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第21話 ―決闘―

「神護ぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


 粕谷の絶叫と共に、<機甲蟷螂ハウル・シザース>の巨躯が襲い来る。

 無数の複眼が血のように紅い眼光を放ち、無数の殺意と悪意を孕んで悠を睨んでいた。

 大きさこそ以前に相対した竜の中位魔族よりも小さいが、その存在感は明らかに大きく漲っている。


 その両の手の大鎌が、その魔法の名の如く悲鳴じみた咆哮を上げながら、大きく振り上げられていた。

 その咆哮の正体は、恐らく触れた対象物を魔道、物質の両面で破壊する超振動であろうと、悠は予測を立てる。あの森で遭遇した人貌を纏った竜と、気配が良く似ていたのだ。


 悠は、両の手に白刃を握り、残り八本の刃の全てを、機甲蟷螂を迎え撃つべく撃ち出した。

 

 五本の白刃が迎撃されて砕かれ、しかし大鎌を潜り抜けた三本の白刃が鋼の装甲に突き刺さる。

 <斯戒の十刃(テン・コマンドメンツ)>の時間停滞の能力が発動し、機甲蟷螂の動きが停滞――


 ――しない。


 僅か、本当に僅かに動きが鈍くはなったが、その巨躯は相も変わらず致命的な速度と威力を保持したまま悠に肉薄しつつあった。


「…………っ!」


 その質量を考えればトラックが突っ込んできているのと大差ない。

 その大鎌は勿論、突進する巨躯に掠ることすら論外だろう。

 

 大鎌が疾る。


 悠は、ギリギリまでその動きを見切り、自分の身長とほぼ変わらない大鎌の軌道から身を反らす。

 大鎌は、空間が抉れたかと錯覚するほどの身の毛のよだつ音を残しながら、先ほどまで悠がいた空間を薙ぎ払った。


 全くの遠慮呵責えんりょかしゃくの無い、殺意の一撃である。

 人から殺意を向けられているという事実を改めて実感し、悠の背筋に悪寒が走った。


 が、感傷に浸る暇など存在しない。

 大鎌は、両手にあるのだから。


 回避行動を取っている途中の悠に対し、間髪入れずにもう片方の大鎌が襲いかかる。

 それは悠の逃げ道を塞ぐような、巧妙な軌道である。

 悠の体勢と、その大鎌の軌道と速度は、物理的に回避不能な状況を作り出していた。


「――止めろ!」


 悠は、既に再生が完了していた五刃を前方に展開し、空間に対して時間停滞を発動させる。

 時の停滞した空間が障壁として機能し、大鎌の動きを若干だが鈍らせた。五刃はそのまま砕け、銀の欠片として中に舞う。

 そこに生じた僅かな回避の余地を、悠は見逃さなかった。


 身を投げるようにして、その死地からの脱出を果たす。

 背のすぐ傍を薙いだ大鎌に、思わず背中を削り取られたかのような錯覚を起こした。

 血の気を引かせながらも、悠は着地し、バランスを崩しながら背後の機甲蟷螂の攻撃が止まった気配を感じる。


 好機、と確信を得た。


「はぁぁぁぁ!」


 振り向き様、両手の双刃を疾らせる。


 悠の手を通して剣としての機能を宿した白刃は、鋼の装甲に二つの傷を与える。

 更に、もう一撃、合計四つの傷をその装甲に与え、悠は転がるようにしてその場を離脱し反撃カウンターに備えた。


 その巨躯からすれば、僅かな傷である。

 だが、魔法ゼノスフィア同士の衝突によって、その鋼の巨躯を構成する魔素は削られ、その分、蟷螂の力は劣化する。粕谷の魔法はその鋼の巨躯に集約されており強力ではあるが、その分替えが効かないのだ。


 一方、悠の白刃は基本的に使い捨てであり、幾度破壊されても悠自身が力尽きない限り、何度でも再生して完全な機能を取り戻すことが可能である。


 それは、悠と粕谷の勝負における、悠の数少ない優位性の一つであった。


 先ほど、撃ち出し命中した三刃の効果が薄かったのも、想定の範囲内である。

 その具象の特質上、その存在の強度は一点集中の粕谷の魔法の方が上であり、総じてこちらの時間停滞の効果は薄くなる。

 恐らく、まともに時間停滞を機能させるなら十刃の殆どを命中させる必要があるだろう。


 魔法ゼノスフィアとは、この世界に存在しない異なるルールとして、己の魂を魔道によって具象化する技法である。

 そして、その効果が競合した時は、その存在の強度によって優劣が決定する。

 粕谷の魔法の在り方は、そのルールの強度が特に上がりやすいタイプのものであり、一方、悠は効果が10に分散し、更には再生可能である故に、一本一本の強度は低いのだ。


 どちらが上であるかという話ではなく、それぞれの具象の型における長所と短所の問題である。

 

「やりやがったな、神護ぃ……!」


 粕谷が、怒りの唸りを漏らす。

 彼は、悠の白刃に狙われないようにするためか、常に悠に対して蟷螂の後方に位置するように動いていた。

 蟷螂の巨躯の隙間から見える粕谷の顔は、屈辱と怒りに歪んでいた。

 己の魂の具現たる機甲蟷螂に傷を受けた痛みが、彼にもあったのかもしれない。


 粕谷もまた、第三位階に上がった恩恵によって身体能力は大幅に向上している。

 粕谷自身の時間を止めようと遠距離から白刃を放ったところで恐らくは当たらないだろう。

 下手に彼に意識と刃を割いて蟷螂の大鎌を食らえば本末転倒である。


 ともかくにも、悠の勝機は、先ほどの身の凍るような回避を繰り返し、その双刃で確実に隙を狙って機甲蟷螂を削り、弱体化させることにある。

 

 とりあえずは、一合目は成功と言ってよいだろう。

 機甲蟷螂に対して、どの程度悠の魔法の効力が及ぶかの確認も出来た。


 伊織やベアトリスが訓練を付けてくれなければ、恐らくは一合目で終わっていたのではないか。

 そんな予感を抱くほどに、綱渡りのような攻防であった。


 そして、それを何度、何十度と繰り返さなければならない。

 その最中、ただの1度の被弾も許されないだろう。

 考えただけで眩暈を覚えそうだ。


 だが――悠は、僅かに目を横に向ける。


 そこには、多くの観客に混じり、二人の勝負を見守る朱音やルル、ティオの姿があった。

 朱音は、真っ直ぐな目でこちらを見て、

 ルルは、相も変わらずの柔らかな笑みをこちらに浮かべ、

 ティオは、泣きそうになるのを我慢しながら、

 彼女たちは、悠を信じてこちらを見ている。


 悠は、僅かに彼女達に頷き返した。


 勝とう。

 そう誓ったのだ。

 男として、彼女達の信頼を裏切る訳にはいかないではないか。


 悠はそう決意し、粕谷に対して笑みを見せる。それは不敵な、余裕の笑みだ。

 まだまだ自分には余力があるぞと、先ほどの一合目で削れた内面を悟られないように。

 それは悠が初めて粕谷に対して発する、挑発の言葉だった。


「……どうしたの、粕谷君。この程度?」


「てめぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 顔を真っ赤にして激怒する粕谷の叫びを聞きながら、悠は再び迫り来る機甲蟷螂を迎え撃った。






 ベアトリスは、悠と粕谷の戦いを固唾を飲んで見守っていた。

 彼女から見れば、機甲蟷螂の動きには幾つもの隙があり、そして悠の現状の能力ならば十分にそれを突けるはずである。

 しかし余裕の無い彼は、それに気付けていない。


 一時でも師として訓練に付き合った身としては、非常にもどかしいものがあった。

 あと2日、せめて1日あれば彼にもっと仕込むことが出来たものを。


「さぁて、どう見るベアトのお嬢?」


 突如として降り注いだ声に頭上を見上げると、いつの間にかマダラが近くの建物の屋根に移動していた。

 このマダラという男にとって、距離という概念など意味を持たない。

 恐らくいきなり転移に巻き込まれたのだろう、ティオは目を白黒させており、マダラはそんな彼女の様子を、悪戯が成った童のように愉しげな眼差しで見下ろしている。


 ベアトリスは、小さくため息を吐いて客観的な意見を口にする。

 彼女個人の願望を、一切交えずに。


「8割方キョウスケ・カスヤでしょう。あの蟷螂は、魔道と戦闘の初心者が扱う魔法ゼノスフィアとしては理想的な性能を有しています」


 あの蟷螂は、主である粕谷とは別個の知能を有し、判断している。

 当然、主である粕谷の命令には絶対服従であるが、主が咄嗟に反応できないような事態においてもあの蟷螂は、自動的に状況を把握して自己の行動を決定しているのだ。

 そしてその判断は非常に精密かつ合理的である。主である粕谷以上に。


 以前の第二陣の際、喧嘩を売ったのがよりにもよって異界兵で1、2を争う武力を誇る朽木十郎であったのは不運を言わざるを得ない。

 それ以外の相手なら、逆の結果になっていたことも十分あり得ただろう。


 機甲蟷螂が力尽きるまで避け続け、攻撃を加え続けることが出来る確率。

 その前に一撃でも攻撃を受ける確率。

 どちらに天秤が傾くかと言われれば、やはり後者であろうと考えるのが妥当である。


 マダラは、そんな帝都第一位の剣士としての知見に、深々と紫煙を吐き出す。

 呆れたような眼差しを向け、


「まっこと、お主は詰まらんのう!

 だから二十歳過ぎても婿が出来んのじゃ、どうせまだ生娘なんじゃろうのう?」


 その言葉は、ベアトリスの心の急所を的確に射抜いた。


「くっ……!」


 思わず足元の石を投げそうになったが、ベアトリスは額の青筋と握りしめた拳で何とか堪える。

 マダラは、ベアトリスから目を離し、その場に立っていたもう一人の娘へと言葉を投げた。


「狼のお嬢よ、お主はどうじゃ?」


 ルル。

 そう名乗り、今は奴隷をしている少女が、師である男の問い受け、答えを返す。


「ユウ様です」


「ほう、何故じゃ?」


 ルルは、一切の動揺の無い静謐な眼差しを決闘の場に向けながら、


「私が、信じている男だからです」


 そう、ただ一言を言い切った。

 マダラは、愉快げに喉を鳴らす。


「呵呵っ、言い切るのうお嬢!

 付き合いも大して長くなかろうに!」


 その通りだ、ルルと悠の付き合いはまだ10日間ほどであろう。

 よくそこまで信を置けるものだと、ベアトリスは驚きをもってルルを見遣った。

 ルルは、妖しげで艶やかな眼差しを見せながら、己の胸に手を当て、


「私が、その身を捧げた男です。捧げるに足ると認めた男なのです」


 その言葉には、確かな自信が満ちていた。

 理屈ではないのだろう。彼女の、女としての感というやつだろうか。

 

 マダラはそんな弟子の姿を、どこか感慨深げな目で見下ろしている。


「……変わったのう、お嬢。

 儂ん下におる時はそんな軽口を叩くなぞ出来んかったじゃろうに。男の姿見るだけで顔を蒼ざめさせとったんじゃがな。あの白スケに女としても惚れおったか?」


「ふふっ、ご想像にお任せします。

 ですが、よりにもよって貴方が、私のユウ様への信を疑われるのですか?

 ユウ様にお引き合わせ下さったのは貴方でしょうに」


 そんなルルの言葉に、マダラは苦笑めいた笑みを漏らす。     


「呵呵っ、そうじゃったのぅ。

 確かに儂が口を挟めた義理ではなかったわい」


「……?」


 ベアトリスは、良く分からない話の流れに首を傾げた。

 その言い様はまるで、ルルが悠の奴隷となった経緯にマダラの意思が介在していたような――


「ま、今は目の前の喧嘩の話じゃな」


 その言葉に、その疑問を問いかける機会を逸してしまった。

 マダラは、続いてその場に立つ二人の少女にも顔を向けた。


「お主らにも聞いて置こうかの、どうよ?」


 そこに立つのは、ルルと同様に決闘の“景品”でもある朱音とティオだ。

 二人は、何の迷いもない表情で、


「悠に決まってるわ」

「ユウ様です」


 即答した。

 今現在、目の前で苦戦を強いられている悠を見ながらの、曇りなき信頼である。 

 そして二人の少女は、顔を合わせ、頷いて――


「だって、友達だからよ」

「だって、友達だからデス」  


 そう言い、微笑み合って二人は友の決闘を見届けている。

 

 本当は、不安もあるのではないかとベアトリスは思う。

 朱音の手は、先ほどから強く握られ震えているし、ティオは悠に攻撃が当たりそうになるたびに泣きそうになっている。

 だが、自分達が疑ってどうする。友の勝利を信じずにどうする――と、そんな健気な意思が、彼女達を支えているように見えた。

 打算無き誠の親愛が、そこに在る。


 眩しい、とベアトリスは思った。

 異世界の者であっても、人の美徳とは変わらないのだと胸を打つ姿であった。


 そんなベアトリスを、マダラはニヤニヤとしながら見下ろしてくる。


「……で、ベアトのお嬢よ。

 これで3対1で白スケの有利じゃな?」


 何だそれは、理屈が全く通らない。

 そもそもその3人の立場からすれば悠を支持するのは当然ではないか。


 この男は、一体何を言い出すのか。

 とにかく昔から言うこと成すことが気に食わない男であった。


 彼は、この世の誰よりも魔道の理論に精通した男だ。彼が生み出した魔道の理論も数多い。それは美麗な数式の如く完璧な、精緻な理論である。

 その他にも、この男は天文学にも明るかった。数学者や物理学者としても高名である。理論的思考において、人類の中でこの男に伍する者が果たして存在するかどうかも怪しいところだ。

 なのにどうしてこうも理論に捉われぬ振る舞いをするのだろうか。


「……訳が分かりません」


 ベアトリスは、呻くように言う。


 本当にそれで悠が有利になれるなら、どんなに楽なことだろうか。

 悠は未だに大鎌や体当たりを避け続け、少しずつ機甲蟷螂を削ってはいるが、明らかに悠の消耗が大きいように見える。

 いつ直撃を許してもおかしくない状態だ。

 見ているだけで落ち着かない。今にでも助けに入りたかった。


 しかしマダラは、むしろ憐れむような視線をベアトリスに投げかけてきた。


「お嬢よ、これは魔法ゼノスフィアでの戦いよ。己のルールのバチバチのぶつけ合いよ。

 あまり計算分析、有利不利だのに捉われてると足元を掬われるかもしれんのぅ?」


「…………」


 魔道については、当然ながらマダラの造詣の足元にも及ばない。恐らくは彼にしか見えていない魔道の深淵があるはずである。

 そう言われてしまえば、ベアトリスは反論することは出来ない。

 納得は出来なかったが。


 マダラは押し黙るベアトリスを、意地の悪い笑みで見下ろしながら、言葉を続けた。


「何せ、人は成長するもんじゃからな。ましてや魂など、底無しよ。

 それに女にこうも熱ぅ見られとるんじゃ、応えにゃおとこじゃなかろうが。

 ……ほれ、見い」


 マダラに促されれば、二人の決闘には異変が起きていた。






 一体、どれほどの斬撃を浴びせただろうか。

 少なくとも、50は超えているように思える。


 悠が回避した数も、既に20を超えていた。

 またもや大鎌を避けられた機甲蟷螂が、忌々しげな唸りを挙げながら悠を見下ろしている。

 その全身には、白刃に付けられた無数の傷があった。


 しかし機甲蟷螂の動きには、さほど変化は見られない。

 まだ効いていないのだろうか、それとも痩せ我慢でもしているのだろうか?

 疑心暗鬼が、悠の集中力を揺らがせる。


「神護ぃ! いつまでも逃げ回ってるんじゃねぇぞこの卑怯者がぁ!」


 粕谷の自分勝手な叫びが耳障りだった。


 悠の集中力は、限界に近い。

 未だ1度の被弾も許していないが、しかし巨躯の剛力で振るわれる大鎌が自身の傍らを薙いでいくたびに、その圧力は悠の精神力を削っていく。

 そして、機甲蟷螂の巨躯に未だダメージの兆候が見られないというのでは、暗澹とした思いが胸中を埋めていくのも無理無いことだろう。


 だが、悠の脳裏に組み上がっていくものがある。

 それは、もう少しで完成しつつあった。


(諦めてたまるか……!)


 勝とう――その意思に、微塵の揺らぎも無い。

 朱音、ルル、ティオ――自分を信じて見守ってくれているあの少女達の覚悟に、どうして背くことが出来るだろうか。


「行けぇぇぇぇぇ!」


 悠が、吼える。

 その身に侍らせる十の白刃の総てを、機甲蟷螂に撃ち出していた。


「はっ、馬鹿かよぉ!」


 機甲蟷螂が十刃を迎え撃つ。

 飛来する白刃には、物理的攻撃力は存在しない。ただ、時を縫い止める事象の刃として在るだけである。

 

「撃ち落とせぇ!」


 粕谷の猛りに応え紅の複眼が光り、機甲蟷螂が巨躯に見合わぬ素早さでその大鎌を振るう。

 1,2,3,4,5……五刃までが銀の破片として空中を舞った。


 残った五刃が、大鎌の斬閃の隙間を縫って、その巨躯へと喰らいかかる。

 五刃に相当する時間停止が発動しようと、恐らくは大した効果は見込めず、悠が次の白刃を生み出し、接近して切り付けるなど到底不可能である。


 案の定、命中した五刃は機甲蟷螂には大した影響を与えることなく、やがてその抵抗力により砕け散った。


 十刃の再生成のための、僅かな時間。

 その隙を、鋼の蟷螂は見逃さなかった。

 

 徒手空拳の悠に向けて、機甲蟷螂が襲いかかる。

 悠との間合いを一瞬で詰めながら、絶叫する大鎌が振り下ろされた。 


「――ッ」 


 初撃を回避した悠に、もう一方の大鎌がはしる。


 悠はそれを――


「がぁっ……!」


 避けきれなかった。


 刃が、悠の肩をわずかに掠める。

 ただそれだけで、悠の肩の肉は削がれ、骨は粉砕され、血飛沫を撒き散らす。


 軽々と吹っ飛ばされて地面を転がりながら、悠は何とか受け身を取った。

 肩が半ばから千切れかけている――とは気に留める暇は無い。 


 機甲蟷螂の追撃が、目前に迫っていた。


「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 粕谷の哄笑混じりの声が聞こえる。

 

 体勢を崩した悠に、超震動の刃による薙ぎ払いが襲いかかる。

 物理的には、もはや避けきることも防ぐことも出来ない距離である。 


 だが、すでに十刃の生成は完了していた。


「止めろっ!」


 悠は全刃の時間停滞を空間に作用させながら、大きく後ろへ飛びずさる。

 十刃は、その大鎌を停滞させながらも再び破壊され、銀片と化して宙を舞う。


 その間に、悠は機甲蟷螂の危険射程から逃れることに成功した。

 千切れかけた肩も、再生しつつある。


 すでに幾度目か、考えることも億劫になるほどの仕切り直し。

 だが今回はいささか事情が異なっている。

 悠が、はじめて機甲蟷螂の攻撃を受けたのだ。


「はははははははは! そろそろ逃げ切れなくなって来たかよ神護ぃ!」


 粕谷の昂った哄笑が廃都に響く。

 再生しつつある悠の肩を見ながら、吐き捨てるように嘲りの言葉を投げた。


「気持ち悪いなぁ、お前。あの化け物共の仲間じゃねぇのか?」


「……!」


 悠の顔が、わずかに強張る。


 だが、悠は冷静であった。

  

 ――完成した。

 その確信があり、その自信のままに口を開く。

 

「……問題ないよ、粕谷君。もう二度と食らわないから」


「あぁん……?」


 水を差されたように不機嫌な顔を見せる粕谷。

 だが、悠の強がりと判断したのか、嘲笑めいた表情を浮かべながら、 


「上等だ……バラ撒いてやらぁっ!」


 機甲蟷螂を走らせる。


 二つの大鎌が、

 その鋼の巨躯が、


 小柄な少年へと襲いかかる。

 幾度も、幾度も――

 

 ――1度たりとも当たらずに。かすりもしない。


 悠の表情には先ほどまでの追い詰められた様子が感じられず、ただ冷静な表情でその身を躍らせている。

 そして、機甲蟷螂の装甲には傷が増えていった。


「な……にぃ……?」


 そこでようやく、粕谷は異変に気付いたようだった。


「神護ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!

 てめぇ、奥の手を隠してやがったな、汚ねぇぞこの人間のクズがぁ!」


 粕谷の激怒の声が聞こえてくる。

 その表情は真っ赤だ。鬼のように歪んで、悠を睨んでいる。

 同時に、その顔には焦りが見えた。


「……奥の手なんかじゃないよ」


 悠は、落ち着いた声で応えた。

 自分の頭をトントンと叩きながら、

 

「ただ、覚えただけだよ。君の魔法の動きのパターンを……僕は、人より記憶力が良いんだ」


 ……機甲蟷螂の動き方には、一定の法則がある。 

 それに気付いたのは、悠の瞬間記憶に焼き付く光景が妙にダブることに違和感を得てからであった。


 あの鋼の蟷螂を動かしているのは、魔道によって疑似的に生み出された人工知能のようなものなのだろう。

 それは非常に合理的で迅速な判断を行うが、それ故に動作には一定のパターンが生じていた。


 この状況では、次にこう動く。

 そういった予測を立てることが可能なのだ。


 勿論、そのパターンは膨大である。

 普通であれば覚えきるなど不可能だ。


 ……普通の、記憶力ならば。

 超動体視力で捉えた動きから、瞬間記憶で得た情報を引き出して次の動作を予測する。

 悠の能力は、それを可能にしていた。


 数多の傷を受けた機甲蟷螂の動きに、ついに鈍りが見え始める。


「馬鹿、な……」


 粕谷が呻き、後ずさった。


 彼も理解しているのだ。

 戦いは新たなる局面に変わったのだと。

 もう一方的な粕谷の手番は終わった。


 だが悠も、体力の消耗は極めて激しい。

 この状況に持ち込むまでに支払った代償は、決して小さくなかった。


 悠は、それを察せられることが無いように、精一杯の強気な笑みを浮かべ不敵な言葉を放つ。


「もう二度と君の攻撃は当たらないよ……どうする、降参する?」


 粕谷は、その挑発に嚇怒を以て応えた。


「上等だこの白髪野郎! バラバラにして飾ってやらぁぁぁぁぁぁ!」


 悠の白刃と、粕谷の蟷螂が動き――



 異変。



「えっ……!?」



 世界が、揺れている。


 覚えのある感覚だ。あの森で味わった、あの落下の感覚。



「やりゃあがったのぅ、あの餓鬼ぃ……」 



 マダラが、忌々しげに呟く声が聞こえた。


 周囲から、動揺の声が上がる。至る個所で悲鳴が上がっていた。


 その多くは、第一位階の無力なメンバーであり、特に悠のクラスメートが多かった。

 あの森での記憶を思い出しているのだろう。

 あの、魔素中毒に喘いだ地獄の時間を。


 そう、この感覚は――


 ベアトリスの叫ぶ声が聞こえる。


「総員、備えろ!

 ……“落ちる”ぞ!」



 そう、魔界は落ちている。

 あの森で味わった時とは、比較にならないほど深く――


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