第2話 ―集合―
空は快晴、麗らかな太陽の光が帝城の敷地を照らしていた。
帝城は帝都内の高台に建造されており、帝都の街並みを一望できる景観は素晴らしいが、その敷地内には比較的高低差の強い場所もある。
悠達の宿舎はやや低い土地に建てられていることから、魔道省の施設に入るための近道をするためには、上り坂を歩く必要があった。
元々体力の無い悠には、少々きつい。
「ね、ねえ、朱音……まだ怒ってる?」
悠は、目の前を大股で歩く朱音の背中におずおずと声をかける。
あの時、悠の部屋を訪れた朱音はルルと悠の姿を見るや否や、女の子として形容することが躊躇われるような表情を浮かべ、そして、叫んだ。
凄まじい大音量。
ルルが鮮やかな手際で涙目で唸る朱音を部屋へと引き込み、半裸の二人で興奮する朱音を説得し、今に至る。
「……べつに?」
振り向く朱音の瞳には明らかな不機嫌の色を湛えている。
声に含まれる険の濃度も並々ならぬものがあった。
悠の一歩後ろを歩くルルが、悠の援護を行った。
「アカネ様。先程も申し上げた通り、昨夜の行為は病気の治療のようなもの。ユウ様は拒否なされましたが、苦しむユウ様を見かねて私からお願いしたことです。男女の愛の営みとはまた意味を異にするものなので、どうかご安心ください」
「あ、あんしん……? 安心って!? あたしが何に安心するっていうのよ!?」
ルルの擁護の言葉に、朱音が動揺も露わに噛み付いた。
目が泳ぎ、頬は紅潮し、口元はワナワナと震えている。
明らかに冷静さを欠き、取り乱している。しかも見た事の無い種類の取り乱し方だった。
朱音のそんな様子を見て、ルルは言い返すこと無く、何故か複雑な笑みを漏らす。
それは困ったような、それでいてどこか微笑ましく感じているような、そんな笑みに見えた。
やはり朱音は怒っているのだろうか。
悠がルルを抱いたという事実は間違いなく、悠が奴隷のルルを性欲の捌け口にしたと思われても仕方は無い。同じ女性としては、嫌悪感を抱くのも無理はない。
現状、悠は朱音のたった一人の友達だからして、悠に裏切られたと、そう感じているのかもしれない。
「朱音……ごめんね」
だから悠は、朱音に率直に謝罪した。
言い訳をしても仕方が無い。
ただ、とても申し訳ないと思っていると、朱音に伝えたかった。
「だから、あたしに謝らないでよっ……! 何とも思ってないんだからっ!」
なのに何故か、朱音はそんなことを言う。
一体、どうすれば良いのだろうか。
悠の表情が困り果てたものに変わる。
朱音は悠の顏を見て、耳まで真っ赤にしながら前を向いた。
「その……仕方なかったっていうのは分かったわよ。ただ、ああいうの見たの初めてだから、ちょっとびっくりしてるだけ」
朱音は感情を抑えたような、抑揚のない声で言葉を続けた。
「本当にあんたに怒ってる訳じゃないから。食堂に着くまでには、落ち着くから……放って置いて」
「……うん、分かった」
そう言われれば、もう黙っているしかない。
朱音の言葉の通りになることを祈るだけだ。
しかし、この上り坂はきつい。
朱音はずんずんと進んでいくようだが、体力の無い悠にとっては一苦労だ。
ましてや昨夜、あんな激しい運動をした後なのだ。行為は夜深くまで続き、悠は寝不足であった。
後ろを見れば、ルルも平気な顏をして歩いていた。
目が合い、小さな笑みで応えてくれる。
悠は、昨夜のルルの、汗の浮いた白い肌や蕩けた表情、甘い声を思い出し、赤面しながら前を向いた。
自分もかなりあられもない表情や声を漏らしていたはずであり、あまりの恥ずかしさに思わず叫びたい衝動に駆り立てられた。
疲れて寝不足なのはルルも同様ははずであるが、彼女は微塵もそれを見せていない。
思えば、行為の最中も疲労困憊の悠と違って彼女には余裕があったように思う。別に悠ばかりが動いていた訳ではないのだけど。
それが経験の差なのか、体力の差なのかは分からなかった。
どちらにせよ、この場の女性二人が涼しい顏をしながら歩き、男の悠だけが疲れを見せているというのは情けない話には違いない。
そんなことを考えているうちに、ようやく石造りの魔道省の施設へと辿り着いた。
何処かの博物館を思わせる、立派な建物だ。
食堂はこの中にあり、皆はもう食事を取っているだろう。
朱音が入口で立ち止まる。
天を仰ぎ、深呼吸をして――振り向いた。
「じゃあ、行くわよ悠、ルル」
その、いつものむっつりとした顏に、悠は内心胸を撫で下ろした。
魔道省の施設内に設けられた大食堂。
ここが、悠達が主として食事を取る場所であった。
魔道省の職員を思しき者も幾人か見られたが人数はまばらで、悠達とは離れた場所でこちらをいないように扱いながら食事を取っている。
朝方のこの時間は、悠達地球の人間が大多数を占めていた。
数十人の少年少女の集団が、食堂の一角に集まっている。
「――よう、おはよう! 遅かったな、悠! 藤堂にルルさんも!」
その集団の中に、悠達の姿を認めて表情を輝かせる少年がいた。
クラスメートの――悠の友達である壬生冬馬だ。
手を振り、こちらを誘っている。
「おはよう……その、と、冬馬」
悠は、壬生――冬馬に、少し照れ臭さを感じながらも挨拶を返す。
世良綾花や柚木澪といった他の――粕谷の取り巻きを除く――クラスメートも揃っており悠達の姿を見て各々に会釈や挨拶をしてくれた。
それは、悠がずっと夢見ていた光景の一つであった。
少し涙ぐみそうになるのを、何とか我慢した。
ここで泣いては、さすがに皆に引かれてしまうだろう。
悠の涙腺はかなり脆い。
映画や漫画などでも、ちょっとしたことで泣いてしまうのだ。
特に、苦難にあった登場人物が救われたり報われたりするようなシーンは鉄板だ。自分と重ね合わせているのかもしれない。
自身の出来事に関しても、辛いことや悲しいことには耐性があるが、どうにも嬉しくて流す涙というものには未だに耐性が出来ない。
こんなにすぐ泣くなんて、全く男らしくない。
悠にとっては、すぐにでも治したい欠点であった。
「おっはよー」
「よう」
「あ、おはようございます。玲子先輩、省吾先輩」
玲子と省吾も、同じく席に座っていた。
ルルは遠慮してるのだろうか、皆から一歩引いた場所で存在感を消している……が、とても目立つ容姿の人なのであまり意味があるとは思えなかった。
その他にも、見慣れない少年少女達が幾人も座っている。
その数は、50人を超えるだろう。
「これで全員って訳じゃないけど、私の提案に乗ってくれた仲間達よ。
まあ、1度に自己紹介しても大変だろうし、今日のところは中心になってる戦闘メンバーだけにましょうか。じゃ、まず伊織ちゃんから行ってみよー」
玲子の言葉に従い、一人の少女が立ち上がった。
小柄だが、どこか強かな佇まいの少女である。長い黒髪をポニーテールにしており、どこかの学校の制服なのだろう、黒いセーラー服を着ている。
その腰に吊り下げられているものは、刀なのだろうか。
確かに剣道少女というイメージが見事に合致しそうな印象はあった。
伊織と呼ばれた少女は、堂の入った一礼を見せる。
悠も慌てて礼を返した。
「島津伊織だ。伊織でよい。歳は16、高校2年。玲子殿からお前の話は聞いている。これからよろしく頼むぞ、神護悠、そして他の皆も」
「あ、はい。よろしくお願いします、伊織先輩。僕も悠って呼んでください」
他の皆も、口々に返事をする。
……何やら時代がかった話し方をする人だ。
しかし、それが妙に違和感を与えない、そんな雰囲気を纏っている少女だった。
「うむ。共に頑張ろう」
と、伊織は静かな笑みを浮かべる。
朱音とは別種の意味で凛とした少女だ。
朱音を炎とするなら、伊織は氷といった感じだろうか。
背は悠よりも小さいが、不思議な存在感のある人である。
――と、思っていた。
伊織が、ちらちらとこちらを見ている。正しくは、隣の朱音だ。更に正確に言うのなら、腕組みする彼女の両腕にたゆんと乗っかっているその豊かな胸の膨らみに向いているような……
玲子が、気楽にくつろぎながら口を開く。
「伊織ちゃーん、そんなに羨ましそうに見てもおっぱい大きくなれないからねー?」
「余計なお世話ばい!」
即座に噛みついた。
聞き慣れない言葉遣い。九州あたりの方言だろうか。
伊織は、「はっ!?」と周囲のぽかんとした様子に気付くと顔を真っ赤にして座り込む。
そのまま、ふるふると震えながら黙り込んだ。
「ご覧の通り、胸にはあまり触れないであげてね?
彼女も悠君、省吾君と同じ第三位階よ。見た目通りのガチ戦闘系。悠君はエース同士、仲良くしてね。 じゃあ、次は――」
そして、10人ばかりの自己紹介が始まった。皆、第二位階の能力を有する戦闘メンバーだ。悠と肩を並べて戦うこともあるだろう。
彼等も、そして今日は自己紹介の無かった他の皆も、悠の仲間なのだ。
今の自分には、友達がいる。仲間がいる。
そう思うと、胸が熱くなるような心地があった。
「――じゃあ、一通り自己紹介も始まった所で、朝ご飯にしましょうか」
「……えっ?」
玲子の発した言葉に、悠は素っ頓狂な声を上げていた。
朱音やルルも、少し驚いていたようだ。
「待っててくれたんですか?」
朱音の問いに、玲子は「ふふん」と胸を逸らしながら、
「だってその方が悠君と朱音ちゃんの好感度アップするでしょー?
どう? 惚れた? ルート入っちゃった? 朱音ちゃんおっぱい揉ませてくれる?」
「……それ言わなきゃアップしてたんじゃないですかね……」
半眼で呻く朱音。
玲子は肩を竦めながら、
「ま、言い出しっぺは冬馬君だけどね。やる事のある皆には先に食べて解散してもらったけど」
「……冬馬」
見ると、冬馬が少し赤くなりながら頬を掻いている。
「あー」と照れ臭そうにしながら、
「まあ、俺らだけのつもりだったんだけど、玲子さんがじゃあ自分もって言い出してな」
「せっかく友達になったんだし、悠君達とも一緒にご飯食べたいよ」
冬馬の隣に座っていた綾花が、おっとりとした笑みを浮かべて彼に続く。
隣の朱音が「と、友達……」と何故か頬を赤らめながら小さく呟いていた。
そんな悠と朱音を、綾花の隣の澪がにやにやと見つめている。
「つーか大袈裟過ぎ。さっさと食べちゃおうよ」
それは、友として些細な気遣いだったのだろう。
だが、それは友達が出来たという事実を、悠に再び実感させるものだった。
その実感は、胸に染み渡るように心を震わせる。
いけない、少し泣きそうだ。
悠は、何とか自分の情けない表情を誤魔化そうと、精一杯の笑顔を皆に向けた。
本当に嬉しいと、その気持ちが皆に伝わるような満面の笑顔だ。
「……ありがとう、本当に嬉しいよ」
「…………」
新しい仲間の皆が、悠の顏を物言わずにじっと見つめていた。
正確には、主に女子の視線が集中しており、男子は何故か赤面している。
……何か、失言があったのだろうか。
そんなことを考えていると、
「うふふふふふふふ! ほら皆、私の言った通りでしょ? 天使でしょ? これでアレが付いてるのよ、信じられる? ねえねえ悠君、ちょっと見せ――ふぎゅ!」
「飯時に何の話してやがるこの馬鹿……!」
立ち上がり、両手を広げ高らかに叫んだ玲子を省吾が無理矢理座らせた。
彼は尚もじたばたと暴れる玲子を抑えながら、
「あー……とにかく、とっとと食おうや。俺もいい加減に腹が減ったところだ」
皆も口々に同意の声を上げ、配膳所へと向おう立ち上がりかけたところで――
「え……?」
悠は、一人の少女の姿を見付けた。
小柄で金髪の、耳長の少女。
その愛らしい顔立ちは、悠の見覚えのある顔である。
「……ティオ!」
あのメドレアの空中庭園で出会った、森人の少女がいた。
悠は勢いよく立ち上がり、彼女の名を呼びながら駈け寄っていく。
ティオは、びくりと肩を震わせてこちらに顔を向けた。
「あ……ユウ様……」
その顔は、紛れも無くあの優しく勇敢な少女のものである。
だが、悠は強烈な違和感を感じていた。
……酷い顔である。
メドレアで悠に見せてくれた朗らかな空気は微塵も無い。目には隈ができており、ひどく充血している。どことなくやつれているようにも見えた。
色濃い疲労と憔悴の様子が見て取れ、陰鬱とした表情を浮かべている。
その顔が、悠達の姿を見てわずかに綻んだ。
「おはよう、ございマス」
その声にも力が無く、鈴を鳴らすような可愛らしい声は今は掠れていた。
彼女の身に何かがあったことは明らかである。
「ティオ……また会えて嬉しいけど、でも、どうして? それに……何かあったの?」
「どうしたのよ……!?」
朱音とルルも、悠に続いてティオに駈け寄る。
揃って彼女の姿に顔をしかめていた。
「アカネ様にルルさんも、おはようございマス。わたしは昨日の夜から、キョウスケ・カスヤ様の世話役として使われることになりましタ」
「――――」
悠は、眩暈を覚えた。
粕谷京介の名と、ティオの痛ましい姿。昨夜、彼女がロクな目に遭わなかったことは容易に想像ができる。自分とルルが肌を合わせていた、あの夜に。
愕然として言葉を失う悠とは対照的に、朱音は激しく憤った様子でルルに食いかかった。
朱音とティオが言葉を交わしたのは短い間であるが、ティオの人懐っこさは彼女も満更でも無さそうだったのだ。
「……ルル! あんた、何か聞いてなかったの!?」
ルルは渋面を作りながら頭を振る。
「カスヤ様の奴隷が、昨日到着したという話は伺っております。ですが、まだ見習いのはずのティオが選ばれるとは……」
「止めさせられないの?」
「……この件についての決定権は、私にはありません。カスヤ様ご自身がティオを手放すか、魔道省上層部の決定が必要となります」
「粕谷ぁ……!」
朱音が、唸るような声を漏らす。
目の前に彼がいれば、間違いなく一も二も無く襲いかかっていたであろう、剣呑な表情である。
「だ、大丈夫デス。これも、わたしの仕事ですのデ……それよりも、またお会いできて嬉しいデス」
ティオは、悠達を見上げながらにこりと微笑んだ。
それは、本心からの笑みではあるのだろうが、しかし無理をしていることが容易に読みとれる表情である。
その頬には、涙の痕跡と思しきものが残されていた。
悠は、思わず表情が悲痛に歪みそうになるのを堪え、努めて柔らかな笑顔を浮かべながら、
「ねえ、ティオ……ご飯食べるつもりなら、僕たちと一緒に食べないかな? お話しようよ」
少しでも彼女を元気付けてあげられないだろうか。少しでも楽しい時間を共有できれば、悪い思い出を忘れられるかもしれない。
そんな気持ちでの提案であった。
しかしティオは、今にも泣き出し出しそうな表情を浮かべながら、頭を横に振った。
その震える小さな唇で、
「ごめんなさイ。キョウスケ様に、朝ご飯をお持ちしなければならないデス……」
「あっ……そう、なんだ。それなら、仕方ないね……」
落胆はあるが、それならば仕方ないだろう。
むしろ遅れれば彼女がどんな仕打ちを受けるか分かったものじゃない。
悠は、自分よりも小さい彼女の頭に手を乗せ、その金髪の頭を優しく撫でた。
「またね、ティオ。困ったことがあったら、何でも言ってよ。絶対に助けになるからさ」
ティオは少しの間、悠の顏をじっと見つめていた。
その大きな瞳に、少しだけ光が灯った気がするのは、悠の希望的観測なのだろうか。
「……ユウ様、ありがとうございマス。アカネ様、ルルさんも、また」
ティオは、悠達にぺこりと頭を下げ、足早に配膳口へと向かった。
そのまま料理を受け取り、自分の身体より大きな配膳台に乗せて、最後にまた悠に向けてお辞儀をして、食堂を去って行く。
悠は、その小さな背中を無力感と共に見送るしか出来なかった――




