ではあっても、“魔道使い”とは認められないのが一般的な認識である。


 ティオにも、魔道使いの皆が認識しているような“道”は見えなかった。

 そして今、その“道”を見つけなければならない。

 皆の友でいるために。


「くっ……!」


 身体が重い。膝が震える。

 今すぐにでも倒れてしまいたかった。


 しかしティオは、懸命に“道”を探そうとしている。

 “道”とは、万人に開かれていると書物には記されていた。“道”は在るのだ。後は、見つければいい。

 集中のし過ぎだろうか、頭痛と共に鼻血が出てきたがそれどころではない。


(アカネ……ユウ様……皆……!)


 ティオは、皆の顔を思い浮かべる。

 今も粕谷と戦いを繰り広げている悠の勇ましい姿を一瞥した。

 どうかお願い、彼等の友でいさせて――ティオは、切に願う。


(お母さん……!)


 自分は、母のようになりたい。

 他者からその身を疎まれようと、その身体を売ろうとティオを育て愛を与えてくれた母の如く。

 その首をギロチンにかけられようと、ティオを身を挺して助けてくれた戦士の如く。


 ティオは、友と肩を並べ戦える者になりたい。


(ねえ、お母さん)


 ティオは、その胸の中の母に語りかける。


(私、友達ができたよ)


 ティオは半魔族である。その身には、あの悍ましい怪物の因子が混じっている。

 それを知れば、今までの人々はティオを避けた。この人ならばと勇気を出して打ち明けた相手に、石を投げられることもあった。

 だが、彼らはそんなことを気にしないと言ってくれたのだ。


(皆を守りたいよ、お母さん……!)


 今、必死で戦っているであろう皆の力になりたい。

 朱音達の助けになりたい。

 今、ティオ達のために戦っている悠の安心させてあげたい。


 ティオは、身を潰すような重圧と、極限の集中による頭痛の中でそれを切に願い――



 ――なら一緒に戦いましょう、ティオ。



(……えっ?)


 懐かしい声を、聞いた気がした。






「……何ぞ?」


 マダラは、ティオから発せられる気配の変化に気付く。

 それは、濃厚にして強靭な魔力の気配。魔素に干渉して力を引き出す、魔道の行使の気配である。

 まさか、本当に位階を上げたのか。絶対に無理と言うつもりも無いが、無理であろうとは思っていた。

 マダラは僅かな驚きと共に少女を見下ろし、


 その少女の姿を見て、


「おい、こりゃあ……」


 驚きに、目を見張った。

 その愉快げに細められていた目が見開かれ、その口元からは危うく煙管が落ちそうになる。


 率直に、マダラは驚愕していた。

 彼を知る者ならば、多くの者がそれを見て驚くであろう。それほどの珍しい表情である。


っ……」


 マダラの声が震える。

 そして、


「呵っ呵呵呵呵呵呵呵呵呵ァ!」


 マダラの爆笑が響いた。

 いつもの余裕のある笑いではなない。駄目だ、堪え切れんと、マダラ自身でも止められぬ呵呵大笑が、マダラの口から突き出ていた。

 マダラは息苦しそうにしながら、その細目の端に涙を浮かべている。


「おうおう、そういえばお嬢は半魔じゃったのぅ……見目が普通じゃったから忘れとったわ」


 半魔族だとて、必ずしも異常が起こるとは限らない。

 普通の人間と何ら変わらぬ者も珍しくは無いのだ。


呵呵呵カカカ……そうか、そういう“混じり方”もあるんかい。まっこと世は広く深いのぅ。

 いや、儂の目も節穴じゃった、そろそろけたかの、こりゃあ。

 だが、それにしても都合が良過ぎるじゃろう、これは……呵呵っ」


 マダラは上機嫌に独り言を続ける。

 マダラの声は震えていた。それは、感動に震える心の表れであった。

 “天”に名を連ねる最強の魔道使いの一角は、小さな森人エルフの少女の姿に魅入られていたのだ。


 既に、マダラの“縛”は破られている。

 当然だ、この程度の“縛”など今の彼女には何ら枷にもなりはすまい。


 ティオは、マダラを真っ直ぐに見上げていた。

 どうだ見たか、ざまあみろと少女はその目で語りかけている。


 おうよ参ったとマダラは手を振り、


「……好きにせい。征くんならベアトのお嬢の方に行ってやるとええ、“ぎょく”はそっちじゃ」


 ティオは頷き、マダラが指差す方へと駆けていった。

 マダラは森人エルフの少女の背中を見送りながら、


「“人獣”のも失せたし、ちいと小僧共に手を貸してやろう思っとたが……こりゃあいらん世話じゃなぁ」


 愉快げに、そう呟いた。






 朱音や美虎の戦う広場での戦闘は、苦境そのものであった。

 広場の魔族は、次第にその数を増している。

 朱音達が中位魔族を削り切るペースよりも、新たな魔族が現れるペースの方が早いのだ。


 既に5体の中位魔族を斃していたが、広場に在る魔族の数は7体にまで増加していた。


「風よはしれ、集いてまわりて力と成せ――」


 ルルの詠唱が響く。

 ただしこれは、魔法ではない。


 疑似魔法フォールスフィア――マダラが生み出しルルに叩き込まれた、魔道の高等技術の一つである。

 ルルの番える矢の先端に、風が集う。それはいつも彼女が魔術で行っているものとは桁違いの密度を誇っていた。


「――螺旋疾風ワールウィンド


 矢が、放たれる。

 ドリルが如き螺旋の風を纏う矢は、魔族の頭部に直撃し――僅かな拮抗の後、その魔力の装甲を打ち抜き頭部を貫いた。

 大きく、身を傾がせた魔族を、更に冬馬の砲撃魔術が直撃し、


「えいっ」


 美虎の取り巻きの一人である、眠そうな眼をした少女が手に持っていた瓦礫を投げ付けた。

 瓦礫は放物線を描いて魔族の頭部に命中し、爆発した。

 爆炎と共に紫の塵が舞っていることを確認し、魔族の一体の撃破を確認する。


「…………っ」


 ルルは、その表情に濃い疲労の色を見せている。

 疑似魔法とは、高度な魔術の行使によって魔法に近い効果を疑似的に発生させるというものだ。

 魔術より格段に強力ではあるが、使い手の消耗は激しく、魔法のように高効率のルールとして固定させることも困難である。

 恐らく、あと何発も打てないだろう。


 朱音は、そんな様子を尻目に確認しながら、中位魔族の一体と相対し、足止めと削りを行っている。

 朱音もまた動き通しであり、その動きに疲労の色を見せていた。


 そして厄介な要因がもう一つ――


「東側の一体、“膨れて”来たッス!」


 美虎の取り巻きの一人が声を上げる。


 そちらに目を向ければ、全速力で駆けてくる一体の中位魔族の姿が在る。

 そしてその頭部が倍以上に膨張し、真っ赤になっていた。その頭部からは蒸気が上がっており、並々ならぬ剣呑さを見せている。


「……集中を!」

「くそぉっ!」


 近接組が距離を取ながら、ルルや冬馬といった遠距離組の攻撃が集中する、ルルの矢が足先に命中し、魔族はその場に転び、


 自爆した。


 広場の4分の1ほどを巻き込む大爆発である、

 そして、逃げ遅れた近接組の一人がそれに巻き込まれる。


「くっ……!」


 当然、美虎の魔法ゼノスフィアの効果によりダメージは無い。

 が、しかし――


「あぐっ……!」


 何かが粉々に砕ける音が聞こえ、

 遅れて何かが折れる乾いた音と美虎の呻きが朱音の耳を打つ。


 前者は、美虎の“盾”の一つが受けられるダメージが超過し砕けた音であり、

 後者は、超過したダメージを美虎の身体が引き受け、彼女のどこかの骨が折れた音であった。


 ――“盾”の耐久力を超過したダメージは、主である美虎が背負う。

 それも、美虎の“拷問台の鋼乙女”の制約ルールである。


「美虎さんっ……!」


「気にすんなって言ってんだろ! 集中しやがれ!」


 朱音の動揺の叫びを、美虎の檄が打ち消す。

 既に美虎の身にダメージが及んだ回数は1回や2回ではない。恐らく骨は何本も折れ、内臓もどこか痛めているかもしれない。

 だが、美虎が毅然とそこに立っている。自分は何を痛くない、平気だから心配するなとその立ち姿で語っていた。


 魔族の単純な打撃だけなら、“盾”で充分に無効化が出来るのだ。

 問題は、あの自爆である。


 中位以上の魔族もまた、魔道を扱うことが出来る。

 そして、あの巨大な頭部の魔族の有する魔道が、その強力な自爆攻撃であった。

 単なる爆発ではない。その爆風には、ある種の魔道的な“毒”を含み、浴びた者を破壊するのだ。


 あの魔族の自爆に誰かが巻き込まれるたびに“盾”は砕け、美虎の身体は傷付いていた。


 敵の数が減ってくれるのはいいが、こちらの最重要の主力も削られるのでは、たまったものじゃない。

 ましてや、あと何体の魔族がこの広場に現れるか分かったものではないのだ。


「一体、オレに通しやがれ!」


 美虎の声に、皆があえて一体の魔族を素通りさせる。

 魔族は、魔素中毒に喘ぐ皆が倒れる最終防衛ラインへと駆け、


「通すかよ化物がっ!」


 美虎が立ち塞がり、その頭部に手を触れた。

 美虎の周囲の“盾”が、淡く光る。


 次の瞬間、魔族の頭部が粉々に砕け、その異形は紫の塵と帰した。


 それはまるで、美虎が今まで受けたダメージを、魔族に返したかの如き光景であり、それが美虎の“拷問台の鋼乙女”のもう一つの能力である。

 その“盾”に蓄えたエネルギーを、美虎の身体を介して流し込むことが出来るのだ。


 これで広場の魔族は3体が減じたが――


 新たに、10体の魔族が姿を現していた。

 朱音は、眩暈を覚えた。


「ふざけんなよおぃっ!」

「前線の連中は何やってんだ!」

「皆、落ち着いてよ! ねぇ……!」


 その場に深い絶望感が落ち始める。


「てめぇら、ビビってるんじゃねぇ! 動けねぇ連中がいるんだぞ!」


 美虎の檄も、その場に満ちつつある絶望感を払拭するには至っていない。

 ルルが、疑似魔法の詠唱を始めているが、その顔の疲労感は更に増している。

 あと1、2発が限界なのではないだろうか。


「悠……!」


 朱音は、今も戦っているであろう少年の名を呟く。


 幸いにして、少なくともこの場での死者は今のところはゼロである。

 だが、もしこの場を生き残れたとしても、他に死者を出してしまったら。


 悠は、自分が決闘などを行ったせいだ、第三位階の自分が加わっていれば被害を減らせたのではと、自分を酷く責めるのではないだろうか。

 きっとそうだろう。短い付き合いだが、彼はそういう男だと朱音は理解していた。


(誰も、死なせない……!)


 彼のそんな顔は見たくない。

 彼にそんな顔はさせたくない。

 彼にそんな想いをさせたくない……!


 逢いたい、と朱音は思った。

 悠に逢いたい。


 幸せそうに笑っている悠の顔が見たい。

 からかわれて恥ずかしそうに困っている悠の顔が見たい。

 何かに真面目に打ち込んでいる悠の真剣な顔が見たい。

 笑いかけて欲しい。笑いかけてあげたい――


(ああ……そうか、あたしは――)


 死闘の最中なのに、朱音の口元に微笑が浮かぶ。

 死の淵において、朱音はようやく自分のこころの形を認めた。


 いつからと言えば、きっと出会った日からなのだろう。

 あの日から、神護悠という少年の存在は、朱音の心にどうしようないほどに深く刻みこまれている。


(あたしは、悠のことが――)


 その時朱音は、自分の魂のピースがはまった音を聞いた気がした。

 “道”の先が、見える――






 中位魔族との最前線の一つでは、ベアトリス・アルドシュタインが一人で奮戦していた。


 帝都第一位と謳われる剣技が、中位魔族を次々と紫の塵へと還していく。

 戦端が開かれてから今に至るまで、ベアトリスは自分の持ち場からただの一体の魔族も通さずに戦い続けていた。

 “天”には及ばないが、ベアトリスは第三位階ゼノスフィアでも上位の力を有する生粋の武闘派である。未だ異界兵の誰も、ベアトリスの実力には遠く及ばない。

 その剣閃が躍るたび、数多の紫の塵が舞っていた。 


 だが、彼女は同時に苦しい選択を迫られている。


 ベアトリスの視線の遥か向こうに、大きな影が見える。

 それは、巨大な顔である。

 その異形の顔は、その器官の穴という穴からあの中位魔族を吐き出し続けていた。


 あれが、この廃都に跋扈する中位魔族の“母体”。上位魔族に比べればあくたの如き存在ではあるが、中位魔族というカテゴリーにおいては強力な個体である。

 あれを斃さぬ限り、中位魔族の出現は止まることが無い。


 故に一刻も早く倒すのが上策であるが、そのためにはベアトリスは今の持ち場を離れる必要があった。

 結果、今相手をしている中位魔族の多くを広場に通すこととなる。


 途切れ途切れで聞こえてくる報告は、広場の戦闘が深刻な劣勢に陥っていることを示していた。

 今ベアトリスがこの魔族達を通してしまえば、決定的な瓦解を生み出すだろう。

 “母体”との戦いに少しでも手こずれば、多くの少年少女が犠牲となる。


 そのため、ベアトリスは少しずつ、少しずつ魔族の相手をしながら“母体”へと近付いていたのだが、彼我の距離を考えれば牛歩と言ってよい遅々とした歩みである。他の前線の異界兵も奮闘しているようだが、いつ崩れてもおかしくは無い状態であった。恐らくは、ベアトリスが“母体”に接敵する前に何れかの前線が崩壊するだろう。

 

 故に、決断しなければならない。

 このままジリ貧の戦いを続けるか、多数の犠牲者を覚悟の上で“母体”に突っ込むか。


 後者であろうと、ベアトリスの経験に裏付けされた理性は判断する。

 だが、本当に他に手は無いのか、とベアトリスの感情は訴えていた。

 誰も死なせたくはない。ましてや彼等は、我々帝国の一方的な都合に巻き込まれた、罪も無い無辜の少年少女なのだから。 


 あと一人……あと一人でも戦闘力を有する第三位階の者がいれば――そんな思いがあり、悠や粕谷を決闘に割かれているのが口惜しくて仕方ないが、考えても詮無きことである。

 あと10秒、10秒で決断しようと、ベアトリスは歯噛みしながら決めた。


 10,9,8,7,6


 ベアトリスは、覚悟を決めていく。

 多くの少年少女を犠牲にする、反吐が出るような覚悟を。

 

 5,4,3,2,1――


 いつか地獄から彼等に詫びようと、ベアトリスは“母体”を見遣り――


「ベアトリス様!」


 不意にかかってきた声に自分の正気を疑った。

 それは少女の声で、知った声である。

 いるはずのない、いてはいけない者の声だ。


 一瞥しただけであるが、そこに立つのは間違いなく森人エルフの少女、ティオの姿であった。

 一瞬、ベアトリスの頭が真っ白になる。


「……何をしているっ!?」


 ベアトリスは叫んでいた。

 それは戸惑いであり、恐怖であり、怒りの叫びでもある。


 そんな馬鹿な、何故彼女がそこにいる。

 マダラは何をしている、あんな男を信用しようとした自分が愚かだった……!

 ベアトリスの心が、激情に揺さぶられる。


 第一位階の彼女をこんな場所に寄越すなど、正気の沙汰ではないだろう。


(いや……)


 第一位階の彼女が、何故、第二界層イェツィラーのここに立っている……?

 ティオは、魔素中毒に喘ぐこともなく、平然とその場に立っていた。


 彼女は、遥か後方を見据えながら、


「“あれ”を倒せば宜しいのですネ?

 私にお任せくだサイ!」


 そんなことを言い出した。

 ベアトリスは、剣を振るいながらも更に混乱する。


「何を言っている、早く逃げろ! 貴公の母もそれを望むまい!」


 いや、むしろ自分から一歩も離れるべきではないのではないだろうか。

 一人で行動させれば、間違いなく魔族の餌食となる。

 

 そして、ベアトリスの胸中に更なる疑問が浮かんだ。


 そもそも、ティオはどうやってここまで辿り着いたのか。

 中位魔族の跋扈する、この魔性の廃都で。無力が少女が一人きりで。

 せめて第二位階程度の力は有していなければ、逃げることもままならないはずだ。


 ティオは毅然とした表情で、勇ましき言葉を吐く。


「大丈夫でス!

 “これ”は、ベアトリス様もお知りのはずデス……!」


 そして続けてティオの唇から漏れ出た言の葉に、ベアトリスは耳を疑った。

 それは歌声の如き、聞き覚えのある響き。

 詠唱である。






 一方、広場でも戦況に変化が訪れる。


 更に増加した中位魔族の軍勢により絶望の叫喚が満ちようとしていたその広場に、一人の少女の詠唱こくはくが流れる。






 混沌とした魔界の戦場で、奇しくも同時に二つの魔法たましいが具象化しようとしていた――

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