第19話 ―島津 伊織―
悠と粕谷の決闘は、次の魔界化の際にその魔界の中で行うこととされた。
帝都内では異界兵の魔道の封印の解除する許可が下りなかったからだ。どうやら、1度解除すると再設定が面倒な代物らしい。
魔族が徘徊し、魔族を滅ぼせば消滅する魔界の中で、どうやって真っ当に決闘を行うのかと疑問を呈したが、マダラが責任を持って場を整えると請け負った。あの悪童めいた笑みを浮かべながら。
最強の魔道使いたる“天”の一人なのだから、恐らくは出来るのだろうと信じる他ない。
……が、同時に何かとんでもないことを仕掛けそうな危うさがマダラにはあった。
大丈夫だろうかと、悠は不安を拭えていない。
ともあれ、粕谷との決闘はいつ始まるかも分からない状態である。
その時まで悠にできることは、決闘に備え、戦闘の訓練を積むことだけだ。
「よろしくお願いします、伊織先輩」
朝の陽光の下、芝生に覆われた開けた敷地で、悠は島津伊織と相対していた。
悠の仲間達の中で、刀剣を得物として高いレベルで扱うことが出来るのは、彼女だけである。
悠は、刀剣の戦闘のイロハを教えてもらうために、伊織に訓練の相手を願い出た。
彼女もまた、その心算であったと快諾してくれた。
「うむ」
伊織は小さく頷き、得物を構えた。
彼女は小柄な少女であるが、得物を構えるその様子には弱々しい印象など微塵も感じられない。
その佇まいとポニーテールにしている黒髪が、まるで侍のような鋭い風情を漂わせていた。
彼女が構えるのは、訓練用の木剣である。
一振りの木剣を、日本刀よろしく悠に向けている。
いわゆる、正眼の構えというやつだ。
一方の悠は、より軽量な材質の、玩具に近い剣を両手に一振りずつ構えていた。
情けない話だが、悠の腕力では木剣の重みを片手で保持できないのだ。
伊織の木剣を受けただけでも壊れかねないが、そもそも粕谷の魔法である蟷螂の大鎌を、悠の軽量で薄刃な白刃で受け止めることなど到底不可能だろう。
そういう意味では、こちらの方が都合が良いのかもしれないと、自分を納得させた。
悠の構えは要するに二刀流であり、伊織も造詣が深いとは言えない分野らしいが、それでも剣士としての見地から受けたアドバイスにより、一応は様になる構えになっている。
まずはこの構えを身体に染み込ませ、そして違和感なく動けるようにならなければならない。
「では、行くぞ悠」
攻めるのは、伊織である。
粕谷の蟷螂は、高いスペックを有している。
攻撃力・防御力においては圧倒的に粕谷に分があるであろうというのが共通の見解であった。
仮に攻撃を受けても悠の身体は超再生が可能ではあるが、それでは攻撃に転ずることが出来ない。
従って、悠の勝機は、如何に避け続け、如何に削り続けるかにかかっている。
1度でも直撃を受ければ、そのまま勝負を持っていかれる可能性は大きい。
そのため、まずは如何に伊織の攻めを回避できるか、ということに重点を置いた訓練をすることになっていた。
伊織の言葉に頷き、意識を集中させる。
彼女の動きは、スローモーションにように知覚することが可能である。
悠の動体視力が人並みより遥かに優れていることは、既に皆には説明していた。
伊織も、それを想定して攻撃を行ってくるだろう。
伊織は、泰然として構えている。
彼女は動かない。
まだ動かない。
まだ、まだ、ま――
「はぁっ!」
――動いた。
木剣は、肩に担ぐように構えられている。
必然と、次の攻撃は振り下しであると予測される。
如何に悠の動体視力が優れていようと、悠自身の動きが早くなる訳ではない。
よって、如何に目が良かろうと、それだけで有利になるものでもないのだ。
重要なのは、状況を見通すことが出来る時間の長さの優位であり、そこから立てる未来予測の精度である。
この予測を外せば補正は困難、致命的な結果へと繋がるだろう。
伊織の木剣が、更に動く。
正しく振り下しの軌道であり、悠はそれを見てから軌道から身を反らした。
五日間の訓練の成果が多少でもあったのだろうか、大きく身体を動かしてもバランスを崩さずに悠は体勢を保持している。
伊織の木剣が、先ほどまで悠のいた空間を薙いでいく。
悠は、まずは初撃を避けられたことに会心の笑みを作った。
しかし、訓練は避け「続ける」ことである。
「せぃっ!」
伊織の第二撃が飛ぶ。
袈裟の軌道を描いていた剣閃が翻り、更に悠へと襲いかかった。
その軌道は、ほぼ横薙ぎに近い。
よって、軌道から逃れるということは現実的ではなく、間合いそのものから逃れることが無難である。
悠は、バックステップで木剣の間合いから逃れた。
が、しかし。
「……っ!?」
木剣が伸びた。
そう錯覚する軌道を、伊織の木剣が描く。
その正体は、伊織の重心移動と足運びだ。それによって、木剣が後方へ逃げる悠を追いかけている。
一見すると地味な動作であるが、相対してみれば驚くほど木剣の間合いが伸びる。
当たると思ったが、しかし動体視力のおかげで寸前で異変を察知するこが出来たこともあり、辛うじて木剣の間合いから逃れることが出来た。
連撃と不意打ちを兼ねた先の一撃は無理があったのか、伊織の体勢が僅かに崩れ、悠も体勢を整える暇を作ることが出来た。
伊織が大勢を整え、再び木剣を構える。
その表情は真剣そのものであるが、口元に僅かに笑みが浮かんでいた。
見事、と褒めてくれているような気がして、悠も笑みを返す。
「……ふっ」
三撃目が来る。
今度は、木剣を下段の構えにして悠へと駆け出す。
悠は木剣の軌道を見極めるべく、伊織の手元に注目した。
木剣は動かない。
まだ動かない。
まだ、まだ、まだ――
「えっ?」
――間合いに入っても木剣は動かず、既に伊織の姿は目前であった。
ようやく伊織の狙いに気付いたが、既に何もかもが手遅れである。
「うぁっ!?」
そのまま、伊織は悠に体当たりをした。
伊織は小柄であるが、その足腰から放たれた体当たりの勢いは悠を軽々と押し倒す。
悠は何とか教えてもらった受け身で衝撃を軽減させるが、即座に悠の身体に重みが圧し掛かった。
「ふふん」
伊織の得意気な声が聞こえる。
気付けば、伊織は悠の身体の上に馬乗りになっており、悠の喉元に木剣を突き付けていた。
「木剣にばかり気を取られたな?
こういうことも想定しておかんと駄目だぞ、悠」
伊織は、木剣を悠から離し、してやったりといった表情で語っていた。
悠は、短く息を吐き、
「……参りました」
素直に己の不明を恥じた。
考えてみれば、粕谷のあの蟷螂はその巨体自体が十分な武器である。
確かに単純な体当たりだけでも致命的な破壊力を有しているだろう。
これが実戦なら、悠はトラックに轢かれたように無残な姿を晒していたに違いない。
「だが、2撃目の返しの木剣を初見で避けたのは見事だった。
自分が保障する、お前には武の才能があるな」
「……そうですかね」
正直、ピンとこない。
だが、褒めてもらえるのは素直に嬉しかった。
「あー! 伊織ちゃんが悠君を襲ってるー! 性的な意味で!」
突然響いた声は、玲子のものだ。
顔を向ければ、こちらに歩いて来る幾人かの姿があった。
「何てことを言うんだあの人は……!」
確かに、悠は仰向けの体勢であり、伊織はその上に尻を乗せて馬乗りになっており、見様によってはそう見えないことも無い光景ではあるのかもしれない。
でも普通は言わないだろう。だが玲子だから仕方がないと、悠は諦観と共に溜息を吐いた。
伊織の肢体の感触と体温が、悠の身体に伝わってくる。
伊織がきょとんと目を瞬かせ、次の瞬間には顔を真っ赤に紅潮させた。
「な……なんば言いよっとか! そげんこつばする訳なかとぉ!」
叫び、悠から離れる。
「……また九州弁?」
悠の呟きに、伊織は顔を更に赤く染める。
狼狽した様子で、「あわわ」と口元をわななかせていた。
伊織はいつもは氷のように冷静な振る舞いの、武士のような少女であり、その姿は大きなギャップを生み出している。
伊織は、わざとらしく咳をしながら、
「し、失礼……妙な話し方をしてしまったばい……」
直りきって無い。
伊織は、その方便にコンプレックスでも抱いているのだろうか。
でも、その言葉遣いは妙どころかむしろ……
「……可愛い、と思いますよ?」
伊織が驚愕の表情を向けて、こちらに振り向く。
目が泳ぎ、唇は震えて、何かを話そうとしているが言葉になっていない。
「お、おいは……ひゃっ!?」
「あれー、微妙な空気? 伊織ちゃん悠君とラブコメってた?」
玲子が後ろから伊織の小柄な身体に抱き付いた。
更にその後ろから、見知った顔が現れる。
「おはよう、悠」
「只今戻りました、ユウ様」
「よう」
「悠、おはようさん」
「おはよう、悠君」
「よっ、悠」
朱音、ルル、省吾、冬馬、綾花、澪そして――
「おはようございマス、ユウ様」
ティオも一緒に行動している。
玲子が粕谷の図々しい要求の見返りとして、決闘の日まではティオと行動を共にすることを認めさせたのだ。
マダラも後押ししてくれ、粕谷は渋々ながらその条件を呑んだ。
昨日から、ティオは第六宿舎で朱音と一緒に寝泊まりしている。あの店で働くようなこともない。
少なくとも、次の魔界化の日まではティオは悠達とともにいることができる。
そしてそれを、悠は粕谷に勝利して恒久的なものにしなければならい。
そう思えば、自然と身体に力が漲ってきた。
「おはようございます皆。
ルルさんも、お疲れ様」
玲子達は、帝城からの帰りである。
帝国には決闘についての法律も制定されており、何らかの財産などを賭けて行われる場合は、その内容について契約者を作成しなけれればならないらしい。
玲子達は、朱音、ルル、ティオの3人が決闘の“景品”となることの同意書にサインするための付き添いで行動していた。
悠が負ければ粕谷の奴隷になると、朱音とルルの二人が、正式に同意をして来たのだ。
思わず、その時の光景を想像してしまい、胸が焼けるような気持ち悪さに悠は表情を翳らせた。
「何陰気な顔してるのよ、悠。あんたが勝てばいいんでしょうが」
朱音が両手を腰に当てて凛として言い放つ。
「そうですよ、ユウ様。勝てばティオも救われ、一件落着では御座いませんか」
ルルも、そう言い柔らかに微笑んでいる。
二人とも、悠を信頼して自分の身を危険に晒してくれているのだ。
「……うん」
勝とう。
改めて、そう決意した。
ベアトリスは、陰鬱な気分で帝城内の敷地を歩いていた。
せっかく久々に休憩の時間を得て、こうして散歩をしているのに全く気分が晴れない。皇帝陛下への謁見も許されなかった。
本来なら、近衛騎士としていつも彼女の傍に侍ることが出来るはずなのに。
マダラが下した沙汰とやらは、概ねベアトリスの抱いた嫌な予感と一致していた。
異界兵同士の、魔法による戦闘。
それも突発的な事故や諍いではなく、帝国側も協力して場を整えるという形である。
あの少年達には、魔族との戦いだけに専念させたかった。
人間同士の戦いなど、経験させたくも見せたくも無かった。
しかしそれも、無理なことなのだろう。ラウロ達の考案した仕組みが、それを誘発しやすいようにできていし、既に粕谷と朽木の戦うのような事態も発生しているのだ。
此度のような前例が生まれれば、似たようなことがまた起きるかもしれない。
人間同士で戦うことへの抵抗が、次第に薄れていく可能性がある。
人を傷つけ、殺すことへの躊躇いが消えていく。
そうなれば、魔道省は彼等に新たな戦場を与えることを考えるだろう。
そして、彼等の殆どは生き残れまい。
仮にそうなっても魔道省の上層部は、また次を呼び出せばいいとでも思っている。
皮肉にも、以前の魔界化で神護悠が発見した巨大魔石が生み出した国益は、帝国にその余裕を持たせていた。
既に、再びあちらの世界への接続の準備を始めているはずである。
「……しかし、もう決まってしまったことか」
ベアトリスは、気持ちを切り替えようと頭を振った。
決まってしまったことは仕方ない。
状況を少しでも善き方向へ転ばせるべく、自分なりにやれることをやるしかないのだ。
目下の問題は、神護悠と粕谷京介の決闘だ。
そもそもの不運は、ティオが粕谷の奴隷になってしまったことだろう。
奴隷に対しては、如何なる扱いも許容される。
それは、奴隷法において明文化されている規定であり、争う余地の無い文言である。
例え奴隷を死なせても文句を言われる筋合いは無い。
しかしそれでも、限度というものがある。
法で罰することは無くとも、嗜虐趣味の異常者として白い目で見られることは多々あり、一部の大貴族とその傘下を除けば、相応に節度を保っていることが通常である。
つまり、奴隷法の規定とは、そもそも主に相応の節度や体面があることを前提としており、それが実質的な制約として機能していたのだ。
ましてや、異界兵は身分差の無い平和な世界で生まれ育ったと聞くし、彼等は倫理観についてそれなりの節度を保っているであろうとうのが概ねの認識であった。
事実として、甲斐甲斐しく接してくる奴隷を悪し様に扱える者は少なかったのだ。
しかし粕谷の振る舞いは、その想定を大きく超えていた。
そして、よりにもよって、あのティオが粕谷の奴隷となってしまった。
ベアトリスの脳裏に、一人の女性の姿が思い浮かぶ。
それは、全身に紫の模様を浮かべた、森人の女性の姿だ。
汚染者である彼女はそれでも美しく、そして強かった。
もうこの世にいない女性である。彼女の死には、自分も係わっている。
――娘を、助けて下さイ。
彼女の最期の願いが踏み躙られていることに、ベアトリスは深い罪悪感を抱いていた。
そして、自分の立場で出来ることは極めて限られている。
迂闊な行動を取れば、ますます皇帝派の立場を悪くしてしまう。
「……すまない、リオ殿」
胸中の女性に詫びながら歩いていると、芝生の広がる敷地に集まっている少年少女の姿が見えた。
その中に、ティオの姿があることに気付く。
彼等は、集まって何かを見ているようだ。
何事かと近付いて見れば、神護悠と島津伊織が訓練をしているようだった。
伊織の攻撃を、悠が避け続けている。
「あら、ベアトリス様。おはようございます」
今はルルと名乗っている狼人の女性が、こちらに気付き優雅に一礼してくる。
奴隷の首輪を付けた彼女のその姿には複雑な思いがあるが、今は騎士と奴隷である。その立場の一線は守らなくてはならない。
「ああ、おはよう。ルル」
ベアトリスは、二人の訓練の様子に目を向けた。
「決闘のための訓練か」
「ええ、ユウ様には天稟があるようですね」
確かに悠の動きは、随分と良い。
伊織のフェイント混ぜた剣閃や、稀に混ぜてくる体術も巧みに対処し、回避している。
むしろ、伊織の攻撃の軌道を誘導するといった芸当までこなしていた。
彼の目には、確かな意思の光が宿っていた。
強くなろうという、明確な目的意識がある。
ああいう目をした者は、きっと伸びる。
……だが、悠と粕谷の決闘は、恐らく粕谷が勝つだろうとベアトリスは踏んでいた。
粕谷の魔法は、ベアトリスから見て相当に優秀である。
恐らくは、その魂のレベルで刻まれた攻撃性・暴力性の具現なのだろう、あそこまで他者を害することに特化した魔法も珍しい。
使い手と魔法が分離しているという無視できない欠点はあるが、悠はその欠点を狙えまい。
悠の魔法も奥の深いものだが、あれは扱いが難しい。
互いに未熟な今の段階では、単純明快な強みを持つ粕谷の魔法に分があるというのが、帝都第一位の剣士としての客観的な判断だ。
(……自分の立場で出来ること、か)
異界兵の生存率を上げるべく組んだ訓練のプログラムには、ベアトリスも深く関わっている。
その一環として訓練を付けてやることは別に立場を逸しないはずだ。
長時間、得物を振り続けていたのだろう、伊織は息を切らせている。
木剣を握る力にも衰えが見て取れた。
それでも悠の訓練に付き合おうという心構えは見上げたものだが、休息も必要だろう。
相手のパフォーマンスの低下は、悠の訓練のクオリティの低下でもあるのだから。
故に一時、最高の相手を用意してやろう。
「イオリ・シマヅ、休んでいろ。
ユウ・カミモリ。私が稽古を付けてやろう。帝都第一位の剣だ、不足はあるまい?」
「は……はい! よろしくお願いします!」
悠は畏まって頭を下げる。
真剣な顔で構えを取る悠に、ベアトリスは伊織から受け取った木剣を構える。
「行くぞ!」
そして、友を助けるべく足掻いている少年に、鋭い一撃を見舞った。
悠は見切り損ね、あっさりと直撃を許して転倒する。
しかしすぐに立ち上がり、ベアトリスを真っ直ぐに見ながら次の攻撃を催促する。
ベアトリスは、その姿に小さく笑みを浮かべて、その折れぬ闘志に応えた。
粕谷が有利という大前提は、恐らくは決闘までに埋まるまい。
それは、魔道と戦の先達としての揺るがぬ客観的な判断である。
だがベアトリスも、悠の勝利を望んでいた。
今、彼女を見上げている森人の少女のために。その母である誇り高き戦士のために――
その三日後、帝都領内のある廃都で、魔界化の兆候が観測された。




