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第18話 -十刃-

 胸中には、変わらず身を震わせる恐怖があった。


 顔には、今も涙や鼻水の痕跡が残っている。

 情けない顔である。

 少なくとも、英雄の顔ではない。死を恐れずに人々を守る男の顔ではなかった。


 死にたくない。

 自分は、死ぬことを恐れている。どうせ残り少ない命なのに、それでも見苦しく泣きじゃくってしまうほどに死が怖いのだ。そんな当たり前のことに、今更に気付いた。


 だが悠は、あの大魔竜に相対している。

 大魔竜は、今にも超振動波を放とうとしていた。

 あの破壊の咆哮を浴びた時のことを思い出し、恐怖のままに逃げ出したくなる。


 だが退かない。

 涙を拭い、確かな意思を宿した瞳で大魔竜を睨み据える。


「悠?」

「神護……?」

「ユウ様……!?」


 三人の眼差しを感じた。

 命懸けで悠を守ってくれた三人だ。

 死にたくない、見苦しくても生きたい。本心からそう思っている。英雄になるために命を捨てるなど、真っ平御免だった。


 だがもう一つ、悠の胸に満ちる想いがあるのだ。

 朱音たちが思い出させてくれた、狂おしいまでの想念。

 魔道から、その想いを形と成す言霊が流れ込んでくる。


 魔界の森に、その想いを紡ぐ詠唱が響く――


は悠久に流れ、過ぎ去るもの――」


 それは声ではあるが、音ではない。大気を媒介して鼓膜に届くのではなく、光すら置き去りにする速さで魂を震わせる詠唱うたごえだった。 

 聴衆は世界のことわり、そして理に触れる魔道を歩む者たち。


「万物、如何なる者も抗うことあたわず――」


 詠唱を紡ぎながら、悠の脳裏に浮かぶ景色があった。


「其は万象、星々すら飲み込む無限の大河なり――」


 多くの子供たちの姿。

 悠に優しくしてくれた一人の研究者の女性の姿。


「其は天なる理なれど――」


 彼らがいなくなっていく。一人、また一人と減っていく。

 時の経過と共に、かけがえのない命が失われていく。誰かがいなくなる。

 時間がみんなを奪っていく――幼い悠はそんなことを考え、明日が来ることに怯えていた。

 15年の人生で、悠は誰かを失い続けて来た。


「其に異を唱える者、此処ここに在り――」


 明日が来なければいい――それが、仲間を失う痛みと共に抱いた切なる願い。

 時間が流れなければ、きっと誰も失われないから。

 時が流れ行くことは、万物にあまねく及ぶ世界の摂理だ。 

 その理が、悠の大切なものを奪い去るというのなら―― 


「天よ、主よ、認めぬならば、我が白刃にて応えよう――」


 ならば、時間を縫い止めてしまえ。

 時の流れを切り捨て、止めてしまいたい。

 世界の理を捻じ曲げてでも、大切なものを守るために。

 朱音を、ルルを、壬生を、皆を――もう二度と、失わせてなるものか。


「時よ、止まれ――」


 それは、悠の幼少時から蓄積された記憶トラウマの刃で魂に刻まれた、永劫癒えぬ傷痕である。

 傲慢だとは分かっている。

 自分勝手なのは分かっている。

 それはある種、外道の思考である。見苦しく幼い、子供の我儘だ。

 人として、本来は恥じるべき愚想である。


「――魔法具象ゼノスフィア――」


 だが、それはあの地獄で悠が抱いた、切なる想いだった。

 理屈と理性では恥じていても、悠の魂は今も叫び願っている。

 恥じるな、晒せ。


 己がたましいは世界の理を超越すると、悠は世界に宣言する。

 その魔法の銘は――


「〈斯戒の十刃(テン・コマンドメンツ)〉!」


 誰かを助けたい。命を救いたい、涙を止めてあげたい――それもまた、悠の偽らざる本心。

 それが神護悠のゼノスフィア


 魔法ゼノスフィア――魔道の第三位階“法”の力。

 それは、使い手の魂を根源とする技法。その者の魂の一部と化すほどに強く根付いた想いを具象化して己の武器とする創造行為。


 悠は、自らの魂に刻まれた想い――そのまほうを自覚するに至っていた。そして、その詠唱と銘も。

 己が魂を謳い上げる詠唱により、悠の魂は物質の世界へと流れ出る。そしてその魂の器を、銘を呼ぶことによって世界に創造し、形成するのだ。それが魔法の具象化のプロセス。

 悠の魔法たましいが、完全なる形を成して世界に具象化する――!


 それは、剣。

 悠が用いていた剣と全く同じ、装飾の少ない簡素な白の刃。

 しかし一切の無駄も曇りも無いその白刃は、人の手では決して生み出せない美しさを宿している。

 その数、十。

 十の白刃が、悠の魂から引き抜かれ、きらめき――


 魔竜の動きが、停止していた。


 無数の貌が大合唱を高らかに歌い上げ、今まさにその超振動波の魔道が放たれんとした矢先の出来事である。

 その体勢のまま、魔竜はまるで時間が止まったかのように静止した。 


 異形の巨躯の至る箇所に、十の刃が突き立っている。

 その身体に深々とめり込んでいるのに、不思議と血の一滴すら流れていない。


「え……?」


 壬生は何が起こったか分からずに呆然と、


「これは……」


 ルルは事態を理解して目を見開き、


「悠、生きて……?」


 朱音は、無事だった悠の姿に涙をぽろぽろ零しながら、

 神護悠の姿を見ていた。


「……朱音さん、壬生君、ルルさん」


 悠は三人に語りかける。

 儚げな容姿はそのままなのに、今は不思議な存在感と力強さを感じさせる背であった。


「助けてくれてありがとう。もう大丈夫だから、危ないから離れてて」


「で、でもよ……」


 当惑する壬生に、ルルが声をかける。


「……ユウ様の仰られる通りに致しましょう」


「え、あ……はい」


 ルルは、足を挫いた朱音に駆け寄り、


「アカネ様、失礼します?」


「えっ……きゃっ!?」


 その細腕で朱音を抱き上げ、再び悠を見る。

 ルルは悠の身に何が起こったのか理解しているようで、特に動揺した風もなく事態を受け入れていた。

 唇から漏れる吐息は、感嘆に震えている。


「ユウ様、ご武運を」


 そう言い残し、ルルは満身創痍の身からは想像もできないほどの確かな足取りでその場を離れていく。その後を、壬生が悠を気にしながら追いかけていった。


「……悠!」


 不安げな朱音の声に、悠は高らかに応える。


「朱音さん、もう大丈夫! 僕が勝つ! 一人になんて、しないから!」


「ちょっ、聞いて……!?」


 青ざめた頬を朱に染める朱音。

 呻く彼女が大魔竜の変化に気付いたのは次の瞬間だった。


「あ……悠、剣が……!」


 魔竜の巨躯が震えている。

 我が身を縛る力に抵抗するように、その震えは深々と突き刺さる十の白刃へと伝わり、金属が割れる、乾いた音が響く。

 その刀身に、ひびが入り――


(……やっぱり、これぐらいが限界か)


 一切の問題無し。

 その光景は、悠の想定通りである。


 悠は、己が魔道の第三位階の能力、魔法ゼノスフィア〈斯戒の十刃〉の特性を、ほぼ完全に把握していた。

 明日が来なければいい、ならば時間を止めてしまえ――悠の魔法の根源であるその想いは、そのまま魔法の能力として発現している。

 その白刃は、時間の流れを断ち切り、あるいは縫い止める機能があるのだ。

 その効果は見ての通り、あの魔竜の時間は停止し、その巨躯は動き止めている。


 ただし、魔竜へと飛ばした十の刃には、物理的な攻撃力は存在しない。白刃が深々と刺さっているが、魔竜が受けた損傷は皆無である。

 そして、残念ながらこの効果は絶対でも永遠でも無い。


 万物の時間は流れ、過ぎ去るもの。

 それが世界の理である故に、〈斯戒の十刃〉の効果は、時間という概念から強烈な抵抗を受けるのだ。

 それに耐えられず、魔竜に突き刺さる十刃は罅割れ、そして、砕け散った。


 魔竜の時間が再び動き、その超振動波が放たれようとする。

 対する悠は、微塵も揺らがずそこに立っていた。

 己が魔法(つるぎ)を砕かれた、無防備な姿で――


「――――来い」


 ――否。


 空間から抜き放たれるように、白刃が生まれ出ずる。

 次から次へと、瞬きほどの僅かな時間で、十の刃は何事も無かったかのように悠の回りに浮かんでいた。

 幾度砕けようとも、無限に再生することが出来る。それが〈斯戒の十刃〉のもう一つの特性である。

 悠は、自らを守護するように浮かぶ十刃を見遣り、


「……行こう」


 十の白刃が、主に応えるかのように、淡い光を纏いはじめる。

 悠が駆け出し、

 魔竜の超震動波が放たれたのは、次の瞬間である。

 あらゆる物質を破壊する超振動、魔竜の咆哮ブレス。 

 木々は粉々になり、地面の雑草や石も粉砕され混ざり合う。

 同時に、震動波によって生じた超高熱が、灼熱をも宿しながら森を蹂躙していく。


 駆ける悠の姿が、赤き咆哮に飲み込まれ、


「……安心したよ、その程度で」


 全くの無傷で、その中を突き進んでいた。

 赤熱化した超震動波は、まるで悠を畏れているかのように届かない。


 悠の周囲に展開された十の剣が、薄い光を放っていた。

 周囲の空間の時間が停止し、一切の変化を拒んでいる。結果的に、それは堅牢極まりない障壁と化し、悠の身を守っていた。


 超震動波の破壊が去り、更地と化した森を、白の少年が真っ直ぐに駆ける。

 第三位階として完全な覚醒を果たした悠の身体能力は、これまでとは別格の力を発揮していた。

 魔竜から、驚愕の気配が滲み出る。無数の貌が、動揺に歪んだ顔を見せていた。

 慄くように異形の巨躯が後ずさり、距離を取ろうと、


「止めろ!」


 魔竜へと切っ先を向けた八の白刃が、次々と撃ち出された。

 これを回避しようとする魔竜であるが、その巨躯が災いして六つの刃をその身に受ける。

 刀身が、魔竜の異形に深々と突き刺さっていた。

 先ほどと同じく、血は一滴も出ない。


 だが、魔竜が停滞していた。完全には静止しておらず、緩慢に動く様は滑稽ですらある。

 〈斯戒の十刃〉の効力は、刃の数に応じて強化される。

 十の刃を突き刺せば完全な停止が実現したが、六の刃ならその動きを大幅に停滞させることが限界であった。


 そして、それで十分。

 残った二つの白刃を左右の手に、悠が魔竜に肉薄した。


「はあああああああ!」


 気合一閃。

 はしる二つの剣閃が深々と突き刺さる。

 〈斯戒の十刃〉のもう一つの特性――主である悠の手に触れている刃は、物理的な攻撃力を有する剣として強固に具象化される。


 先ほど撃ち出した刃と異なり、悠の手に在る双刃は、魔竜の皮膚を切り裂き、肉を容赦無く抉っていく。

 そのまま骨すらも断ち切りながら振り抜かれ、紫の血飛沫が舞った。


 叫ぶ大魔竜。その甲高い咆哮は、まるで悲鳴である。

 無数の人貌が、明らかな憎悪を宿して歪む。 

 砕けた六刃の拘束から抜け出した魔竜は、躍るように廻る。


 唸りを上げて迫る重尾。

 別の魔竜との戦いでは、悠は成す術もなく打倒され、朱音やルルも重傷を負わされた忌まわしき一撃だ。

 目の前の魔竜の異形は更に一回りは大きく、威力も遥かに上回っているだろう。


 悠の十数倍もの重量を有するであろう尻尾が、音速を超えて衝撃波を撒き散らしながら痩躯の少年に迫る。

 悠の視界が、異形の竜尾に埋め尽くされ――


「――――ッ!」


 ――悠の両手に、受け止められていた。


 剣を握ったまま突き出された両手、女の子のように華奢な細腕は、両足を地面にめり込ませて地面に数mの轍を作りながらも、その衝撃の全てを殺していた。

 冗談じみた光景である。

 重量差を考えれば、物理的に在り得ない光景であった。


「……っ」


 だが悠も無傷ではない。

 左手は原型をとどめないほどに破壊され、剣を取り落す。右手も大差はない状態であり、かろうじて剣を保持できている状態であった。そこから伸びる腕も、骨は罅割れ、血管は破裂し、左肩は奇怪な形状へと変わっている。


 ――それがどうした、と悠は強がりの笑みを浮かべた。

 再生を待つ時間は無い。激痛を噛み殺し、砕けた右手で剣を無理矢理に握り込む。

 危機を感じた魔竜が、その竜尾を下げようとして、


「――遅い!」


 白刃が駆ける。

 大魔竜の尻尾に深々と刃が突き刺さり――疾り抜けた。


 異形の尾は根本から切り落とされ、紫の血液を撒き散らしながら、その勢いのままに木々を薙ぎ倒し、あらぬ方向へと吹き飛んでいく。

 大魔竜の絶叫が上がる。 

 大魔竜は今、自らに比すれば赤子のように小さな少年に悲惨な叫びを上げていた。


 だが同時に悠の両腕が未だに再生の途中であると、今が好機であると気付いていた。

 加えて即死寸前の重傷を負った悠は、血液が不足し過ぎている。如何に第三位階へと至ろうとも、その肉体は万全にはほど遠い。

 ふらり、と少年の身体が傾ぎ、


 ――それもどうした、と地面を踏み締め、無理矢理に唇を吊り上げる。

 自分はまだまだ戦えると、不敵に大魔竜を見上げた。

 悠の猛りと大魔竜の咆哮は、ほぼ同時。


「はああああああああ!」


 そこから先は、死闘であった。

 悠の白刃、

 異形の巨躯、

 それぞれの武器で、互いの血と肉を撒き散らす。

 悠の双刃が、大魔竜の脇腹を抉る。

 大魔竜の前脚が、勇んでいた悠の左足を踏み潰した。

 白刃が動きを止め、その前脚を深々と切り裂き、骨ごと絶ち切った。

 前脚の一つを失った巨躯が、バランスを崩す。


 だが次の瞬間、先ほどから不可解な動きを見せていた人貌の一つから、小規模の振動波が放たれる、

 悠の横顔を掠めて破壊し――片目が沸騰して破裂した。

 もし前脚が健在だったら、一瞬でも顔を逸らすのが遅れていれば、脳を破壊され即死していただろう。

 死が、悠の傍らを過ぎ去っていた。


(怖い……!)


 一歩間違えれば死ぬ。

 怖い、怖い、嫌だ、嫌だ……!


(死にたく、ない……!)


 こんなところで、こんなに早く死ぬなど真っ平ごめんだ。

 土下座をして免れることが出来るなら、きっとそうしている。犬の真似をして三回ってワンなんて、お安い御用である。


(だけど、僕は……!)


 悠の脳裏に、幾つもの顔が浮かんでいる。

 それは、すでにいない人々の顔。

 過ぎ去る時の流れの中で、過去となってしまった犠牲者たち。

 失いたくなどなかった人たちだ。

 そして、次に浮かんで来るのは、


 朱音――素直じゃない、優しく強い女の子。外の世界での、最初の友達。

 壬生――死ぬほど怖かった癖に、悠を助けに戻って来たお人好し。

 ルル――敵かもしれないけど、それでも悠達を命を賭けて助けてくれた。

 世良――悠を助けようとしてくれていたらしい。壬生が止めて良かったと心から思う。

 柚木――実はこっそりと、悠が粕谷達に出会わないように悠に耳打ちしてくれたことがある。

 ティオ――短い付き合いであるが、戦いに行く悠を涙ぐみながら見送ってくれた。

 他にも、幾つものクラスメートの顔が浮かんで来る。例え悠を見捨てていたとしても、それでも彼等にはそれぞれの輝きがあった。それが自分に向けられるもので無くとも、それを感じられることは幸福だった。


 悠はそれを、ずっと見ていたのだ。瞬間記憶の中に焼き付けていた。

 ……いつか、自分もその輝きに加わることが出来ればいいな、と。

 それが幾つも失われた。残った皆もこの異形の怪物の脅威に晒されている。


 ――また、失ってしまうかもしれない。


 悠の原初の傷がー―魔法の根源が、激しく疼いていた。

 悠の中に渦巻く痛みは、結局は一つの意思に帰結する。


(守りたい……!)


 悠の魔法〈斯戒の十刃〉とは、つまりはその想いの結晶である。

 守りたい、失わせたくない――償いや義務ではなく、今はただ純粋に。


 それは、英雄的な勇気ではない。失いたくないという恐怖に耐えられないからこそ生まれた、臆病者の魂だ。それを認めたからこそ、悠は第三位階へと至ることができた。

 大切な人を奪う未来を認めない――その意思により鍛え上げられた、神の摂理に挑む十の魔刃。その静謐な白刃は、一切の曇りなき姿で主に従っていた。

 顔面の半分を破壊された悠の凄惨な相貌は、しかし微塵も揺らがずに残った右眼で大魔竜を睨む。


 死にたくない。死なせたくない。

 二つの意思を宿し、一歩も引かずに怪物を見上げていた。

 再生に伴う超痛は、いっそ狂った方が救いだと言わんばかりに悠を苛んでいるが、それをおくびにも出さずに悠は十刃を従えて息を吐いた。


 ……戦いの終わりが、近い。

 悠が勝つための布石はあと一つ。

 そして、悠の限界も目前であった。

 すでに血溜まりという表現も生温い赤黒い液体の上に立ち、悠は最後の一手を仕掛ける。


「……はあああああああああっ!」


 裂帛の気合いと共に、潰れた左足を踏み込んだ。

 骨と肉の区別もつかないほどにぐちゃぐちゃになった足は、しかし最低限の支えの役割は果たす。


 同時に、大魔竜の小規模振動波が放たれた。

 斬撃と共に放たれた九の刃は、その殆どが命中するが――しかし動きを止めるのはその巨躯のみ。

 すでに放たれた振動波は、悠の左半身に命中していた。


「ぐっ……!」


 皮膚が、脂肪が、筋肉が、内臓が、骨が――破壊され、かき回され、沸騰して灼かれていく。


 痛い、熱い、痛い、痛い、熱い、気持ち悪い、痛い、熱い、苦しい、痛い……!


 胴体の約半分の、原型をとどめないほどの破壊。それは心臓にすら及び――悠の血流は、停止した。

 しかし、それでも――


「だからっ……どうしたぁぁぁぁぁ!」


 悠は片肺に残った呼気と共に叫びながら、無事な右手で剣を振るう。

 舞い散る血の紅の中、白の剣閃が煌めいた。


 それは未だ停滞する大魔竜の残った前脚を斬り――骨を、絶ち切る。

 両方の前脚を喪失した大魔竜は、さすがにその巨躯を支えきれずにゆっくりと地面に倒れ伏した。

 地震のような衝撃を悠が襲うが、それを感じている余裕は無かった。

 重要なのはただ一つ。


 ――大魔竜の首に、剣が届く。


 衝撃と共に魔竜に刺さった白刃は砕け散るが、すでに大魔竜もまとな身動きは出来ない状態であった。

 大魔竜の人貌が、明らかに狼狽した表情を浮かべている。

 その視線の先には、左半身と顔の半分を無残に破壊された、少女のような姿の少年。

 心臓は未だ停止しており、意識は朦朧としている。

 だがその瞳は、確かな意思の火を灯して大魔竜を見下ろしていた。


 生きる。

 守る。

 そして、それとは別の渦巻く感情。

 無事な右腕が、白刃を振り上げた。


 地に伏せられた大魔竜が、明らかな恐怖の悲鳴を上げる。

 この悪性の異形は、何人もの命を奪っておきながら自らの命を奪おうとする者を恐れていた。

 この大魔竜の知能の高さを思えば、それは命乞いだったのかもしれない。


「……そうだね、死ぬのは怖いよね」


 死ぬのは怖い。

 それは、この怪物も同様なのかもしれない。


「でも……お前たちに殺された皆だって、怖かったんだ」


 悠の脳裏に、数多の死がよぎっていく。

 あの研究所で犠牲になった子供たち。

 この森で踏み潰された者、噛み千切られた者、轢殺された者。

 その恐怖。その無念。その絶望。


 その光景は鮮明な痛みを伴い、胸を焦がしていく。

 そしてこの大魔竜は死を嗤い、弄んだ。 

 自分が殺されかけた事実に関しては、何の怒りも憎みも湧いてこない。相変わらず、悠の感情は壊れたままである。

 だがそれでも、熱く燃える炎が、黒く濁る汚泥が、この胸に確かに在るのだ。


「だから、もう二度と――」


 右手に握られた白刃が煌めき――


「――奪わせない!」 


 一閃。


 大魔竜の首が、撥ね飛ばされる。

 無数の人貌を恐怖に引き攣らせながら、悪性の魔竜は紫の塵と帰していった――

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