第14話 ―人獣・その7―
これまでのあらすじ
“人獣”への復讐のため、ルルが姿を消した。
来たる災厄に備えていた帝都では、悠が玲子の弟である玲人と邂逅する。
そして粕谷は、悠への劣等感を払拭し、力を得るために薬物と人体実験に身を投じるのだった。そこに、“人獣”の企みが介在しているとも知らず……
“人獣”とは、いかなる組織なのか。
各国の治安関係者など、日常的に“人獣”の動向に目を光らせている者たちは、そもそも組織と称することが相応しくないと口を揃える。
すなわち、“人獣”とは思想、あるいは宗教であると。
“人獣”を名乗る者は、世界各国に現れるものの、彼らとシドには直接的な関係が無いケースが多い。
ただ、シドに憧れ、彼に認められたくて、彼のようになりたくて、無法外道に走る者が大半なのだ。
“人獣”のシンパの間で連絡を取り持つ者もいるが、それでも“人獣”の縦・横の繋がりは極めて希薄、ないしは皆無。湧いて出る末端の“人獣”を叩こうとも決して中枢に辿り着くことはなく、あたかも意思ある災害を相手にしているような不毛な心境を各国の為政者や治安関係者に与えている。
また、“人獣”には組織的な目標というものが存在しないのも、この集団を組織と呼ぶことが躊躇われる一因だろう。
“帝国”のうち宰相派は、ふたたびの世界統治。
“覇軍”もまた、世界の覇権を狙っている。
“夢幻”は、居場所のない者たちの楽園であること。
“鋼翼”は謎が多いものの、世界のパワーバランスを調整しようとしているという指摘が多い。
“教会”ですら、教会という組織を形成し、アーゼス教をあまねく世界へと広め、浸透させていくことを掲げている。
国家などの共同体であればコミュニティの生活を守ること、商会ならば金を稼ぐこと――前提として何かの目的があり、目標を掲げ、組織は形成され、動く。
では、“人獣”とは何を目標とした集団なのだろうか。
……分からない。分かるはずもない。
何せ、“人獣”を名乗る者すら分かっていないのだから。
彼らは、胸のうちに埋もれていた悪意の種を萌芽させた、人面獣心の輩。ただ、その悪意を振り撒くのみ。
そして、そんな禍々しき種に降り注ぐ暗黒の光源が、漆黒の太陽たる“獣天”シド・ウォールダーなのだ。
“人獣”がシドに呼応する形で発生した集団であるならば、すなわちシドの目的こそが“人獣”の目的ではないのか。そう考えることもできるが、シド自身も獣のごとくその場の欲求に従って動くのが厄介なところだ。
分かっているのは、“強い”人間の前に現れる傾向があることだけ。特に他の三人の“天”を追った動きを見せることが多いが、突如として無軌道な行動に出て惨劇を引き起こすことも珍しくはない。
そんなシドの途方もない悪意に魅せられた者が“人獣”となり、世界に災禍を振り撒いていく。
実体もない、拠点もない、人の悪意を糧として世界のどこにでも出現する人的災害。
それが人類史上最悪とも称される武装集団“人獣”であった。
だが、例外もある。
シドの命により、“人獣”が大規模な組織だった行動に出るケースも少数であるが確認されていた。
その際にシドと共に現れるのが、“爪牙”と呼ばれる者たちだ。
その力や頭脳、精神性をシドから評価され、直接に目をかけられた“人獣”の精鋭である彼らは、その悪意もシドへの信仰心も一際強い。
ことごとくが特級の危険人物であり、名や顔を知られている者には、その首に一生喰うに困らないほどの懸賞金がかけられているほどだ。敵対している国家間においてすら、“爪牙”の動向についての情報は惜しみなく共有することとなっている。
そして現在、帝国領内にも、相当数の“爪牙”が潜伏していると見られていた。
あるいは、この帝都アディーラにも。
「今のところ、帝都で目立った事件が起きてないけどね。“爪牙”はシドへの忠誠心が特に強いらしいから、声がかかるまでじっとしているのかもしれない」
悠は、帝城の廊下を歩きながら傍らの少年の話を聞いていた。
雨宮玲人。玲子の弟である黒髪の少年は、穏やかで親しみやすい声色で語っている。
軍部から呼び出され、今後の異界兵の行動指針について聞かされた帰り道であった。
「もし、いきなり暴れられでもしたら魔道を封印する前に相当な被害が出るかもしれないよ。鉄壁の護りと評判の魔道封印装置も、こういう攻め方をされるとなかなか活かせないみたいだ」
「うん……」
以前は玲人とは親しく話していた悠であるが、今は曖昧な笑みで相槌を打つのみだ。
あの時に省吾から聞かされた話が、引っかかっていた。
雨宮玲人は、怪物である。
その言葉とともに聞かされた、あるエピソード。
玲人は、間接的にではあるが、同じ異界兵を死に追いやっている。
過失や事故ではなく、己の決断で。
信頼している省吾から語られた話であるし、美虎たち古株のメンバーにも確認を取ったので、真実なのだろう。
「悠が……その魔道の才能が目的なんじゃないかって話だけど、俺はね、他にもシドには目的があるんじゃないかって――」
玲人とどういった距離感で接すればいいのか、決めあぐねていたのだ。
誰かを拒絶することは、したくない。
もしかしたら、玲人にも何か事情があったのではないか。
他の誰かでもそうせざるを得なかったような何かがあったのではないか。
だが、それを直接に問い質す思いきりは持てないでいた。
それに、今はルルのことが気になって仕方がない。
彼女は無事だろうか。また会えるのだろうか。
考えてしまうと、落ち着かない気持ちになってしまうのだ。
「――悠?」
「う、うん……どうしたの、玲人?」
「心ここに在らずって感じだったからね。何か悩みごとでも?」
「え、いや、それは、その……」
玲人が、苦笑しながら言う。
「もしかして、俺のことかな? 省吾さんたちから、何か聞かされてる?」
「……っ」
目を丸くして言葉を飲み込む。
言わずとも、語っているようなものだった。
玲人はそんな悠の反応を、微笑ましげに見つめていた。
「そうだね、気になるなら、別に俺は――おや?」
何かを言おうとして、玲人は悠の背後へと視線を移す。
ちょうど、廊下が十字に交差している場所だった。
悠は何ごとかと、玲人の目を追うように振り返り、道の奥を通り過ぎようとする人影を認める。
黒髪の女性。知っている人だった。
「姉さん」
「……玲子先輩!」
姿を見るのは、久しぶりだった。
思わず、声が弾む。
悠の声に反応するようにして、彼女が振り向いた。
遠目に見えるのは、驚いたような表情。
……そして、身をこわばらせるような気配が続く。
悠ではなく、弟である玲人を見ているような気がした。
玲人が、小さく肩を竦めていた。
苦笑まじりに言ってくる。
「俺はお邪魔みたいだね。先に行ってるから、話してくるといい」
「別に、邪魔だなんて……姉弟なのに」
「いいから」
玲人は淡く微笑みながら片手を軽く振り、颯爽とした足取りで去っていく。
その背は、すぐに角を曲がって見えなくなっていた。
釈然としないものを感じながら玲人を見送った悠に、懐かしさすら感じる声がかけられる。
「……悠くん、久しぶりね」
玲子が、近くまで駆け寄ってきていた。
彼女はいつもの制服姿ではない。
黒を基調とした、シックなデザインのドレスを身にまとっていた。
珍しく気恥ずかしそうに裾をちょんとつまみ上げながら、問いかけてくる。
「どう、似合う?」
「はい、それはもちろん……まるで、お嬢様みたいですよ」
「雨宮家のお嬢様なんだけどね……?」
綺麗であるが、いささか以上に大胆にも思えた。
胸元はかなり思い切って開き、背中はそのほとんどが露わとなっている。
スカートのスリットからは、太ももが大きくのぞいていた。
化粧をしているおかげか、大人びて見える。
玲子が美しい少女であることは知っていたが、ここまで艶やかな色香を漂わせる彼女を見たのははじめてだった。
つい、目を奪われる。
そんな悠を覗き込むようにして、玲子は嫣然と微笑んだ。
「あっれぇー? お姉さんの恰好に興奮しちゃった? 性欲もてあましちゃう? やだもー、私も悠くんの毒牙にかけられてハーレム入りしちゃうのかしら! えーと、今5人目だっけ?」
「そ、そんなことしなっ……ていうか、なんで把握してるんですか!?」
「あら、合ってた? それなら5人目はたぶん……伊織ちゃん?」
「う……ぐっ」
それもまた、白状しているようなものだった。
玲子は楽しげにころころと笑い、目元に涙を浮かべながら廊下の向こうを指し示す。
「ねえ悠くん。時間あるなら、ちょっとあっちでお話しない?」
そして玲子に案内されたのは、開放的な一室であった。
悠たちの暮らす居住区画より高所の位置するこの部屋は、バルコニーから帝都を一望することができる。
すでに日は落ちており、闇夜に沈んだ街並みを人々の生活の灯が宝石のように彩っていた。
玲子は手すりから身を乗り出し、夜風に黒髪をそよかぜている。
その隣に立ちながら、悠はおずおずと問いかけた。
彼女がいつになく色っぽい雰囲気を漂わせているので、緊張してしまっていた。
「帝国の偉い人と会ってたんですか?」
「そうよ、この後もね」
「……その、ちょっと大胆過ぎません?」
「そう?」
玲子はひらひらと自分の衣服を弄ぶ。
わざとやっているのか、悠の位置からかなり際どい部分が見えそうになり、慌てて目をそらす。
彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、言葉を続けた。
「まあ、お偉いさんってだいたい男の人だから。この通り、私ってば美少女だし? 使える武器はなんでも使っていかないとね」
玲子が、皇帝派を有利にするための人脈作りに励んでいることは知っている。
そして今は、対“人獣”で帝国に貸しを作るためにも奔走しているのだという。
間近で見ると、わずかに疲労の陰が滲んでいるような気がした。
前線に出て血を流すばかりが能ではない。
玲子は、悠や省吾にはできない戦いに身を投じ、その最前線で全力を振り絞っているのだろう。
「……ご迷惑おかけします」
「いいのよう。日本にいたころからだし。脂ぎったオジサマの相手なんて慣れっこよ……そ・れ・に」
がばっ、と玲子が抱き付いてきた。
そのまま彼女の手が、怪しく動きながら悠の身体を這っていく。
「わっ!?」
「うふふふふ、こうやって悠くんで癒されればまだまだ頑張れるもんねー! ああ、すべすべでぷにぷにで、いい匂いもして! へっへっへ、いい尻してんじゃねえか……!」
「何言ってるんですか!? ……もう」
抵抗しようとしたが、やめた。
今は彼女のしたいようにさせてあげよう。
そう思っていると、玲子が頬ずりしながら拗ねたような声で、
「……嫌がって暴れる悠くんの敏感なカラダをまさぐるのが楽しいのにぃ」
「何それ面倒くさい!」
だが悠のよく知る玲子と再会できた実感に、ホッとしたような気持ちもある。
しばしそうやってじゃれ付かれていると、玲子がぽつりと聞いてきた。
「……玲人と、仲良くしてるんだ?」
どこか不安げな響き。
わずかな罪悪感を得ながら悠は頷いた。
「それは……はい。玲子先輩から言われたことも、忘れてはいないですよ。別に、玲人のグループに入ったりとかはないですから」
「……うん、それならいいや。まあ、悠くんと接触してもいいって言ったのは私だしね。夢幻城の時の借りがあったから。悠くんが玲人を邪険にはできないだろうなあって思ってたし」
ぎゅっと、悠を抱き締める力が少しだけ強くなった。
「それに、今の悠くんなら大丈夫だと思うし。最初に会った時に比べたら、見違えたわよ」
「この前、朱音たちに何も成長していないって言われてお仕置きにデコピンされましたよ……?」
あでこをさすりながら呻く悠に、玲子は小さく吹き出した。
「お姉さんには分かるの。小学生の頃から、政財界の魑魅魍魎どもとやり合ってきたんだから。対人経験の年季と密度が違うのよ。君はきちんと前に進めてる。進んだ分だけ、強くなれている。お茶の間でも評判の雨宮家の天才令嬢が保証してあげます」
「……そうだといいんですけど」
そう褒められると照れ臭い。
ぽりぽりと頬を掻く悠を、玲子は慈しみの眼差しで見下ろしていた。
それは、いつも悠のそばにいたある女性を思い出す目で、
「きっと、ルルがいたら同じことを言っていたと思うわ」
玲子の口から、その名が紡がれる。
そのまま、彼女は申し訳なさそうに言葉を続けた。
「ごめんね、ルルらしき情報は幾つか上がってくるんだけど、動向の変化が早過ぎるみたいで……私にも、今どこにいるのか、さっぱりなの」
「それは、仕方ないですよ……」
とても心配である。
彼女の身の安全だけではない。
その心も、気がかりであった。
復讐者として行動しているであろう今のルルは、どのような精神状態でいるのだろうか。
悠の知っている彼女は、今も存在しているのだろうか。
「復讐、かぁ……祖国を滅ぼされたのなら、無理もないことだとは思うけど、ね」
物憂げに呟く玲子は、ルルとは親しかった一人だ。
今思えば、人の上に立つ人間同士で共感できる部分があったのかもしれない。
続く玲子の言葉には、珍しく躊躇と怯えの色が混じっている気がした。
「ねえ、悠くん。ちょっと聞きづらいこと聞いてもいい? 嫌だったら答えなくてもいいから」
「……何ですか?」
「悠くんの、研究所時代のこと」
「……っ」
科学者の狂信や政治家、資産家の欲望のために生み出された研究施設。
何千人もの子供が犠牲になった、あの地獄。
そこで悠は幾度も身体を切り刻まれ、潰され、溶かされ、灼かれ、凍らされてきた。
目の前で、何の罪もない同胞が数えきれないほど死んだ。
悠はただ一人生き残り、たった一年の余命を宣告された。
「あの研究者や出資者にさ、復讐してやりたいと思う?」
「…………分かりません。許せないって、報いを受けるべきだって思います」
藤堂正人らによって研究所は解体され、所属していた研究者や出資していた政財界の大物たちは別の罪をでっちあげられ、総てを失ったとは聞かされていたが、それでは足りない。
彼らの犯した罪は、死をもってすら償えるものではないのだから。
しかし、あえて復讐をしてやりたいかと言われれば、どうなのだろうか。
「少なくとも、復讐してやろうと考えたことは、ありませんでした……でも、相手を実際に目の前したら、そういう気持ちになるのかも」
「……そっか」
玲子の震える吐息が、耳元を撫でていく。
それがいかなる感情を乗せて吐き出されたものなのか、窺い知ることはできない。
「ごめんね、変なこと聞いて」
「それはいいんですけど」
こんなに弱々しい玲子を見るのは、はじめてだった。
悠の知らない何かを抱えているのだろうか。
幼い頃から政財界に関わってきた玲子も、悠より2年早く生まれただけでの少女なのだ。たまには、こういう時もあるかもしれない。
悠を抱き締める彼女に手に自らの手を重ね、躊躇いがちに語りかける。
「あの……僕で良かったら、いつでも相談に乗りますから」
「……ごめんね」
もう一度、玲子は謝ってくる。
何に対して謝っているのか。
悠には、それが一つの意味での「ごめんね」ではないように聞こえていた。
しばらくそうしていると玲子はいつもの調子を取り戻し、そのまま帝城の中へと消えていったのだった。
そして、翌日。
早朝、悠の部屋に一人の客人が訪れた。
「やあ、おはよう」
「……む、雨宮玲人か。何の用だ」
メイド姿の伊織が、露骨な警戒で彼を迎える。
毛を逆立てる猫のように刺々しいオーラを放ちながら、彼を睨んでいた。
それを凪のように受け流して、玲人は爽やかな笑みを浮かべた。
「そんなに怖い顔をしないで欲しいな、島津さん。ちょっと、彼と話したいことがあるだけだよ」
「伊織先輩、大丈夫ですよ」
「悠が言うならよかけど……」
渋々と下がった伊織と入れ替わりに、柔和な表情で玲人に対応する。
「おはよう、玲人。上がってく?」
「いや、手短に要件だけ伝えるよ。今夜……そうだね、18時頃から時間を空けておいて欲しいんだけど、できるかい?」
「うん、それはいいけど、どうして?」
「ちょっと、一緒に来てほしい場所があってね」
遊びに行こう、という雰囲気ではないようだった。そもそも、今はそんな状況ではない。
わずかな警戒を胸に、悠は問いかける。
「どこ?」
「それはね」
玲人は伊織をちらりと見て、こちらに顔を近付けてくる。
彼女に聞かれてはまずい場所なのだろうか。小さな声で、耳打ちしてくる。
「……娼館」
「へっ……?」
まずいなんてレベルではなかった。
更新が遅くなり申し訳ありません。
あと2話ほどで5章前半は終わり、本格的なバトルパートに入る予定です。
後半は悠以外のキャラにどれぐらい尺を割くかにもよりますが、前半よりは短くなるかなと思ってはいます。思っては……
あと、キャラの人気投票ページで玲子を入れ忘れていたことに今さら気付きましたw




