第11話 ―魔道―
降下した空中庭園を下りた悠たちは昼食を終え、今は魔道省の施設に戻ってきていた。
訓練や講義の準備は、その頃にはおおむねが終了していたようだ。
悠たちは今、訓練のために施設内のとある部屋へと案内されていた。
「何、この部屋……」
そこは、不思議な部屋であった。
学校の教室程度の広さの、綺麗な長方形の部屋である。窓一つ無く、床も壁も天井も、紫がかった鉱物のような材質で統一されており、綺麗な光沢を帯びた表面は鏡を思わせる。
部屋全体に漂う雰囲気に、どこか既視感があった。
「昨日、ラウロ様の立体映像を投影した装置を覚えてらっしゃいますか? あれをより大規模にしたものです」
そう言いながら、ルルは部屋の片隅で何やら装置を操作していた。
今彼女は、あの森の中で出会った時と同じ黒を基調とした衣装を身に着けている。身体にフィットしたその衣装は、彼女の均整の取れた肢体のラインをくっきりと浮き出させていた。
そして、その恰好は悠と朱音も同様である。悠は模造の剣を持たされていた。
特に朱音は年齢不相応な豊満な身体付きが、はっきりと見て取れる。胸部には丈の短い無骨なジャケット状の上着を着ているが、それすらも彼女のプロポーションを際立たせているようにも見えた。
年頃の乙女であれば恥ずかしがりそうな恰好だと思うのだが、朱音の立ち姿はモデルのように堂々としたものだ。
「アカネ様、やっぱりお胸大きいですネ、羨ましい……1歳しか違わないなんて思えないデス」
「べ……別に、そんないいもんでもないわよ。運動する時に割と邪魔だし」
見上げるティオの羨望の眼差しに、朱音は頬を赤くしている。
空中庭園の降下によって仕事が一区切りついたティオは、ルルの計らいによって彼女の補佐を次の業務として、悠たちと行動を共にしていた。
せっかく仲良くなったのにすぐ別れるのも寂しかったので、これは素直に嬉しかった。
話せば話すほどいい娘なのだ。
まだ奴隷になってしまってから間もないらしく、今は仕事を覚えている段階なのだという。
彼女は、自分の発展途上の胸をぽんぽんと切なげに叩き、
「でも、やっぱり大きい方が好きな人に見てもらいやすいと思いマス……ユウ様もそう思いませんカ?」
「ぼ、僕に振るのその話題!? あ、朱音さんどうして睨んでるの? なんで下がるの? 僕まだ何も言ってないよ……?」
そんな他愛も無い遣り取りをしているうちに、ルルの準備が終わったようだ。
彼女は装置のレバーに手をかけて、悠達に声を投げる。
「では、始めます。念のためにあまり大きく呼吸せず、静かな呼吸を心がけてください」
「は、はい!」
返って来た返事に頷くと、ルルはレバーを下に引き下ろす。
重厚な金属音を立てながら、装置が駆動を始めたようだ。
変化は、すぐに起こった。
「壁が、光ってる?」
壁だけではない、床も天井もだ。
紫がかった材質が、薄く明滅していた。それも材質全体が明滅している訳では無く、その表面に走った血管のような部分が紫に明滅しているのだ。
まるで生き物の内部のようなその気配は、
(魔界……?)
あの異形の空が広がる空間に、似ていた。
満ちる空気も、それに近い匂いを帯びているような気がする。
明滅は次第に激しくなっていたが、次第に安定して淡い紫色を宿すのみとった。
「微量ではありますが魔素が散布されているので、もし気分が悪くなるようでしたら仰ってください。ここにいる者は全員、魔道の位階を有しているので大丈夫だとは思いますが」
「魔素……?」
「……位階?」
首を傾げる悠と朱音に微笑みかけながら、ルルは指をぱちんと鳴らす。
突如として、ルルの隣に半透明の板のようなものが出現する。
ルルが指先を触れるとその表面には波紋が広がり、やがて図面のようなものが映し出されていた。
どこかに繋がる道のような図が、スタートからゴールに至るまで4色に区分されている。
「まずは講義から始めましょう。明日の戦いのため、そして、これからも生き残るために――」
魔道を行使するとは、即ち“道”を歩むことである。
その道は、この世界の全てを生み出した高次の領域に繋がっているとされ、その道を歩み世界の根源へと近づくことで、その世界創造の神秘の力の一端を手にすることが出来る。その道こそが、魔道なのだ。この道がいつから存在し、どのような原理や理由から生み出されたのかは、明らかになっていない。
この魔道を知覚するには、希少かつ先天的な才能が必要であり、悠たち地球人はその才能を無条件で有しているというのは、ラウロが語った通りである。
「そして魔道は、より深くに進めば進むほど力を高めていきます」
ルルは、いつの間にか生み出していた棒で4つに色分けされている道を順番になぞる。
「これを位階と呼び、魔道師の力量を示す非常に重要な指標となります」
最初に、スタート地点に近い部分を示して、
「まず第一位階“力”。恩恵は、魔素への耐性と若干の身体的機能の向上。ユウ様たち地球の方々は、最低でもこの位階にあります」
「魔素……今もあるんですよね? 何なんですかそれ?」
「あの魔界に満ちている、人体に有害な物質です。魔道の行使のために必要な魔力の源でもあるのですが、耐性を持たない人間にとっては猛毒と変わりません」
「ちなみに、わたしはこの位階デス」
「そうなんだ、ティオも才能あるんだねぇ」
「えへへー……ありがとうございまス、ユウ様」
ティオはたいそう嬉しそうだ。ルルは再びの咳払いの後、言葉を続ける。
「これだけでも、我々の世界ではそれなりに有用な才ではあるのですが、一般的にこの位階の者を魔道師と称することはありません。何故なら――」
ルルは次の、2つ目の区分へと棒を向ける。
「第二位階“術”。魔道師の代表的な力である、魔術を行使できるようになる位階です。一般に魔道師とは、最低でもこの魔術を行使できる第二位階以上の者を称するのです」
ルルは自分の胸元に手を当てて、そして悠と朱音を順番に見やり、
「お二人と私は、この第二位階にあります」
先日の森での戦いを思い出す。
あの時のルルは、確か矢に風を纏わせていた。あれがルルの魔術ということなのだろう。
「ユウ様の障壁生成や、アカネ様の身体強化も、この魔術に該当します。この魔術がどれほど強力なものであるかは、お二人はすでにご存じかと思います」
例えば、魔道を使える朱音の身体能力であれば、大熊を正面切ってねじ伏せることすら容易なことだろう。それ故に、現実の悠たちは魔道を封印されているのだ。
ですが、とルルは悠を神妙な様子で見つめていた。その視線を受けて小首を傾げる悠に、ルルはにこりを微笑み返す。
それを見る朱音が、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「第三位階“法”。魔術より高次の技法である魔法を行使できるようになります」
魔術と魔法、似たようなものに見えるが、この世界においては別物として認識されているようだ。
「魔術と魔法の最大の違いは、その発現形にあります。魔術とは、魔道から一時的に引き出した影響力により本来は起こり得ない事象を発生させる技術であり、長時間の維持は負担が大きいのです。アカネ様の肉体強化は少々原理が異なるので、その限りではありませんが」
そして、とルルは言葉を切り、
「魔法とは、己の魂の一部を固有の法則として世界に具象化し、固定し、そこから継続的に影響力を引き出す技法です。その総合的な力は魔術の比ではありません。そして、世界に流れ出した使い手の魔法は、何らかの形を成して具象する訳ですが――ユウ様のその剣は、魔法としての要素が見受けられますね」
「えっ?」
きょとんと目を瞬かせている悠の代わりに、朱音が言葉を発する。
「悠には、第三位階の素質があるってこと?」
「その通りです、アカネ様。通常、魔術をそのように形を成して維持することは。余程の卓越した技量が無い限り困難です。その剣は、不完全な形で具象化したユウ様の魔法の片鱗であると思われます」
「ユウ様、すごいデス!」
「……凄いの?」
戸惑う悠に、ティオの興奮気味に声が続く。
「すごいのデス! 魔法を使えるのは限られた天才だけなのですヨ!」
「ティオの言う通りですよ、ユウ様。全員が魔道の素養を持つ地球の方々においても、第三位階に至ったお方は限られています」
「へえ……」
自分が天才――いまいちピンと来ないが、そう言われて悪い気はしない。照れ臭くも自然と頬が緩んでくるのを、朱音が半眼を向けて窘めて来た。
「今のところは不完全なの、忘れないでよ」
「あう」
しゅんとする悠を尻目に、朱音が問いかける。
「で、その魔法っていうのはどうやったら完全になるのよ?」
「そうですね、魔法を完全な形で具象するには二つの要素があるのですが……一つ目が、詠唱です」
「詠唱? 何か唱えるんですか?」
ちょっとカッコいいかも、と心が躍り、
「ああ、あの悠が好きなアニメのポエムみたいな……」
「…………」
萎んだ。
「はい、己の魂の在り方を世界に宣言し、理として世界に流れ出させるのです」
「僕の魂の在り方……」
良く分からなかった。だから自分の魔法は不完全なのだろうかと思いながら、悠は朱音の問いを引き継ぐ。
「もう一つは何ですか?」
「魔法の銘です」
「銘?」
「要は、己の魔法の固有名称です。詠唱により己の魂を理として世界に引き出し、銘によって世界に固定化し、魔法の具象を成す――これが魔法具象の一連の流れとなります。詠唱も銘も、第三位階に至れば魔道が教えてくれるのですよ」
銘――つまり、必殺技や奥義の名前のようなものということだろうか。
真面目な話をしているのは分かっているが、テンションが上がっていくのを悠は感じていた。
「おお……な、なんかカッコいいですね……!」
「あたしはよく分かんない」
対照的な二人の反応。
ルルは苦笑を漏らしながら、一つの映像を投影した。
そこには、どこか見知らぬ場所で弓に矢を番えるルルの姿が映し出されている。
「私、魔法は使えませんが、それを疑似的に行う技術を修めていますので……実際に見ていただければ、少しは理解していただけるかと」
映像の中のルルは、2mを超えるであろう大岩に狙いを付けながら、厳かに口を開く。
『風よ疾れ、集いて旋りて力と成せ――』
呪文のような言の葉の羅列が、その唇から紡がれる。
それに従い、その鏃に螺旋を描きながら風が集っていく。
小型の竜巻のようなそれは、剣呑な唸りを上げながら密度を高めていった。
そして、獰猛な美声が響く。
『――〈螺旋疾風〉!』
ルルの高らかな叫びと共に、螺旋を纏った矢が放たれた。
大岩に衝突し、渦巻く疾風はドリルの如く削り、貫通する。
中心を穿たれた大岩は、そのまま砕け――そこで、映像は終わっていた。
まるで一つの映像作品である。
矢を放つ瞬間など、映画のように3つのアングルから繰り返す念の入りようだ。
「……如何でしょうか?」
ルルは、そこはかとなくドヤ顔であった。狼の耳はピンと立ち、ふさふさの尻尾はゆったりと誇らしげに揺れている。
悠はその一連の光景を見て、素直な感想を述べた。
「カッコいい! カッコいいですよルルさん!」
「わたしもカッコいいと思いますデス!」
「うふふ、ありがとうございます」
両拳を握って興奮する悠とティオ。気を良くしたのかルルの尻尾のテンションがぱたぱたと上がっていく。
「ね、朱音さんもそう思わない?」
話を振られた朱音の表情は冷え切っていた。
不機嫌そうなへの字口から、冷淡な声が漏れる。
「……別に。恥ずかしくて背中痒くなったわ」
ぴしり、とルルが笑顔のまま凍りついた。尻尾がぴたっと止まる。
「あ、朱音さん……せっかくルルさんがさあ」
「知らないわよ」
朱音は唇を尖らせて、そっぽを向いた。
ルルを強く警戒している朱音だからして、その態度も予想できるものではあった。
むしろ、置かれた境遇の理不尽さを思えば彼女の振る舞いこそ正常かもしれない。彼女にとって悠の態度はお気楽に過ぎるように見えているのだろうか。
「ていうか何よ今の変に凝った動画。まさか自分で編集した訳じゃないでしょうね」
「…………」
くぅん、と少し切なげな吐息が聞こえた気がした。
図星なのだろうか?
「ル、ルルさん、大丈夫ですカ……?」
「……異世界のお方なのですから、価値観が異なるのも当然のこと。何も気にしてはいません」
ティオとおずおずと気遣う声に、ルルは平静な表情と声で返す。その美貌には、あいかわらずの柔和な微笑が浮かんでいた、が。
「まあ、その……魔法の具象化もこれに近いものと思ってくれれば宜しいかと」
その尻尾は、しゅーんと力無く垂れ下がっている。落ち込んだ犬のようだ。狼耳もへなっとしていた。
悠は、アカネの袖をちょんちょんと引いて、控えめな抗議を投げる。
「ほら朱音さん、ルルさんの尻尾見てよ。しゅーんってしてるよ、しゅーんって。平気そうな振りしてるけど、やっぱり落ち込んでるんだよ。可愛そうだと思わない?」
ルルの肩が、ぴくりと震えた。
「ユ、ユウ様!? もうそのことは触れない方がですネ……?」
ティオの狼狽した声に、悠は「えっ?」と首を傾げた。そんな生温いやり取りを、朱音は白い目で見やりながら、
「空中庭園でちょっと借りはできたけど、あたしは慣れ合うつもりなんてないのよ。さっさと次に進めたら?」
朱音がきっぱりした言葉に、その場には気まずい沈黙が落ちた。
悠が、ぼそぼそとティオに耳打ちする。
「……何か、ごめんね」
「大丈夫デス。ご事情は分かりますのデ」
「本当は優しい人だから――」
「そこうっさい!」
ひっ、と身を竦める悠とティオ。
やがてルルが咳払いし、何事も無かったかのように口を開く。どうやら立ち直ったらしい。
「……まあ、明日の戦いでは完全な魔法はあまり期待しない方が良いでしょう。現時点で可能な選択肢で戦うことを考えるべきです。さて――」
ルルが再び、装置を動かし始めた。
手慣れた動作で操作し、レバーに手をかけて、
「――では、次の講義に映りましょう」
下ろし、変化はすぐに表れた。
悠たちの周囲の空間が、突如として歪んでいく。そしてその歪みの中に、染みのように広がっていくものがあった。
それは次第に一つの形を成していく。
魔族の、形に。
あの人蜘蛛の異形や、他にも正気の沙汰とは思えない造形の怪物が、悠たちを囲んでいた。
「なっ……!」
「ちょっと!?」
悠と朱音は狼狽して臨戦態勢となる。
二人に向けて、ルルのおっとりした声が掛けられた。
「ご心配なく。これらも投影された映像です。いきなり襲いかかってくるようなことはありません」
よく見れば、魔族たちの造形も微妙に精密さを欠いている。
悠と朱音はわずかな安堵を覚えるが、一昨日の悪夢のような体験を思えば、とても気を抜くことは出来ない。
落ち着かない心地のまま、続くルルの言葉を待った。
「我々人類を害することに特化した生態を持つ、不倶戴天の敵性存在――いまだ謎の多い存在ですが、数えきれないほどの人々が、この怪物の犠牲になって来ました」
幻影の魔族を見つめるルルの眼差しに、仄暗い熱が見えた。傍らからは、ティオの震えるような息遣いが聞こえる。
二人とも、相当に思うところがあるようだった。知己を魔族に奪われたことがあるのかもしれない。
「これらは下位魔族という弱い個体ですが、それでも第一位階では対処は困難です。明日の戦いでは、このうちのいずれかの個体からご学友を守りながら戦うことになるでしょう」
そう、明日になれば再び命懸けの戦いをしなければならないのだ。そうすると、自分から言い出したのである。生温いやり取りで気を緩めていた悠は、表情を引き締めて気を取り直した。
「ここからは、実践を交えていきましょう。この魔族の幻は、攻撃を当てれば消えます。実戦とは勝手が異なる部分もありますが、無駄ではないでしょう」
ルルの言葉に従い、周囲の異形から剣呑な気配が漂いはじめた。
ティオが慌ててルルの方に逃げていく。
いよいよか、と悠は剣を握る手に力を込める。朱音もまた、ゆらりと藤堂流の構えを取った。互いに背を預けて、周囲を取り囲む異形の怪物たちと対峙する。
「朱音さんは、明日の戦いに行くわけじゃないんだから、無理に今やらなくてもいいんじゃないの?」
「……別にいいでしょ、ついでよ、ついで。男の癖に細かいこと気にするんじゃないわよ」
「うぐっ……朱音さんがいいなら、いいけどさ」
幻の魔族を制御しているルルは、二人の様子に静かな笑みを送っている。彼女の意志一つで、あの怪物たちは襲いかかってくるのだ。
張り詰めた緊張感が満ちていた。
「では……はじめ!」
ルルの鋭い声ととも、彼女に制御された異形の幻が襲いかかる。
朱音に襲いかかる数が妙に多いように見えるのは、気のせいなのだろうか。




