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第20話 -帝都-

 帝都アディーラに移り、既に3日が経過していた。


 藤堂朱音は、帝都にある魔道省本局の回廊を歩いている。

 あの森で負わされた重傷は既に概ねが治っており、激しい運動は止められているものの普通に動く分には支障が無い。それでも、朝の鍛錬を日課としていた朱音にとっては、まだ落ち着かない状態ではあった。


 時刻は昼を回っており、昼食を終えた朱音は魔道省の管理する、ある施設に向かう途中である。 

 帝都はメドレアと同様に映画やゲームで見かけるような中世風の城や街並みであるが、その規模は段違いであった。帝城はメドレア城より二回り以上は大きく、その敷地も広大だ。


 朱音達は、魔道省本局が管理する敷地に建てられた建物で寝泊まりしている。

 地球には及ばないまでも、覚悟していたよりは文明的な生活ではあった。インターネットやコンビニの無い環境に嘆く者も多いが、直に慣れるのではないかと朱音は思っている。


 ……あの森の死闘から3日間。当然ながら色々なことがあり、色々なことを知った。






 最も慌ただしかったのは、あの森での戦いを終えた次の日、消耗して泥のように眠り、あるいは意識を失っていたクラスの皆が目を覚ました後のことだ。

 朱音はその日は怪我の治療で動けず、目覚めれば既に帝都にいたのだが、見舞いに現れた壬生や世良が概ねを語ってくれていた。


 まず、生還した生徒達が自分達の身の安全や、元の世界への帰還、あの森で“死亡”した友人について帝国の人間に詰め寄り、諍いを起こしたそうだ。


 元の世界に返せ。

 死んだ友達を生き返らせろ。

 ふざけるな、お前達も殺してやる――


 無理も無いだろうとは思う。

 既に魔道が封じられていたこともあり、武力を盾に脅されることで沈静化したが、帝国に対する敵意と不信は根深い。自分が言えた義理ではないが、感情に任せて暴発しないか気がかりではあった。


 メドレアからルルが同行していたが幸いであった。

 彼らも、自分達のために命賭けで戦ったルルに対してはある程度心を許しているようで、良く話しかけているようである。

 ルルも嫌な顔一つせず、自分の仕事の都合が許す限り相談に乗ってあげているようだ。

 地球、そして家族と突然引き離された状況に大きなストレスを感じ気持ちの整理が出来ない者も多く、そんな彼等に適切な助言を与え、安心を与えている。


 ――ご心配なく。こういったことには慣れておりますので。


 とは彼女の弁で、確かに見事な手腕に思えた。

 あまり歳は離れていないはずだが、彼女は自分達より遥かに濃密な人生経験を積んでいるらしい。

 朱音も、未だ警戒心は抱いているものの、命を助けられたという義理は感じている。


 その日は、他にも情緒不安定になった生徒同士のいざこざや脱走未遂など大小の事件が起こったようだ。それについても、ルルが上手く立ち回ったと聞いている。

 幸いにも、それで重い罰を課せられたような者はいなかった。


 ……粕谷なら拍手喝采してざまあみろと言ってやるところだったのだけど。騒ぎでも起こして牢屋にぶち込まれればいいのにと心から思う。

 そしてそのまま、二度と出てこないで欲しい。

 粕谷の態度は、相変わらずである。それどころか、むしろ――不愉快な追想を、朱音は頭を振って打ち消した。






 そして次の日、帝都の魔道省本局での、本物のラウロ・レッジオからのクラスの皆の今後について。

 内容はメドレアで悠と共に聞かされたことと概ね同一であるが、新たに明かされた情報もあった。


 特に、あの森で“死んだ”クラスメートについて、極めて重要な情報がある。


 ――彼等を、助けられるかもしれない。

 個人的には非常に疑わしいと思っているが、悠が聞けば喜ぶだろう。

 同時にそれは、彼を縛る呪いになってしまうかもしれないのだが。


 他にも、今後の自分達の生活。帝都で出会った他の地球人、その一筋縄ではいかない人間関係。彼に教えなければならないことは少なくない。

 だが、しかし……


「悠……まだ、起きないのかしら」


 ……そう、神護悠は未だ目覚めていなかった。

 あの森で、魔道の第三位階に目覚めて竜の魔族を屠った彼は、そこで意識を失って眠り続けている。


 魔道の位階を上がったばかりの際に時折あることで、命に別状は無いとのことだった。

 数日中には目覚めるだろうという話である。

 その言葉を信じて、朱音は今日も悠が眠っている部屋に向かっている。


 ――健気だねー、一途だねー。ラブだねー。


 そんなことを言って茶化して来たクラスメートの柚木澪を少し睨んだら、涙目で震えられてしまった。

 というかクラスメートは全体的に怯えた目を向けていた。それほど強く睨んだつもりは無かったのだけど……もうちょっとこう、気安い反応を期待したのだけど……そんなに怖い顔をしていたのだろうか?

 むっつり顔の裏側でいたたまれなくなり、気まずくなった朱音は足早にその場を後にした。

 果たして自分が悪いのだろうか。元々、柚木が変なことを言うからいけないのだ。


「……そんな訳、ないじゃないの」


 自分が悠のことを好きなど、そんなことある訳が無いのだ。

 初恋もまだな朱音であるが、恋愛にだって人並みの興味はあり、理想の男性像というものはしっかりと持っている。

 背が高くて、逞しくて、自分より強くて、タフな精神をもった身も心も強靭な男。

 そして神護悠という少年は、その理想から著しく逸脱していた。


 だから違うのだ。恋などする訳がない。

 彼が未だに目覚めないという事実に夜も寝付けないのも、

 彼のことを考えるだけで胸がドキドキするのも、

 気付けば彼の姿を探しているのも、

 メドレアで過ごした夜、いつの間にか抱き付いていた彼が離れる時、少し名残惜しかったのも、

 

 ……これは、そう。友情なのだ。

 同年代で最も親しいのは間違いなく悠である。きっと、友達と言っても差し支えの無い関係のはずだ。

 朱音はずっと友達がいなかったから、そういう感情を持て余しているのである。


 ――好きだよ。

 夜空の下で、悠に言われたあの台詞。

 それを聞いた時に、死ぬかと思うほど鼓動が跳ねあがったのも、

 唇が触れ合いそうになった時に、もう少し顔を近付けようかと迷ったのも、

 それもすべては、朱音の対人経験の未熟さ故にものだ。


 そうに、決まっている。

 他にある訳がない。

 絶対にだ。


 そんなことを悶々と考えているうちに、悠の眠っている部屋の前に立っていた。

 悠に宛がわれた自室である。

 

「悠、起きてる?」


 そうそう都合良く目覚めてはいないだろうとは思いながら、朱音はノックして反応を待つ。

 予想通り反応は無く、同時に僅かな期待を裏切られた落胆が胸中を翳らせた。

 気を取り直し、汗でも拭いてやろうとドアを開け、


「――――」


 上半身を起こしている悠と、目が合った。






 目を覚ましてみれば、見知らぬ部屋の中であった。

 以前、メドレアで目覚めた時よりもかなり立派な部屋である。全体的に綺麗で調度品もしっかりしており、まるで質の良いホテルの一室のようだ。


 柔らかいベッドから身を起こし気怠さに浸っていると、ドアが開く音がした。そういえば、ノックや誰かの声が聞こえた気がする。

 ドアの向こうには、一人の少女が立っていた。

 さらりとした髪に、凛とした美貌。

 朱音の見慣れた顔が、今は驚きに目を見開いて悠を見ている。


 どうやら、あの森で負った怪我はほとんど治っているようだ。

 悠は心からの安堵と共に、彼女に挨拶をした。


「おはよう……朱音」


「ゆ、悠……!?」


 朱音は信じられないといった表情で駆け寄って来る。

 ベッドの縁に手をかけて、身を乗り出しながら、

 

「起きて大丈夫なの!? 身体の調子は!? 吐き気とか、手足の痺れとか、頭痛とか――」


 いきなりまくし立ててくる朱音に、面食らった悠は目を白黒させながら答えを返す。


「だ、大丈夫だよ! 元気、すっごい元気! だから落ち着こう朱音!?」


 朱音の表情は、悠を心から案じているものだった。

 深刻に眉根を寄せて強張っていた表情は、健全をアピールする悠の様子――本当は、まだ気怠さが残っている――にやがて解れ、色濃い安堵を見せはじめる。


 深々とため息を吐き、脱力したように手近な椅子に腰かけた。


「そう……」


 気の抜けた顔で呟く彼女だが、やがて悠の顔を見ながら徐々に頬を紅潮させていた。

 不可解な様子に首を傾げる悠だが、その視線から目を逸らすにように顔を逸らし、頬杖を突きながら、


「ま、まあ……無事で良かったんじゃないの」 


 ぽつりと素っ気ない言葉。

 だがその声色は、確かな優しさを宿していた。


「……うん」


 にこりと微笑む悠の顔を尻目に、朱音の頬はますます赤くなっていく。

 彼女は何か言おうとしているようだが、口元をもごもごさせるだけで言葉にはなっていない。

 会話途切れ、沈黙が落ちた。


(僕は……どれぐらい眠ってたんだろう)


 ここはどこなのか。

 あれからどうなったのだろう。

 クラスの皆は、大丈夫なのだろうか。

 これから一体、どうなるのだろうか。


 聞きたいことは山ほどある。

 だが、まず自分から言わなければならないことを思い出した。


「……ねえ、朱音」


「な、何よ?」


「ありがとうね。朱音に2回も助けてもらっちゃった」


「それは……」


 にこりと笑う悠に、朱音はむっつりと視線を彷徨わせる。


「別にお互い様じゃない……パートナー、なんだし」


「うん……それにさ、魔族から逃げる時に言ってたことなんだけど」


 途端に、朱音が露骨にうろたえはじめた。


「あ、あれ、あれは……その、パニックでテンパってて、あの、その、えっと……!」


 悠は朱音の照れっぷりに頬を緩めながら言葉を続ける。


「朱音の言う通り、やっぱり英雄なんて無理だったよ。僕には荷が重かった。あんな偉そうなこと言っておいて、ほんとにカッコ悪いけど……それが、僕なんだ」


 それを受け入れよう。ありのままの自分を認めて、そこから自分の人生を歩んでいこう。

 それが例え、残り少ない命であったとしても。


 ……罪悪感は、いまだこの胸を苛んでいる。これは自分が一生涯をかけて向き合わなければならない、そして自分しか背負うことのできない業である。


 だが悠が背負うべきは、死者ばかりではないのだ。

 朱音やルルに壬生たち――悠が生きることを望んでくれた人々の想いと勇気に報いたい。


 そして、そんな皆を失いたくないという、狂おしいまでの痛みを伴う自らの想いのために。

 もうあの子たちのような犠牲者を生み出さないために。

 それはきっと、“みんな”に報いる生き方をすることにも繋がるのではないかと、そう思うのだ。


 まんじりと悠を見つめていた朱音の美貌に、苦笑めいた色が浮かぶ。


「……で、今までと具体的にどう変わるのよ?」


「えっ? そ、それは……」


 一生懸命に皆を守る。

 皆を脅かす敵と戦う。

 そのためならは危険を冒すことはやぶさかではない。

 他の誰かが傷つくよりは、再生能力を持つ自分が傷を引き受けるべきだろう。


 はて、先の戦いとどう変わるのだろうか?


「あ、あれ……? で、でもさぁ……ほら、ぱっと見は同じでも、中身が、違いがね……?」


「……ぷっ」


 まごつく悠に、朱音が小さく吹き出した。

 その瞳に、珍しく悪戯っぽい稚気がよぎっている。


「……ごめん冗談、分かってる。変わったわよ、あんた。何ていうか……怖さっていうか、危うさっていうか……見てて不安になってた雰囲気が、ほとんど無くなってる」


 ふっと朱音の表情が緩む。


「あたしは……今のあんたの方が、ずっとカッコいいと思う」


 雪解けの白に咲く、一輪の赤い花のような麗しい笑顔。


「――――」


 華やぐ美貌に心奪われ、思わず息をするのも忘れていた。直視できず、目を逸らしてしまう。

 例え瞬間記憶の能力が無かったとしても、その笑顔を永劫忘れることは無いだろう。


 悠が何と言っていいか分からずにまごついていると、

 コンコン、とノックの乾いた音が響く。


「おはようございますユウ様、ご健康そうで何よりです」


 涼やかな女性の声。

 開けっ放しになっていたドアの向こうに、侍女服を来た狼の耳と尻尾を備えた女性が立っていた。

 そして柔らかに微笑むルルの後ろには、 


「悠っ!」

「神護君……!」 


「み――冬馬、世良さん……皆も……」


 壬生冬馬に世良綾花、そして柚木澪をはじめとする、粕谷のグループを除いたクラスメート達。

 ……その、生き残り。

 悠が見た限りでも10人の命が失われていた。そして、それだけではないはずだ。少なくとも11人以上は命を落としたはずである。


「その……皆……ごめんね、僕がもっと早く……あの力を……」


 悠は俯き、沈んだ声で謝罪を口にする。

 もっと早く第三位階ゼノスフィアに辿り着いていれば、そうすれば犠牲者を出すことなど無かったかもしれないのに。

 落ち込む悠に、ルルが眉をひそめたやや厳しい表情で口を挟んだ。


「ユウ様、それはあの時点ではどうしようも無かったこと。ご自分を責めるのはどうかお止めください」


「それは、分かるんですけど、でも……」


 無論、人には限界があり、誰も彼も救うなどというのは現実味を欠いた理想論なのかもしれない。だから仕方ないと自分を慰める理屈もあるだろう。


 でも悔しいものは悔しい。申し訳ないものは申し訳ないのだ。

 そんな思いに沈む悠の肩に、ぽんと置かれる手があった。


「冬馬……」


 壬生冬馬が、口元に笑みを浮かべて悠を見下ろしている。

 彼も友人を失っている。その笑顔は少し寂しげなものではあったが、それでもその声は優しかった。


「何言ってんだよ、悠。みんな、お前に感謝してる。なあ?」


 世良が、柚木が、ほかの皆がそれぞれに頷いていた。悠の無事な姿を見て、その顔に安堵や喜びの表情を浮かべている。

 柚木が、どこか気まずげに目を泳がせ、頬を掻きながら口を開く。


「あのさ、神護……だったらウチらからも、言いたいことがあるワケよ」


「……ん?」


「あのさ――」


 柚木は、がばっと勢いよく頭を下げた。

 他の皆も、それに倣う。続く言葉は、 


「ごめんなさい!」


 他にも、すまない、悪かった、などの声が上がる。

 口調は違えど、それぞれの謝罪の言葉。

 20人近いクラスメートから1度に頭を下げられるという予想外の事態に、悠はぎょっとして狼狽える。


「え、え……な、なに、何が?」


「……学校でのことだよ。俺も、ちゃんとした形で謝ってなかったしな」


 頭を上げた冬馬が、隣の世良と顔を見合わせて苦笑する。

 他のクラスメートも、どこか罰が悪そうな表情を浮かべていた。

 皆、悠の言葉を待っている。


 悠はしどろもどろになりながらも、


「みんな……でも、あれは仕方なかったと思う――」


 そこまで言って、悠は気付いた。


 仕方ない。

 実際に、その時に他にとれる選択肢が無かったことだってあるだろう。クラスの皆だって、友達や家族のことを思えば、まさしくそうだったはずだ。

 それを「仕方ない」という言葉で締め括るのは、たぶん間違いではないけれど、


 だからって、それで心が納得できるかと言えば別の話である。

 たった今、悠も似たようなことも思ったではないか。


「うん……分かった。ありがとう」


 だから悠は、皆の謝罪を受け入れた。

 皆、一様にほっとしていた。涙を浮かべている者すらいる。

 

 あのクラスの時とは違う、暖かな空気が流れていた。

 ……ずっと夢見ていた空気が。


(うん……ここから、始めればいいんだ)


 ここは学校ではないけれど、本当に欲しかったのは友達と過ごす日々なのだ。

 その夢の一歩を、今日から始めよう。 

 会話が途切れたのは見計らって、ルルが進み出た。


「ユウ様、申し遅れましたが――」


 ルルは自分の胸に手を当てて、


第三位階ゼノスフィアの御方には特別待遇として、その世話係に奴隷が一人付けられるのです。わたくしは、正式にユウ様の奴隷としてお世話させていただくことになりましたので、どうか宜しくお願い致します」


 優雅な一礼を悠に見せた。

 相変わらず、惚れ惚れするような流麗な動作である。 


 クラスの皆から、ルルに対する羨望の声や、悠を羨む声が上がっている。

 どうにも落ち着かない心地を味わいながら、悠は戸惑いの声を上げた。


「で、でも僕、奴隷なんてそんな……」


 メドレアの時は、右も左も分からない状態だったのでやむを得なかった。

 だが今は違う。自分のことは自分でしたいし、わざわざルルの手を煩わせることも無い。

 そして、その恩恵に与ることは奴隷という、悠にとって好意的には見えない制度を肯定するようで忌避感は拭えなかった。


 悠の口から改めて出た「奴隷」という言葉に、クラスの皆の表情も少し微妙なものに変わる。

 基本的には人権が保障されている日本で育った皆にとって、それと対極の奴隷という概念はやはり素直に受け入れ辛いものがあるのだろう。

 ルルの颯爽とした振る舞いはそんな陰湿なイメージを感じさせないものであるが、その首には囚人を思わせる首輪が今も取り付けられている。


 そんな悠を、ルルは困ったような笑みで見つめていた。


「あまり固くお考えにならないで下さいませ。第三位階は魔道の世界における希少なエリート。今のユウ様のご身分は、準騎士階級――帝国の多くの民より上の位が与えられています。立場相応に部下を一人宛がわれたと、そうお考えいただければと思います」


「で、でもですね……」


「それに……私は、ユウ様の仕えさせていただきたいと思っております。どうか、お傍にいることをお許し願えないでしょうか?」


 そんなことを、寂しげな微笑と共に言われてしまった。

 捨てられる前の子犬のような、切なげに媚びる顔だ。

 悠だって男である。常のルルの姿を知っていれば、そのギャップは余計に強烈な印象となって悠の胸を焦がすのだった。


 悠はあうあうと呻きながら歯切れの悪い言葉を繰り返し、やがて観念したように頭を下げた。


「それじゃあその、宜しくお願いしますルルさん……」


「ありがとうございます、ユウ様……ご主人様の方が宜しかったですか?」


「ゆ、ユウでいいです!」


「…………」


 そんな様子を、朱音は面白くなさそうに、頬杖を突いてぶすっと見遣っている。

 その体勢のまま、話題を変えるべく悠に話を振った。


「悠、かなり真面目な話するけど……あの森で“死んだ”連中のことは覚えてるわよね?」


「……うん」


 悠は、一気に表情を翳らせた。

 死んだ、という言葉に妙なニュアンスがあるように聞こえたが、気のせいだろうか。


「結局、死んだのは14人。生き残りは27人よ」


 つまり、クラスの約3分の1が命を落としてしまったことになる。

 その認識に、悠の表情がよりいっそう渋いものとなった。

 二度と繰り返してはいけない。自分の魔法たましいは、その想いを根源とした、そのための能力なのだ。


 そこで朱音は、その声に僅かな戸惑いや迷いの気配を滲ませる。

 まるで語る本人が信じられないといった調子である。


「……死んだ連中を助けられるかもしれないわ」


「えっ!?」


 素っ頓狂な声が出た。

 だって無理もないだろう。朱音の語るその内容こそが突飛も無さすぎるのだから。

 死者が生き返る? そんな馬鹿な。


「そんな顔しないでよ、あたしだって半信半疑なんだから……えぇと、まず何から説明したらいいからしら……」


 自分の中でも消化しきれていないのだろう、朱音が顔をしかめながら俯いた。

 そんな彼女を見かねてか、ルルが一歩前に出て口を開く。


「アカネ様。そこから先は、私が承りましょう」


「……お願いするわ」


「畏まりました」


 ルルは周囲の皆、そして悠――彼女にとっての異世界人の少年少女を見渡して、


地球アースフィアより天球セレスフィアに呼び出された皆様の特徴は、魔道の素養に優れるというだけではないのです。それは――」




 ルルは、この世界における地球人の特性について、明瞭に語ってくれた。


 端的に言えば、あの森でのクラスメートの非業の死は、まだ「確定」していないということ。

 そして、それは覆し得る――つまり、あの森での犠牲者を生き返らせることができるのだという。


 何故そんな訳の分からない状態になり得るのか。

 その理由は、この世界で生まれた故に純粋に物理的な存在であるこちらの世界の人間と異なり、悠達のような地球人は外の世界から来たために物理的に不安定な特性を有している点に由来する。

 

 この世界においては、“魂”という概念が観測されている。

 そして、“死”とは、この魂の破壊、消耗による消滅を意味していた。

 基本的には魂の状態は肉体の状態に依存するため、肉体の死と魂の消滅はイコールで結んでも問題は無い。


 だが、異世界の存在である地球人の身体は、元々この世界の物質で構成された身体では無いためか、あるいは魂の性質が異なるのか、それが必ずしもイコールでは結ばれないのだという。


 つまり、受けた傷――そして、その結果の“死”までもが魂と完全にはリンクしない。

 肉体が死しても、その魂は消滅は免れるのだということだ。

 彼等の死は確定していない、というのはそういうことである。

 特に魔界の内部ではその傾向は顕著であり、魔界の中で受けた傷も魔界化が解除されるとある程度は治癒するのだとか。重傷を負った朱音が数日で治っているのも、それが一因なのだろう。


 そして、魂さえ存在しているならば、そこからの蘇生も理論上は可能である、と

 身体が残っている者は勿論、魂は人間の本体ともいうべきもので、その肉体の設計図のようなものが保存されており、そこから肉体や記憶を復元することも可能であるのだとか。


 だが、それには多くの資源や資金を必要とし、それを願うなら悠達には必死に働いてもらうというのがラウロ・レッジオの語っていた言葉だったそうだ。




「要は、人質よね」


 朱音の吐き捨てるような言葉は、きっとその通りなのだろう。

 冬馬達の話では、比較的肉体の損傷が少なかった者の身体は修復されており、意識は戻らないまでも微かな呼吸をしていたそうだ。

 悠は未だ半信半疑で戸惑っているが、あんな無残な最期を遂げた皆を取り戻せるかもしれないと思うと高揚してくる気持ちもあった。


「……ですが、ユウ様。そして皆様にも今一度言わせていただきます」


 ルルの表情は、真剣そのものだ。

 皆の蘇生の可能性を語る時も、どこか陰鬱な気配を漂わせていた。

 少なくとも、それは救いを語っている口調には思えない。


「くれぐれも軽挙妄動はお控えください。間違っても、“どうせ生き返れる”などと考えないことを求めます」


 それは、有無を言わせぬ強い口調だった。

 内容は勿論、その声色、あるいは耳には聞こえない裏側に、途方も無い重さと厳しさを感じる言葉である。


「……どうか命を、そして死を軽んじることは無きよう、よろしくお願い致します」


 そんな切実な響きの声で、ルルの語りは締めくくられた。






 そして、それから1時間ほど他愛もない談笑――すごく普通の友達っぽい内容だ、テンションが上がりっぱなしだった――を楽しんでいる時のことである。


「もしもーし? いいかしら?」


 乾いたノックの音と共に、気楽な調子の女性の声が聞こえてきた。

 慣れ親しんだ、日本語である。


 聞き覚えのある声であるが、顔が出てこない。

 朱音や冬馬達はその人物を知っているようで、取り立てて緊張した気配も無かった。


「……どうぞ?」


 悠の返事と共に、近くにいたルルがドアを開ける。


「お邪魔します」


「邪魔するぜ」


 入って来たのは、一組の男女である。

 二人とも日本人のようで、見たことのある顔であった。


 二人とも、悠達より少し年上に見えた。

 女性の方は、艶やかな黒髪を伸ばした、大和撫子然とした怜悧な美貌の女性である。

 男性は、背が高くがっしりとした体格をした、髪を短く刈った精悍な顔立ちをしていた。


 あの森で、突如として現れて魔竜を狩っていた魔道の使い手たちである。

 ……悠達と同じ、召喚された地球人。


 女性は颯爽とした足取りで室内へと踏み込み、悠を見下ろした。

 親しげな笑みを見せ、ウィンク。

 そんな仕草がとても似合っている女性である。


「おはよう悠君。私は雨宮玲子あまみや れいこ、こっちの彼は武田省吾たけだ しょうごよ。二人とも地球では高校3年生だったわ」


 玲子と名乗った少女の後に続き、省吾がのしっと歩いて来る。

 190cmを超えるであろう大柄で無骨な外見の少年だがその佇まいは静かであり、存在感はあっても他者を威圧するような攻撃的な気配は感じられない。


 省吾は悠の目の前まで歩み寄ると、しゃがみ込んで目線を合わせてきた。

 その黒瞳の眼差しは、いかにも実直そうな色を湛えながら悠を真っ直ぐに見つめている。


 すっとその大きな手が差し出される。


「省吾でいい。よろしくな、悠」


「あ……は、はい」


 悠は少し畏縮しながらその手を握りかえした。

 別に怖かったから、という訳ではない。

 省吾の逞しい体躯や雰囲気は、悠が理想としている強い男性像そのものなのだ。憧憬の昂りが、悠の声を上擦らせている。


 大きくて、ゴツゴツとしていて……まさしく男の手だった。


「よろしくお願いします……省吾先輩」


 ちなみに悠は、誰かを「先輩」と呼んだのは初めてである。

 ちょっと嬉しい。


 朱音がやや引き気味に呻く。


「何で頬赤くなってるのよ……」


「あれ、あれっ、何か変な雰囲気? そっちの展開なっちゃう、なっちゃうの?」


 ひょこっと顔を出して訳の分からないことを言ってくる玲子に、省吾は深々とため息を吐いた。

 手慣れた雰囲気で、あしらうように手を振る。


「あー、うっせ。まあ……朱音にも友達ダチが出来てたみたいで、安心したよ」


 そういえば、二人は知り合いのようだった。 


 首を傾げて見上げてくる悠に、朱音と省吾は顔を見合わせ、


「省吾兄ぃは、藤堂流の兄弟子よ。お爺ちゃんが生きてて道場開いてた頃の門下生だったの……死んだお姉ちゃんの……友達、だった人よ」


「まあ、朱音は……妹みたいなもんか」


 と、お互いを表現した。


 いわゆる幼馴染というものだろうか。

 二人の間には、確かな信頼関係がある気がした。


 しかし、悠が藤堂家で暮らした1月の間では彼の名が出たことは1度も無い。

 今は付き合いが無かったということだろうか?


 ……そういえば、省吾の外見は朱音の理想の男性像と一致してはいないだろうか。

 ああ成程、と悠は生暖かい理解に笑みを浮かべて朱音を見上げる。


「朱音は、省吾先輩のことが好きなの?」


「――――」


 空気が凍った。

 朱音も、省吾も、他の皆も目を丸くしている。

 何を言っているんだこいつは、という驚愕の眼差しである。何人か――主に女子――は、朱音に同情的な目を向けていた。

 

 悠はまったく意味が分からずに首を傾げていた。

 何か、変なことを言っただろうか?


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 朱音が絶叫めいた声を上げながら立ち上がった。

 悠の胸倉を掴みあげ、がくんがくんと揺さぶってくる。


「何言ってるよの訳わかんないわよ何でそうなるのよ絶対違うわよふざけないでよとにかく違うから省吾兄ぃはお姉ちゃんの――ああとにかく、絶対違うから! 絶対有り得ないから! あたしと省吾兄ぃが付き合うなんて、未来永劫無いから!」


 物凄い必死の形相、この世の終わりのような顔をしている。

 ちょっと涙目になっていた。

 一方の省吾は、小さく肩を竦めている。


「ご、ごめんなさい、ごめんなさい! 分かった、分かったよ!」


 悠の目を回しながらの謝罪に、朱音はようやく手を離す。

 そのまま、顔を真っ赤にして俯いた。

 柚木が、憐れみ半分、面白半分みたいな表情で朱音の肩をぽんと叩く。


(そ、そこまで怒らなくてもいいのに……そんなにまずいことだったかなぁ……ん?)


 いつの間にか玲子がすぐ近くまで寄って来ていた。

 人懐っこい笑みを浮かべている。怜悧な美貌が見せるその表情は、とても魅力的だ。

 高貴な猫みたいな雰囲気の人だな、と悠は玲子に対する印象を表現した。


「うふふ、よろしくね悠君。私も玲子って呼んでね?」


 にこりと微笑みながら、玲子も右手を差し出してくる。


「あ、よろしくお願いします玲子先輩」


 悠は、その右手を柔らかく握り返した。

 ひんやりと冷たく心地良い感触が、指と掌に伝わってくる。


 玲子は更に左手を被せ、両手で悠の手を包み込んだ。

 そのまま、悠の手を握ったり撫でたりしている。


 くすぐったさに悠は僅かに身を捩らせながら、戸惑いの声を漏らす。


「えーと……玲子、先輩?」


「んふふふふー」


 何やら奇妙な笑みを漏らしている。

 ちょっと怖い。今まで悠の近くにはいなかった種類の人だ。


 玲子はやっと手を離してくれたのかと思うと、すぐさま両手を広げ、悠の華奢な身体を抱き締めた。

 柔らかな女性の身体の感触が、悠を包み込む。


「わっ、ちょ、ちょっと……!?」


「もー、ほんと可愛い顏してるわよねー。寝てても可愛かったけど、起きたらもっと可愛いわ。この場で1番美人さんなんじゃないの? お肌も綺麗でもちもちすべすべ、羨ましいったら!」


「は、はは……」


 容姿は悠にとってはコンプレックスの一つであり、褒められても苦笑するしかない。

 玲子は勿論、この場には掛け値無しの美少女である朱音やルルもおり、他にも例えば世良だって素朴で可愛いと思うのだが……そんな女の子達がいる中で、わざわざ自分の容姿を褒めなくてもいいではないか。


 そんなことを思っていると、朱音が不機嫌も露わに玲子を引き離しにかかった。


「ちょっと玲子さん、悠が嫌がっていますから……!」


「駄目よ朱音ちゃん、邪魔を…………って、強い強い痛い痛い!? 何この腕力! ほんとに女!? ゴリラ! メスゴリラがいるわ! 助けて省吾君!」


「おう」


 省吾が朱音の加勢をし、玲子をあっさりと悠から引き剥がした。

 玲子はその場に崩れ落ち、目元を押さえながら、


「相棒に裏切られたわ……世界には敵しかないのね……」


 省吾が半眼で玲子を見下ろしながら、深々と嘆息する。


「お前、いい加減にリーダーらしい行動なり発言なりしろよ……」


「え?」


 リーダー? この人が? このテンションおかしい濃ゆい人が?

 そんな悠の反応を、玲子が目ざとく拾っていた。


「ひどいっ……! 悠君までそんな目で私を見るのね……!」


 両手で顔を塞ぎながらしゃがみ込む。

 悠はどうしていいか分からずにおろおろした。

 省吾は、心底どうでも良さそうに、


「他にどんな目で見る余地があったんだよ」


 クラスの皆が、続くように口々に玲子を評した。


「初対面の時はいきなりダジャレだったよね……」

「あれ酷かったなー……しかも下ネタ」

「何だっけ、トイレがどうのって……」


「あ、あれは親しみを持ってもらうためにわざと滑ったんですぅー、計算通りなんですぅー!」


 嘘泣きから顔を上げる玲子に、朱音が冷たい声でぴしゃりと言い放つ。


「ちょっと涙目になってプルプルしてましたよね」


「あ、あれー? 何このアウェー感?」


 段々と良く分からない空気になりつつあった部屋に、ルルの落ち着いた声が響く。 


「……レイコ様。ユウ様はまだお疲れですので、ご用件は手短にお願いしたいのですが」


「んー……分かった、分かったわよ。ノリ悪いなぁ、もう」


 玲子は両手を上げながら立ち上がる。

 そして再び悠を見下ろした時には、


「――――」


 悠は、息を飲む。

 

 すっ――と、彼女の目が細まると同時に、纏う雰囲気が一変した。

 先ほどの暢気な気配はすっかり失せ、怜悧な才媛の顔へと変貌している。

 その仕草や言葉には、他者の目を引く不思議な存在感があった。


「改めて自己紹介させて貰うわね。私は雨宮玲子。この帝国に召喚された地球人を集めたグループの一つのリーダーをやらせてもらってるの。君にも、私達の仲間に加わって欲しいのよ」


 そして玲子は、悠達のこれからについて語り始めた。






 悠達の生活は、他の帝国の人間と同様に金銭によって維持していくこととなる。

 そして資本の無い悠達には、金銭は労働――つまりはあの魔界での命懸けの活動によって得ていくこととなるそうだ。

 得られる褒賞はそこでの働きによって著しく上下する。


 極端な話、成果がゼロならば褒賞もゼロなのだ。

 そして、約半数を占める第一位階レインフォースのメンバーは、その成果を上げることが非常に難しい。そもそも、下位魔族に狙われただけで窮地なのだから、生き延びるだけでも大変な苦労とストレスがあるはずだ。

 第一位階を追い詰めて必死に第二位階ゼノグラシアへと上がらせることが帝国側の目論見なのだろうが、やはり才能が無い者はどうしようもないのだ。努力だけでどうにかなる分野では無い。


 加えて、得られる成果は有限であり各々が自分達の利益を優先すれば奪い合いになる。


 ……意図は分かるが、不合理なシステムではないかと悠は思った。

 それでは、仲間割れが発生してしまうではないか。

 貴重な第二位階以上のメンバー同士で殺し合いになる可能性もあるだろう。


 そこで、玲子の提案である。

 戦えない第一位階のメンバーも生きていけるようにするために、結託していこうということだった。

 召喚された地球人の半分以上は賛同し、参加しているらしい。


 つまりは、成果の分配である。

 得られた金銭を独占せず、組織的に管理することでメンバー全員の生存と地球への生還。

 そして、“死んだ”仲間達の蘇生も目指す。


 勿論、戦えるメンバー……特に戦力の高い第三位階ゼノスフィアには見返りの割に大きな負担を強いることとなるため、それでも悠に参加の意志があるかどうかを確かめたい。

 それが、玲子の要件であった。


 ……ちなみに、粕谷京介は「くだらねぇ、弱者は死ね」と吐き捨てて断ったようだ。


 是非もない。

 悠は、迷いなく頷いた。

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