第25話 ―聖天来訪・その15(最終日)
そこは、静謐な雰囲気に包まれた空間であった。
清潔感溢れる澄んだ空気、白を基調とした内装には汚れ一つ見当たらない。
帝都アディーラに建造された、アーゼスフィールの大教会。
その一室に、悠は案内されていた。
テーブルと一対の椅子、その傍らに一人の少女が佇んでいる。
「お待ちしていました、ユウ」
“聖天”ファースティが、悠におっとりと微笑みかけた。
新雪のような白い髪、ほっそりとした華奢な肢体に、羽衣のような白い衣装。
3日ぶりに出会う聖女は、初対面の時に思わせる厳かな清気をまとっている。
悠は思わず畏まり、身をこばわらせた。
「お、お久しぶりですっ……!」
ファースティは、くすりと笑みをこぼし、小首を傾げながら言う。
「もっと、自然にして良いのですよ。ここには、私たち二人しかいないのですから」
「う、うん……おはよう、ファースティ」
「はい、おはようございます、ユウ。ごめんなさい、朝早くに急に呼び出して。今日中には帝都を出立するので、その前にお話ししたかったんです」
祭りが終わり、伊織との忘れられないひと騒動があった翌日。
“聖天”ファースティ・アーゼスフィールが会いたがっていると、帝国からの使者があったのだ。
もう一度話したいと思っていたし、『吼天の戦姫』も渡したかった悠は、一も二もなく頷き、朝から大教会に赴いた次第である。
客人として教会関係者の専用区画に通されて、こうして彼女と再会していた。
ファースティに勧められて椅子に腰掛け、悠は穏やかな笑みでかぶりを振る。
「いいよ、僕も君に会いたかったし……と、そうだ。あのね、君に見せたいものがあるんだっ」
悠は声を弾ませて、肩に下げてきた袋から荷を取り出す。
それを見た瞬間、ファースティは子供のように目を輝かせた。
「あ、それはっ……!」
「『吼天の戦姫』。何冊か持ってる人いてさ、いらない分を貰ってきたんだけど……」
ちょっとだけ、言い淀む。
ルルに話を持ち出しておいてなんだが、この綺麗な場所でお金の話を口にするのは、どうにも無粋な気がした。
どうしよう、彼女にはこのままタダで渡して、自分の手持ちからお金を出すことにしようかな。
そんなこと考えていると、ファースティが先んじて口を開いた。
「おいくら、支払えばいいですか?」
「えっ……」
「それと、お金の話は別に汚くなんてないと思いますよ。人が生活をより便利にするために編み出した、立派な発明です。このアーゼス教だって、似たようなものじゃないですか」
まるで、悠の心の中を読まれたかのような物言いである。
彼女は第四位階の魔道師なのだから、そういう魔道の能力があってもおかしくはない。
あるいは、聖女と謳われる彼女自身に帰属した才覚なのだろうか。
「ああ、うん……じゃあ」
悠は金額を伝えると、彼女は快く了承した。
嬉しそうに本を抱き締める彼女に、悠は苦笑しながら問いかける。
「僕、そんなに分かりやすい顔してた……? それとも、そういう能力があるの?」
「ユウが言葉に詰まった理由を推察し、ユウの性格から選択肢を絞り込めば、特別な能力なんて無くても分かると思いますよ」
「そうなんだ……。でも、すごいこと言うんだね。自分のところの宗教を、発明扱いだなんて」
「そうですか? アーゼス教に限らず、宗教ってそういうものだと思いますよ」
「でもさ、神様を信じてるんでしょ?」
「ええ、もちろん……神は、ここに在ります」
ファースティは、威厳に満ちた笑みを浮かべながら、自分の胸元に手を当てた。
「神は、私のなかに。そして、神を真に信じるすべての人々のなかにいます。アーゼスの教えとは、信仰するに足る偉大な神を、己のうちに作り出すための設計図であり、技術体系なのですよ。どこにいるかも分からない、いることを証明もできないような胡散臭い存在を有難がるような益体もないものではありません」
「…………へ、へえ」
悠のイメージしている宗教に比べると、かなりエキセントリックな理屈に思えた。
そういえば、アーゼス教聖女派は、いわゆる革新派として知られているのだった。
必ずしも、彼女の考え方は主流ではないのだろう。口にすれば、異を唱える者はきっと大勢いる。
「実在を信じられる偉大な存在が、自分をうちからいつも見ている――その方が、より己を強く正しく律することができると思いませんか?」
「うん……そうかもね」
しかし、その考え方は嫌いではない。
悠は、創造主とかそういったものを崇め奉るような姿勢が、あまり好きではなかったから。
自分にとって神とは、15年のあの地獄から誰も救えなかった役立たずだった。
「じゃあ、アーゼス教の神様っていうのは、第四位階たちが見ている……その、“神格”っていうのとは、やっぱり別なんだね」
「ええ、神格というのは、世界の外側に揺蕩う高位存在を定義付けただけの言葉です。一柱一柱が途方も無く――それこそ、世界を踏み潰せるほどに強大な存在ですが、別に信仰の対象となるような神聖な存在だったりする訳ではないですよ」
神格――神の格を有するもの。
それは、魔道が繋がっていると言われてる世界の外側の高次次元、そこに在ると言われている存在。
魔道の高みへと至り、そこへ触れることができた者こそ、魔道の第四位階“天”なのだ。
目の前の華奢な少女も、その一人である。
「でも、面白いと思いませんか? この世界で神格とされている存在の名は、ユウの世界では神話や聖書というものにも記されているのですよ」
「……そうらしいね」
それは、悠も調べて驚いた。
地球の神話や聖書に登場する神や悪魔、あるいは英雄の名前が、こちらの世界の古い書にも記されているのだ。
1日24時間という概念の一致。ドイツ語とよく似た部分が多数見られる、フォーゼ言語。
地球人がこちらの世界に召喚されるようになるずっと以前から、二つの世界には偶然とは思えない共通点があった。
長い年月を生きている“偽天”マダラなら、何かを知っているのかもしれないが、今は、そこに含まれる浪漫に覆いを馳せることぐらいしか出来なかった。
しばし雑談に花を咲かせていた時、ファースティが話題を切り替えてきた。
「さて、お話は変わるのですが……これが、ユウを呼んだ本題でもあります。あのお祭りの時は、お話する機会がありませんでしたから」
「どうしたのさ、改まって?」
そして彼女が口にしたのは、忘れられない人物の名前であった。
「アリエスと、会いましたよね?」
「……うん」
脳裏に浮かぶのは、空のように澄んだ青髪の、人間離れした美しさの少女。
“蒼穹の翼”アリエス。
悠や伊織、美虎を夢幻城に誘拐するという事件を引き起こした張本人。
だがおかげで、得られたものも救えたものもあったのは事実であり、別に恨んでなどいない。
十二人存在するという、神殻武装の正当な主の一人であり、悠を凌駕する不死身の肉体を持つ、謎多き少女だ。
「……そういえば、君はアリエスと戦ったことがあるんだったよね。やっぱり、強かったの?」
この聖女が戦う光景というのも、あまり想像し辛いものではあったが。
どうして二人が戦うことになったのかも、気になるところであった。
ファースティは、小さくため息をつくながら言う。
「ええ、大変に手を焼きましたよ。私、“天”で一番弱いですから。本当は二度と戦いたくないですけど、世界を滅ぼす、なんて言われたら、立場上は捨て置く訳にもいかないのが悩ましいです」
自らを第四位階で最弱を表現する聖女。
どこまで真面目に受け止めていいか、分からない物言いであった。
リアクションに困った曖昧な表情を見せる悠を、ファースティは身を乗り出して覗き込んできた。
「ユウは……彼女のことを、どう思いましたか?」
「え……?」
微妙に答えづらい質問であった。
彼女と過ごした時間は、さほど長くない。
悠は、当時の記憶を辿りながら、思い付く限りの印象を口にする。
「そうだなー……すごく綺麗だけど、変わった子だよね。身体は僕たちと同じぐらいなのに、なんか小さな子供みたいな時あったし……ああ、そうそう」
悠は、ファースティの目を見返しながら、
「ちょっと、雰囲気が君に似てるかな」
「……ほう」
聖女の目に、興味深そうな光がよぎる。
「どういうところが、ですか?」
「えっと、その……失礼かもしれないけどさ、祭りの時、はしゃいでる君とか、アリエスに似てたかなって」
「つまり、子供っぽかったと?」
「い、いやっ、それは……!」
あたふたと弁明しようとする悠に、ファースティは静かに見つめていた。
聖女の威厳あふれる、清らかな笑み。
その唇が、このようなことを言ってきた。
「仕方ないじゃないですか、私、まだ6歳なんですから」
一瞬、彼女が何を言っているのか理解できなかった。
6歳?
目の前の、自分と同じ年ぐらいに見える少女が?
「……は?」
唖然とした間抜け面をさらす悠に、ファースティはぺろっと舌を出しながら言う。
「冗談ですよ」
「そ……そうだよね! びっくりしたよ、君みたいな立場の子が言ったら、冗談に聞こえなくて……」
場所が場所だからだろうか、今のファースティは、あの時の子供っぽい気配をあまり見せていない。
慈しみに満ちた聖気を漂わせる彼女の言葉を否定したり疑ったりするのは、悠の性格的にとても難しかった。
「そうですか、アリエスと似ていると、そう感じましたか」
ファースティは目を閉じて、悠の返答を噛み締めるように口にする。
「そんなに深い意味はないよ? 何となく、だから……」
「いえ、いいのです。聞けて良かったと、思っていますから」
聖女は、満足げな表情であった。
彼女はアリエスに、何か思うところがあったのだろうか。
“アーゼスの聖女”と“蒼穹の翼”、両者に何か関係があると?
そういえば、彼女は神殻武装の実験に興味を持ってはいなかっただろうか。
可能性は、幾つか浮かんでくる。
だがどれも妄想の域を出ず、答えの見えないすっきりしない思考が渦巻くだけであった。
気にはなるが、さすがにそんな踏み込んだところまで聞いてしまうのは失礼だろうか。
悠が逡巡していると、
「……残念ですけど、そろそろ時間ですね。」
「あ……そうなんだ」
言いながら、ファースティが立ち上がった。
そんなに話し込んでしまっただろうか、この部屋には時計もなく、彼女の独特の雰囲気に呑まれていたおかげで、時間の感覚があまりはっきりしななかった。
もうちょっと話したいこともあったが、仕方ない。
悠も立ち上がり、彼女に相対する。
ファースティは寂しげな笑みを浮かべながら、手を差し出してきた。
「あなたに会えて、良かったです、ユウ。今回はそれだけでも帝都に来た甲斐がありました」
彼女の信奉者であれば、卒倒しそうなありがたい言葉なのだろう。
そもそも、聖女と一対一で語り合うこということ自体、大国の要人でもそうそう叶わないことなのではないだろうか。
悠は光栄な気持ちと、そして名残惜しさを胸に、彼女の華奢な手を握り返す。
「僕も、会えて良かった。楽しかったよ。またね、ファースティ」
「……そうですね、また」
再会の約束と笑みを交わし、悠は“聖天”との別れを終えたのだった。
伊織は、残念なような、ホッとしたような、そんな複雑な気分で朝を過ごしていた。
悠は偉い人に呼ばれて教会へ言っているので、帝城にはいない。
あの夜、悠におんぶして貰ったまま眠ってしまった伊織としては、彼に会ったらまず何と言おうかと悶々としていたのだが、その問題はもう少し先送りになりそうだった。
朝食を終え、日課である鍛錬のために敷地内の訓練場へ。
柵で囲われ、生い茂った雑草をクッション代わりにしたその場所には、すでに幾人かの先客がいた。
ここでの生活もさすがに長く、すでに知らない顔などほとんどいない状態であるが、その中でも親しい者の顔がある。
これまた、今は会いたいような会いたくないような、そんな微妙な気持ちの相手であった。
しかし、いつまでも逃げてはいけないことだ。
伊織の魂は、攻撃特化。恐れずに征くべし。
伊織は、そちらの方へと足を向ける。
「朱音、ティオ、おはよう」
「先輩、おはようございます」
「おはようございますデス、イオリ様」
糸の訓練をしている朱音と、それに付き合うティオである。
「……大したものだな、まるで生き物みたいだ」
「まだまだですよ……こんなものじゃ、まだ足りないです」
毎日、本来は睡眠している時間も合わせ、かなりの時を費やしているだけあり、朱音の操糸術はかなり上達を見せているようだ。
離れた場所に立っているティオが手に持つ棒に器用に巻き付かせ、絡め取っていた。
伊織は、他に人がいないか周囲を見渡した後、意を決して口を開いた。
「悠と、寝たばい」
「――――」
蛇のように蠢いていた朱音の糸が、ふにゃりと地面に垂れ落ちた。
真顔で、硬直している。
「……ほぇ?」
一拍遅れて、ティオはきょとんとこちらに顔を向ける。
「一緒のベッドで眠ったとかじゃなか。裸になって、エッチなこといっぱいしたと。してあげたと。してもらったとよ」
ちょっと人には言い辛い、いささか以上にマニアックなシチュエーションだったのは、まあ何だが。
今度は、普通にしてもらおう。
してもらえるような、関係になろう。
朱音が、油の切れた機械のような動きでこちらに振り向いてくる。
プルプルと震え、だらだらと汗を浮かべながら。
ちょっと可哀そうだとも思ったが、真剣勝負に手を抜くのは無礼である。それは、朱音もよく分かっているはずだ。
「どう、して……?」
伊織は、恥ずかしさと、そして少しだけ悔しさを滲ませながら言う。
「おいが、悠のこと好きだからばい。昨日、酔った勢いで悠に迫ったと。悠からは、手を出してくれなかったけん……おいが、強引に関係を持ったとよ。悠のことは、責めてあげないで欲しいばい」
悠の方から、求めて欲しかった。
求めてもらえるような関係になろう。
「だけん、まだ悠と恋人になった訳じゃなか。でも、なりたいって思ってるけん、そげんこつ、朱音にはちゃんと言うべき思ったとよ」
これは、恋の戦争の宣戦布告である。
伊織は、いまだ狼狽している朱音に向けて、きっぱりと言い放った。
「おいは、他の皆とは違うけん……遠慮なんか、しないとよ。負けんばい」
そして背を向け、出口へと向かっていく。
しまった、訓練をしに来たのだった、とは思ったがやむなしだ。ここで訓練を続けられるほど、伊織のメンタルは強くない。
正直、気まずいやら恥ずかしいやらでいっぱいいっぱいだった。
「……へっ」
背後で、へたり込むような音と、空気の抜ける風船のような気配。
「アカネ―!? ほ、ほラ! ほラー! だ、だから言ったですヨ!? モタモタしてたら、ライバルどんどん増えていくっテ!」
ティオが地団駄を踏む、慌ただしい気配。
それらを背にして、伊織はそそくさと訓練場を後にしたのだった。
フォーゼルハウト帝城、帝国行政の関係者しか入ることを許されない一画。
玲子は、朝の快気には似合わない、不景気な表情をしていた。
彼女を知る仲間たちが見れば、びっくりするだろう。
常の彼女からは想像もできないほどの、負の感情を露わにした顔だったからだ。
これもまた、玲子という少女の一面である。
この顔を知るのは、相棒である省吾や、クラスの親しい友人など、ごくごく一部だ。
そして、
「ただいま、姉さん。久しぶりだね」
家族も、一部の中に含まれる。
玲子は、あからさまな険を美貌に浮かべながら、己の血を分けた肉親に相対していた。
「……そのまま、戻って来なくても良かったのよ、玲人」
中肉中背の、濡れ鴉のような黒髪の少年。
中性的な顔立ちは端正で、色気にも似た耽美な魅力を備えていた。
大柄でも逞しくもないが、不思議な存在感を放っている。
第三位階の異界兵、雨宮玲人は、姉のすげない程度に苦笑しながら肩を竦める。
「ひどいな、戦地で命懸けで戦ってきた弟にそれかい? 夢幻城の事件でだって、俺の情報網を使わせてあげたのに」
「情報の件はギブアンドテイクでしょ。だいたい、あなたが自分から志願して行ったんでしょうに……戦争をしに」
「せっかく異世界に来てるんだ、見聞を広めることは必要だろ? この帝都にはもう、あまり学ぶことが無かったしね。せっかくの聖女様と祭りに間に合わなかったのは、残念だけど」
彼は、あの悠と粕谷の果し合いの事件からつい先日まで、帝国と敵対する他国の国境線に出向していた。
だからこそ、“彼”に合わせずに済んでいた訳だが――
「情報提供の約束は、きちんと果たしてくれるんだよね? “彼”に――あの研究所の生き残りに、会ってもいいって。帝都にいた時は、姉さんが怖い顔して絶対に会うなって脅してくるから、仕方なく我慢してたんだからさ」
「……好きにしなさい」
玲子は、疲労と諦観の滲んだ表情で、吐き捨てるように言った。
玲人は、満足げに頷いて歩を進める。姉の傍らを通り過ぎざま、薄く微笑みながら口を開いた。
「“彼”、ずいぶんと大事にしてあげるよね。罪滅ぼしのつもりかい? 俺や姉さんに、責任なんてないと思うけど。むしろ、“彼”にとっては恩人じゃないかな? 俺たちがいなければ、藤堂さんは――」
「――あなたのことは、絶対に認めないし、赦さないわ。それだけは、覚えていなさい」
最後まで言わせず、玲子は大股で歩いて、その場を去っていった。
玲人は、ふたたび肩を竦めて、反対側へと歩いていく。
コツコツ、と固い足音が二つ、空虚に響く。
姉弟の再会にしてはあまりに重く、鋭く、そして冷えた空気が、余韻のように漂っていた。
次話で今章は終わりです、ちょっと短めになるかもしれません。
急用がなければ、明日には投稿できるかなと思います。
玲人は、2章のはじめや、3章の地の文でにちょっと触れただけだったので、忘れている人も多いかもしれないですね(汗)




