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第12話 -汚染者-

 汚染者スティグマ

 そう呼ばれる女性達がいる。

 彼女達は、魔族によってその身体を汚され、その身体に烙印を押された者達である。


 その肌には、一定の紋様が生じ、しかもそれは紫に明滅するため、その人物が汚染者か否かは一目瞭然であった。


 彼女達はその名の通り、汚れた存在として多くの地域で忌避される。

 汚染者の近くにいると、自らも汚染されるといった、根拠のない迷信を信じる者も少なくない。彼女達には敵意は無く同情していても、関わり合うことは拒否する者も多かった。

 彼女達もいわば被害者であり、保護するのが道理であると正論を主張する者もいるが、未だ生理的嫌悪を覚える者も多く、依然として汚染者達は、人類社会に受け入れられているとは言い難いのが現状であった。






 ……あるエルフの女性がいた。

 彼女の名は、リオという。


 リオは美しい容姿と、第三位階の魔道を扱う優秀な戦士であり、森人エルフの里にいる頃は、彼女に求婚する者が後を絶たなかった女傑であった。

 

 しかし17歳の頃、リオは魔界化した森での戦闘の最中、魔族に敗れてしまう。

 そしてその魔族は人間を殺害する種類では無かった。

 無数の触手のような器官を生やす、醜悪な異形だったのだ。

 リオは、その無数の触手によって、全身を余すところなく汚され、純潔を失った。


 そして彼女は、汚染者となった。


 リオは、里のしきたりによって追い出されることとなる。

 それでも、彼女の武勇があれば、それで身を立てる可能性はあっただろう。

 だが、リオは魔族に蹂躙された恐怖によって、戦うことが出来なくなっていた。


 己の身体を売る他無かったリオのことを、一体誰が責められるだろうか。

 幸いと言うべきか、リオの容姿は大変に整っており、その紫の紋様にさえ目を瞑ればその肢体も極上の色香を放っていた。

 汚染者に対する忌避感はあっても、それを差し置いてもその肢体を味わいたいと思う者は少なくなく、その身体を買い叩かれることもあったが彼女は食うに困るようなことにはならずに済んだ。


 しかし、誇り高い森人エルフの戦士であった彼女は、その生活に次第に心を摩耗させていく。

 リオの見る景色は、次第に色を失い灰色の世界と化していた。


 基本的に、亜人は異なる種族間で子を成す確率は極めて低い。

 そして森人エルフは、森の中で暮らすことが通常なので、森を離れた彼女が子を孕む心配は殆ど無いはずであった。


 だが、ある日、まとまった金額が必要となり、数十人からなる傭兵団に身体を売った時、リオを身体を貪った無数の男達の中に、不運にもエルフの男性が混じっていたのだ。

 そして、彼女は胎に、顔も覚えていない男の赤子を宿した。


 リオが妊娠に気付いた時、当初は子を流すつもりであった。

 しかし、過酷な生活に擦れてしまった彼女の心に、疼くものがあったのだ。

 

 かつて、里でも屈指の戦士と言われリオの夢は、家庭を持つことであった。

 恋をし、愛した男と添い遂げ、子を成し、育み、その成長を見守る――そんな一人の女性としては、ごく普通の将来を夢見ていた。

 母になることを、願っていたのだ。


 そう思うと、己の身体に宿った命を殺すことは、どうしても出来なかった。

 この子供のためにもならないことは分かっていたのだ。


 混じり者、半魔族――汚染者から生まれた子供は、必ずしも真っ当に生まれてくるとは限らない。

 母たる彼女の胎内は、魔族に汚され尽くされているのだから。


 リオは、日々大きくなっていく腹を抱えながら、涙を流していた。

 それは、未来への不安であり、自分のエゴで不幸な子供を生み出そうとしている罪悪感と自己嫌悪でもあった。


 幸いにも傭兵団から相当な額の報酬は受け取っており、その全てを食うために費やせばそれなりの期間は身体を売らずとも生きていくことが出来た。


 そしてリオは誰にも頼れない状況で、自力で出産に成功する。


 生まれて来た子供の外見には、少なくとも何の異常も見受けられなかった。

 それは、自分と同じ森人エルフの女の子だった。

 そこは人気のない廃墟であったが、彼女の腕の中にあるその小さな命は、紛れもなく、彼女が夢見て、そして諦めていた光景の一部だった。


 リオは、産声を上げる自分の子を抱き締めながら、「ありがとう、ありがとう」と、涙を零す。

 この日、彼女は母となった。


 娘には、ティオという名前を付けた。


 父は名も知らぬ、顔も覚えていない傭兵の男である。

 それでも、彼女にとっては自らの腹を痛めて生んだ我が子なのだ。たった一人の家族なのだ。


 リオの世界に、色が戻った。






 ティオを産んだ日から、リオの人生は娘のためにあった。

 幸いにしてティオには外見上は半魔族としての特徴は現れず、ティオには普通の森人エルフの娘として生きる道が残されていた。


 リオは身体を売って必死に稼ぎ、ティオを教育しながら各地を転々する。

 世界は1度フォーゼルハウト帝国に支配された経緯から、大抵の地域ではフォーゼ言語が通用する。彼女は、片言程度であったフォーゼ言語を真剣に勉強して、読み方はでは無理までも、訛り混じりであるが会話ができるようなっていた。

 その話し方は、娘にも受け継がれる。


 ティオは、母の愛情を受けて健やかに育った。

 母の境遇から娘である彼女も孤立しがちではあったが、それでもティオは優しい少女へと成長していた。

 ティオは、いつか真っ当な職を手に入れ、望まぬ手段で生計を立てている母を救いたいと思うようになっていく。


 だが一方で、リオは、自分がティオの人生の重荷になってしまうのではないかと日々悩み始める。

 ティオには、自分の幸せだけを求めて欲しかったのだ。

 それだけが、母である彼女の望みだった。


 ティオが10歳になったある日のことである。


 当時立ち寄っていたフォーゼルハウト帝国のある貴族が、ティオを養子にしたいとリオに申し出た。

 貴族は人種問題には寛容な篤志家として知られ、汚染者であることが一目瞭然であるリオは立場上受け入れられないが、見目に問題の無いティオを自分の家で引き取ってもいい言うのだ。


 貴族はフォーゼ人であったが、他人種や亜人の子供を養子とし、立派な人物として養育することで、先代皇帝の多民族融和政策の理念を広めたいのだと言っていた。


 リオは、娘に日の当たる真っ当な立場での暮らしをして欲しかった。

 貴族は帝国内ではかなりの地位を持っており、正当な後継者足り得ない養子と言えど、今の生活より遥かに未来の開ける境遇である。


 ティオは、母に身体を売らなくてもいい生活をして欲しかった。

 貴族は、ティオの身請け金としてリオに大金を積んでいた。


 離れ離れになるのは寂しかったが、しかし二人はお互いの幸福を願い、貴族の申し出を受けることとなる。


 ティオとリオは、少なくとも5年間は会えない約束を取り交わし、ティオは貴族の屋敷へと引き取られ、リオは少なくとも10年以上は生活に不自由しない大金を受け取り、市井へと姿を消した。






 それから、2年が経過した。


 リオは、再び戦士としての道を歩もうとしていた。

 ティオとの生活で壊れた心は大分癒えており、あの凌辱の記憶がフラッシュバックすることも無くなっていた。


 リオは鈍った身体と勘を鍛え直し、魔道の感覚を思い出していく。

 彼女は元々、極めて希少な第三位階の魔道使いである。

 例え汚染者と言えど、彼女の本来の武勇を欲しがる者は少なくない。

 リオは次第に一流の戦士として恥じない実力を取り戻していった。


 かつて森人エルフの誇り高い戦士であった自分に少しでも立ち返り、成長した娘と顔を会わせたかったのだ。

 汚染者であるリオは表舞台に立つことは出来なかったが、裏の世界に生きながらも人道にもとる依頼は決して受けない、気高き美貌の戦士として名を馳せていく。


 そんなある日、彼女にとある依頼が舞い込んだ。

 

 その依頼とは、子供達を玩具にして弄ぶ秘密クラブに潜入し、そこに参加している貴族達の証拠を得るというものだった。

 彼女は一児の母としての憤りを胸に依頼を引き受ける。


 彼女は予定通りに潜入に成功し、貴族達が開催している乱痴気騒ぎの現場の光景を魔道による映像媒体に記録するべく、嬌声の漏れる部屋を覗き込んだ。

 本当はすぐにでも潰してしまいたったが、参加している貴族達を傷付けることは禁止されていたし、彼女は十分な証拠を得た時点で撤退するつもりだった。


 ……するつもりだったのだ。


 参加者の貴族の一人は、見知った顔であった。

 それは、ティオを養子として引き取った貴族であり、彼女の義父となる男だ。


 リオは、背筋の凍る予感と共に、貴族達が愉しげな目を向ける壇上へと視線を移した。


 そこに在るのは、森人エルフの少女の、一糸纏わぬ白い裸身。

 ……ティオが、いた。

 娘が、たった一人の家族が男に圧し掛かられている。

 やめて、助けてと周囲の大人に、そして義父である男に泣き叫び、懇願していた。


 それを、ティオを養子とした貴族の男は、愉悦を浮かべ、酒の肴だと言わんばかりにグラスを片手に眺めている。


 それからしばしの間、リオの記憶は飛んでいた。

 気付くと、その場の貴族を皆殺しにし、血の海の中に立っていた。彼女の手は、ティオの義父だった男の生首を掴んでいた。

 ティオは、呆然としながらその裸身を血に染めて母を見上げていた。


 リオは、娘を連れて裏社会からも姿を消した。


 そして……その3日後にリオは捕まり、殺人の罪で処刑された。

 追い詰められたリオは、娘の無事を保障することと引き換えに、帝国に出頭したのだ。

 リオは最後まで、娘の幸せを望んでいた。


 身寄りを失ったティオは帝国の奴隷となり、そして――






 帝都に、夜の帳が落ちている。

 しかし帝都の夜の繁華街は、これからが本番とばかりに活気を溢れさせていた。

 ティオは、店の近くの街道に出て客引きをしている。


 目覚めた粕谷京介は、あの魔界で味わった屈辱を晴らすかのように散財し、斉藤が粕谷のために確保していた金銭を早々に大きく減らしていた。

 それは当の粕谷自身ですら顔を引き攣らせる出費であり、彼は不定期な魔界での戦闘ではなくより確実な収入を欲した。

 かなり割に合わないが、普通の労働をして金銭を得る手段もある。だが粕谷京介という男に、そんなことが出来る訳がない。


 粕谷は、自分の持っている唯一の資産――奴隷であるティオを使うことにした。 

 粕谷は、ティオを有効活用する手段として、彼女の愛らしい容姿に着目。その悪辣な発想は、ティオが悠達と分かれた後、粕谷が目覚めた翌日には実行された。元々、考えていたのだろう。

 ティオは、決してそういったことに慣れていた訳では無かったが、それも他より抜きん出たその容貌は多くの男の注目を浴びた。


 彼女の“戦績”に気分を良くした粕谷は、毎日のように彼女のノルマを引き上げていた。

 それは既に、幾らティオの容姿が愛らしいといっても限度を超えているラインに達していたが、そのノルマを達せられなかった場合は粕谷は容赦なく罰を与えてくるだろう。

 まるで、ティオを通じて誰かを嬲るっているかのようだった。


 既に店内で客を待っているだけではノルマの達成は困難であり、ティオ自ら積極的に客を取る必要が出来てしまっていた。

 

 今日中に、あと5人の客の相手をしなければならない。

 あるいは、より実入りの良い内容の仕事を行うことになるか。

 ティオは、自分に興味の視線を向けてくる男を必死に探していた。


(……何やってるんだろ、わたし)


 ――自分のように、女であることを売るような生き方はしないで欲しい。

 ――普通に恋をして、想いを寄せた男性に操を捧げる幸せを得て欲しい。


 それが、ティオの母が死ぬ前にティオに語っていた希望の一つだった。

 別に、水商売に手を出している人々を差別する訳ではない。誰かに迷惑をかけている訳ではないのなら、立派な商売だとは思う。

 だがそれは、それで辛い想いをした母がティオに願っていたことだったのだ。


 それ故に、例え奴隷として理不尽な扱いを受けようとも、その母の願いはティオにとって絶対に超えたくない一線であった。


 しかし、粕谷によってティオのその一線は呆気なく砕かれてしまった。


(ごめんね、お母さん)


 初めて店に連れて来られた日から、ティオは毎日のように亡き母にわび続けている。


 ――てめぇは、死ぬまで解放しねぇからな。


 粕谷は、ティオを見下ろしながら、嗜虐的に語っていた。

 緩慢な絶望が、次第にティオの心を蝕んでいる。


 ――あたし達、友達だからね!

 そう言ってくれた、異世界の友達がいた。


 ――またね、ティオ。

 そう言ってくれた、異世界の恩人がいた。


 彼らはきっと、ティオの今の境遇を知れば助けようとしてくれるのだろう。

 例え、力が及ばなかったとしても。

 だからこそ、彼等には知られたくなかった。


 6日前の、あの素晴らしい一日。

 彼等がティオにあの時間をくれるのに、決して少なくない金額を失ったことは知っている。

 二度と、あんな迷惑をかける訳にはいかない。


 だって、ティオはあの人達の友達なのだから。

 彼らに胸を張れる人間にならなければならないのだ。

 だから、絶対に知られる訳にはいかない。これ以上の迷惑はかけられない。


 そんなことを思っていると、いつの間にかティオの傍に人が立っていた。

 彼女は、その顔を見上げ、


「あの、宜しければわたしと――」


 絶句した。


 そこに立っているのは、一人の少年だ。

 良く見知った、忘れられない容姿の少年である。


 白い髪の、まるで少女のように柔らかな容貌をした少年が、そこに立っていた。


「……ティオ?」


 少年は、呆然とした表情を浮かべてティオを見下ろしている。

 すぐに彼の表情は、悲痛に歪んでいった。

 それは、全てを察した顔であった。


「……ユウ、様……」


 ティオは、愕然と目の前の少年の名を呟く。

 自分の心が壊れていく音を聞いた気がした――


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