第15話 ―形成界―
「あ……くっ……」
悠は、呻きを漏らしながら、地に伏せていた上半身を起こす。
頭痛は酷く、吐き気がした。視界は朦朧として耳鳴りを起こしており、周囲の様子を窺い知ることはまだ出来なかった。
何が起こったのか。悠は激しい頭痛を伴う思考で記憶を手繰り寄せる。
脳裏に浮かぶのは、世界が砕け散るかと思うほどの空間の震動。
それは、あの最初に召喚された時、魔界に放り込まれた際のものと同じ類のものであったが、今度はその桁が違った。地面だけではなく、空間そのものが振動するような衝撃に、悠は意識を失ってしまったのだ。
気付けば、酷い体調の不調と共に地に伏せていた。
「なん……なのよっ……!」
まだ耳鳴りの治まらない聴覚に、朱音の毒づく声が僅かに聞こえる。
他にも幾人からの辛そうな声や呻きが聞こえており、どうやら皆もこの場にいるらしい。
魔族を全滅させ、魔界化が解けたのではないか。
そんな淡い期待を抱きながら、回復してきた視界を周囲に向けると、
「なっ……!」
悠は、絶句した。
あの、空を覆っていた血管のように脈動する赤い線――それが、地上にも伸びていた。
地面に、木々に、転がる石にと、その赤い線はそこら中に走り、脈動を続けている。
先程までは空さえ見上げなければ普通の森と大差無かったが、今は完全に魔界然とした風景が目の前に広がっている。
「嘘でしょ……!?」
「マジかよ、おい!」
朱音や壬生も、悠と同じように驚愕の表情を見せた。
クラスメート達は次々と目を覚まし、誰もが激しい動揺を見せていた。
だが、しかし、
「……世良さん?」
起きてこない仲間がいる。
悠は、少し離れた場所に倒れている世良の様子に気付く。
彼女は、仲間の騒ぐ声の中でも起きてくる気配が無かった。
世良は身体を痛めている。それが原因かとも思ったが、妙な違和感が悠を襲う。うすら寒い胸騒ぎと共に、悠は周囲を見渡した。
起きて来ないのは世良だけでは無い。
クラスメート達は、悠や朱音、壬生と同様に意識を取り戻して立ち上がっているメンバーと、未だ倒れて起きる気配すらないメンバーに二分されていた。
そして、その内訳には共通点があることに悠は気付く。
即ち、目を覚ましているメンバーは全員が魔術を扱える第二位階であり、倒れているメンバーは魔術の使えない第一位階の非戦闘員なのである。
「世良さん、大丈夫……?」
悠は嫌な予感がして、世良へと駆け寄る。
そして、その顏を覗き込むと、
死相があった。
「……世良さん!?」
世良の目は、これ以上ない程に見開かれていた。
口も大きく開かれ、何かを求めるように喘いでいる。
毒ガスでも吸い込んだかのように、世良のおっとりとした容姿は絶望的なまでの苦しみを訴えていた。
その喉から、掠れるような悲痛な息が漏れている。
「お、おい! 綾花がどうかしたのか!?」
壬生が狼狽えながら駆け寄り、世良の様子に顔を青ざめさせた。
悠は振り向き、叫ぶ。
「皆! 倒れてる人達の様子を見て!」
世良の只事では無い様子に、朱音達も立ち上がり、倒れている仲間の様子を見に行く。そして、その皆が再びの驚愕に目を見開いた。
「前田!? どうしたのよ!?」
「おい、遠山! しっかりしろ!」
「智恵理! 大丈夫!? ねえ……!」
どうやら、世良と同じような状態に陥っているようだ。
「お、おい綾花……なあ、おい!」
「う、動かさないで!」
悠は世良の気道をとりあえずは確保するものの、効果は全くないように見える。
この空間の大気そのものに問題があるのかもしれない。
そこまで考え、
「あっ……」
動揺していた悠の思考に、ルルから教えられていた魔界の知識が浮かんで来た。
異形化した地上を見ながら、呆然と呟く。
「第二界層……」
魔界の第二界層“形成界”。
空のみだった世界の変質が地上にも及ぶ、魔界の中層だ。
第一界層とは比較にならない危険地帯であり、魔素濃度も飛躍的に上昇している。
何故、危険地帯なのか。その理由の一つが、この惨状である。
(第二界層の高濃度の魔素の中では、第一位階の人はまともに呼吸が出来ない……)
魔素――常の世界には基本的に存在せず、魔界に満ちるこの元素の正体は、実のところあまり分かっていないそうだ。
だが明確なのは、人体に極めて有害であるという点である。
体内に取り込んでしまえば、内臓や筋肉の異常を引き起こし、放置すれば死に至ることすら珍しくは無い。
特に呼吸器系への影響は深刻であると聞かされていた。
そして、この魔素に耐性を持ち己が力をすることが出来る者が魔道を歩むことが出来る者であり、位階に応じてその耐性も上がっていく。
ただし、その耐性を超える濃度の魔素を浴びれば、常人と同様に倒れることとなってしまうのだ。
つまり、第一位階の魔素耐性では、魔界の第二界層に満ちる高濃度の魔素に耐えることが出来ない、ということである。
しかし魔界が第一界層から第二界層になるのは、そう滅多に起こることはではないとルルからは聞かされていた。
余程の長時間、魔界を放置するような真似をしなければ基本的に大丈夫だと。
そんなに時間を浪費していたはずは無いのだ。
「……み、皆! この薬を飲ませて! そして――」
悠は、ポーチの薬を取り出し配りながら、ルルから教わっていた魔素中毒の対処法を口早に叫ぶ。朱音もルルの話を思い出したようで、薬を出しながら指示を飛ばした。
薬はクラス全員分を貰っているため、倒れている全員に行き渡らせることが出来た。これはこれであまり身体には良くないらしいが、背に腹は代えられないだろう。
薬の効果は、すぐに発揮された。
「ごほっ! がふっ! あぐっ……これ、は……?」
幾人かは激しく咳き込みながらも意識を取り戻したようだ。覚束ない様子で身を起こす者もいる。
だがそれも半分ほどであり、世良をはじめとする幾人かのクラスメートは、いまだに倒れたまま、苦しげに息を荒げていた。
すぐに死に至ることは無くとも、この空間にいる限り彼女達は苦しみ続けるのだ。
「くそっ! 他に何かないのかよ!」
「怒鳴らないでよっ! ふざけないで、何なのよこれ……!」
「ねえ、死なないで、死なないでよぉ……!」
周囲は阿鼻叫喚の声に満ちていた。
目の前の世良の様子も深刻なものであり、壬生が悲痛に顔を歪めて彼女の名を呼んでいた。
その顔が上がり、悠に縋るような眼差しを向ける。
「なあ、神護……一体、何が起こっ……いや、どうすれば綾花は……みんなは助かるんだ!? 何か、聞いてないのか!? 頼む、何でもいいから教えてくれよ……!」
壬生の絶叫じみた声に、周囲の注目が一気に悠に集まった。
皆、壬生と同様の切なる眼差しを向けている。
「それは……」
理由は分かっている。
だが、何をすればいい? どうすれば、世良達を助けることが出来る?
思い浮かんだのは、一つ単純明快な答えであった。
「魔族を、全滅させれば……」
魔界を維持しているのは魔族であり、魔界内の魔族を全滅させれば魔界も消え失せる。悠の時は、ルルが魔族を全滅させたことで魔界が壊れていった。
あの時と同様に、世良達が命を落とす前にそれを成せば、皆を助けることが出来るはずだ。
しかし……同時に思い浮かんだ、第二界層のもう一つの危険性。
それは――
――轟音。
そうとしか表現できない、圧力すら伴う音が、悠達を襲う。
それは、悠の背後から聞こえた音で、ほぼ同時に木々の砕け折れる音が聞こえ、視界の端には派手に吹き飛ばされていく樹木が映った。
何かが、背後にいる。
それは、とてつもなく巨大で、そして険呑な何かだ。
悠は、その確信を持って振り向いた。
そこには、
「…………何、これ」
竜。
人面疽を纏う竜が、そこにいた。
全長は5mを超えるであろうその形状は、ファンタジーで良く見る翼を持った蜥蜴、いわゆるドラゴンのそれに酷似している。
あの蜘蛛や手を生やす球体の魔族に比べれば、常識的な形状と言えるだろう。
しかしそれは、単にシルエットだけで判断するなら、だ。
その竜が鱗の代わりに纏っているのは、無数の人の顏であった。
笑っている顏が、怒っている顏が、泣いている顏が、苦しんでいる顏が――老若男女の区別なく、恐らく数百にも及ぶであろう無数の人面を、その巨躯は全身に張り付けていた。更に、その人面はそれぞれに目を動かし、口を開閉している。
それは、竜の顔面にまで及び、馬鹿げたほどに大きく裂けた口から、紫色の長い舌が伸びている。
見れば、その舌や口の中にまで人面は張り付いていた。
凝視すれば、気が狂いそうな異形である。
今まで相手にしていた魔族とは、明らかに比較にならない威容を誇る怪物であった。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃ!?」
「なんだっ? 何だよこれぇ!?」
皆の狂したような悲鳴が上がる。
メンバーの皆は、そのあまりの威容に正気を失い、あるいは戦意を砕かれていた。
悠は、震える声で呟く。
「中位……魔族……」
魔族には、その力の序列や性質に応じた分類がされている。
悠達が今まで相手にしていた魔族は、下位魔族と称される弱い個体であった。
第二界層は、中位魔族の活動領域である。
中位魔族の戦力は下位魔族とは比較にならないと、ルルは真剣な声で語っていた。
万が一に遭遇した場合は、くれぐれもまともに戦おうとしないように、と。
魔竜は、その無数の眼で悠達を睥睨している。
その威容が放つ兇気は、悠の想像を遥かに超えていた。
「ひ、ひぃ……」
そのすぐ近くには、尻餅を付いた男子生徒。
月島が魔竜を見上げて、涙と鼻水を垂らして喘いでいた。腰が抜けたのか、這いずるようなその動きは牛歩よりも尚遅い。
魔竜の興味は、明らかに彼へと向いていた。
「月島君! 立って!」
「月島! 逃げろ! 月島ぁ!」
悠が剣を片手に立ち上がり、月島へと駆ける。
叫ぶ壬生も立ち上がろうとするが――震えた膝が、彼の勇気を拒んでいた。
(間に合え、間に合え、間に合え……!)
魔竜の纏う無数の貌が、愉悦の笑みを見せた。
悠が月島に駆け寄るまで、あと1秒足らずの距離である。
悠は、全力で駆けながら月島へと手を伸ばし、
月島が悠を見ながら、
「たずっ――」
その声は短く、濡れて、震えて、潰れて、歪んで……絶望と恐怖と悲哀と狂乱の入り混じったその声が、
月島啓太という少年の、最後の声だった。
彼の姿が、目の前から消える。
それは、悠の目の前に魔竜の前脚が振り下ろされたからで、
その下に、赤黒い染みが広がって、
嗅ぎ慣れた、人間の“中身”の臭い――人の、死の臭いが。
「死ん、だの……?」
誰かが、信じられないといった様子で呆然と呟いた。
あまりにも呆気ない命の終焉。命とはそういうものであると悠は知っているが、平和な社会で過ごした者にとっては、それは現実離れした非日常の光景だろう。
その場の皆は、それが現実の光景だと受け入れることを拒むように硬直していた。
そして悠は、
「あ……あぁ……」
悠の脳裏に、無数の顔が浮かぶ。もういない、子供たちの顔であった。
――また、死んじゃったね。
そう、言われた気がして、
「あ……あぁ……あ……あああああああああ!」
叫んでいた。
それは、声であって声で無いもの。
喉から迸る、感情の震えである。焼けるかと思うほどの熱さを伴う感情だった。
こんな感情は知らない。悠の思考に僅かに残る冷静な部分が、そんな戸惑いを得ている。
あるいは、それは悠が遠い昔に忘れてしまった感情なのかもしれない。
「あああああああ!」
その感情に任せるまま、悠は手にしていた剣を疾らせていた。
狙うは魔竜の前脚。悠の目の前で月島を踏み潰し、殺した凶器。
果たしてそんな場所を狙ったところで意味があるのか――などという合理的思考は吹き飛んでいる。ただ、目の前のそれに刃を叩き付けなければ気が済まなかった。
魔道の剣に力が漲り、そのまま剣を振り抜き、
魔竜の皮膚に触れ、
――白刃は、粉々に砕け散っていた。
無数の破片が宙に舞い、その向こうで無数の貌が、嘲るように笑っている。
刃が触れた前脚には、傷一つ付いていない。
絶望を感じる暇は無かった。
魔竜の身が躍る。
その動作の意味を知るのは次の瞬間。
魔竜の尻尾が、鞭のようにしなりながら迫り来る。人間の身体など容易く粉砕するであろう大質量の一撃は、悠を再生の間もなく即死させ得る破壊力を秘めているだろう。
悠は体勢を崩したまま、スローモーションのようにその光景を認識し、
「悠っ!」
鋭く叫ぶ少女の声。
体当たりの勢いで抱き着かれ、吹き飛ぶように身体が浮く。
(朱音さん……!?)
朱音が、悠の身体にしがみ付いていた。
その表情を恐怖に強張らせながらも、悠を庇っている。
その背に、風を切って唸る重尾が迫っていて、
「あっ……!」
悠は咄嗟に“壁”を生成した。
一瞬の甲高い衝突音、“壁”は容易く砕かれ、
視界いっぱいに、魔竜の尾が、
朱音の背に、
「――――」
何も聞こえない。何も見えない。
ただ、衝撃があった。
列車にでも撥ねられたような、身が粉々に砕かれたと思うほどの衝撃が意識を塗り潰す。
悠と朱音は、もつれ合うようにして跳ねながら、地面を転がる。
「ぐぁっ……!」
樹木に背を強かにぶつけ、ようやく停止した。
ハンマーで叩かれたような背の衝撃に息を詰まらせる。身体が痺れて立ち上がれないが、どうやら大きな怪我は負っていないようだった。
……朱音の身体が、盾になったから。
腕には熱く濡れた感触、鼻には血の臭気。
背筋が凍った。
「あか、ねっ……!」
朱音が動く気配は皆無、力無く悠に身を預けている。
回復して来た視界の中、腕の中の朱音は、
「ぁ……ぅ……」
生きていた。生きてはいたが、
「ごふっ……」
意識は無く、その口からは掠れた呼気と共に血が零れている。
恐らく竜尾の直撃を受けたのだろう、綺麗な形をしていた左肩がひしゃげている。そこから伸びる左腕があらぬ方向へと折れ曲がり、骨が皮膚を突き破っていた。それ以外に目立った外傷はないが、その様子からすると、多少なりとも内臓を痛めているかもしれない。
息はあり、経験則上は今すぐ命を落とすことは無いように思えるが、一刻も早い対処が必要な状態である。
「朱音さん……どうして……!」
悠は、総身が凍り付くような悲しみと恐怖に身を震わせていた。
どうして、僕なんかを庇ったんだ。
僕が友達だから? そのために、命を投げ出すような真似を?
このお人好し。君だって馬鹿だ。
そんな悠の思考は、凄惨な叫び声に中断される。
「いゃあああああああ!」
新たな断末魔が生まれていた。
血に濡れた視界の中、女子の一人が魔竜の顎に捕われじたばたと半狂乱で暴れていた、更に魔素中毒で動けない女子が一人、魔竜の足元に。
クラスでは仲が良くいつも一緒にいた、親友同士の二人。
水風船が割れるような音が二つ。
地面に、新たな血溜まりが二つ出来上がる。
「……うわああああああああ!」
そこでようやく、皆の心と体は硬直から逃れていた。
最も目立った行動は、逃亡であった。
動けたメンバーのうち約半数は、各々の恐怖を表しながら一目散に魔竜から走り去る、が。
魔竜が、駆ける。
「ああっ!?」
二人が踏み潰され、
一人が魔竜に捕まった。
その巨体からは想像もできない俊敏な動き。第二位階のメンバーに逃げ切れるスピードでは無かった。
「い、嫌だ嫌だ嫌だぁ! 助け――」
「この化物が! 離しやがれぇぇぇぇ!」
激昂した壬生の声。その手の先に生じていた空間の歪みが、撃ち出された。
壬生の用いる、砲撃の魔術。
溜めを必要とするのが難点であるが、下位魔族なら優に一撃で倒すことが出来る、強力な魔術である。
それは真っ直ぐに魔竜へと飛来して、直撃する。
鉄球でも激突したかのような撃音が鳴り響く。戦車砲にすら匹敵しているのではないだろうかと思えるほどの衝撃が異形に炸裂した。
魔竜は――無傷。
「嘘、だろ……?」
壬生が呆然と呟くが、悠はその理由に心当たりがあった。
(魔力装甲……!)
中位以上の魔族は、その身体に魔道の装甲を纏っている。
薄い――という表現すら躊躇われる、物理的にはほぼゼロに等しい厚みの装甲は、しかしこの世の如何なる物質の鎧よりも堅牢だ。
これを貫通するのは、第二位階の魔術では非常に困難なのだという。
悠の剣が折られたのも、壬生の砲撃が通じなかったのも、その魔道の装甲に阻まれた故の結果だろう。
「しに、たく――がぇっ……ぁ……」
更なる骸が生まれた。
その場に残されたのは、満身創痍の悠に、朱音、壬生、柚木澪を含めた僅かな第二位階のメンバーと、へたり込み、あるいは倒れている世良を初めとする第一位階のメンバー達。
大半が非戦闘員、加えて動くことすら困難な者もいる。
「どうやって倒すんだよ……こんな化け物……」
絶望、という言葉が鎌首をもたげている。
皆の心が折れ始める中、唸るような少年の声が上がった。
「あっ……ぐ……あぁぁぁぁぁ!」
悠は未だに痺れる四肢を無理やりに踏ん張りながら、立ち上がる。
こうして起き上がってみれば悠もやはり無傷ではなかった。胸を酷く痛めており、まだまともな呼吸が出来ず、心臓は破裂しそうなほどに鼓動を早めている。手足の痺れの原因は、脊髄の損傷かもしれない。
……それが、どうした。
朱音を一刻も早く治療しなければならない。皆をこの魔界から解放しなければならない。
そのためには、この魔竜を斃さなければ。
勝機があるかどうかなど二の次である。無駄な努力だったと後悔するなど、死んだ後にすればいい。無茶でも無理でも、やるしかないのだから。
考えろ、考えろ――何か方法は無いのか。
悠は歯を食いしばりながら、魔竜を睨み上げた。
魔竜は悠を睥睨し、剣呑な唸りを上げながら悠へと一歩を踏み出し、
「――<螺旋疾風>!」
その頭部に、疾風の矢が突き刺さった。
「え……!?」
螺旋を纏う矢が魔竜の頭部を削り、その身体を傾がせる。
その傷口からは紫の血が吹き出し、無数の人貌が絶叫を上げていた。
致命傷ではないようだが、明らかな損傷。この魔竜が決して無敵の怪物では無いのだという証左である。
魔竜が煩わしげに唸る。数多の貌は、ある一点を見つめていた。
その先に在るのは――
「……遅れて申し訳ありません」
張り詰めた、涼やかな女の声。
黒い戦闘服に身を包む、薄桃色の髪の娘。
その姿は、こんな状況にあってすら――否、だからこそのしなやかな麗しさを纏っていた。
「ルル、さん……」
狼人の戦奴が、そこに立っていた。
魔竜の犠牲となった少年少女の骸に僅かに表情を顰めつつも、その表情は冷徹なまでの鋭利さを備えている。
それは悠に見せていた柔和な淑女ではなく、命の奪い合いに身を投じる戦士の顔である。
「危急の事態故、加勢に参りました。これより先は、私が預かります」




