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第20話 ―詠唱―

 魔界。

 それは、魔族の住まう領域である。

 悠達は魔界化という現象によってその場に足を踏み入れているが、そもそもが本来の魔界“真魔界”とでも称すべき世界があり、魔界化とは、その真魔界から人間の世界への侵略なのだという。


 そして悠達が現在立っているのも、その魔界化に呑み込まれた廃都であった。

 元々はそれなりに栄えていた都市だったらしいが、過去に何らかの重大な問題が発生して人の住めない土地になってしまったらしい。

 木造の家屋は既に朽ち果て、石造りの建物が辛うじて原型を保っている状態である。


 空には無数の“血管”が走り、脈動している。

 地上の都市にまでは異変は及ばず、そこが魔界の第一界層アッシャーであることを示していた。


 魔族は魔界でしか存在できないため、その出現にはまずは魔界化というプロセスを踏む必要がある。

 そのため、魔界化直後の現状では、魔族の姿を認めることは出来なかった。

 あと数分もすれば、魔界化した領域内の至る個所で下位魔族が現れてくるのだろう。


 悠は、その廃都の広場に立っている。

 そして少し離れて粕谷が悠に相対していた。


 粕谷の表情は、非常に剣呑な相を浮かべて悠を睨んでいた。

 開戦の合図が待ち切れないといった様子であり、その姿には落ち着きがない。

 対する悠も、緊迫した面持ちでそれを受け止めている。

 

 そして、周囲には無数の人影の姿があった。

 朱音や冬馬といったクラスメートの他にも玲子や省吾、伊織に美虎達、異界兵の皆や、ルルやベアトリスといった帝国人の姿もある。

 本来、魔界の数か所に散らばって転移して迅速な魔族の殲滅を行うはずの彼等が、一人残らずその場に集まっていた。

 その人数は、200人を超えている。


 当初、その視線の雨で緊張感に震え上がった悠であったが、今はようやく慣れて平常心を取り戻していた。


呵呵カカっ、絶景かな絶景かな」


 そしてマダラは、まだ原型を保っている建物の屋根の上に胡坐を掻いて、煙管キセルを咥えて観客達を見回している。

 更に、彼の下にはティオの姿もあった。ティオが見届けたいと言い出したのだ。マダラの庇護下という条件で、彼女は魔界に足を踏み入れている。

 彼女は不安げな表情で、相対する二人の姿を見ている。


 マダラは悠と粕谷に目線を戻し、上機嫌に紫煙を吐き出しながら言葉を投げた。


「小僧共、待ち遠しいじゃろうが、ちいと待っとれ。

 もうすぐ湧き出る害虫を駆除せにゃならんでな」


 その通りだ。

 もうすぐ魔族が湧いてくる。

 本来は、もっとチームを散らばせて可能な限り早く処理をしなければならないのだ。 

 でなければ、最悪その魔界は第二界層イェツィラーへと落ち、格段に強力な中位魔族が徘徊する危険領域となる。更に、第一位階レインフォースの皆が魔素中毒により行動不能となってしまい、時間をかければ最悪中毒死だ。


 悠達の初陣の時のようなケースは異例の短時間での現象であったらしいが、しかし楽観視することは出来ない。


 そして、魔族を全滅させれば魔界化を維持する力は働かなくなり、そこは常の世界へと還っていく。

 そうなれば悠達の魔道の封印が発動し、魔法は使えなくなる。


 つまり、どちらにしても集中して決闘を行うには不十分に過ぎるのだ。

 マダラが責任を持って場を整えると言っていたが、一体どうするつもりなのだろうか。


 マダラが第四位階アルス・マグナであることは既に知れ渡っており、皆が彼の一挙一動に注目していた。

 最強の魔道使いの一角の、お手並み拝見といった具合である。


 何かの装置を操作していた部下から報告を受けたベアトリスが、マダラに向けて声を上げる。


「マダラ殿! 魔族の反応が検知された!」


「応よ、儂も感じたわ」


 ベアトリス達が操作している装置は、魔界内の反応を探知する機械魔道装置のようだ。

 もっと大掛かりに魔界全体をモニター出来る装置も帝都にはあるらしいが、起動に大変な費用を必要とするため、あまり使われることは無いらしい。


 ともあれ遂に魔族の出現であり、皆がマダラの手腕に注目している。

 悠も、固唾を飲んで屋根に座る傾奇者かぶきものの姿を見つめていた。


 マダラはそんな視線を一身に受け、愉快そうに笑いを上げた。


、簡単な仕事じゃがそう熱く見つめられると悪い気はしないのぅ。

 宜しい、ちっとばかし派手な見世物を出してやろうかい!」


 そう言い、マダラの全身に漲るような気配がある。

 それが魔道の発現であると、悠は経験により察した。


 何が起きるのかと悠は緊張と共にマダラの姿を注視する。

 魔道の使い手として参考にできるものはないかと、彼の様子を粒さに観察していた。

 が、何も起きない。


 静寂が、場に落ちる。


 疑問符を浮かべる皆の視線の中、マダラは腕を突き上げる。

 上空に真っ直ぐ、人指し指を立てて。


「小僧共、上を見い!」


「…………?」


 マダラの言葉に従い、上空を見上げ、


「え……!?」


 異変に気付いた。


 魔界の空に、存在しないはずの星が見えた。

 それは、燃えているような朱の星である。

 無数に、数えきれないほどの星が、悠達の上空に浮かんでいた。


 否、落ちている。

 朱の星は、次第に輝きと大きさを増していた。


「綺麗……」


 誰かが、そう呟いた気がした。

 悠も全くの同感である。


 魔界の異形の空を、無数の灼星が彩っていた。

 見たことのない幻想的な空であり、紛れもなく美を内包した光景だ。


 つまり、これは……


「……隕石?」


 かなり小型のように見えるが、この現象を定義するならまさしく隕石だろう。 


 多くの者がその光景に目を奪われていたが、誰かの緊迫した声に皆の意識が戻される。


「おい、魔族が来たぞ!」


 声のした方向を見ると、廃都の中を進んで来る無数の影が見える。

 詳しい姿はよく見えないが、そのシルエットは紛れもなく異形であり、驚くべきスピードで屋根の上を飛び跳ねながらこちらに向かっていた。

 

 皆が交戦しようと構え、


「よいよい、捨て置け」


 マダラの紫煙混じりの呑気な声が上がり、


 焔を纏う隕石が、落下した。


 魔族の身体が破裂し、紫の塵として散乱する。

 隕石の直撃を受けて。


「なっ……!?」


 廃都に、焔の雨が降り注ぐ。

 悠達から見える限りでは、その総てが魔族を精密に直撃し、一撃でその異形を絶命させていた。


 恐らくは、悠達から見えない位置に落下した隕石も、その一つ一つが魔族を屠っているのではないだろうか。


 そして隕石は、魔族を絶命させる最小限の破壊力に抑えられているのか、魔族以外には一切の破壊を及ぼさず、消滅していく。


「呵呵っ、我ながら良い景色じゃのう!

 酒でも一献欲しいもんじゃ」


 マダラの上機嫌の声の中、焔の雨が落ちた跡には無数の紫の塵が上がっていた。


 そして、それ以上の異変は一切無い。

 魔族の気配は、全く消えていた。


「……魔族の反応、全て消失しました」


 ベアトリスの部下が、声に動揺を滲ませながら報告する。

 

 ただの一撃。

 たった一つの攻撃で、マダラは魔界の魔族を全滅させていた。


 その場の殆どの者が、呆気に取られた表情でマダラを見ている。

 マダラは撫でられた猫のように上機嫌な表情でその視線を受け、愉快げに紫煙を吐き出している。


「これが、“顕天アルス・マグナ”……」


 誰かが、呆然と呟く声が聞こえた。 


 そう、これが第三位階の魔法ゼノスフィアを超える、第四位階の奥義、顕天アルス・マグナ

 天なる神の力を顕現させる、魔道の最秘奥ということなのだろうか。


 だが、マダラはその呟きに、意地の悪い笑みを浮かべる。


呵呵カカっ、おう小僧共。

 たかがこの程度が顕天アルス・マグナだなんて思っとりゃせんじゃろうなぁ?」


 まさか違うのかと、皆の間に動揺とざわめきが広がる。

 悠も同じであった。


 ならば、これほどの攻撃を魔法ゼノスフィアで行ったということなのだろうか。

 悠や粕谷のそれとは、桁違いの規模と威力である。


 しかしマダラの悪童めいた笑みは深まっていく。


「これはただの魔術ゼノグラシアよ。儂はまだ魔法ゼノスフィアすら出しておらんわ。

 魔道の深淵ってやつを舐めちゃいかんのぅ」


 皆が、言葉を失ってマダラの姿を見上げていた。

 特に動揺を見せていないのはルルとベアトリスぐらいである。あの二人は、彼の実力を知っていたのだろう。


 悠も言葉を失っている一人である。

 実力の次元が違い過ぎる。

 魔道における高みとは、これほどまでの遠いのか。

 彼の魔法ゼノスフィア顕天アルス・マグナとは、一体どれほどの力を有しているのだろう。


呵呵呵カカカ、ま、お主らも精進してこれぐらい出来ればええのぅ?」


 マダラは顎の無精髭を撫でながら、呆然とした皆を爛々とした眼差しで見下ろしていた。

 それは、どうせ無理であろうと侮るような言葉遣いにも聞こえたが、その眼光にはどこか期待のような感情が見えているような気がする。


 そんなことを考えていると、ふと悠の脳裏に疑問が走った。

 そして同じことを思った誰かが口に出していた。


「何で魔界が残ってるんだ……?」


 そう、魔族が全滅すれば魔界化は解除されるはずである。

 マダラが撃ち漏らしたということだろうか。

 しかし、ベアトリスの部下は魔族は全滅したと言っていたような気が……


 そしてその疑問にもマダラが答えを出す。


「なぁに、簡単なことよ。

 魔界が維持されるいうことは、魔族がそのための波動を出しておるからじゃ。

 つまり、儂が同じ波動を作って垂れ流してやれば魔族がおらんとも魔界は維持される訳よ。

 ……安心せい、余計な茶々がなけりゃあ“落ちる”こともないでな」


 つくづく、力の底の知れない男である。


 しかし、これで魔族の襲撃の心配もなく、魔界の中で戦う準備が整ったこととなる。

 整ってしまったのだ。

 覚悟はしていたが、やはり人間と戦うということに対する恐怖心と抵抗感は、完全には拭えない。


 一方、粕谷は悠に対して凶相を向けていた。

 悠を殺傷することに対して、微塵の躊躇いも感じていないのだろう。


「……さて、準備も整えてやったし、観客もこの通り十分じゃ。

 喧嘩舞台としちゃあ申し分ないじゃろう」


 マダラは、劇を開演を待ち切れない子供のような表情で悠と粕谷を見下ろした。

 そして高々と声を上げる。


「詠唱を始めい!

 共に魔法ゼノスフィアの具現が終わり次第、儂が合図を下す!」 


 悠と粕谷、二人の魔法の具現のための、詠唱が始まる。

 それは、己の魂に刻まれた言霊である――






「奪い、壊せ――」


 粕谷の詠唱が始まる。

 彼の口から、その魂の真言が紡がれていく。


「犯し、汚せ――」


 力が欲しい。

 奪うための、壊すための、犯すための、踏み躙るための力が欲しい――


は暴虐と蹂躙の化身――」


 それは粕谷京介の魂の具現、その攻撃性と暴力性の化身である。


「――魔法具象ゼノスフィア――」


 彼が深層意識に抱いた姿は、一匹の昆虫。

 時として伴侶すらも食らい尽くす、肉食の蟲だ。


「“機甲蟷螂ハウル・シザース”!」


 そして、粕谷の魔法ゼノスフィアが顕現する。


 粕谷の第三位階の力の干渉を受けた魔素が物質化し、彼の魂の形(ゼノスフィア)を創造していく。


 形作られるのは、鈍色の鋼の体躯、その大鎌、そして無機質な悪意を孕む複眼の貌。


 粕谷の背後に、巨大な鋼の蟷螂カマキリが具現化していた。

 その無数の凶眼が、敵手である白髪の少年を睥睨している。






は悠久に流れ、過ぎ去るもの――」


 悠は詠唱と共に、あの森で得た想いを再び胸に灯す。


「万物、如何なる者も抗うことあたわず――」


 それは、大切なものを奪われる未来を許容しないという悠の魔法エゴ


「其は万象、星々すら飲み込む無限の大河なり――」


 粕谷の暴力性より遥かに見苦しく幼い、子供の我儘だ。


「其は天なる理なれど――」


 だがそれは、紛れも無く悠の魂に刻まれた理である。


「其に異を唱える者、此処ここに在り――」


 今、目の前に悠の大切なものを奪おうとしている者がいる。


「天よ、主よ、認めぬならば、我が白刃にて応えよう――」


 認めない、断じて許さない。


「時よ、止まれ――」


 そのためならば、時間すら止めてみせよう。


「――魔法具象ゼノスフィア――」


 それが、世界の理すら凌駕する悠の想いなのだから。


「“斯戒の十刃(テン・コマンドメンツ)”!」


 悠の魔法たましいが具現化する。

 悠の魔道の第三位階の干渉を受けた魔素が、白刃を形作っていく。

 

 これといった装飾の無い、柄と刃だけの簡素な剣だ。

 だが、曇り一つなく煌めくその白刃は、見る者に感嘆の念を抱かせる美しさがあった。

 その無駄の無い造形は、美術品めいた厳かさを備えている。


 そして、悠の周囲に十の白刃が浮かんでいた。

 悠に従い、悠然とその刀身を煌めかせている。


 悠は、そのうち二本を手に取って、伊織から習った構えで鋼の蟷螂に相対する。






「さぁて、互いに終わったようじゃな。悪ぅない。双方、良い昂ぶりよ。いざ――」

 

 マダラが、その手に持つ煙管キセルを高々と上げる。


「華よ、存分に咲き誇れい!」


 煙管キセルが屋根を打つ、甲高い音が響く。


 それを合図として、白刃と大鎌が躍り出た―― 

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