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第6話 ―大手柄―

 悠達は、ドーム状の空間の中に立っていた。

 その広さは、野球ドームほどもあるだろう。その広大な空間に、生き残っている全ての異界兵が集められていた。


 そこは、魔道省の管理している施設の一つであり、帝都内に建造された施設では最大の規模を誇るものらしい。

 床には幾何学的な紋様が無数に刻まれており、遠くに見える壁からは幾つもの金属らしき管が伸び、まるで機械仕掛けの生物の体内にいるような錯覚を起こす。

 窓一つ無いその施設の中は、魔道の力で生み出された光によって照らされていた。

 この施設も、あのメドレアの空中庭園のような大規模な機械魔道のための施設なのだろう。


「……いよいよだな。頑張ろうぜ」


 隣に立っていた冬馬の声に、悠は緊張を浮かべながら頷いた。

 悠の周囲には、朱音や冬馬、綾花達クラスメートが集まっている。


 彼等は皆、帝国から与えられた戦闘用の服を着込んでいた。

 黒を基調とした軽量の服であり、身体にフィットしたゴムのような素材で身体を覆っている。そして、その上にジャケット状の無骨な上着やポーチなどを身に着けていた。更には戦闘要員の第二位階以上のメンバーには、その特性に合わせた補助装備なども支給されている。

 身体のラインが出てしまうことを女子達は恥ずかしがっていたようだが、さすがにいつまでももじもじとしている訳にはいかず、今は普通に立っていた。

 

 そして、悠のすぐ近くにクラスメートではない人物も立っていた。


 ルルだ。

 彼女も、悠達と同じような服装に身を包み、その背に弓を背負って立っている。

 その姿はとても様になっており、彼女がこの出で立ちでいることに慣れていることは明らかであった。

 軽量性を重視しているのか、悠達よりも装着している装備はかなり少なく、その均整の取れた肢体のフォルムがくっきりと見えている。


「ルルさん……その、本当に無理しないでね?」


 ルルを魔界に同行させることに、悠は当初、渋面を作っていた。


 悠達の死は、魔界内部では確定せず蘇生のチャンスがある。

 だが、この世界の人間であるルルが死ねばどうなるか。

 当然、その場で死は確定し、彼女は二度と還らぬ人となる。そして当の彼女自身がそれを肯定した。


 ルルの戦力は非常に心強いが、それでも危ない目には遭って欲しくは無い。

 だが、結局は人生経験の差か、気付けば悠は不承不承ながらも了承せざるを得ない話の流れに持ち込まれてしまっていた。


「そこまでご心配なさらずとも大丈夫ですよ、ユウ様。ご存じの通り私の得物は弓。危険な間合いで戦うことは致しません」


 ルルは柔らかな笑みで、不安に表情を曇らせる悠に答える。


「……でもさぁ」


「いつまでごねてるのよ、悠。ここまで来たらもうやるしかないじゃない」


 朱音が腰に手を当てながら、呆れたような声を上げる。

 彼女の15歳にして高校生離れしている豊かなプロポーションは、帝国の戦闘服で余計に映えて見えていた。

 周囲の男子が、目のやり場に困るような様子を見せている。

 朱音の立ち姿は堂々としたものであり、それらの視線をあまり意識していないようだ。


 朱音は、相変わらずクラスの皆に溶け込めているとは言い難かった。

 あの森での出来事などを経て以前より距離が縮まったように思えたが、やはり朱音は未だにクラスの皆から畏怖されているようだ。冬馬や綾花、澪は、朱音が溶け込めるように努力しているようだったが、どうも朱音の方が一線を引いてしまっているように見えた。

 友達が欲しいと言っていた癖に、朱音はまだ素直に接することが出来ていないようだ。

 何か力になりたかったが、悠としては出来るだけ機会を作ってあげることしか出来ない。下手なことをすれば、彼女のプライドを傷つけてしまう。


「間もなく魔界への転送が始まる! 貴公ら、心の準備は出来ているか!」


 ドームの中に、朗々とした女性の拡声された声が響いた。

 それは昨日、悠達の前に現れた、ベアトリス・アルドシュタインのものだ。


 彼女は、魔界に突入する悠達の監督・指揮役として魔界内部に同行するそうだ。当然ながら有事の際には死の危険のある役目であり、基本的に誰もやりたがらないらしい

 皇帝派のベアトリスが貧乏くじを引かされたということなのだろうか。あるいは、責任感などから自発的に受けたのかもしれない。どちらも有りそうな話に思えた。


「中には昨日説明を受けたばかりの者もいるだろうが、どうか落ち着いて行動をして欲しい!

 事前に説明していた通り、貴公らは8つの組に分かれ、各々の方向から魔界中心部へと進んで魔族の殲滅及び魔石の探索を行ってもらう!

 先日召喚されたばかりの異界兵の者には、古参のグループを同行させている。どうか協力して事態に当たって欲しい!」


 粕谷達は、別のグループに組み込まれていた。

 そして悠達が共に行動しているのは、女子ばかりで構成された6人ばかりのグループだ。


 その中に、腕を組んで立っている一際背の高い女性がいる。

 身長は170cmを超えているだろう。鋭い容貌の娘で、頬に付いた大きな傷跡が印象的であった。茶髪に染めた髪を、腰まで伸ばしている。

 そして、朱音を超える豊かなプロポーションが、その戦闘服からはっきりと確認できる。


 鉄美虎くろがね みこ

 その名の如く、まさしく美麗な獣のような少女だった。

 あの森で魔竜を斃していた一人である。


 玲子が話していた、第三位階の一人である。

 先程、冬馬が代表して挨拶をしようとしたのだが、その鋭い目で睨まれ、すごすごと退散していた。


 どうやらグループのメンバーからは大変慕われているようで、5人の少女達は、美虎の傍から離れようとしない。


「では、もう間もなく転送を開始する! 武運を!」


 ベアトリスが言葉を終えるとほぼ同時に、施設内が細かく震動を開始した。


 この施設は、帝国領内で発生した魔界へと転送することが可能な装置らしい。

 あのメドレアの森で省吾達が救援に現れたのも、この施設を用いてのことだったそうだ。

 そして今、その魔界へと転送を行うためのプロセスに入った。


 しかし悠達を囲むこのドームが鳴動する様には威圧感があり、恐怖心を掻き立てられるものがある。悠やクラスメートは不安そうに周囲を見渡したが、古参のメンバーは落ち着いたものだった。


「少し耳鳴りがしますので、ご注意を」


 ルルが、自分の獣耳をぺたんと伏せながら皆に注意を促す。

 

 震動は次第に大きくなり、施設全体から妙に甲高い音が聞こえてくる。

 同時に、床に縦横無尽に走っていた幾何学的な模様が発光し、そしてそれは次第にドーム全体に及んでいく。


 もうすぐ、実戦が始まる。

 悠は、緊張で汗の滲む手を握り締めた。

 他の皆も、緊迫した面持で時を待っていた。


 そして光がドームの内部を包み込み――






 ――気付くと、異形の空の下にいた。


 以前に見たものと同じ、血管のような朱が空に脈動する。その空は膜のようなものに覆われ、太陽も見ることが出来なかったが、しかし地上は確かに照らされていた。


 目の前に広がるのは、依然と森とは異なる広々とした平原のようだ。

 視界は広いが、周囲には悠達や美虎達以外の姿は見えなかった。

 魔族の姿も、まだ視界には入らない。


『……聞こえているか?』


 ベアトリスの声が、鼓膜に直接触れるような違和感を以って聞こえてくる。

 何か通信用の魔道を使っているのだろうか。


『魔族の現出までまだ少しの時間がある。それまでに態勢を整えておくように。何か異常があれば私の名を呼べ。繋がるようになっている。

 ……武運を祈る』


 そしてベアトリスの声は消え、周囲には静寂が満たされた。

 クラスメートの皆は、緊張した面持ちで自分の装備などを確認していた。

 第一位階の皆にも武器は与えられているが、魔術や魔法に比べると魔族への効力は格段に劣るらしい。自衛としても機能するか微妙だろう。


「おい」


 そんな皆を見ていた悠に、女性の声がかけられる。

 その声は、頭一つ近く高い位置から聞こえていた。


 振り返ると、鉄美虎くろがねみこが腕を組んで悠を見下ろしている。

 近くで見れば美人と呼んで差し支えない容姿であるが、その身長の高さと頬の傷跡が、その美しさに凄味を与えていた。


 玲子から、美虎とは波風を立てないように言われている。

 失礼の無いようにしなければ。


「お前が頭か?」


 悠がリーダーかと問うているのだろう。彼女と同じ第三位階であるということを知っているのかもしれない。

 美虎の問いへの答えは否だ。

 

 戦力的には主力であるが、まとめ役は人望の厚い冬馬の役目である。

 冬馬は悠の方が良いのではないかと言っていたが、やはりよく気の回る彼が適任だろう。

 朱音がもっと社交的であれば、その勇敢さも相まって良いリーダーになれる気もするのだけど。


 しかし正直、かなり威圧感を感じる人だ。

 リーダーは彼ですと冬馬に丸投げするのも躊躇われた。

 悠は彼女を見上げながら、


「あの、僕は……」


「――あ、それ、一応俺っす」


 逡巡している間に、冬馬が気を利かせて駆けつけてくれた。

 が、やはり美虎の威圧感に少々気圧されているようだ。


「な、何ですかね……」


 美虎は、男子である冬馬とほぼ同じ目線で彼の顏を見ながら、口を開く。


「教えておいてやる。魔族は一人でも多くの人間を殺すために動く。お前らみたいにゾロゾロ集まってんのはあの化け物共の恰好の標的だよ。お前らの中で魔族とサシでまともにれるのは何人いるよ?」


 悠と冬馬は、クラスの皆の方へ振り向いた。

 皆が、悠達の様子を見守っていた。


 悠は、自分達の戦力を分析する。

 まず第三位階である悠、練達した使い手であるルル、そして非常に戦闘向きの資質を持つ朱音。この三人はグループの主力となるだろう。

 それに次ぐのは当たれば魔族を十分に殺傷できる射撃の魔術を使える冬馬、そして戦闘に使える能力を持つ者が後一人。


「5人……ぐらいですかね」


 悠は、冬馬に変わって率直な意見を口にした。

 冬馬も同じ判断だったのだろう、悠の言葉に頷いている。


 美虎は、その人数を聞いて僅かなに顏を顰めた。


「少ないな……だったらあまり大きく動かず、固まって待ちに徹してな。放って置いても魔族が寄ってくる。魔石欲しさに欲出して散らばると死ぬよ」


「……あ、ありがとうございます」


 先達として助言をしてくれているのだろう。

 悠は、美虎に頭を下げ、素直な感謝の気持ちを彼女に伝える。

 冬馬も「ありがとうございます」と、悠に倣い頭を下げた。


 美虎は「ふん」と小さく鼻を鳴らすと、踵を返す。


「それと、オレ達の邪魔だけはするなよ?

 ……そん時は、容赦しねぇからな」


 その言い残し、茶色の長髪を靡かせながら去って行った。

 待機していた5人の少女達に「行くぞ」と声をかけると、少女達は喜び勇んで美虎の後を追って行く。


 残された悠と冬馬は、どちらともなくため息を吐いた。


「……何か、すげぇ人だったな」


「……うん」


「怖かったけど綺麗な人だったな。傷跡も様になってるっつうか」


「……うん」


「胸、マジでデカかったなぁ、あんな乳リアルで見たの初めてだよ」


「……う、うん」


 小さくなっていく美虎に、5人の少女がまるで妹のように纏わりついていた。

 そんな少女達に、美虎は頭を撫でてやったりしているのが見える。

 遠目に見えるその口元は、優しげに微笑んでいるような気がした。


「たぶん、いい人だよね」


「……だな」


 第三位階の一人、鉄 美虎。

 いつか、彼女と仲間になれる日も来るだろうか。


 悠達は朱音やルル、皆の所へと戻り、美虎がくれた情報を元に戦術を提案した。

 ルルもまた、補正を加えつつも原案の合理性を支持してくれたところを見ると、美虎は本当に善意から忠告をしてくれたようだ。


 悠達が取る戦術はこうだ。

 まず、戦えない第一位階の者など、戦闘力の低いメンバーは固まりながら移動する。

 彼等に随行するのはルル、冬馬といった遠距離攻撃に長けたメンバーだ。

 そして悠、朱音の直接戦闘に長けた二人は、集団からやや離れながら、周囲の哨戒を行う。悠や朱音が討ち漏らした魔族を、ルルや冬馬が撃退するという手筈だった。






「……異常は、無しと」


 悠は、相談した手筈通りに単独行動を取っている。

 未だ魔族の姿は見えない。いい加減に現れてもいい頃合いではあった。

 だが視界は広いものの、所々背の高い植物が生えている部分もあり、油断は出来なかった。


 今現在、悠の周囲には、十本の剣が浮かんでいる。

 <斯戒の十刃(テン・コマンドメンツ)>――悠の魔法の具現たる十の刃を、悠は問題無く出現させることが出来ていた。


 悠はその一本を手に取り、近くの草を薙ぎ払う。

 草はその刃に切断され、僅かな時間空中に停止した後に風に舞い散っていく。


 次、空中に浮かぶ剣の一本を別の草に向けて飛ばす。

 刃は何本もの草を貫き停止するが、草は切断されることは無く、まるで時間が停止したように、風に凪ぐこともなく固まっていた。


「……うん」


 悠は、自分の魔法の性質を再確認しながら頷いた。


 悠の魔法――<斯戒の十刃>の能力とは、つまりこうだ。

 その刃は、それ自体が物理的な影響力を持つ訳では無く、あくまでも「その刃が刺さった対象の時間を停止、あるいは遅滞」させるという効力を持つに過ぎない。だが、主である悠の手に触れることで、その刃はその見た目通りの剣としての役割を果たす。

 そして、その手に持つ剣にも時間停滞の効力はあるが、手に触れていない時よりは効果が落ちるようだった。


 更に、その刃の持つ時間停滞の力は周囲の空間にも若干だが作用するようだ。

 複数の剣を束ねて使えば、空間の時間を停滞させることで防御障壁のような効果を得ることも出来た。

 砕けても即座に再召喚が可能であり、同時に十本を存在させることが可能だ。


 攻防一体の、時間停滞の剣。


 これは、相当に戦闘向きな能力だろう。まだまだ伸び代もあるように思える。

 きっと、皆を護る大きな力になるはずだ。


 ただし、一つ難点があった。


 悠には魔法の他にも魔術ゼノグラシアがある。

 敵の攻撃を防ぐ障壁の生成魔術だ。

 それを行使しようとして――


「くっ……」


 悠は、眩暈と共にそれを諦めた。

 これ以上続けたら、気絶して倒れそうだ。


「やっぱり、無理か……」


 魔法と魔術を、同時に扱えないのだ。

 正確には魔術の発動の感覚はあるのだが、それを成すまでに悠が負担に耐えられないのである。

 これはルルからの忠告されていたことであるが、魔法と魔術を同時に扱うことはかなりの高等技術であり、焦って挑戦しないようにと言われていた。


 あの障壁もなかなかに便利な能力なので、是非とも使いたいのだが……

 そんなことを考えていると、


「……!」


 前方に生い茂る草むらが、急に騒がしくなった。

 まるで何かを掻き分けるような、粗雑乱暴な音。

 それか幾つも聞こえてくる。


 そして、何かが飛び出てくる。


「出た……!」


 異形だ。

 まるで卵のような形状の頭部から、異常に逞しい両の腕が生えている。

 そして、それだけの存在であった。

 異形の有する器官は頭部と腕のみ。肌は異様に艶々としており、卵状の頭部の顏は、異様な笑顔を浮かべていた。

 その腕を忙しなく動かしながら、次々と草むらから飛び出してくる。


 その数、総勢12体。


「多いな……!」


 悠は呻きながらも、両の手に剣を取り、八本の刃を卵の魔族へと飛ばす。

 未熟な悠では、全ての標的に正確な狙いを付けることは不可能であり、まともに命中したのは半分の4本だ。完全な停止には至らないまでも、4体の魔族の動きが異様に遅くなる。


 悠はその隙に、向かってくる魔族のうち4体を切り捨てた。

 剣術は全くの素人であるが、魔法を発現させている影響で大幅に身体能力が向上しており、半ば力押しで魔族を駆逐していく。


 そして魔族の動きを縛っていた刃が砕け、残り4体も動きを取り戻すも――その直後に、悠の刃が全てを切り捨てていた。


 だが、4体の魔族が悠を抜いて、後方にいる仲間達へと向かっていく。

 馬鹿げた姿の異形であるが、その動きは意外にも素早い。まるで地面を跳ねるようにして、魔族は肉食獣のような勢いで駆けて行く。


「くっ……」


 悠は、自分の不甲斐なさに呻きながらも後を追う。

 あちらにはルルと冬馬がいるが、彼等の場所に辿り着く前に全滅させてしまうのが理想だろう。

 悠は、防御を完全にかなぐり捨て、捨身で魔族に追い縋ろうと駆け出した。


 悠は次第に魔族との距離を詰め、十刃の射程圏内に捉えようとする。

 しかし、同時に集まっている皆の姿も見えてきた。

 焦燥が悠の胸を焦がす。


 駆け付けた朱音が、横から魔族の一体を蹴り倒した。


 残り3体。

 魔族は非戦闘員との距離をみるみる詰めていく。


 だが――


「あっ」


 疾風が、3体の魔族を穿った。

 その顔面を打ち砕かれた魔族は、紫の塵となりながら、倒れ伏す。


 その先にいるのは、弓を構えたルルだった。

 彼女は悠の姿を認めると、柔らかに微笑みながら優雅に一礼した。

 ルルの周囲から、黄色い声が上がる。


 大した命中精度である。

 もしかしたら彼女一人でも対応可能だったのではないだろうか。


「……やっぱりすごいなあ」


 この様子なら、下位魔族程度は問題なさそうだ。

 悠は皆に手を振って無事を伝え、再び哨戒へと戻って行った。






「ははははははは!」


 魔界の平原に、粕谷京介の哄笑が響く。 

 魔族の死骸と紫の血飛沫、そしてそれらが塵と帰すなかに、鋼の蟷螂かまきりが屹立していた。


 粕谷京介の魔法ゼノスフィア、<機甲蟷螂ハウル・シザース>。

 紅の複眼が、無機質な悪意を宿しながら殺戮を繰り返している。その絶叫を上げる大鎌が振るわれるたびに、魔族の異形は易々と両断されて骸を化していた。


 時折、<機甲蟷螂>の猛攻を抜けた魔族がその装甲に攻撃を仕掛けるが、傷一つ付けることすら叶わない。


 圧倒的な戦力差。魔界の平原は戦場ではなくただの屠殺場と化していた。

 やがて、この場の魔族は全滅し、そこには鋼の蟷螂と粕谷だけが残される。


「ははっ……この程度かよ、雑魚が」  


 あまりに手応えが無い。

 拍子抜けもいいところであり、落胆すら覚えるほどであった。


「いや、俺が強過ぎるのか……?」


 粕谷は、<機甲蟷螂>の装甲を撫でながら上擦った声を漏らす。

 己の魔法の圧倒的な戦力に、昂りを抑えられなかった。


 これほどの力である。あるいは、自身こそが異界兵の中で最強なのかもしれない。

 あのいけ好かない武田省吾。奴は異界兵でも最強クラスの一人と目されているようだが、殴るしか能が無いあの男よりも、自分のこの能力の方がよほど強力ではないか。

 そして当然、あの神護悠よりも強いはずだ。あんなひょろひょろした女顔が扱う薄っぺらい剣が、いったい何だというのだ。


「くくっ……」


 もっと力に慣れ、あるいは力を伸ばしてから行動に移ろうと思っていた。

 だが、案外今すぐに動いても問題ないのかもしれない。


 ……この力で、まずは異界兵の頂点に君臨するのだ。

 そして華々しい戦果を上げ、更なる高みを目指す。まずはこの帝国でのし上がるとしよう。皇帝は自分と同じぐらいの少女だと聞く。自分の女にしてしまえば、この帝国は自分のものという訳だ。

 そのためには、誰が最強かを知らしめなければならない。

 他の第三位階を屈服させ、己の配下にし、あるいは排除する必要がある。 


 さて、どうしたものか――そんなことを考えている時だった。


「……おい、1年」


 ぼそぼそとした、陰気な声が粕谷の耳に届く。


「……あん?」 


 怪訝に眉をひそめて振り向くと、一人の少年が立っていた。


 上背はあるがひょろりとした、痩躯の少年だ。半ば病的といってもいい痩せ具合であり、頬は少しこけている。落ち窪んだぎょろりとした眼が、陰湿な視線を粕谷に向けていた。

 言葉から察するに、粕谷より年上なのだろう。


 いかにも不健康そうなその姿には、微塵の覇気も感じられない。

 率直に言って、弱そうだった。あの神護悠の方がまだ強そうな気すらしてくる。


「何だよ、てめぇ」


「……朽木十郎くちき じゅうろう、3年だ」


「はっ」


 朽木……その見目に相応しい名だと、粕谷は鼻で笑う。

 朽木はそれを気にした風もなく、相変わらずの陰気で声で語りかけた。


「……ここは俺の縄張りだ。俺の獲物を勝手に奪うな」


「縄張りだぁ?」


 そういえば、斉藤和樹がそんなことを言っていた気がする。

 成果の奪い合いにならないように、魔族が大量に湧いてくるうちはあまり自分達が転移された場所から大きく動くべきではないと。 


(……ん? 朽木……確か)


 斉藤は何やら駆けずり回って情報を集めていたらしく、その中に朽木という名前があったことをおもいだした。

 確か、武田省吾と並ぶ第三位階の実力者である、と。


 ……それがどうした。

 縄張りも、朽木が何者かもどうでもいい。そんなせせこましいこと考えて上など目指せるものか。

 むしろ上位の実力者が出てきたことは好都合。ここで自分の実力を示す絶好の機会だ。


 粕谷は、挑発的な笑みを浮かべながら朽木を見下ろした。


「知るかよ、文句があるなら実力で何とかするんだな」


 粕谷の言葉に応じて、<機甲蟷螂>の赤い複眼に剣呑な兇気が宿る。

 その大鎌が痩躯の少年に向けられて、甲高い鳴き声を上げていた。


「……そうか」


 朽木はぼそりと言い。


 その魔法ゼノスフィアが具象した――






 ……それは、幾回かの魔族の襲撃を退けた直後のことだった。


「……おや?」


 違和感が悠を襲う。


 何か、臭う。

 周囲に漂うのは草の香りであって、特別な臭気が漂ってくる訳ではないのだが、悠の何らかの感覚が、違和感を訴えていた。


 悠は、魔族へと注意を払いながらその場所を探っていく。


 周囲はどこまでも草原が広がっており、あるのは草木と土の地面だけだ。

 どうやら違和感の正体は、地面の中にあるようだった。悠の感じている違和感が、より強烈に其処から感じられた。

 悠は慎重に周囲を警戒しながら地面にしゃがみ込み、地面を掘ってみる。


 掘って、掘って――10cmほど掘り進めた辺りで、何か堅い感触が指に伝わる。

 石か何かでも当たったのだろうか、悠はそう思いながらも土を掻き分けて、その正体を目にする。


「あ……」


 全体的に薄紫がかった石が、そこにあった。

 その紫の正体は、その石に無数に走る、紫色の線だ。その線が、薄く脈動するように光を発している。


 魔石。

 それは、ベアトリスが先日見せていた、あの鉱物だった。


 周囲の土を除けてみると、その石はかなりの大きさがあるようだった。


「やった……!」


 悠は、顏を綻ばせる。

 これは、結構な成果などではないだろうか。

 とりあえず一人では無理だ、皆に協力してもらおう。


 悠は、大きく手を振って、後方のクラスメートを呼び寄せた。

 

 悠の姿に気付いた皆が到着したのはそれから数分を要してのことであり、地面に埋まった魔石を見ながら、皆は息を飲んでいた。

 特に驚いていたのは、ルルである。


「これは……かなりの大物ですね。魔界化の際に魔石が生成されることがあるのですが、これほど大きなものが生成されることは非常に珍しいです。価値も相当なものになるかと」


 ルルの言葉に、皆が一斉に湧く。


「なあ、とりあえず全部見えるまで掘ってみようぜ! まだ地面に埋まってる部分あるみたいだしよ!」


 クラスメートの一人の言葉に、それまで仕事の無かった皆が張り切って地面を掘り始めた。

 悠や、ルル、朱音といったメンバーは、その周りで警戒を行っている。


「……ユウ様、一体どうやって見つけられたのですか?」


 ルルは、惜しみない賞賛の目を悠に向けながら問うてきた。

 悠は、照れ臭さに頬を掻きながら、


「……何となく、そこに何かありそうな臭いというか、気配というか……そんな感じがあって、掘ってみたんだけど」


 そんな悠の言葉に、ルルは怪訝な表情を浮かべ首を傾げた。


「……おかしいですね、魔石は何の臭いや反応も外界に示さず、それ故に発見が難しいものなのですけど」


「……え、そうなの? でも……」


 悠は、クラスの皆の手によってその全貌を現していく巨大魔石を見ながら、


「やっぱり、何か違和感みたいのあるんだけど……」


 その気配は、先程より遥かに濃厚なものとなっていた。

 正直、あまり愉快な感覚ではない。胸やけがしそうだ。


 そんな悠の言葉に、ルルは難しい顏をしながら口元に手を当てていた。

 何か、考え事をしているのだろうか。


「お、おい……」


 魔石を掘り返していたクラスメートの一人が、困り果てたような声を上げる。

 どうしたのかと悠が振り向くと、


「こ、これ……どこまで掘ればいいんだ?」


 皆は、悠の掘った範囲の何倍もの面積を掘り起こしている。


 ……魔石は、まだその全貌を顕していなかった。






 最早、悠達の手に負える大きさではなく、ルルの提案でベアトリスに連絡を取った。

 見たままを正直に伝えると、彼女は信じられないといった言葉を漏らしつつも、悠達に待機を命じた。


 20分程の時間を要し、ベアトリスとその部下達が到着する。

 彼女もまた悠達のような戦闘服を着込んでいたが、若干その拵えは異なっている。外装的な装備も多く、中世の鎧騎士を思わせるような出で立ちであった。


 ベアトリスは、悠達の傍の魔石を見ると、驚愕に目を見開いた。

 空気に晒されている魔石は、既に大人数人分ほどの大きさにもなっている。


「何だ、これは……!」


 まるで、失われた海賊の財宝でも見つけたような驚きっぷりだ。

 ベアトリスは、その表情のまま悠を見遣った。

 その目は、未だに現実だと信じられないとでも言っているように見えた。


 貴重な魔石であることは分かったが、そこまで驚愕するほどなのだろうか。


「ユウ・カミモリ。これを発見したのは貴公だな?」


「あ、はい」


 ベアトリスは、しゃがみ込み、魔石の表面を撫でる。

 まるでそれが夢ではなく現実ものだと慎重に確認しているように見えた。


「これほどの魔石、恐らく数十年に1度見つかるかどうかの逸材だろう」


 ベアトリスは悠に振り向き、微笑みながら力強く頷いた。


「大手柄だ。ユウ・カミモリ。報酬は期待して良いぞ。他の皆にも、何らかの評価はあるはずだ」


 周囲から、喜びの声が上がる。

 当の悠は、何と反応していいか分からず、皆から頭を撫でられたり抱き付かれたりして揉みくちゃにされながら、困ったような笑いを浮かべていた。

 

 その後、悠が総数50体ほどの魔族を斃したところで魔界化は解除され、悠達の二回目の実戦は終わりを告げる。

 悠達は、特に犠牲者を出すことも無くその日を終えることが出来た。

 これは悠にとって、そして他の皆にとっても大きな自信となっただろう。

 自分が大手柄を上げたという実感は、まだこの時点では無かった。





 その次の日、悠達の下に魔道省の職員を名乗る男が現れる。

 彼は部下を引き連れ、悠の部屋に5つほどの大きなケースを置いて行った。

 中身は、ケースいっぱいに詰められた大量の紙幣だ。


 苦労しながらルルと一緒に数えてみると、その額は玲子からこれぐらいは稼いで欲しいと言われれた額の、100倍超もの額だった。

 ルルは、個人が少なくとも1年間は放蕩しながら生活できる金額だと教えてくれた。


 その時になってようやく自分が大手柄を上げた実感を得た悠は、思わずルルに抱き付き喜びの声を上げたのだった。

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