表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/136

第4話 ―女騎士―

 悠達は、魔道省施設内の講義室へと足を踏み入れた。

 石造りの教室のような室内。周囲の壁には、相変わらず帝国の兵士が配され、感情の見えない視線で異界の住人である悠達を見張っている。


 粕谷とその取り巻きは、既に室内後方の真ん中の座席に陣取っていた。


 ……ティオは、粕谷の腕の中に抱かれている。

 その大きな瞳に、明らかな怯えを湛えながら。


 ティオの目線がこちらに向けられ、悠は小さく笑みを浮かべながら頷いた。

 僅か――粕谷に気取られないほんの僅かであるが、ティオの頭が少し動く。頷き返してくれたのではないだろうか。悠はそう受け取った。


「……なんだ、てめぇ。何か用かよ、モヤシ」


 そんな悠を、粕谷が悪意も露わに睨んだ。

 それは、地球の頃よりもより濃度を増しているような気すらしてくる。


 朱音が小さく舌打ちするが、今は堪えたようだ。

 口を開けば我慢できないと思っているのだろうか、その口元はいつも以上にへの字に引き締められ、むっつりと黙っていた。


「……何でもないよ。ごめんね、粕谷君」


 悠は、波風を立てないように、愛想の良い笑みを浮かべながら対応した。

 粕谷は悠を嘲笑うように声を漏らしながら、その視線を悠の隣へと流す。

 そこには、ルルがいる。

 粕谷の目に、好色そうな光が宿った気がした。唇を舌で舐めながら、まるで舐めつけるようにルルの肢体を眺めていた。

 ルルはそれを察しているようだが、素知らぬ顔である。


「はっ、群れなきゃ戦えねぇ雑魚共が。とっとと死ねよ神護、お前の奴隷は俺が貰ってやるからよ」


「ははは……頑張るよ」


 悠は苦笑を浮かべながらも、粕谷達より前方の席へと座り、他の皆も次々に着席していった。

 後は、帝国側の担当者を待つだけだ。


 講義室に取り付けられた大き目の針時計には、1から24の数字が配置されている。

 ルルとの会話でも感じたことだが、この世界では「昼の何時」や「夜の何時」といった概念が無いらしい。

 しかし、違う星であろう地球とこの世界の1日の時間がほぼ同じというのは、奇跡の一致と言えるだろう。同じく生命が育ち発展したという稀有な共通点はあるが、それでも天文学的な確率なのではないだろうか。何か神秘的なものを感じずにはいられない。


 ……いや、そもそもこの世界は“星”なのだろうか。

 異世界だと言うのなら、地球の物理法則の常識に当て嵌めて考えること自体が不適切かもしれない。何せ、月の満ち欠けが存在しない世界である。案外、天動説の世界だったりする可能性もあるだろう。

 玲子の言った通り、悠達にはこの世界のことを知らな過ぎる。色々と調べ、学んでいくべきだろう。


 殆ど外界を知らずに育った悠の好奇心は、人並み以上に旺盛である。

 知らない知識を得られるということに、悠の心は少なからず昂揚して踊っていた。


 時計の短針が、予定時刻ちょうどを指し示した。

 時刻は朝の10時である。


 同時、部屋の奥の扉が開く。

 

 ラウロが出てくるのだろうか。

 あの研究所を思い出す目をしたあの男に、悠は出来るだけ会いたく無かった。


 しかし、出て来たのは一人の女性であり、悠の心配は杞憂に終わる。


 歳は20歳を過ぎる頃だろうか、金髪碧眼の、生真面目そうな鋭い顔立ちの女性である。

 すらりとした肢体を包む帝国の黒い軍服がとても似合っており、腰に下げている長剣から、悠は「女騎士」という言葉を即座にイメージした。


 率直に表現すればきつめであるが綺麗な人であり、身構えていたクラスメートの男子の幾人かが小さく息を飲む気配があった。


 彼女は、風切るような堂々とした足取りで教壇に立つ。

 その場の皆を見渡し――わずかに、表情を曇らせた。

 その視線の先には、


(……ティオ?)


 彼女を見ているような気がした。

 ティオは、粕谷に抱き寄せられながら表情をこわばらせていたが、彼女もまた、女騎士を見上げている。


「…………」

「…………」


 二人とも、複雑そうな表情を浮かべていた。

 知り合いなのだろうか?

 亜人の奴隷と、帝国の女騎士。接点がありそうにも思えないのだが。


 やがて、女騎士は小さく咳払いをして口を開いた。


わたしは、ベアトリス・アルドシュタインである。貴公らの統括を行う任を受けた帝国騎士の一人だ」


 朗々とした、良く通る澄み切った声だった。

 恐らくこういった行為は慣れているのだろう、その立居振舞には堂々としたものがある。


 その自己紹介の仕方は、彼女と同じような立場の者が複数いることを予想させるものだった。


「まず最初に、言っておかなければならないことがある」


 その瞳は、実直で誠実な眼差しであるように、悠には思えた。

 少なくとも、昨日のラウロの眼が湛えていたあの陰湿な眼光とは似ても似つかないものであることは確かだ。


「我々帝国が、貴公らにあまりに理不尽な境遇を強いていることは重々承知している。真に申し訳なく思うし、それを許している我が身の不甲斐なさも恥じ入るばかりだ。

 ……本当に、すまない」


 ベアトリスが口にしたのは、意外にも謝罪の言葉であった。


 悠も、他の皆もその予想外の発言に目を丸くしている。隣のルルは、興味深いものを見るような目をベアトリスに向けていた。


「……あの人って、フォーゼ人ですか?」


 悠は、隣のルルに小声で問う。

 帝国の主民族であるフォーゼ人は他人種を見下していると聞く。しかしベアトリスの態度は、あくまで悠達を人間として扱っているものだ。


「そうですよ。ベアトリス様は帝都でも有名人です。帝国最強の剣士と名高い第三位階の魔道師です」


 ルルは、あっさりと首肯した。

 つまり、ベアトリスはフォーゼ人でも変わり者だということだろうか。


「悪いと思うなら、皆を蘇生させて地球に帰してよ」


 朱音がそんな声を上げた。

 ベアトリスの謝罪を、彼女は不機嫌そうな表情で受け止めている。

 謝るぐらいならば、こんな真似をするな――朱音の心情としては、そんなところだろうか。


 別に彼女も本気で言っている訳ではないのだろう。

 彼女の表情は、単に文句の一つも言わずにはいられなかった、そんな感じに見えた。

 恐らくベアトリスもそのような要求を呑める立場にはいないのではないだろうか。


 しかし他の皆は朱音に続き、次々と抗議の声を上げていた。

 「ふざけるな」「人でなし」「偽善者」などと言った言葉がベアトリスにぶつけられる。

 それは悠達の立場からすれば真っ当な糾弾であり、それを理解しているからなのか、ベアトリスは僅かに眉根を寄せ口元を噛み締めながら、黙って受け止めていた。


 その姿を哀れだと思ってしまうのは、朱音が言うようにお人好しに過ぎるのだろうか。

 

「……ねえ、皆!」


 悠は、努めて大きく声を張り上げる。

 声が女の子みたいに裏返ってしまった。恥ずかしい。

 しかし、感情的な声に満たされつつあった場は一先ずは治まり、静かになった。

 皆の注目が悠に集まり、僅かな喉の震えを感じた。


「と、とと……とりあえずさ、この場でそんなこと言っても始まらないし、まずは話を聞こうよ……ね?」


 皆も、理性ではそんなことは分かっているはずだ。

 ただ、感情のぶつけ処が欲しかったのだろう。

 ラウロはまともに取り合わなかっただろうし、ルルは奴隷である。となれば殊勝な態度を取るベアトリスは、あまりにも格好の相手であった。


「……そうだな」


 皆は、不承不承ながらも口を閉ざしていく。

 冬馬が、罰が悪そうに頭を掻いていた。

 後ろで粕谷が不機嫌そうに舌打ちする気配があり、何か言われるのではと警戒していたが、それ以上の言葉は来なかった。


 ベアトリスは場が静まったのを確認し、安堵と罪悪感の入り混じったような表情を浮かべている。


「……すまないな、ユウ・カミモリ。では、私から貴公らのこれからの生活の仕組みについて説明させてもらう。非常に重要は話だ、良く聞いてくれ!」


 そして、ベアトリスは悠達が帝国で生活していくためのシステムについて語り始めた。

 同時に、皆に書類のような紙束が回されて来る。

 その内容は、概ね玲子達から事前に聞いていた通りであった。






「――貴公らには、その魔道の素養を活かして魔界での活動に従事して貰う。

 そこでの成果に応じて、給付される額が決定される」


 周囲の――特に第一位階の戦闘力の無いメンバーは、青い顔をしながら話を聞いている。


「ではその成果だが、2種類に大別される。まずは一つ目」


 ベアトリスは、後ろの壁に映像を投射した。

 ルルが、悠と朱音に講義をした時に用いたものと同じ装置である。

 ……あの時は、ティオが助手として一生懸命に働いていた。


 映し出された映像は、あの森で遭遇した人蜘蛛や球体の魔族だった。

 当時の恐怖を思い出したのか、幾人かが引き攣った声を漏らす。


「魔族の駆逐、あるいは情報の収集だ。対象となった魔族の数と質に応じて、魔道省が算出することとなる」


 あの森での皆の働きは、一体どれほどの金銭に換算される程度のものだったのだろう。

 相当な額が出なければ、到底割に合うとは思えない。


「この映像のような下位魔族であれば、駆逐は難しくもないだろう。しかし、貴公らが遭遇したであろう中位魔族のような強力な個体に遭遇した場合は、無理をせず撤退しながら情報を集めることを強く推奨する。あれは第二位階では対処が極めて困難な相手だ」


 あの森での戦いを思い出す。

 あの魔竜に対抗できた第二位階は、ルルだけであった。

 恐らく熟練度の低い異界兵では第三位階の力が無ければ勝つことは困難だ。


 しかし、あれで“中位”なのかと、悠は陰鬱な気分に襲われた。

 では、“上位”とされる魔族は、一体どれほどの力を有しているのだろう。

 玲子達は、遭遇したことがあるのだろうか。

 遭遇したとして、悠は皆を護ることが出来るのだろうか。


「なあ、殺れるなら殺っちまってもいいんだろ?」


 粕谷が、不安に襲われている悠とは正反対の自信満々な態度で問いかける。

 ベアトリスは、彼の顏を見て、


「……キョウスケ・カスヤ。そうか、貴公は第三位階だったな。確かに駆逐できれば最上だが、絶対に油断はするな。魔界では何が起こるか分からん」


 そんなベアトリスの忠告の言葉を、粕谷は鬱陶しそうに手を振って遮った。

 自分が負ける訳がない。

 そんな自負がありありと見える態度である。


「……ばーか」


 隣の朱音が、粕谷に白い目を向けながら小さく呟いた。


 ……玲子の言っていた可能性も現実のものとなるかもしれない。

 確かにそうなればティオを救えるチャンスなのだが、やはりそれを期待することは躊躇われた。


「そして二つ目だ。

 ……これを見てくれ」


 そう言いながらベアトリスが取り出したのは、一つの石のような物体だ。


 その質感は鉱物に見えるのだが、どこか全体的に薄紫がかっている。

 よく見れば、その石には無数の紫の線が血管のように無数に走っており、しかも薄く脈動するように光を発していた。

 それは、あの魔界の中を思わせる様相である。


「これは、魔石という。魔道装置の素材や燃料になる鉱石だ。魔道の文明を支える上で必要不可欠な資源であり、魔道大国である我が帝国においては需要が高い。基本的に自然界で見つけることは困難な、希少資源だ」


 魔石。

 確かにあの鉱物は、その名に相応しい雰囲気がある。


「しかし、魔界内においては比較的容易に発見が可能だ。

 これを発見し次第、収集して欲しい。これも質や量に応じて魔道省が算出することとなる。

 魔族の駆逐に比べれば評価は低いが、戦闘力の無い者にとっては唯一の手段と言えるだろう。ただし、魔界内は魔族の巣窟であることを忘れないでくれ」


 玲子は、第一位階の者が成果らしい成果を上げることはほぼ無理だと言っていた。

 つまり、これも決して簡単なことではないのだろう。

 魔族の脅威を退けながらでないと、収集も困難なのではないだろうか。


「何かのゲームみたいだな」


 冬馬の呟きに、悠は頷いた。

 怪物の徘徊する空間での戦闘と収集。ゲームの設定だと思えば実に有りそうな話だ。

 しかし、それが現実であり、悠達が行わなければならない命懸けの仕事なのだ。


「では、その戦場である魔界についてだが――」


 ベアトリスの背後の映像が切り替わり、穴の断面図のようなイラストが表示されている。

 その穴は、4つの階層に分けられているようだった。

 彼女は、その1番上を指し示しながら、


「貴公らに動いて貰うのは、主としてこの第一界層“活動界アッシャー”だ。

 魔族も原則として下位魔族しか現れないし、第一位階の者であれば活動することが出来る、魔界内では比較的安全な領域と言える。

 判別方法としては、物理世界との差異が空にしか現れていなければ第一界層と思って良い」


 次に、ベアトリスはその一つ下の階層を指し示した。


「しかし、第一界層から、この第二界層“形成界イェツィラー”に堕ちる事がある。

 先日、貴公らが経験した出来事がそれだ。あれほどの短時間で発生したことは極めて不運だったと思って良い。空の異常が地上にも現れれば第二界層だ」


 悠や朱音にとってはルルから教えられたことの復習のようなものだが、周囲の皆は真剣な顔で聞いていた。 


「第二界層は、中位魔族の活動領域だ。当然ながら危険度は跳ね上がり、更には極めて重度の魔素により、第一位階の者は中毒症状を起こし、ほぼ行動不能となる。心当たりはあるな?」


 綾花を含む数人が唾を飲み込んだ気配がある。

 あの時の苦悶を思い出したのだろう。


「あらかじめ第二界層だと分かっている場合は、第一位階の者を出すような真似はしないので安心してくれ」


 不安げにしていた綾花達が、安堵の表情を見せた。

 ただ、同時にそれは第一位階が成果を得られるチャンスがますます少なくなるということだろう。

 その分、悠達が活躍する必要ある。


「貴公らが行動する可能性があるのは、この第一から第二の界層となる。

 第三界層“創造界ブリアー”からは、自分から入らなければ侵入はできんし、現状の我々の戦力では力不足だ」


 そして、ベアトリスは背後の映像を消し、皆の姿を見渡した。


「――今回の説明は以上となる。

 何か、質問はあるか?」


 質問は、ある。

 悠は、若干の緊張と共に手を上げた。


「……ユウ・カミモリか。何だ?」


 それは、今朝の玲子達との会話で疑問に思っていたことだった。

 悠はその内容を頭の中で整理しながら、言葉としていく。


「あ、あの……ですね。そういう仕組みだと、手柄を奪い合って仲間割れとか起こっちゃうと思うんです。 ……何とか、ならないんでしょうか」


 後ろで、粕谷が大きく舌打ちする音が聞こえる。

 余計なことを言うなとでも言いたげな調子だ。


 ベアトリスは、悠の質問を受け、悠の瞳を真っ直ぐ見ながらしばし口を閉ざしていた。

 そして少し目を伏せ、躊躇いがちに語る。


「……その疑問も要望ももっともだ。良い思慮をしているな、貴公は。だが、すまん……これは魔道省の上層部で決定されたことであり、私には教える権限が無い。だから、同郷の者同士、どうか協力し合って欲しい」


 そう言いながら皆を見つめるベアトリスの蒼い瞳には、切なる希望が込められている気がした。

 どうか頼む、争わないでくれと、切実に訴えているような気がした。

 

 そうして、ベアトリス・アルドシュタインによる説明会は終わりを迎えた。






 時刻は既に12時を回っていた。

 昼時に、また食堂で玲子達と待ち合わせることになっているが、行くのは悠とルル、朱音や冬馬や第二位階以上のメンバーだけである。

 他の皆は、まだ講義室に残っていた。


 ベアトリスが自分の空いた時間で、第一位階の者が少しでも第二位階に上がれる可能性が出るように、魔道の理論の講義を始めると言ったのだ。

 悠達のように才能があれば感覚のみで到達することも可能だが、理屈を理解することで第二位階へ到達する事もあるらしい。

 第一位階の皆は、一も二も無く了承していた。自分や仲間の命がかかっているのだから当然だろう。


 ベアトリスは、少しでも皆が生き残れる可能性を上げようとしてくれている。

 帝国人ということで怪訝な目を向ける者も多いが、悠は彼女のことを嫌いになれなかった。


 帝国人側も、悠達を無視しようとしているような節があるが、もっと彼等とコミュニケーションを取ってみても良いのかもしれない。

 ラウロやギメールのような男ばかりとも限らないだろう。

 悠は、ベアトリスという女性を見てそういう感想を抱いていた。


 そんなことを考えながら注意力散漫に歩いていると、誰かにぶつかる衝撃があった。


「あつっ!?」

「むきゃっ!?」


 悠は後ろのルルに支えられたが、相手は悲鳴を上げながら転んでしまった。


 悠の目の前で尻餅を突いているのは。小柄な人物であった。

 外套のようなものを着て顏は見えないが、悠より背が低い。子供だろうか。


 悠は慌てて手を差し伸べた。


「あっ……ご、ごめんなさい! 大丈夫?」


 小柄な人物は、顏を上げる。


 少女だ。

 まだ12,3歳頃に見えた。

 彼女は涙目になりながら、きっと悠を睨んでいる。


「うぅー……こんな所で余所見などするでない! 以後気を付けるのじゃ!」


 何やら、聞きなれない言葉遣いだ。

 彼女の言葉は日本語に変換されて聞こえている訳だが、フォーゼ語でも似たようなニュアンスで話しているということだろうか。

 お姫様とか、その辺りの人物が使いそうな言葉遣いに聞こえる。


 ……もっとも、そんな高貴な人物はここに現れる訳もないだろう。


 悠は、その子の手を取って助け起こした。


「本当にごめんね。怪我とかしてないかな?」


 悠は、彼女の顏を覗き込みその身を心配した。

 しかし助け起こした時の動作から見れば、恐らくは大丈夫だろう。


 少女は、えへんと薄い胸を張り、


わらわはこんなことで怪我をするほど柔ではないのじゃ」


 そう言いながら、悠達の顏を見て怪訝な顏をした。

 その表情が、次第にどんよりと湿ったものへと変わっていく。

 やはりどこか痛むのだろうか。


「……お主ら、異界兵の者かの?」


 異界兵。

 地球人の、この帝国での呼び名だ。

 その呼び方に、後ろの朱音が不満そうに鼻を鳴らした。


 悠は、曖昧な表情で頷く。


「うん、そうだよ」


「……そうか」


 少女は、何故か酷く落ち込んでいるように見えた。

 フォーゼ人ではないと知り、嫌われてしまったのだろうか。

 せっかくのコミュニケーションのチャンスだと思っていたが、やはり帝国人と悠達では溝が深いのか――そう思っていると、少女が顏を上げる。


「……いや、よいのじゃ。すまなかったの。なあ、お主。ベアトリス・アルドシュタインを知らんかのう?」


 その表情は、とても心細そうに見えた。

 彼女の縁者なのだろうか。妹なのかもしれない。


「ああ――」


 ――彼女ならすぐそこの部屋の中にいるよ。

 そう言おうする前に、講義室の扉が開いた。


「――何事だ、騒々しい。このような場所で」


 扉から顏を出したベアトリスは、口を開いたまま硬直していた。

 彼女の目は、悠の目の前の小さな少女に注がれている。

 まるで珍獣でも発見したような、意外という感情をそのまま表現したような、隙だらけの表情だった。


「へいか……?」


 ベアトリスが呟く。


 へいか。

 兵科。

 兵家。

 ……陛下?


 この帝国という国家において、そのような呼ばれ方をされる可能性のある人物は、ただ一人だろう。

 悠は、少女を見下ろしながら呆然と呟く。

 

「……皇帝?」


 ベアトリスの顔が、一気に青ざめた。

 一方で、少女の表情がぱっと輝く。


「おお! ベア――トぉ!?」


 ベアトリスが、疾風のごとき勢いで走ってくる。恐らくは、魔道による強化込みの人間離れした速度。

 そのまま、少女をぎゅっと抱きしめた。

 さらに、全く同じスピードで少女を抱えたまま部屋に戻っていく。


 ばたん、と扉が閉められるまでに要した時間は、いったいどれほどだったろうか。

 一陣の風が過ぎ去るようにあっという間のことで、誰も反応できなかった。


「何だったのよ、いったい……」


 悠たちは、呆気にとられて一連の流れを見送っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ