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第11話 -別離-

「はぁ~~……」


 悠は、湯船に浸かりながら、蕩けた声を漏らした。

 湯の暖かさが疲れた身体を癒していく。


 既に日は落ち、時刻は夜となっている。

 今日一日、帝都を歩き通しだったが、おかげで帝都の主だった場所はかなり回ることが出来た。


 帝城を除けば最高層の建築物である時計塔。

 豊かで色鮮やかな景観を誇る大公園。

 地球では見たことが無いような動物のいる動物園。

 他にも――


 どれも素晴らしかった。

 ティオもとても楽しんでくれていたように思う。


 悠は今、帝城の敷地内に造られた入浴施設に来ていた。

 そこは、帝国の兵士のために建造された施設であるが、時間を区切って悠達、異界兵にも開放されている。


「やっぱ、お風呂っていいよねぇ……」


 自室にも浴室はあるのだが、悠は今、クラスメートの皆と一緒に風呂に入っていた。

 裸の付き合いというやつだ。

 今日一日は、ティオを粕谷と合わせたくは無かった。第一宿舎に帰れば、鉢合わせする可能性もあるだろう。

 今日は、冬馬達が寝泊まりしている第六宿舎に泊めてもらうことになっていた。


 周囲にはクラスの皆もいるのだが、何故か頬を赤くして、こちらから顔を逸らしている。


「ど……どうしたの、皆?」


 悠の当惑の声に、冬馬が皆を代表するように口を開く。


「悠……お前、ちょっと立ってくれ」


 一体どうしたのだろうか。

 とりあえず悠は言われた通りに立ち上がった。


 膝上あたりまでが湯に浸かった状態となる。

 クラスの皆は、そんな悠の身体を見ながら、安堵のような溜息を吐いていた。


「そうだよなぁ……お前、やっぱ男だよなぁ……」


「それどういう意味……?

 ぼ、僕が女に見えるってこと!?」


「いや、だってなあ……ぶっちゃけ隠してたらマジで分からねーもん、骨格とかマジ女だし」


 皆が、困ったような笑いを漏らす。

 悠は、真っ赤になりながら湯船に身体を沈めた。


「うぅ……気にしてるのに……!」


「いいじゃーねかよ、脱童貞野郎!」

「そーだ! ふざけんな、羨ましい!」

「あの美人が初体験だなんて、お前……この野郎」

「うう……ルルさんが処女じゃないなんて」

「いや、あんな美人だぜ? 普通、なぁ……」


 皆が口々に好き勝手なことを言う。

 話題が危険な方向に進みつつあることを察し、悠は逃げるように湯船に顔を沈めた。

 ティオは、上手くやれているだろうか――






 一方、女性用に建てられた浴場では、クラスの女子達やルル、ティオが湯船に浸かっていた。

 その場では、所謂恋バナというものが繰り広げられている。

 皆、内心ではストレスを溜めているのだろう、とにかく平時は明るい話題で盛り上がりたがる傾向にあった。

 朱音は、湯船の端っこで、その話を押し黙って聞いていた。

 隣には、ティオがちょこんと腰かけている。クラスの皆からまるで妹のように可愛がられていたが、やはり朱音の傍にいることを好んでいた。


「やっぱ綾花は壬生っしょ? 幼馴染だもんねー」


「と、冬馬とはそんなんじゃないよぉ……」


 世良綾花が、友人たちの追及に身体をもじもじとさせながらはにかんでいた。

 そうか、二人はそんな関係だったのかと、朱音は今更ながらに知る。

 しかし綾花の反応はバレバレだ。すっかり乙女の顔になっている。


 綾花に迫っていた柚木澪ゆずき みおは、クラスでも遊び人として名の通った少女だ。異性との交際経験も、15歳にしてなかなかに豊富なようだった。

 彼女は、ルルに視線を移した。


「ルルさんは、好みのタイプってどんなの?」


「そうですね……」


 ルルは、その肌を薄桃色に上気させながら、頬に手を当てた。


「可愛らしい容姿をした、白い髪の少年……とお答えしておきましょう」


 ルルの回答に、クラスの皆が感嘆の息を漏らした。

 澪も、少し照れ臭そうに口を開く。


「あたしも、実は神護がいいと思ってんだよねー」


 朱音の身体が、びくりと跳ねた。

 胸の鼓動が、高鳴っていく。


「あ、わたしも」

「顔は可愛いのに意外と勇気あるよね。あのギャップはいいわ」

「……ほんと学校では悪いことしちゃったよね」

「ねー……やっぱ気まずいわ」

「実はわたし、駄目元で告っちゃおうかと悩んでるんだよねー」


 悠が好意的な目で見られるというのは、友達としては喜ばしいことなのかもしれない。

 だが、朱音は妙な胸のざわつきを感じていた。

 それは決して愉快なものとは言えず、胸の奥が焦げるような不快感がある。


 悠を褒めるクラスメートの会話は尚も続いており、そのたびに朱音は、俯いた表情の険を強めていた。

 澪が、こちらに――正確には、朱音の傍らのティオへと目を向ける。


「ねえ、ティオはどんなの好みよ?

 …………あ、ご、ごめん……」


 澪は問いかけ、そしてティオの境遇を慮って、表情を暗くした。

 ティオは、首を横に振って心配ないとアピールする。


「大丈夫でス、ミオ様。

 私も、ユウ様のこと大好きですヨ」


 そう語るティオの表情は、まさしく恋を語る少女の顔だ。メドレア空中庭園の一件をはじめ、悠はティオの好感度をずいぶんと稼いでいるらしい。

 そしてティオは、朱音の顔を見上げ、


「でも、私よりアカネ様の方が、ずっとユウ様のことお好きですよネ」


 笑顔で、爆弾を投下した。


「ぶっ!?」


 朱音が思わず吹き出す。

 皆の注目が、一斉に朱音に集まった。


 場の空気、あるいはテンションのせいだろうか、いつも朱音を見る視線にあった畏れの気配が、今は殆ど感じられない。

 澪が頬を書きながら放った言葉は、更に朱音を動揺させた。

 何故なら、


「あー……そういや、そうだったね。先約は藤堂だわ」


 まるで周知の事実であるかのように、そんなことを言ったのだ。

 それは、ときおり澪が口にする朱音をからかう言葉のはずだったのだが――


 今回は他の皆までもが、当然のように頷いた。


「ちょっ……!?」


 朱音が、顔を真っ赤にして立ち上がる。

 上気した瑞々しい肢体から、湯が滴り落ちた。その豊かな双丘が大きく揺れ、幾人かが感嘆を漏らす。

 完全に平静を失いながら、朱音は声を上げた。


「な、な、何を言ってるのよ!?

 あ、あああ、あたしが悠のことが好き!?

 ある訳ないでしょ、ふざけないでよ! 何でそういうことになるのよ!?」


 動揺のあまり、声が震える。

 いつもの凛とした雰囲気など木端微塵に砕け散り、朱音は慌てふためき弱り切った姿を晒している。

 そして、いつも孤高の存在として立っていた少女のその姿に、皆は好機とばかりに襲いかかる。

 綾花が、困ったような笑みを漏らしながら首を傾げた。


「藤堂さん……どう見ても、悠君のこと好きにしか見えてないよ?」


「違うわよっ!

 だって、悠は全然あたしの好みのタイプじゃないもの!」


 朱音の言葉に、ルルが反応した。


「あら……アカネ様の好みの殿方というのは興味がありますね?」


 皆が、口々に同意の言葉を上げる。

 言わざるを得ない空気が、出来上がっていた。


「あ、あたしの好みのタイプは――」


 朱音は、悠が如何に自分の理想の男性像から外れているかを力説する。


 つまり、鍛えられた逞しい体躯。男らしい精悍な顔立ち。朱音の身体をその腕に抱きとめる偉丈夫の姿こそが、自身の理想だと高らかに宣言する。


 しかし、そんな朱音の言葉を澪は半目で聞き流し、


「藤堂さー、まさか好みタイプじゃないと惚れないとか思ってない?

 恋ってそんなカッチリ型に嵌ってするもんじゃないよ?」


「なっ……!?」


 皆が――ティオまでもが、同意して頷いている。

 澪が、かなり意地の悪い小悪魔めいた笑みを浮かべた。


「……それ、初恋だねー。

 うわ、初々しーなー、超可愛いー」


「ちっ……違うもん……

 違うわよぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 顔を真っ赤にした朱音の絶叫も、皆は生暖かい目をしながら受け流した。

 その後、朱音は皆に散々に弄られ倒されることとなる。


 いつの間にか、皆が朱音を呼ぶ声は、「藤堂」から「朱音」に変わっていた。




 ……その後、風呂上りに朱音と出くわした悠は、朱音に「あんたなんか全然タイプじゃないんだから!」と叫ばれ、目を白黒させることになる。

 何故か、女衆がそれをニヤニヤしながら見つめていた――






 そして、日は昇る。


「……ユウ様、アカネ様、昨日はありがとうございましタ。

 ルルさんも、お世話になりましタ」


 朝となり、ティオを粕谷から解放できる約束の期限が迫っていた。

 ティオは、悠の部屋で身なりを整え、悠にぺこりと頭を下げる。その頭には、花をあしたったブローチが付けられていた。


 よく食べ、よく遊び、よく寝たティオの姿は、随分とマシになっている。

 あの悲壮な雰囲気は鳴りを潜め、今はその顔には年相応の笑顔が浮かんでいた。


「……ティオ、本当に大丈夫?」


 一方、朱音の表情は陰鬱に沈んでいる。

 またティオが粕谷によって弄ばれるであろうことを、気に病んでいるのだろう。

 悠もまた全くの同感であり、自分の表情が今どうなっているのか、分からなかった。


 ティオは、悠と朱音にしっかりと頷いて見せた。


「昨日は帝都に来て、一番楽しかったです! 幸せでしタ!

 ……私、頑張れそうな気がしまス。皆様のおかげでス!」


 その目には、しっかりとした意思の光が宿っている。

 悠は、そんなティオの頭に手を置き、優しく撫でる。ティオは心地よさそうに頭を委ねた。


「またね、ティオ」


「……はい。本当にお世話になりましタ!」


 ティオは、ドアの前に立って、名残惜しそうな顔で悠達を見渡しながら、ドアを開く。

 朱音が、たまらず声を上げた。


「ティオ! あたし達、友達だからね! 本当に辛かったら言ってよ!」


「……また会いましょう、アカネ!」


 その言葉に満面の笑顔を見せ、ティオは一礼してドアを閉めた。

 廊下を走り去っていく音が、ドア越しに聞こえてきた。

 そして、部屋には静寂が落ちる。


「……行っちゃったね」


「……うん」


 悠と朱音は、寂しそうに呟いた。

 こうしてティオは、再び粕谷の下へと戻っていったのだった。






 それから悠は、強くなるための訓練と、この世界の知識の勉強に明け暮れた。

 仲間を守ること、そしてティオの――新しい友達の悲惨な境遇に干渉ができる帝都内での影響力を手に入れること。

 この二つが大きなモチベーションとなった悠の発揮した集中力は、周りの皆を大いに驚かせた。


 そして、五日が経過し――






 ――夜の帝都の、ある一角のことである。


 様々な店が並ぶ繁華街であったが、中でも異性との様々な形での触れ合いを生業とする水商売的な要素の強い店の多い地区である。

 そこに、あまり質は高いとは言えないが、お手軽な価格で一時の愉しみを提供することをモットーとした店があった。


 その店に、五日前からその店に現れた、とある少女がいた。

 その顔立ちは、この店には似つかわしく程に愛らしく、身体の発育は未熟であるが、その手の嗜好の持ち主にとってはむしろ極上の容姿である。

 当然ながら評判は上々であり、彼女は五日間で多くの客の相手をしていた。


 彼女は、ある異界の少年が連れてきた少女であった。

 その店の従業員という訳ではなく、彼から店に貸与されているという立場である。

 店主から彼女を買い取りたい旨の申し出があっても、彼は頑なに彼女を手放そうとはしなかった。


 そして、彼女は今も客の相手をしていた。

 露出の多いを衣服に身を包む、見知らぬ男に肩を抱かれながら、どこか虚ろな愛想笑いを浮かべ個室へと消えていく。


 彼女は、森人エルフの少女である。

 その金髪には、花をあしらったブローチが取り付けられていた――

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