第10話 -混じり者-
時刻は昼を回り、悠達は昼食のために帝都内の食堂へと足を踏み入れていた。
そこは、ブリス商会の受付の女性から教えられた店の一つであり、ブリス商会の系列である店らしい。
木造の店内には所狭しとテーブルや椅子が置かれ、その殆どが埋まっているという盛況ぶりだ。
店内は喧噪に包まれ、数人のウェイトレスが忙しそうに働いている。
親しみやすい大衆食堂といった風情である。
人によっては落ち着かないという感想を抱くこともあるのだろうが、悠にとってはこういう環境での食事は好ましかった。
ブリス商会で働く者もよく利用する店らしく、店内には亜人と思しき人の姿も見受けられる。
これならティオが余計なトラブルに巻き込まれる心配も少ないだろう。
悠は安心と共にメニュー表を広げてみたが、悠のフォーゼ言語の知識ではまだ読めない単語が多く、断片的にしかメニューの内容を理解することが出来なかった。
「……ユウ様、私が読みましょうか?」
「うん……ごめん、お願い」
ティオもフォーゼ言語の読み書きは出来ないらしく、この場で正確にフォーゼ言語を扱えるのはルル一人だけであった。
「好きなもの頼んでよ皆、今日は僕の驕りだから!」
一生に一度言ってみたかった台詞の一つを言うことが出来た満足感を覚えながら、悠は皆を見渡す。
ルルはメニュー表を広げながら、まずは悠へと顔を向けた。
「ユウ様は、どのような料理を好まれますか?」
「うーん……何でも好きなんだけど……」
悠にとっては、あの研究所での食事に比べれば外の食事は何から何もが美味であり、嫌いな者が無いどころか、全てが好物と言っても良い状態であった。
今朝はティオを連れて食堂へと顔を出し、皆と一緒に卵料理をメインにした朝食を取ったのだが……栄養を考えれば魚料理の方が良いのだろうか。
「お魚で何かあるかな?
……白身魚で」
「そうですね……」
ルルは幾つかの料理を具体的な内容を補足してピックアップし、悠はその中でも最も興味の惹かれた品を頼んだ。
「ルルさんは?」
「私は厚切りのステーキを頼もうかと。可能な限りレアで」
何となくそうだと思っていた。
この世界にも牛はいるんだろうか、それとも似たような動物なのだろうか。この世界の動物の名前は、日本語では上手く変換されないことが多く、名前だけでは姿を想像できないものも多かった。
ルルは次に、ティオへと顔を向ける。
「ティオ、貴方はどうしますか?
やっぱり野菜料理がいいかしら。でも摂るべき栄養はしっかり摂らないと駄目ですよ。
……豆のスープなんてありますけど」
森人であるティオに考慮してであろうその言葉に、しかりティオは首を横に振る。
その表情は、どこか複雑そうな様子に見えた。
「大丈夫です、ルルさん。
私は、森で暮らしていた事が殆ど無いので、お肉もお魚も食べられマス」
「あら……そうだったんですか?」
ティオは、表情に陰鬱な相を浮かべ顔を俯かせた。
何かを躊躇うように口元を動かし、そして何かを決意したように口を開く。
「……私、混じり者、なのデ」
「……そう」
ルルもまた、ティオの言葉に表情を翳らせた。
空気が暗く沈む。
悠と朱音は顔を見合わせて疑問符を浮かべる。
混じり者。
エルフと他の種族の混血ということだろうか。そんなに深刻な事だとは思えないのだけど。
とても気にはなったが、明るい話題にはなりそうにない。
むしろ、今は話題を変えることこそが必要だろう。
そう思い、悠が口を開く前に、朱音の声が暗い空気を断ち切った。
彼女は明るい表情を作りながら、ティオの顔を覗き込む。
「ねえ、ティオ。あなた、店先に絵が描いてあった料理を気にしてたでしょ?」
確かに店先には、流麗な料理のイラストが描いてあった。
描かれていた料理のイラストは二つあり、描かれていた文字からすると、恐らくは今日の日替わりの定食か何かなのだろう。
ティオは朱音の顔を見上げ、小さく笑みを浮かべる。
「はい、アカネ様。
でもどっちするか迷ってまス」
そんなティオの言葉に、朱音は満足そうに頷いた。
「あたしも気になってたの。だから、両方頼んで半分こしない?」
ティオの表情がぱっと輝く。
「あ、いいですネ、それ!」
朱音とティオは仲睦ましく笑い合っている。
見ているだけでこちらの表情が緩みそうな、微笑ましい光景である。
昨日まで痛ましいティオの姿や、普段の朱音を知っているから尚更だった。
ルルが微笑を浮かべてウェイトレスを呼び、4人分の注文を告げた。
「ねえ、ティオ。これは何?」
「これはですネ、アカネ様――」
昼食を終えた悠達は、帝都の大広場へと足を踏み入れていた。
そこは数多の露天商が店を開いており、混沌とした活気に満ち溢れた空間を作り出している。売っているのはとにかく多岐に渡り、宝石類を扱っていると思しき商人や、怪しげな生き物の干物をぶら下げている露店もあった。
その光景には、店舗を連ねた街区とは異なる、エネルギッシュな趣が感じられた。
朱音とティオは、二人仲良く先を歩きながら露店を物色していた。
この場においては朱音の質問にティオが答える側であり、ティオは張り切った顔で朱音の問いに答えている。
ティオは本当に楽しそうだ。
あのメドレアで見せてくれた明るさを、大分取り戻している。
「……ねえ、ルルさん」
「はい、何でしょうかユウ様」
悠は、その少し後ろから二人の様子を微笑ましい気持ちで見ながら、隣を歩くルルに問いかける。彼女も似たような表情で二人を見守っていた。
それは、先ほどの昼食の席で気になっていた疑問である。
「“混じり者”って、何?」
周囲の喧噪により、悠達の会話がティオに届くことは無いだろう。
ルルは、悠の問いを聞くと、先ほどの昼食の席と同様に表情を翳らせた。
やはりその言葉には、悠が思っている以上に重い意味があるように思える。
ルルは、やや躊躇いがちに口を開く。
「……ユウ様は、どういう意味だと思われますか?」
「エルフと違う人種の混血かなと思ったんだけど」
悠の言葉に、ルルは苦笑を浮かべた。
予想していた返答がそのまま返ってきた。そんな印象である。
「半分正解です、ユウ様。
確かにティオの身体には森人以外の血が混じっていますが、単にそれだけでは“混じり者”とは呼ばれません。同族同士の子供でも、そう呼ばれることがあるのです」
「……?」
どういうことだろう。
ユウは首を傾げて、ルルに続きを促した。
そして、次にルルが口にした言葉は、予想外のものだった。
「……魔族です」
「……えっ?」
魔族。
あの、魔界内に蠢く異形達であり、悠達の敵である存在だ。
魔界内部でしか生息できず、死ねば紫の塵となる常の世界の法則から外れた謎多き生命体。
この世界において長年に渡り研究が続けていられるが、その正体の解明には未だ至っていないらしい。
分かっていることは、その身体が魔素と呼ばれる魔界にしか存在しない物質で構成されていること。高い知能を持つが、人間の蹂躙を本能とし、全ての機能がそれに特化されていることから、コミュニケーションはほぼ不可能であること等、限られていた。
その魔族と森人の間に生まれた子供だということだろうか?
いやしかし、ルルは森人同士でも“混じり者”に該当することがあると言っていた。
「魔族には多種多様な種類がいますが、その全てが人間を恐れさせ、狂わせ、絶望させ、殺傷するための機能に特化した存在です。
そして、その中には人間の女性を蹂躙することに特化した種類が存在します。
……つまり、人間の女性を犯すのです」
ルルは、とても悍ましいものに触れているような、嫌悪感がありありと浮かんだ表情で言葉を続ける。
「魔族に犯された女性は、身体を汚染されます。
事実として、そのような女性が生んだ子供に何らかの異常が起こった事例が幾つも報告されています。
人間では持ち得ない能力を持つ者、異形の器官を有して生まれる者、精神面に著しい異常をきたす者――無論、必ずそうなる訳ではありませんが」
ルルは、前方で朱音と一緒に楽しそうに歩くティオへと目を向け、
「しかし、“混じり者”――半魔族は、その事実のみで蔑視の対象となることが多いのです。
特に森人は純血を至上とする種族ですので、ティオは同族とは扱われず、同じ集落で済むことも認められなかったのではないでしょうか。あるいは、ティオの母が魔族に汚された時点で里から追い出されたのかもしれません。
そして魔族に汚された女性は一目瞭然です。母子とも真っ当な生活は難しいでしょう」
そう語りながらティオを見つめるルルの表情は、哀しげに歪められていた。
その目には、ティオへの蔑視の色は見受けられない。
少なくともルルは、ティオに対する差別感情は抱いていないということだろう。
「……ごめんね、嫌な話させて」
女性にとっては、あまり語りたくない話題だったろう。
ルルは、苦笑を浮かべて頭を振った。
「いいえ」
彼女は、悠の顔を真剣な表情で見つめた。
「……ですが、自分を半魔族と明かしたティオの恐怖は相当なものだったでしょう。
それだけユウ様、アカネ様を信頼しているのだと伝えたかったのかもしれません。
その想いはどうか察してあげていただけると幸いです」
「……うん」
ティオは、朱音に露店に並ぶ髪飾りを付けてもらっていた。
花が咲くような笑顔を、朱音に見せている。
本当に、嬉しそうだった。
明日、ティオはまた粕谷の下へと戻っていく。
ティオはまた、酷い仕打ちを受けるのだろう。
今日のようなことだって、何度もやれるような事ではない。
偶然が重なったからこそ実現したことであり、今のこの時間は奇跡といっても良い状況なのだ。
だからこそ、今日という一日の価値はとても重いはずだ。
「……ティオ! 凄い似合ってるね!」
悠は、笑顔を見せてティオと朱音に駆け寄った。
ティオは振り向き、悠に満面の笑顔を見せて応える。
「ありがとうございまス、ユウ様!」
その頭には、花をあしらったブローチが付けられていた。
ティオの愛らしい顔を相まって、とても似合っている。
悠は、様々な装飾品を並べている露天商の男性へと声をかけた。
「これ、幾らですか?」
中年と思しき痩せた露天商は、悠を、そして朱音の顔を見上げて口を開く。
「……あんたら、異世界から呼ばれたっていう子供達かい?」
悠と朱音は、男性の言葉に少し目を丸くする。
今日、外に出てからその事を指摘されたのは初めてであった。
悠達を見て少し驚いたような表情をする者はいたが、しかしそのことに触れようとする者はいなかったのだ。
「……はい、そうです」
「そうか……」
男性は、悠達の顔をじっと見上げている。
その灰色の瞳からは、彼の感情の色を読み取ることは出来ない。だが、その表情はとても真剣なものに見えた。
そして彼は、やや表情を翳らせながら俯く。
「それはタダだ。持っていきな」
「え……? いや、お金ならありますよ?」
悠は、まだ十分に余裕のある貨幣の入っている財布を取り出した。
残った褒賞は全て玲子に渡したが、玲子からは今日一日遊び歩いても無くならないであろう金額を渡されていた。
お金を取り出そうとする悠を、男性は掌を向けて遮った。
「いいんだ。それぐらいさせてくれ。
お前さん達の身の上は知っている、あっちの世界で普通に暮らしていたんだろう?
そして、この国の勝手な言い分であの化け物と戦わせられている。そうだな?」
全て、事実である。頷く他ない。
「……そうです」
「我々を憎んでいるだろうが、お前さん達のことを可哀そうだと思っている者、後ろめたいと思っている者も大勢いることは分かって欲しいのだ。
……先代の皇帝陛下の治世が上手くいっていれば、こんな事にはなっておらんかったろうになぁ」
男性は、どこか遠いものを見るような瞳で言う。
彼は、ラウロやベアトリスとは違う人種に見えた。恐らくは、フォーゼ人ではないのだろう。
男性の目は再び悠へと戻され、どこか優しげな色を浮かべた。
「だから、それはせめてもの罪滅ぼしと思って受け取ってくれないかね。
こんなことを言える義理ではないが、この国を嫌いにならないで欲しい。善き者も大勢いるんだよ」
そして再び男性は悠を見つめる。
悠は、その視線を真っ直ぐに受け止め、
「……ありがとうございます、おじさん」
深々と、頭を下げた。
ベアトリス・アルドシュタインは、胃に穴が開くような心地で歩いていた。
原因は色々とある。
現状の皇帝陛下の境遇、そして皇帝派の実態。
全くの無関係の少年少女を、この世界に巻き込んでしまっていることへの羞恥と罪悪感。
しかし、魔界の深奥を巡る争いで劣位にある現状を覆すには、彼らに頼らざるを得ないであろう事実。
……そして、ティオ。
あの奴隷の少女。彼女の、実の娘。
しかし今現在の最大の原因は、目の前を悠々と歩くこの男である。
男はカランカランと下駄の足音を響かせながら、羽織っている斑模様の着物を靡かせつつ、煙管から紫煙を燻らせ歩いている。
マダラ。
それは、帝都の要職に関わる者なら知らぬ者はいない名であった。
あのラウロですら、彼の来訪を知った時には一瞬、血の気を引かせたほどだ。
この男は、帝国の命運を左右する重要な情報を持つ者である。
ベアトリスの任務とは、この男の監視。そして可能であればこの男を、暗殺することであった。
可能であれば、であるが。
誰も期待などしてないだろう
マダラの背は、隙だらけである。
そして、ベアトリスの剣腕は帝都第一位と称される域に達しており、彼女自身もそれを自負している。
剣士として恥を忘れ、即座に斬りかかれば到底防げるとは思えない。
この男は、そんな背をベアトリスに晒しながら弛緩した様子で帝都の道を歩んでいた。
また、異界の少年達に作用している魔道封じは、帝都内の特定の人物に対して行うことも可能である。
彼女の合図一つで、即座にその機能がマダラに向けて行使されることとなっていた。
この男が如何なる魔道の力を有していようとも、容易く無力化できるはずである。
更に、どこに向かっているのか、そこは人通りの殆ど無い裏通りであった。
暗殺には、この上なく向いている場所ではある。
だが、ベアトリスの剣がマダラの身体を切り伏せるイメージが湧かない。
無駄だ、不可能だとベアトリスの剣士としての勘が、そう訴えている。
「……お主も大変じゃのぅ」
不意に、マダラがそんな言葉を投げかけてくる。
その若々しい容姿に似合わない、翁のような言葉遣い。
この男の実際の年齢をベアトリスは知らない。帝都の誰も知らないだろう。
少なくとも、ベアトリスが物心つく頃から、この男の容姿に一切の変化が無いことは事実である。
「……何がでしょうか」
緊張を含ませ答えるベアトリスに、マダラは口から紫煙を吐き出しながら振り向いた。
その細面には、悪童めいた意地の悪い、しかし明朗な笑みが浮かんでいる。
「色々よ。政治というもんは、まっこと面倒じゃな。
お主も帝国なんぞ放って他の国にでも行けばいくらでも重用して貰えるじゃろうが。
……儂は顔が広いでな、一つ口でも聞いてやろうかい?」
その冗談めいた口調で投げられた言葉を、ベアトリスは侮辱と受け取った。
冗談と分かっていても聞き捨てならない言葉が混じっていたからだ。
その表情と声に、険が混じる。
「私が、皇帝陛下を置いて他の国に逃げると申されるか……!」
そんな真似をするなら、死んだ方が遥かにマシだ。如何なる屈辱を味わおうが、この身はアリス姫――アリスリーゼ皇帝陛下に忠を尽くすために在る。
自身を睨む鋭い視線を、しかしマダラは凪のように受け流しながら笑う。
「呵呵っ、すまんすまん、遊びが過ぎたかの。
ま、そんなに思い詰めんことじゃ」
一体、誰のせいでこうなっているのか――ベアトリスは、その胃に更にストレスを溜め込んだ。
マダラは、ふと何かを思い出したかのように話題を変えた。
「……そうじゃ、そういや異界の小僧共には、“死んだ”仲間のことをどう言っておるんじゃ?」
胸を突き刺されたような感覚を覚えた。
その言葉は、ベアトリスの全身の血の気を一斉に引かせた。罪悪感という名の毒が、全身を蝕むような心地がある。自身の臓腑は今、正常に機能しているだろうか。
その様子で全てを察したのか、マダラは皮肉げに唇を歪め、笑みを漏らす。
「呵呵呵っ、やはりか。いや、言わんでも大体分かったわ。
罪よなぁ、まったく残酷なことじゃ」
「りっ……理論上は不可能では――」
我ながら見苦しい、この恥知らずめ。
そう思いながらもベアトリスはつい反論し、
「――本気でそう思っとるか?」
マダラの一言に切り捨てられた。
彼の顔は前を向けられており、窺い知ることは出来ない。
ベアトリスは、無力感、罪悪感、羞恥心などがない交ぜになった苦悶の表情を浮かべて立ち尽くす。
カラン、カランと乾いた足音が、人通りの無い路地に虚しく響いていた。




