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第9話 ―ブリス商会―

「うっわぁ……」


 悠の目の前に、帝都の街並みが広がっている。

 それは、あの帝城の敷地の高台から見下ろすジオラマのような景色ではなく、等身大に広がる街の景色だ。


 朝日の下、悠の立つ帝都の大通り沿いには、日本では見たことのないような建物がずらりと建ち並んでいる。

 そして樹木が等間隔に植えられた道には、数多の人々が行き交い、あるいは言葉を交わしていた。牧歌的な布のような服を着ている者もいれば、皮や鉄のような防具を纏い武装している者、日本の往来なら間違いなく警察に呼び止められる奇抜、刺激的な服装の者もいる。その人種も白人――恐らくフォーゼ人が主ではあるものの、褐色の肌をした明らかに異なる人種の者も見受けられた。

 それは、モニターの向こうの光景とは違う、生命の息吹を感じられる異界の人々の生活の姿だ。


 悠は、その光景を感動と共に見渡していた。


「……凄いね」


「……そうね」


 隣に立つ朱音もまた、悠と同様にその美貌にありありとした驚きを浮かべていた。

 そして、その朱音の手を握るティオも同様である。


「アカネ様! ユウ様! 凄いですネ! 私、帝都をこうやって見るの初めてデス!」


 その愛らしい顔に、向日葵ひまわりのような満面の笑顔を浮かべている。

 朱音はそんなティオの笑顔を見下ろし、優しい笑みで応えていた。


「ほんとね。まるで映画とかテレビゲームみたい」


「映画? テレビゲーム? 何ですカ?」


 朱音の口から出た聞きなれない単語に、ティオが小首を傾げる。


「それはね、私達の世界で――」


 そんなティオの質問に、朱音はむしろ嬉しげな様子で説明をしている。

 こうして会話を交わすことが楽しくて仕方がないといった様子だ。


 それは、あの悠と初めて出会った日に朱音が見せていた姿である。自分から他者に歩み寄ろうとする、健気な少女の姿だ。

 悠は、朱音のそんな姿を見て、頬を綻ばせた。


 今朝、一緒に身体を清めていた時に何かがあったのだろう、朱音とティオは随分と仲良くなっていた。

 

 朱音は15、ティオは14と僅か1歳違いなのだが、朱音は歳の割に背が高く、逆にティオは森人エルフという人種の特性のためらしいが、成長が遅く背が低い。

 二人の人種は全く違うのだが、まるで姉妹のように微笑ましい姿であった。


 やはり、裸の付き合いというものは違うのだろうか。

 少し羨ましい。

 尤も、悠がティオと浴室に入る訳にはいかないのだけど。


 そう思って省吾との別れ際に、今度一緒にお風呂に入ろうなどと言ったら、何故かあの巌のような精悍な顔が異様に引き攣っていた。

 ついでに玲子のテンションが何故か異様に上がっていた。

 何か変なことでも言ったのだろうか。


 あの調子で朱音もクラスの皆と接することが出来れば、きっと朱音にも友達が大勢できるだろう。

 ティオとの交流がその切っ掛けになればいいと、悠は思っていた。

 そしてティオも、朱音の存在が大きな支えになってくれればいいと思う。


「では、行きましょうか、皆様」


 少し前を歩いていたルルが、悠達に振り向いて左方を手で指し示し、左折を促している。

 それは、玲子から頼まれていたお使いの先に向かう道としては、少々遠回りのルートである。


 しかし、目の前の中央通りは、謂わば帝都の一等地であり、必然的にフォーゼ人の富裕層が多くなる地域なのだそうだ。

 そしてフォーゼ人の上流階級ほど、フォーゼ人至上主義に傾倒している者が多いのだという。

 彼等の多くは他人種を蔑視しており、特にティオやルルのような亜人デミ・ヒューマンに至っては人間扱いすらしない者もいるそうだ。


 理不尽な話だが、宗教の絡んだ根深い問題なのだそうだ。

 

 ティオに不快な思いをさせないためにも、富裕層の多い地域は避けて通ろうというのがルルと相談して決めた事であった。

 逆に中層階級以下であれば、人種差別もそこまで顕在化していないのだそうだ。

 特に若年層は先代皇帝の多民族融和政策の影響下で育った者が多いためか、差別意識の無い者も多いらしい。


「あ、うん。そうだね。

 朱音、ティオ、いいかな?」


 悠の声に、朱音とティオが揃って顔を向ける。


「え、あ……ごめん。いいわよ」


「はい、ユウ様。私は大丈夫でス」


 そして、4人は帝都の雑踏に足を踏み入れていく。

 時間はまだたっぷりある。お使いを済ませた後は、ティオ達と一緒に帝都を存分に散策しようと決めていた。 






 そうして歩いて30分ほど、距離にして2kmちょっとというところだろうか、悠達は目的の場所へと辿り着いていた。


 そこは中央通りほど整理された街区では無かったが、しかし多くの店が開き、多くの人々の雑踏でごった返す商業地区だ。

 悠達の前に、一つの建物があった。

 それは頑丈そうな石造りの2階建の建物であり、周囲の建物よりかなり大きい。悠達の世界で例えるなら、ちょっとしたスーパーぐらいの大きさだろうか。

 その看板には、悠の覚えたてのフォーゼ言語の知識で、「ブリス商会本部」と書かれているのが分かる。


 ブリス商会。

 道すがら、ルルから大体の話は聞いていた。

 何でも近年になって急速に事業を拡大している組織らしい。

 特徴的なのは、孤児や奴隷に専門的な教育を施し、その人材を運用することで大きな利益を生み出しているということだ。

 彼等はブリス商会に恩のある身であり、それ故に忠誠心も厚くよく働くそうだ。


 悠達は、開け放たれた扉を通り、建物の中へと入った。

 その中は、事務所のようであった。様々な人々が事務作業や来客への応対で忙しなく働いている。

 人種を問わず、亜人なども多く働いているように見え、年若く見える者が多い。


 悠は、一番近くの受付に座っている女性へと声をかける。


「あの……僕達は、レイコの使いの者ですが」


 そう言えば通じると玲子は言っていた。

 悠に話しかけられた栗毛の女性は、一瞬、目を瞬かせたがすぐ涼やかな笑みを浮かべて悠に応対する。


「少々、お待ちくださいませ」


 そして手元の何らかの装置を操作し始めた。

 トン、トトン、トントンと、まるでモールス信号のように一定のリズムで何かを叩いているように見える。


「音声通信を行う魔道機器は非常に高価ですので、こうやって符号で連絡を行う魔道機器が一般的なんですよ」


 首を傾げていた悠に、ルルが耳打ちした。

 つまり、この受付の女性は約束の相手と連絡でも取りあっているのだろうか。

 そして1分ほどを要して、女性が顔を上げた。


「お待たせしました。只今、迎えの者が現れますので恐縮ですが、もう少々お待ちください」


 その女性の言葉から更に2分ほどを経過しての事だ。

 悠達に、一人の男が近付いてくる。

 禿頭の強面の男だ。年齢は30代から40代頃だろうか。如何にも屈強そうな巌のような身体をしており、軽量の鎧と剣で武装している。

 男は悠達の前に立つと、4人を見下ろした。

 その眼光は鋭く、まるで射抜かれているような心地を悠は味わう。


「レイコ殿の使いの方々で宜しいでしょうか」


 野太い声とは裏腹に、その口調は丁寧であった。

 間近で見ると、その顔や装備には細かい傷が見受けられ、彼が戦歴ある戦士であることを窺わせた。

 身長は190cmを超えているのではないだろうか、悠より頭一つ分以上は高く、悠は彼の顔を見上げるのに少々の苦労を要した。


「自分はベルガー・グラン。会長エリーゼの護衛を務めている者です。以後、お見知りおきを」


 そう言い、その禿頭を下げた。

 その容貌に似合わぬ慇懃丁寧な態度に、悠や朱音は面食らっていた。

 ルルやティオが頭を下げたのに遅れ、慌てて頭を下げ、口々に自己紹介を始めた。


「ぼ、僕は神護悠です。よろしくお願いします」


 頭を上げたベルガーは、皆の自己紹介を受け、生真面目そうな眼差しを4人に向けながら、


「これより会長の所へとご案内します。自分に付いてきてください」


 そう言い、踵を返して歩き始めた。

 悠達は、彼の大きな背中の後に続く、歩き始める。






 ブリス商会会長、エリーゼ・ブリス。

 それが、玲子が悠にお使いの相手として頼んだ人物であった。


「こちらになります」


 ベルガーに案内されたのは、建物の2階にある一室だった。

 扉の上には木の札が貼られており、「応接室」と書かれてあるように見える。

 ベルガーは扉をノックし、「入りな」という言葉に応じて扉を開けた。

 ベルガーに続いて、悠達は部屋へと入っていく。


「会長、客人をお連れしました」


「ご苦労様」


 ベルガーに応えたのは、妖艶な響きのある女性の声だ。


 ベルガーに案内された部屋は、応接室の名の通り、大きなテーブルの四方にソファが置かれた絨毯敷きの部屋だ。

 壁は石造りの無骨さを感じさせないための施工がされており、部屋を訪れた者に余計な不快感を感じさせず、そして飽きさせもしない洒落た内装をしていた。

 この部屋をデザインした者は、余程優れた感性の持ち主なのだろう。


「どうしたんだい、ご客人。ぼさっとして」


 テーブルを囲むソファの一つに、一人の妙齢の女性が座っていた。


 年齢は20代から30代ほどだろうか。

 薄紫の長い髪を伸ばし、その色香溢れる肢体にゆったりとしたドレスを纏っている。ソファに腰掛けるその姿はどこか気だるげにも見えるが、同時に溌剌としたエネルギーに満ち溢れているようにも見える。

 美貌の持ち主であるが、その左目は眼帯に覆われていた。

 妖艶さと気品と凄味が同居したような、不思議な印象の女性である。


 女性は、優雅な動作で空いているソファを指し示して。


「初見になるね。私がエリーゼ・ブリスだ。エリーゼでいいよ。

 まあ、掛けなよ」


「あ、失礼します」

「失礼します」


 悠と朱音がソファに腰掛けるが、ルルとティオは立ったままであった。

 悠がどうしたのだろうと二人に声をかける前に、エリーゼの声が飛ぶ。


「あんた等もだよ。亜人奴隷のお嬢達。

 ここは私の城だ。身分だの教義だのは知ったことじゃないさ。ブリス商会に客人を立たせたまま遇したなんて恥を残させる気かい?」


 その言葉には、有無を言わせない意思の強さを感じさせた。


「……では、失礼致します」

「し、失礼しまス」


 それぞれ悠、朱音の隣に腰掛け、4人は簡単に自己紹介を済ませる。

 そして悠は、玲子から預かっていた荷物をエリーゼに手渡した。

 エリーゼは目の前でそれを開封すると、中から取り出した書類のようなものを捲り中身を確認している。


 悠達はその間、差し出されていた茶を口にする。良いものではあるのだろうが、ルルの淹れた茶よりは幾分落ちる気がする。

 そして一通りの確認が済んだのか、エリーゼは頷きそれを閉じた。


 エリーゼは顔を上げ、労うような眼差しを悠達に向ける。


「……ご苦労だったね、あんた等」


 これで用事は終わりなのだろうか、彼女はきっと忙しい身の上だろうしあまりお邪魔するのも悪いだろうと、悠はその場を辞そうと立ち上がろうとして、


「ちょっと待ちな、ユウ」


 ずい、と顔を近づけてきたエリーゼに、悠は止められた。

 彼女の妖艶な美貌が、目の前にある。

 匂いとして漂ってきそうな色香に悠は小さく唾を飲み込んだ。


「……な、なんでしょう?」


「あたしの目を見な」


 またもや有無を言わない強い口調であり、悠はその言葉のままにエリーゼの隻眼に目を合わせた。

 心を内まで覗かれるような、薄紫の瞳が悠をじっと見つめている。

 悠は、くすぐったいような心地に襲われ、身体をもじもじとさせていた。


 時間にして10秒ほどだったろうか、エリーゼはようやく悠から離れ、ソファに身を預けた。

 何なのだろう。彼女は一体、自分の目に何を見たのだろうか。


「なるほどねぇ……」


 エリーゼは、悠を見て妖しげな笑みを浮かべながらそんなことを呟いている。


「……一体、悠がどうしたっていうんですか?」


 そんな二人をぶすっとした顔を見ていた朱音は、やや険のある口調でエリーゼに問いかける。

 気の小さい者ならそれだけでびくりとしそうな棘のある気配であったが、エリーゼはどうということも無く、苦笑めいた笑みを浮かべている。  


「悪いね、アカネ。ちょっとした趣味のようなものなのさ。

 ……さて、本当はもっとゆっくり話したかったんだけど、次の客人の予定が入っててね。

 すまないが……」


「……あ、はい。じゃあ僕達はこれで失礼します」


「ああ、またおいで。次からはあんた等の顔で通してあげるよ。

 土産を用意してあるから、1階の受付で受け取っていきな」


「あ、ありがとうございます」


 エリーゼは、微笑みを浮かべて悠達を見送っている。

 ずっと扉の傍で待機していたベルガーが、扉を開け悠達を待っていた。

 悠達は、「失礼します」と一礼し、再びベルガーに連れられて建物の1階へと降り、受付の女性からお土産を受け取ってブリス商会を後にした。





「……レイコの言っていた通り、面白い子達だねぇ」


 エリーゼは、応接室の窓から建物から出ていく4人の少年少女の姿を見ていた。

 悠が振り向き、こちらを見上げて目が合った。

 軽く手を振ると、悠は笑みを浮かべて頭をぺこりと下げ、仲間と共に街の雑踏へと消えていった。


 ――他者の目を見ることで、その人物の大よその人柄、魂の形とでも言うべきものを、色という形で見通すことが出来る。

 それが、エリーゼ・ブリスが生まれ以て備えていた、眼帯の下のもう片方の目の視力と引き換えに有する異能であった。


 玲子が面白い子が来たと語っていたが、それがあの神護悠であった。

 確かに、興味深い。初めて見る魂の色合いである。

 一体、どのような人生を歩んで来れば、ああいった魂になるのだろうか。


 そして悠も面白いが、一緒に行動していた奴隷の二人の少女もなかなかに濃い人生を歩んでいるように思える。

 特にルルという狼人ワーウルフの少女の内面は相当なものだ。その胸の内に何を抱えていることやら。

 朱音という少女の人生は平凡の域を出ないだろうが、その感情の有様は、一人の女としてなかなか面白いことになっているようだ。

 見ていて飽きない、そんな4人だ。

 本当なら小一時間ぐらいは話してみたかったのだけど。


「会長、お見えになりました」


 しかし、次の客人を考えれば仕方のないことだろう。


「通しな」


 ベルガーが通したのは、一人の女性であった。

 20歳頃の、金髪碧眼の女騎士。

 良く見知った顔である。


「あんたも一緒かい、ベアトリス」


「……命令故、仕方なく」


 ベアトリス・アルドシュタインは渋面を見せながら部屋へと入ってくる。

 多忙な身の上だろうに、全く難儀なことだ。エリーゼは心からの同情をベアトリスに覚えた。

 帝国屈指の魔道師が、政争に敗れればここまで良い様に扱われてしまうとは。

 あの異世界の子供達の件でも相当心を痛めているだろうに、胃薬でも持たせてやろうか。


 そして、ベアトリスに続いて一人の男が入ってきた。

 カラン、カランと、独特の足音が耳に響く。

 下駄という、木でできた不思議な形の履物の足音だと、エリーゼは知っている。



「おぉ、一つ目のお嬢。久しいのぉ。

 少ししわが増えたか?」



 その男もまた、エリーゼの知己である。

 顔を合わせるのは3年ぶりぐらいだろうか。

 エリーゼは、苦笑を浮かべながら男の軽口に応えた。


「……まだそんな歳じゃないよ。

 あんたの方こそ、いい歳だろうに。その顔に少しは年季の入ったところでも見せたらどうなんだい」


呵呵カカっ、仕方なかろうが。後300年以上は生きる心算つもりじゃてな」


 その冗談にも聞こえる言葉が笑い飛ばせず、エリーゼは苦笑を深めた。


「で、今日はいきなり何の用なんだい、マダラじぃ


 枯れ木のように痩せた、一人の若い――若く見える男が立っている。

 まだら模様の着物を羽織り、紫煙を燻らせる煙管キセルを咥えた、黒髪の男だ。


 マダラと呼ばれた男は、無精髭を撫で付けながら、その細い目に童のように爛々とした眼光を湛えて口を開く。


「何、儂の星占いで面白おもろいことが起こると出たんでな。

 ちっと古巣に寄ったついでに、馴染みに顔を見せとる訳じゃ」


 マダラの言葉に、エリーゼとベアトリスは複雑な表情を浮かべて、男を見ている。

 どうか、何事も起こりませんように。この男が何も起こしませんように――そんな願いの込められた眼差しであった。


 この男の名はマダラ

 その名の如く、物事を引っ掻き回して混沌とさせることを好む気性の者故に。


 この男の魂は、エリーゼの魔眼でも一切を見通すことが出来なかった。

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