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第21話 ―初夜-

エロ注意

 悠が帝都で過ごす、最初の夜。


 既に日は沈み、帝都には夜の帳が下りている。空には、相変わらず地球に比べて大きな月が浮かんでいた。

 しかし、夜を迎えても異世界の人々の生活の光は未だ消えず、帝都の夜景を彩っている。

 やはり都市の規模が違うのだろう、夜景の壮大さはメドレアとは比較にならない。

 悠は、薄い光で照らされている室内から、帝都の夜空と夜景を見ていた。


 この世界の空について、もう一つ気付いたことがある。

 それは、月が満ち欠けしないということだ。

 空に浮かぶ巨大な月は、いつも真円めいた満月を形作っていた。

 やはり異世界なだけであり、地球と同じ環境という訳でもないらしい。


 悠は、窓の外から目を離し、室内へと視線を映した。

 そこは、悠が目覚めた部屋である。ここは、第三位階ゼノスフィアである悠に宛がわれた自室だったのだ。

 冬馬達は、それとは別に用意された宿舎に寝泊まりしているらしい。

 悠の身体は今日一日は安静が必要とのことで、冬馬達が帰ってからも悠はベッドの上でゆっくりしていた。


 メドレアで過ごした室内の照明はランプであったが、この部屋の照明器具には魔道の技術が用いられてれおり、地球の蛍光灯と大差程度の明りが室内を照らしている。

 どうやら最初に抱いていた印象よりは、この世界の文明レベルは進んでいるようだ。


 この宿舎には、他にも第三位階の地球人が寝泊まりしているようである。

 何か包んで、挨拶に回った方が良いのだろうか。

 そんなことを考えながら、悠は鼻腔をくすぐる芳香に浸っていた。


「いい匂い……あの時とは違うお茶なのかな」


「ええ、あれは夜に飲むにはあまり適さない種類ですので」


 メドレアで飲んだルルのお茶は絶品だった。

 彼女はメドレアの時と同様に、テーブルに茶器を用意し、ティーカップに薄い桃色の液体を注いでいる。

 何やら細かい作法や拘りがあるようで、その動作はとても繊細に気を遣っているように見えた。


 それはハーブティーの類なのだろう、室内には心が包まれるような優しい香りが漂っている。

 清涼感のあったメドレアで飲んだお茶とは種類の違う匂いで、漂う香りが鼻腔に触れるだけでも幸福感が悠を包む。


「ユウ様。お待たせいたしました。お口に会えば良いのですが……そちらにお持ちしましょうか?」


「いや……いいです――いいよ。ルルさん。ありがとう」


 正式にルルが奴隷になるにあたって、せめて敬語はやめて欲しいとルルから頼まれた。


 年長者に対してタメ口を使うのは落ち着かなく悠はごねたが、結局は上手いこと言い包められ敬語を止めていた。

 ただし敬称だけは使い続けている。年長者を呼び捨てにするのはさすがに抵抗があったし、ルルの雰囲気はとても大人っぽく、呼び捨ては躊躇われた。

 それでも座りの悪い心地があるが、その内に慣れるのだろうか。


 悠はテーブルに歩み寄ろうとする前に、ルルは椅子を引いて待っていた。

 先程から、ルルは悠の次の行動や目的を的確に読み、言われずとも動き悠を助けている。

 彼女はこの上なく有能なのだろうとは思うが、自分で出来ることをわざわざ人にしてもらうというのも、落ち着かないものがあった。


 悠は、ルルの用意した椅子に座りながら彼女を見上げ、


「その……ルルさん。

 それぐらいは自分でやるから、そこまで気を遣わなくてもいいよ?」


「……ご迷惑でしたでしょうか?」


「いや、迷惑っていうより、むしろ助かり過ぎて居心地が悪いっていうか……」


 藤堂家では積極的に家事を手伝うようにしていたし、自分のしている行動が誰かの役に立っているという実感が嬉しく、楽しかった。

 それ故に、なおさらルルの仕事の隙の無さがユウを落ち着かなくさせている。

 正直、ルルには適当にベッドにでも寝っころがってもらって、ユウがあくせく働く方が遥かに気が楽だ。


「……これは大変失礼しました」


 ルルは悠の言葉に目を伏せ、深々と頭を下げた。

 頭の上の耳が、叱られた犬のようにぺたんと寝ている。


「何よりも肝要なユウ様のお気持ちを察することが出来ず、誠に恐縮の至りです。どうか、この至らぬ身に如何ような罰でもお与えください」


「いや、だからそういうのがね!? もっと、楽にしてよルルさん……」


 ルルは笑みのまま小首を傾げ、困り顔を見せる。


「私はユウ様の奴隷ですので、ユウ様には特別手厚いご奉仕をさせていただこうと思っていたのですが……」


「気持ちは嬉しいんだけどさ。やっぱり奴隷っていうのは息苦しいっていうか……あの、ルルさんさえ良ければ、もっと普通に仲良くなれたらなって思うんだけど……友達、みたいに」


 ――ルルはラウロの部下である。

 それは紛れも無い事実であり、ルルの立場や行動には少なからずラウロの意志が介在しているのだろう。

 彼女は身分こそ低いが、その能力は高く評価されているような節がある。何かしら特別な命を受けていてもおかしくは無いのだ。


 それでも、あの森で悠達を助けるために命懸けで戦ってくれたことは紛れも無い事実のはずだ。

 彼女は底知れない人物ではあるが、やはりその性根は善良な人なのではないかと、悠はそう思っていた。

 だから、彼女とは仲良くなりたいと思う。友達になりたい。


「……駄目、かな?」


 おずおずと上目遣いで見上げる悠にルルは、


「……畏まりました。では、少しお話をしましょうか?」


 そう言い、柔らかな笑みを見せた。

 可憐な花が咲いたような、そんな笑顔だ。


 悠は少しの間見惚れ、そして表情を輝かせる。

 テーブルの対面の席を指で指し示しながら、


「うん、うん! じゃあ一緒に座って話そうよ!」


「では、失礼します」


 薦められるがまま、ルルは優雅な動作で悠の対面へと座った。

 ルルは、穏やかな眼差しで悠を見ながら、


「お茶が冷めてしまいますので、どうかお飲みください」


「あっ、そうだね。ごめん」


 悠はティーカップを手に取り、薄く湯気を上げるお茶を口に運んだ。

 あの芳しい香りがそのまま凝縮されたような穏やかで優しい味が、口の中いっぱいに広がっていく。

 それは喉や胃に届き、身体を内側から癒していくような心地であった。


「……美味しい! 美味しいよルルさん! この前のお茶と全然違う味なのに、こっちも美味しい!」


 悠は、感動すら覚えながらルルの淹れたお茶を褒め称える。

 今度、クラスの皆にも飲んでもらおう。凄く喜ぶはずだ。いや、もしかしたらもう飲んだのだろうか。

 クラスの皆は、ルルに随分と心を許しているような気がした。


 ルルは、目を輝かせる悠に、目を弓にして笑みを深めて応える。


「良かった。私の自信作なんですよ」


 先程より、幾分は砕けた口調でルルは話す。

 しかしそれでもルルの立居振舞が纏う気品はそのままであった。

 それは、確かな育ちの良さを感じさせるものであり、彼女の奴隷という身分からイメージする姿とはかけ離れたものだ。

 きっと、お姫様が着るような優美なドレスがよく似合う。


 一体、彼女はどういった人生を歩んで来たのだろうか。そんな疑問が改めて湧いてくる。

 興味は湧くが、そもそも人に語れない人生を歩んでいた悠が、人にそれを聞くというのはあまりに図々しい気がして躊躇われた。


 悠の本当の過去は、クラスメートにも、朱音にすら話していないのだ。

 そして、自分の身体が真っ当な人間のものでは無いということも。

 いつか話さなければならないかもしれないとは思っている。


 しかし、悠は思うのだ。


 脳を致命的に破壊されない限り、どんなに身体を破壊されても再生する生物――神護悠は、果たして人間と言えるのだろうか。


 一度、藤堂正人の前でこの言葉を口にした時、彼は大層怒り、真剣な顏で叱ってくれた。

 お前は人間だ。そんなことが人間の定義では無いと。

 だが、それでも悠は不安なのだ。

 

 悠のこの身体のことを知って、朱音は、壬生は、世良は、皆は……それでも悠に変わらず接してくれるのだろうか。

 真実を知れば、化物と蔑み、避けてしまうかもしれない。

 それは悠にとって、拘束されて濃硫酸のプールに放り込まれた記憶より恐ろしい想像である。


 その恐怖が、頭から離れなかった。

 陰鬱な想像が、悠の脳裏を蝕んでいく―― 


「……ユウ様、どうされましたか?」


「え、ああ……いや、何でも無いんだ」


 思考を戻す。

 もし彼女が自分の素性を話してくれたとして、悠の素性を聞かれたら自分はどうするのだろうか?

 15年間、難病で入院していたと嘘を吐くのだろうか。

 何という恥知らず。厚顔無恥とはまさにこのことだろう。


 だから、聞くのは他のことにした。

 悠はルルの薄桃色の髪から生える、犬のような耳に目を向ける。


「ルルさんとか、ティオみたいな……その」


亜人デミ・ヒューマン、ですか?」


「うん、まあ……」

 

 亜人――何というか、差別的な響きに思えた。

 ルルは苦笑を浮かべながら、尻尾を器用に振って膝の上に乗せて撫でつける。


「どうかお気になさらずに。元々は蔑称として始まった言葉ですが、長い歴史の中でただの呼称として定着した言葉です。私としても特に思うところはありませんよ」


 ルルが語るには、元々は宗教的観点から「生まれて持った罪や汚れにより、人になり切れなかった者」という意味があったらしい。

 狼人ワーウルフの耳や鼻、森人エルフの眼の良さなど、普通の人間よりむしろ能力的に上回っている面もあるが、全ての亜人種を足しても尚、人間種の絶対数が遥かに上回り、迫害の歴史は長く続いていたようだ。


 現在では、亜人も普通に暮らしていける国もあるほどに融和は進んだようだが。


「でも、この帝国ではまだ……」


「……そうですね。以前も少し話しましたが、このフォーゼルハウト帝国では国の祖であるフォーゼ人以外は蔑視の対象であり、亜人はその中でも最底辺。奴隷として、多くの亜人種が帝国で働いてます。

 その……フォーゼ人の富裕層にとって、亜人の奴隷は手荒く扱ってもあまり心の痛まない人気商品、ですので……」


 ルルが、自分の細い首にかけられた首輪に触れながら言う。


 人種差別。

 悠のティーカップを持つ手に力が入った。


 悠の世界でも存在し、聞けば心の痛む概念であるが、それでも日本という国においては別世界の出来事ではあった。


「先代の皇帝陛下は、フォーゼ人至上主義を取り除き、多人種、民族の調和を目指していました。その政策が原因で帝国の世界統一の時代が終わったというのは、皮肉な話ではありますが……今は再び、フォーゼ人至上の政策を執っています」


 ルルは、少し言い辛そうにしながら言葉を続ける。


「……お気を付け下さい、ユウ様。それは、異世界の人々も例外ではありません。

 そして、魔道省の幹部であるラウロ様は実力主義ではありますが、生粋のフォーゼ人至上主義者でもあります。基本的に、フォーゼ人ではない者を対等な相手とは見ていません」


 ラウロの眼を思い出す。

 とても人間を見る眼とは思えない、恐ろしく酷薄な眼。

 そのものずばり、彼はフォーゼ人ではない悠達を対等な人間とは見做していないということか。


 死んでも心の痛まない、人気商品。

 今日、見かけた多くの帝国人も、悠達を同じような目で見ていたのだろうか。

 あの森で“死んだ”皆は、本当に蘇生させてもらえるのだろうか。


「……ルルさんは、そんなこと僕に話してもいいの?」


 それは、ルルの雇い主である帝国側にとって、不都合な話なのではないだろうか。

 悠にとっては、自分の境遇を知る上で価値のある情報であり、大変ありがたいのは確かだが。


 ルルは目を伏せ、苦笑を浮かべた。


「多くの奴隷が帝都にいることはお話しましたが……その大多数は、その責の有無はどうあれ他に選択肢が無かった者です。ですが、わたくしは帝国にあった伝手つてを使い、自ら奴隷となりました」


「えっ……」


わたくしには目的があります。果たすためならば、命も惜しくない目的です。そのためにはこのフォーゼルハウト帝国に属している方が都合が良かったのです。私は、幾つかの条件を叶えてもらうことと引き換えに、この奴隷の首輪を自ら嵌めました」


 ルルは、自らの首輪を撫でた。その表情は、どこか自嘲の色を帯びており、その琥珀色の瞳には仄暗い情念の炎がちらついている気がした。

 

「そして、その条件の一つは――」


 テーブルに置かれた悠の手に、彼女の手が重なった。

 滑らかな――とは言い難かった。見目は繊細だが、触れてみると部分部分が固くなり、盛り上がっている。朱音も似たような手の感触をしていたことを思い出す。

 一朝一夕でなるような手では無い。それは、その手で努力を重ね、今も続けている人の手である。


 ルルは、真っ直ぐに戸惑う悠の瞳を見つめながら、


「――私の願った相手の奴隷とさせていただくこと。私はユウ様の奴隷となることを、自分でラウロ様に願い出たのですよ」


「え……?」


 そう言い、しっとりと微笑んだ。

 柔らかな笑顔、しかしその瞳には強い意志と覚悟が宿っている。

 彼女が言うところの、命も惜しまない覚悟――そして、それと同質量の期待。


 そのような目を向けられたことなど無く、悠はすっかり狼狽える。


「ど、どど、どうして僕なんかに……?」


「強い――とても強い御方の傍らにいるためです。ユウ様に、その可能性を感じました。現状、第三位階に至った地球の方々の中には、ユウ様より力のある御方もいます。ですがユウ様は、彼等の更に上にいける器であると、私は思ったのです」


「そ、そんなこと言われてもさぁ……」


 ルルが、悠の手をぎゅっと握りしめた。


「……ユウ様は、力を欲しておいでですね?」


「う、うん……」


 力は欲しい。

 皆を守るために。もう二度と大切なものを失わないために。


「私を、そのためにお使いください。私の出来ることがあれば、何でもお手伝いさせていただきます。私の目的のために、私は帝国からの評価よりもユウ様からの信頼を得たいと思っております。その方が私の願いに近付けると、直感したのです。

 ……これが理由では、不足でしょうか?」


 帝国と悠を天秤にかけ、悠を取った。

 自分の目的のために悠を利用したい。

 そう受け取れる話であり、多分に利己的な要素のある理屈ではあった。

 それは、一般的な奴隷として求められる姿からはかけ離れたものなのだろう。


 だが、悠はむしろ安堵を得ていた。


「……うん、分かったよ。よろしくね、ルルさん」


 にこりと笑い、彼女を受け入れる。


 真に利己的であるならば、もっと上手いやり方を選ぶだろうと思う。

 彼女なら、その気になれば帝国と悠の間で、悠には思いつかないような賢いやり方で立ち回れるのではないかと思うのだ。

 だから、これは彼女なりの悠への誠意なのだと、悠は受け取った。


 それに、無償の奉仕を受けるよりどんなに気が楽なことだろうか。

 自分からも彼女に与えられるものがあるなら、それは喜ばしいことには違いない。

 ルルは、他者に譲れぬ確たる意思を持った人間である。

 従順だが何を考えているか分からない有能な奴隷より遥かに親しみやすい相手ではないかと悠は思う。


 そんな彼女を見ていると、ルルはどこか悪戯っぽい表情を浮かべた。

 桜色の唇に人差し指をあて、やや上目遣い気味の目線を悠を向ける。


「それとは別に、ごくごく個人的な私感を申し上げれば……ユウ様の振る舞いはとても好ましく思っています。一人の女として、お傍に置いていただけるのは胸が高鳴りますね。楽しい毎日になりそうです、ええ」


「ふぇっ!?」


 艶めかしい眼差しが、悠を撫でている。

 陽炎のように揺れる熱を帯びた視線は、目を合わせているだけで脳の内側が溶けるような心地であった。

 悠は顔を真っ赤にして目を逸らし、引き攣った声を上げた。


「じょ、冗談ですよね!?」 


 女性に面と向かってそんなことなど、言われたことも無い。

 だいたい、こんな女の子みたいな顔を体をしている自分に、男性的魅力などあるはず無いではないか。


「あら、そう思われます?」


 そんな悠の反応に、ルルは弟をからかう姉のような、ころころとした笑い声を漏らす。

 いつも大人びた彼女としては珍しい、年相応の可愛らしい顔だった。

 やっぱりからかっていたのだ。悠はぷくっと頬を膨らませた。

 

「もう……」


 良く分からない人だ。

 彼女の“目的”とは、いったい何なのだろうか。そのおおよそぐらいは聞いてもいいかもしれない。


「ねえ、ルルさ――」


 そう、口を開いた時だった。




 身体を、熱が襲う。




「――あ……くっ……!?」


 しかもそれは、悠の良く知るような、身体を物理的に灼くようなものではない。

 まるで悠の身体の細胞総てが震え疼き、熱を発しているような熱さであり、悠にとっては未知のものであった。


 そして何故か、身体はその感覚を悦んでいるような気がする。

 もっと、もっと熱をと、飢餓感に似た衝動が悠の脳を揺さぶっている。

 頬が上気し、息が上がって来た。皮膚が、妙に痒い。


 確かな身体の異常であるはずなのに、悠の超再生能力が働いていない。

 身体が、これを異常と認識していないということなのだろうか。


 悠はたまらずテーブルの上に突っ伏す。


「ユウ様!?」


 ルルがすぐさま駆け寄り、悠の手に触れ――


 ――女性の、甘い香りが悠の鼻孔をくすぐる。

 悠の脳が、沸騰するような感覚があった。


「だめっ……!」


「……きゃっ!?」


 悠は自分を襲う衝動の正体に気付き、思わずルルを突き飛ばしていた。

 ルルはその場で尻餅を突く。


「あっ……ごめ、ん……! でも、近寄らないで……!」


 悠は、ルルから離れるようにして、覚束ない足取りでベッドに腰掛けた。

 身体を襲う熱は、より濃度を増して悠の意識を溶かしつつある。

 悠はそこで自分の身体に起きたある変化に気付き、顔を真っ赤にしながらシーツで隠した。


 悠は少女のような容姿と身体付きをしているが、れっきとした男である。

 その身体には、当然ながら男性にしか備わらない器官が存在している。

 それが、今――


 股間を抑える手に、固い感触があった。


「ユウ様……」


「みないでっ……!」


 上擦った声で、羞恥から目尻に涙を浮かべて懇願する悠。

 立ち上がったルルを、身体の疼きを誤魔化すように荒い息を吐きながら見上げて、


「ごめん、なさい……

 今日はもう、出て……くれないかな」


 これ以上は、我慢できないかもしれないから。

 それは、ルルのためでもある懇願であった。

 

 しかしルルは、悠の言葉に反して優しい笑みを浮かべながら歩み寄って来た。


「……いいのですよ。我慢なさらずとも」


 そう言い、悠の傍にしゃがみ込み、強張る悠の手に優しく白い手を重ねた。

 それだけで、悠の身体がびくりと跳ねる。

 悠の熱で浮かされたような目は、既にルルの顏、そして身体から目を離すことが出来なくなっていた。

 その桜色の艶のある唇が、言葉を紡ぐ。


「……それは、第三位階に上がった魔道遣いの方に時々現れる症状の一種です。重度の魔素に身体が中毒症状を起こし……その、発情、してしまうことがあります。確率は決して高くはないのですが……免疫のない病気に罹ってしまったとお思いください。一度耐えれば二度は起こりません。ただ、そのまま黙って耐え続けるのはお身体に毒ですので」


 そう言いながらルルは立ち上がり、するりとメイド服を脱ぎ落す。


 事態についていけず、悠は唖然とルルを見ていた。

 止めよう、と思った時には、すでにショーツから足を引き抜き、床に落としたあと。


 一糸纏わぬ裸身。

 全裸のルルが、その一切を隠さずに立っていた。


 すらりとした綺麗な肢体。

 朱音より、若干だが細見だろうか。しかしその胸や腰回り、太ももの肉付きは、十分過ぎるほどに柔らかな曲線美を描いている。

 彼女ほど自己主張の激しいスタイルをしていない分、月夜に浮かぶ全身のラインは、芸術的な均衡を実現している。

 そのお尻から伸びたふさふさの尻尾が、誘うようにゆるゆると揺れていた。


「だ、だめだよっ……!」


 悠は叫んだ。きつく目を瞑り、顔を逸らす。

 駄目だ、悠は彼女を抱く訳にはいかない。

 何故なら――


「だって、こういうことは好きな人同士がするものだし、それに……ルルさんは奴隷で……」


 ルルは、奴隷という自分の立場から役目を果たそうとしているのだろう。

 しかし、奴隷制度に忌避感を抱いている自分が、よりにもよって性奴隷のようにルルを抱くことを是とすることが出来るものか。

 偽善も甚だしい。


「それに、そんなの恥ずかしいしさ……」


 裸ぐらいなら見られ慣れている。

 だが、今の自分の姿はそれとはまた違うものをさらけ出していた。既に恥ずかしさで死にそうであり、これ以上など想像もできない。

 くすり、と小さな笑みと共にルルの声が聞こえる。


「ユウ様は、3日ほど意識を失っておいででした」


「……?」


「その間も、生理的な現象は起きる訳ですが……どのように、誰が処理したと思いますか?」


「へっ……」


 生理的な現象。

 きっとそれは、トイレ的なあれこれだろう。

 意識が無い時、例えば病院の入院している時は看護師が、

 屎尿瓶とか持って来てするのでは無いかと、


「!?」


 悠の頬が、更に火を吹いた。


「ま、ままま……まさか……」


 ルルはにっこりと満面の笑みで頷き、晴れやかとすら思える声で明瞭に答える。


「はい、私が処理させていただきました。恥じるようなサイズではないと思いますよ?」


「うわあああああああ!」


 悠は叫びながらベッドに突っ伏した。

 真っ赤になった涙目の顔を隠すように、手に取った枕に顔を埋める。 

 ルルの顔が恥ずかしくて見られない。


「ひどい、ひど過ぎる……!」

  

 誰が悪いかと言われれば、目を覚まさなかった悠が1番悪いのかもしれないが……それでも世の不条理を嘆かずにはいられなかった。


「ちなみに、最初はアカネ様が挑戦されました。結局、顔をたいそう赤くされて断念されていましたが」


「~~~……!」


 枕に埋めた悠は、いやいやと頭を振りながら足をばたばたさせていた。

 羞恥のあまり、気を失いそうだ。

 ……気を失えれば、どんなに楽だったろうか。だが身体の疼きは、今も悠の身と心を激しく揺さぶっている。


 その背に、ルルの肢体がしだれかかる。

 押し付けられる、二つの柔らかな感触。

 耳元には、甘い吐息と切なげな声。


 悠の肩がびくりと跳ねた。


「……ユウ様、私には魅力を感じられませんか?」


「い、いや、全然そんなことは無いけど……! むしろあり過ぎて困ってるけど! だからルルさ――ひぁぁぁぁぁっ!?」


 悠の甘ったるい叫び声。


 そのうなじを、ルルが「はむっ」と甘噛みしていた。

 ちろちろと、濡れた舌先が首筋を撫でていく。

 たまらずくてっと脱力した悠に、ルルが再び囁きかける。

 

「前向きに考えましょう。これは練習とお思いください」


「れ、れんひゅう……?」


「はひ」


 悠の耳たぶを甘噛みしながら、年下の家族を諭すような声色で、


「いずれユウ様も想い人を結ばれる日が来ましょう。その時の練習です」


「結ばれる……」


 ルルの言葉を吟味する。

 それはつまり、自分が誰かと恋をして付き合ったりすることで。


「……あまり、ピンと来ないや」


 誰かに恋をするとは、どういう気持ちなのだろう。

 悠の胸を満たす友情とは、どう違うものなのだろうか。そして自分には、その違いが分かるだろうか。自信がまったく無い。


 それに、仮にこっちが好意を抱いたとしても、相手がそれに応えてくれるかと言えば極めて怪しいところである。こんな女の子みたいな顔をした、小柄でひ弱な男に男性的な魅力を感じる女性が果たしているのかどうか。例えば朱音だって、逞しい男性が好みだと言っていた。

 どちらにせよ、男女間の恋愛など自分にとっては遠い世界、あるいは雲の上の出来事にしか思えなかった。


「……左様ですか」


 ルルの美貌に、憐憫めいた苦笑が刻まれる。

 伏せられた琥珀の瞳は、悠では無い誰かに向けられているように思えた。


「くすっ……想い人がいらっしゃらないというのでしたら、私も遠慮する必要はございませんね?」


 ルルの手足が、悠の身体に妖しく絡まり、

 その艶めいた桜色の唇が、


「えっ、ちょっ、待っ、あ――――」


 悠の意識が、甘い蜜に溺れていく――

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