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第23話 ―聖天来訪・その13(祭・5日目②)

「待たせしました!」


 目が回るとは、まさにこういうことを言うのだろう。

 朱音は、生まれて初めての接客業の忙しさに内心で悲鳴を上げていた。

 無限のスタミナを持つ相手に絶え間ない連続攻撃にさらされ、それを必死に凌いでいるような心地である。


「ありがとうございました! ……いらっしゃいませ!」


 でも、楽しかった。

 ティオと、美虎と、みんなと一緒に、何かをする。

 悠や、ルルや、伊織や、レミルや、玲子たちと競い合う。

 学園祭などあれば、こんな感じだったのかもしれない。

 悠も同じことを考えてるかしら、そうだと嬉しいな、と胸中で独りごちながらも忙しなく手足を動かす。

 運動能力が高く体力のある朱音は、この場では主力の一人だ。体力のない来栖ざくろなどは、すでにヘロヘロになってダウンし、長めの休憩に入ってもらっている。

 

 最初は緊張してぎこちなかった接客も、昂ぶる気持ちのおかげか、今は自然な笑顔を見せられるようになっている。


「では、こちらのテーブルにどうぞ! メニューはこちらになります!」


 店の前は行列だ。

 おかげで、悠たちの働いている向こうの様子を見ることはできなかった。

 だけど、こちらが優勢であろうということは想像に難くない。


「お決まりですか? ……畏まりました! 美虎さん、注文!」


「おう!」


 厨房へと声をかけると威勢の良い声が返ってくる。

 簡易的な設備の前で、美虎が活き活きと料理に勤しんでいた。

 流れるような所作。さらには素早い。次から次へと怒涛のように押し寄せる注文に、完璧に対応してのけていた。

 

 その目は、きらきらと輝いている。楽しそうだ。

 将来は、料理店で働きたいと言っていた彼女としては、やはり盛り上がるシチュエーションなのだろう。


「……ミコ様無双ですネ!」


「そうね、正直、あの人を誘ったあたし達がオマケみたいな気分だわ……」


 ここまでくると、ちょっとズルかったような気すらしてきた。


 この催しは、一人あたりが注文できる合計金額が決められている。

 正確には、参加料と引き換えに数枚のチケットを貰い、それを金銭の代わりに渡すのだ。

 このチケットの総数が、店の売り上げとなる。


 よって、値下げをすることはできず、原価の上限も規約で定まっているために、純粋にサービスの中身で勝負しなければならない。

 お金持ちの支持者が、一人で大量の注文をするということも不可能である。

 とにかく、店に来てもらった人数が重要なのだ。


 そこで美虎の料理である。

 簡単な設備で作った簡単な軽食のはずなのに、反則的に美味い。今日しか食べられないと思った客が、リピーターとしてもう一度並ぶという本来はレアケースの事態が、頻発しているのだ。

 行列は行列を呼び、もはや店前の待機スペースのキャパシティをオーバーしつつあった。


 最早、趨勢は決したようにも思える。

 あちらの勝利が、ひいては異界兵たちの利益にもつながり得るということは、分かってはいた。

 だが、それでも勝負だ。

 手を抜くことも、抜かれることも、朱音の気質が許さない。

 喜びに打ち震えるほどの勝利も、泣いて悔しがるほどの敗北も、真剣勝負の先にしか認められない。


(……玲子さん、何か手はあるのかしら)


 だからといって、あちらがこのまま終わるとも思えなかったのだが。

 それに、こちらにも問題が無い訳ではない。


「た、ただいま向かいますので! 少々お待ちください!」


 人手が足りない。猫の手も借りたい状況だ。

 店前だけではない。店内における業務もまた、従業員たちのキャパシティをオーバーしつつある。

 しかもざくろがダウンして、今は一人欠けた状態だ。

 それでも仕事を回そうと思えば、提供するサービスのクオリティの低下は免れない。自分も、他のメンバーも、細かいミスが増えてきたように思う。

 津波のごとく押し寄せる業務に、ひたすら翻弄されていた。

 さすがに、カーレルの方で用意した人材はプロだけあり、それでも安定した仕事ぶりを見せていたが、


「も、申し訳ありませんデス……!」


 何か粗相をしてしまったのか、ティオがぺこぺこと謝っていた。

 こういった、とにかくスピードを求められる仕事は、彼女が苦手とするものだ。

 カバーに回りたかったが、自分にも余裕が無い。

 

「せめて、あと一人……!」


 そう切に思っていた時であった。


「……すごい行列だな。だいぶ待たされてしまった」


 注文を聞きにいった一人の客が、気安い声をかけてくる。

 刀剣めいた怜悧さのある、美しき声色。


「ベアトリスさん……!」


 ベアトリス・アルドシュタインが、私服姿で来店していた。

 彼女は腰に下げていた剣を椅子に立てかけながら、リラックスした表情でメニューを眺める。


「運営委員と帝国軍の双方から、万が一のためにこの広場に常駐して欲しいと要請があってな。部下たちからも、どうせ行くなら羽を伸ばして来たらどうかと……これと、これを頼む」


 すぐに美虎に注文を伝えに行くべきである。

 だが朱音は、その場に立ち止まっていた。

 ベアトリスを、凝視している。


「……暇なんですか?」


「ん、まあ……何かが起こらない限りは暇だな。起こる可能性も極めて低いだろうし」


「ティオ!」


 朱音は、忙しくなく働いているティオを呼ぶ。

 ベアトリスが目にかけ、たいそう可愛がっている、森人の少女。

 

 振り向くティオは、すぐに事情を察したようであった。

 ぱたぱたと駆けつけて、


「ベアトリス様! 食べ終わったらでいいので、お願いがありまス!」 


 開口一番、そう言った。






「暇だと言ったのは確かだし、お前たち頼みなら、やぶさかではないが……」


 店内には、新入りのウェイトレスが誕生していた。


 金髪碧眼、鋭くも美しい容貌。

 帝国が誇る女騎士、ベアトリス・アルドシュタインの、臨時ウェイトレスだ。

 

「だが、この格好はだな……」


 いつもピンと背筋を伸ばして立っている彼女は、珍しくもじもじと恥ずかしがっていた。


 彼女が着ているのは、朱音やティオと同じ可愛らしい衣装である。

 が、しかし。


「すみません、でも、それが一番大きいサイズなんです!」

 

 パッツンパッツン。

 サイズが、どう見ても合っていない。身長も、胸囲も、体格も。

 引き締まりながらも豊満な身体のラインはかなりくっきり出てしまっているし、胸元はボタンが締まりきらずに双丘の谷間が覗いている。腹筋の浮いたお腹は、つるんと露出してしまっていた。しなやかですらりと長い両脚、その太もももかなり際どいところまで見えている。

 さすがは軍人。女豹のごとき鍛え込まれた肢体である。

 

 まるで、メイド喫茶に紛れ込んだ風俗嬢。

 休暇に来たら羞恥プレイを食らった女騎士が、そこにいた。

 周囲の視線に、ベアトリスは顔を真っ赤にしている。自信なさげに、その長身の肢体を縮こませていた。


「だいたい、こんな筋肉質な女の身体など、誰も喜ばないだろう……? 客が離れてしまうのではないか……?」


「大丈夫デス、ベアトリス様! 筋肉にも需要がありますデス! それに、女らしさを磨くよい機会かもしれないですヨ!」


「う、ううむ……」


「ていうか恥ずかしがってないで、きびきび動いてください!」


「ああ、もうっ……承知した!」


 真面目な性格であり、そして運動能力も体力も抜群のベアトリスは、何だかんだでよく働いてくれる。

 ヤケクソ気味に、だが丁寧に接客するベアトリスを加え、朱音たちの勝利は盤石になった。

 ……と、思っていたのだが。


「ま、まずいかもッス!」


 行列の整理に出ていた百花が、慌てた様子で報告に来る。


「どうしたのよ?」


 百花は、ブリス商会の店の方を指差しながら、


「半端ない助っ人が、現れたッスよ! 行列が、あっちに流れていってるッス!」






 麗らかにそよぐ、純白の髪。

 華奢な肢体、腰はほっそりとくびれ、綺麗な丸みをおびた柔らかなボディラインを描いている。

 瑞々しい艶やかな肌はシミ一つ無い。


 そして、天使のような愛らしい相貌。

 その容姿は、この帝都に滞在している“アーゼスの聖女”ファースティ・アーゼスフィールを思わせるものだ。


 ブリス商会の店舗に突如として現れたウェイトレスは、そのような見目麗しく清らかな“少女”であった。

 来店した客に、汚れない笑顔が向けられる。


「いらっしゃいませー!」


「お、おお……!」


 彼らは、まるで自分がかの聖女に迎えられたかのような優越感を覚えていた。

 

 聖女そっくりの女の子が、働いている。 

 その評判はすぐに広まり、見物を兼ねた行列は、次々に尾を伸ばしていく。

 それは、朱音たちの行列からも客を奪い、凌駕するレベルにまで至っていた。


 店裏に消えていく“少女”の背中と尻を、男たちの視線は最後まで追いかける。


「ちょっと、休憩入りまーす……」


 椅子に腰を下ろした“少女”に、裏方の男衆が声をかけてきた。


「ごくろうユーリちゃん」

「頑張れよユーリちゃん」

「…………っ」


 カシャッ、という音は、誰かがスマホで写真を撮った音だ。

 ユーリと呼ばれた“少女”は、くしゃっと泣きそうな顔で抗議する。


「やめてくださいよう! ここでぐらい普通に名前呼んでください!」


「ま、まあ……似合ってるぞ、悠」


「ぜんぜん嬉しくないんだけど! 男の人にお尻をジロジロ見られる気持ち分かる!?」


 言わずもがな、その正体は悠である。

 他のウェイトレスと同じ衣装に身を包んだその姿は、驚異的なまでに似合っていた。


 夢幻城でメイド服を着せられたこともあったが、今回はそれとはレベルが違う。

 ウィッグを付け、化粧して、胸には薄く詰め物、下着まで女物を履かされている、ガチの女装である。


 ユーリ、という名前で、神護悠とは別人の少女として登録されていた。

 別に女装した男性を従業員にしてはいけないという規約は存在しない。

 単に運営が想定していなかった、という可能性もあるが、とにかく反則ではない。


「でも、助かっているとよ。悠のおかげで、勝てるかもしれないばい」


 悠に合わせて休憩を入れてきた伊織が、ちょこんと隣に腰を下ろす。

 こちらの顔をまじまじと見つめながら、感心したように頷いていた。


「それにしても本当に似てるとねー。超有名なアイドルっぽい子が働いてるってなったら、人が集まるのも当然たい」


「そういうもんですかねぇ……」


 まさか、玲子たちがこんな非道を考えているとは。

 

 嫌だと言ったのに。男の自分が、女の子の恰好なんてしたくなかったのに。

 みんなを救えるのは、悠くんしかいないの!とか、

 あれー、男が一度口にしたことを反故にしちゃんだ?とか、

 そんなこと言われたら、悠の性格的に断れるわけがないのだ。ずるい。


「……おいは、カッコいいと思うとよ」


 ウジウジとしょげかえっていた悠に、伊織がそんなことを言ってくる。


「カッコいい……ですか?」


 きょとんと問い返す悠に、伊織はにこりと優しい笑みを浮かべて頷く。


「ん、自分の恥を忍んでも誰かのために何かをすることは、カッコいいことばい。悠は堂々と胸を張ってもよか」


「うぅぅぅ……でもぉ」 


 それでも、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 肩をすぼめている悠を、伊織が上目遣い気味にじっと見つめていた。 

 急にもじもじとしはじめ、胸の前でぎゅっとこぶしを握る。

 やがて、遠慮がちに口を開いた。


「……もし、1位取れたら……おいが、ご褒美あげてもよかよ?」


「ご褒美……ですか? 何を?」


「ひ、秘密たい! お楽しみとよ!」


 伊織は頬を赤らめて勢いよく立ち上がる。


「そろそろ休憩終わりと! 行くばい!」


「は、はい……」

 

 悠は釈然としない気持ちを抱きながらも、逃げるように店内に戻る伊織の後を追う。

 悠が戻るや否や、店内と店前は、ふたたび大きな盛り上がりを見せるのだった。

 接客やらパフォーマンスに忙殺され、伊織の「ご褒美」は、悠の思考から抜け落ちていった。






 一方の朱音たちは、狼狽していた。


「悠よね!? あれ、悠よね!?」


「ま、間違いないデス……」


 人垣の向こうにちらりと見えた、白髪の少女――に見えた人物。

 あれが悠であると、朱音は一目で確信した。


「あああ、見たいデス見たいデス、もっと近くで見たいデス……!」


「ティオっ!? 鼻血、鼻血っ……!」


 ティオは、何やら妙な興奮の仕方をしている。

 朱音としても、間近で見てみたい気持ちがあるのは、正直なところだが。

 いま重要なのは、そこではない。

 

 明らかなのは、女装した悠に客を奪われているという事実。

 

「このままじゃ、逆転されるわよ……!?」


 朱音の声は、切迫していた。

 それは単に、売り上げ勝負に負けるという危機険だけに起因するものではない。


「男の悠に、負けるのよ……!?」


 彼の女装に客を奪われ、敗北する。

 その予感に、朱音は女としての原始的な恐怖を感じていた。


「それってつまり、女のあたしたちの魅力が、男の悠に劣るって見られてるってことじゃないの……!?」


 その言葉で、ティオも現状を認識したようであった。

 つぶらな目をさらに見開いて、コクコクと頷いてくる。 


「た、確かにそうデス……!」


 別に好きでもなんでもない男たちの気を引きたい訳ではない。好意や興味を持たれても、多少は自尊心をくすぐられることはあるかもしれないが、困る。

 だが、女としてのプライドがあるのだ。

 この土俵で男に負けることだけは、絶対に許されないという本能的な使命感。

 その衝動に、朱音とティオは突き動かされはじめていた。


 しかし、二人とも頭脳労働が得意なタイプではない。

 思いつく手と言えば―― 


「――2人とも、現状は理解してるわよね?」


 ウェイトレス班のリーダーを務める妙齢の美女が、顔を出してきた。

 追い詰められた表情。

 あちらの少女が男であると知っている訳ではないだろうが、戦況が極めて芳しくないと認識しているようだった。


 彼女の背後にも、ウェイトレスたちの姿。

 全員だ。ベアトリスや百花、ざくろ、ミーシャに他のメンバーたち。

 それぞれに美しく、あるいは愛らしい顔立ちに、覚悟の光を秘めていた。訳が分からないといった様子のベアトリス以外は。


「おー、やるのか。まあ頑張れよー」


 厨房にいる美虎だけが、満ちたりた顔で声をかけてくる。

 彼女は、ひたすら料理ができている、それを客が大喜びで食べてくれているという現状で満足しているらしい。

 やれることはやってくれているので、別に勝利への熱意が足りないと責める気はないのだが。


「これが、最後の手段よ……あまり使いたくなかったけど」


「お、おい……何をやるつもりなんだ? 来いというから、とりあえず来たのだが……店の方は、いいのか? 客を待たせてるぞ?」


 リーダーの言葉に、おろおろと戸惑うベアトリスを除いた全員が頷く。

 なぜ、店内を放置してまでウェイトレスが休憩スペースに全員集合しているのか。

 その答えが、今から明らかになる。


「いざ――」


 朱音たちは、自らのウェイトレス衣装に手をかけて、


「――キャスト・オフ!」


「おい!?」


 脱ぎ払った。






 別に、下着姿とか、全裸になったりとか、そういう痴女じみた真似をする訳ではない。

 そもそも、過度に性的な恰好は反則だ。

 

 朱音たちのウェイトレス衣装の下には、もう一つの衣装が隠されていた。

 お腹が露出した、セパレートタイプ、ノースリーブの衣装。

 水着に近い、肌にフィットした材質のものだ。


 身体のラインはくっきり出るし、肌の露出も大幅に増える。

 ブリス商会の衣装といい勝負だろう。

 だが、はじめから露出度の高めだったあちらとは、違う趣が生まれる……らしい。 


 今まで隠されていたものが、突如として露わになる。

 それは、初めから見えているよりも相手の興奮を煽るのだ……そうだ。

 正直、朱音にはよく分からないが、プロが言うならそういうものなのだろう。

 先達の教えには、いたって素直な朱音である。


「いらっしゃいませー!」


 効果は、確かにあったように思える。

 明らかにブリス商会側に傾いていた勝負の天秤は、こちら側にかなり戻りつつあるようだった。 


 何だ、やっぱり自分たちも捨てたものじゃない。

 互角の衣装ならば、互角に戦える。

 別に女装した悠に魅力で劣っている訳ではないのだ。


「いける、いけるわ……!」


「はいデス!」


「う、うぅぅぅっ……こんな恰好……!」


 やっぱりサイズが合わず、ビキニ水着みたいになってるベアトリスはさすがに可哀そうだったが、真面目な彼女は羞恥に耐えながら、業務をこなしてくれている。


「ありがとうございました! お客様、こちらへどうぞ!」


 終了時間が迫っている。

 勝負は、すでに終盤なのだ。

 あとはもう、体力と気力の続く限り駆け抜けるだけである。


「頑張りましょうネ、アカネ!」


「ええ、絶対に勝つわよ、ティオ!」


 自信を取り戻した朱音とティオは――






「優勝は――ブリス商会!」


 ――閉会式の片隅で、体育座りしていた。


「は、ははは……」

「え、えへへ……」


 すでに日は沈みつつあり、空はオレンジ色に染まっている。

 夕焼けのヘルディ広場に、高らかに響く結果発表。

 終わってみれば、完敗である。

 こちらの客の増加は、劣勢を覆すには至らなかった。


 あの聖女ファースティにとても似ている美少女ウェイトレスがいる。

 その口コミはどんどん広まり、ブリス商会側の客増加は留まるところを知らなかったのだ。


「あたし達の努力、何だったのかしら……」

「しょせん努力じゃ、才能には勝てないのですネ……」


 完敗である。

 女として、完敗である。

 脱いだのに。あんな恥ずかしい衣装になってジロジロ見られたのに。


 誤解されがちであるが、朱音は武道一辺倒の粗忽者ではない。

 きちんと自分のスタイルの維持や美容にも、日々気を使っているのだ。

 それなのに、肌のお手入れなんて何もしていない、好きなように食べて、好きなように寝る女装男子に完敗を喫した。


 取り戻した自信は、より深刻な形でバキバキに砕け散っていた。

 そうか、これが絶望というものか。

 朱音は大人の階段を、一つ上った気がしていた。


「いやー、負けちまったなあ」


 美虎が、清々しい汗を拭いながら満足そうに言う。

 全力は出した。負けて悔いなしといった様子だ。

 彼女は店には出ていないので、プライドを折られることなく爽やかな勝負の余韻に浸っていた。


「なーに凹みまくってるッスか、悔しいの分かるけど、仕方ないッスよ。あっちの謎の助っ人がチート過ぎたんスから」


「力は尽くした。2位でも大したもの」


 美虎グループの他のメンバーは、“彼女”が悠であることに気付いていないようである。

 顔を見ているはずの百花ぐらいは、察しても良さそうなものだが。


「人前で、あんな痴女みたいな恰好……これは違う、私の求める女らしさじゃない……もうお婿来て貰えない……」


 ベアトリスは、別の意味で凹んでいた。

 その場のテンションに任せて無茶なお願いをしてしまったが、本当に悪いことをした。

 後から、きちんと切々に謝ろう。


 萎えた気持ちの中、そんなことを考えていると、こちらに近寄ってくる足音があった。


「いやはや、残念でしたねえ」


 軽薄な、男の声。

 顔を上げると、ヘラヘラとした笑みを浮かべる優男の姿があった。


「カーレル……」


 カーレル・ロウは、特に残念そうには見えなかった。

 男として、あまり好ましい相手ではないが、今は朱音の師でもある男だ。

 そして、教えを受ける代わりにと引き受けた役割を果たせなかった。


「悪かったわね……勝てなくて」


「ごめんなさいデス……」


 カーレルは小さく肩を竦める。

 特に責めるような様子は無い。


「まあ、2位でも意味がない訳じゃないんで。もともと、人材豊富なブリス商会相手に1位を奪取するのは難しいとは思っていたんですよ。ここまで食い下がれたのも、君や、君が連れて来てくれた助っ人のおかげです。お疲れ様でしたねえ」

 

「本当に助かったわ、ありがとうね」


 カーレルの傍らに侍るリーダーも、そのように言ってくれる。


「もうしばらくは帝都にいる予定なんで、鋼糸術の教授も継続しましょう。君は思ったよりセンスがある、なかなか教え甲斐がありますよ」


 センスというよりは、単に<レミル・ネットワーク>のおかげで鍛錬の時間が多く取れるという側面が強いのだろうと、朱音は思っている。

 だがこれは他言無用なので、部外者であるカーレルに言う訳にはいかない。

 それが、余計に後ろめたかった。 


「……おや、君のお友達が来ましたよ。それじゃあ俺は、これで失礼するとしましょうかねえ」


 去っていくカーレルと入れ替わりに、ブリス商会側のメンバーがこちらに駆け寄ってくるところだった。

 玲子がうずうずとした顔でこちらを覗き込みながら、


「ねえねえ、どんな気持ち? オトコの子に魅力で負けて、どんな気持――ふぎゅんっ!」


「死体蹴りしてんじゃねえよ」


 玲子の襟首を掴んで猫みたいに持ち上げる省吾。

 後ろから、伊織、ルル、レミルらが続いてくる。 


「それはブーメランだろう玲子殿……」


「味方のわたくしたちも、いたたまれないものがありましたからね……」


「我は気に入ったぞ! これからもずっと、あの恰好で過ごさせるのだ!」


 その中に、当の悠の姿は見当たらなかった。

 朱音より先に、ティオが問いかける。


「ユウ様は、どこにいらっしゃるんですカ?」


「ああ……それはな」


 冬馬が、憐みのこもった苦笑を広場の中央に向ける。

 あそこでは、まだ閉会の行事が進んでいた。


「まだ、仕事が残ってるからな」


 ブリス商会の女性陣もまた、虚ろな眼差しを送っていた。






「では、今回の投票による最高人気を獲得したウェイトレスは――ユーリさんです!」


「あ、あああ、ありがとうございましゅ……」


 どうしてこうなった。

 悠は、表彰台の頂点に立ちながら、緊張で引きつった返事をする。

 司会の女性が、ハイテンションな声で話しかけてきた。


「いや、それにしても! 聖女様にそっくりですねー! 一時は、本人が参加していると騒然になり、教会に問い合わせがあった一幕があったんですよ!」


「お、おさ、お騒がせしましゅた……」


 閉会式には、店舗側も、客側も、大勢の人々が見物に来ていた。

 全員、自分に注目している。

 あのクイズ大会の比ではない。

 視線に押されて、そのまま後ろに倒れてしまいそうだった。


「顔だけじゃなく、スタイルも素晴らしい! 肌も綺麗で羨ましい限りです!」


「ど、どうもぉ……」


 返事は噛み噛みだ。

 その恥ずかしさもあって頬を赤らめ、もじもじとする“ユーリ”の姿は、むしろ好意的に受け止められているようであった。


 いっそ、男であるとバラしてしまいたい。

 だが、ここまで話が大きくなった状況で事に及べるほど、悠の心臓は強くないのだ。


「ユーリさんは、1つだけ空白だったブリス商会のウェイトレス枠を使っての臨時参加だったようですが、どのような関係なのでしょう。やはり、ブリス商会に縁が?」


「そ、そ、そうでふね……ぼ……わたしは、嫌だったんですけど……友達が、勝手に登録しちゃって……」


 司会の質問に一生懸命に答えながら、悠は会場を見下ろしていた。

 中央広場の周囲では、店舗の解体がすでに始まっている。

 汗水と血涙を垂らして働いたブリス商会の店舗も、朱音たちの働いていた店舗も、すでに無い。

 終わった、という寂寥感が胸中で撫でていく。


 そして中央広場の一角には、見知った顔があった。

 女性陣の何かに打ちひしがれたような眼差しが、肌に痛い。

 玲子をはじめとした一部は、こちらに向けてスマホで写真や動画を撮っているようだった。やめてください、お願いします。


 違う、違うんだよ。

 悠は胸中で弁解する。

 たまたま、ファースティのことで皆が盛り上がってて、だから似ている自分に人気投票が集まっただけで、決して異性に対するアピール力で、彼女たちが劣っている訳ではないのだと。


 恥ずかしさ、申し訳なさ、気まずさなどなど。

 こってりと混ざり合った感情に、胃もたれしそうである。

 まったく、なんて日だ。


 次第に顔を青ざめさせ、だらだらと冷や汗を垂らしはじめた悠に、司会がこのようなことを聞いてきた。


「今日の催しは、楽しんでいただけましたか?」


「え……」


 悠はきょとんと眼を瞬かせる。

 司会の質問を、吟味していた。


 今日は、とんでもない日だ。

 だけど、それでも、馬鹿げたことをしながらも、仲間たちと協力し、競い、目が回るような忙しさを味わった今日という日は――


「――はい。今日はとっても、楽しかったです」


 悠は、心の底からの満面の笑みで、応えたのだった。






 そうして、慌ただしくも恥ずかしい、そして楽しい一日はそこでひと段落――


 ――しなかった。


 悠にとって忘れられない事件が、もう一つ。






「んー……」


 悠は、ふやけた声をもらしながら目を開く。

 覚えのない天井が、ぼんやりと視界に入ってきた。

 見知らぬ場所で、眠っていたらしい。


 ここはどこだろうが、どうしてこんな場所にいるのだろう。

 

 そんな疑問を押しのけて、悠の意識を支配する事実があった。


「あれ……?」


 肌が、すーすーする。

 裸だ。どういう訳か、服を着ていない。

 そして、


「……誰?」


 薄暗い視界の中、裸で寝ころんでいる悠を見下ろすように、誰かがいる。

 身体のシルエットから、小柄な女性であることが察せられる。

 そして、彼女もまた衣服を着ていない、ないしは限りなくそれに近い状態であることも。


「……っ」


 その人物は、悠の目覚めに狼狽したような気配を見せていた。

 大振りなしっぽのような髪が、ふるりと揺れる。

 その、特徴的な髪形をした人物は――


「伊織、先輩……?」


 ――島津伊織が、思い詰めた表情で悠を見下ろしていた。

5日はもう1話だけ続くの忘れていました……あと3話ぐらいで今章は終了予定です。

今話は、視点変更が多すぎたかもしれませんね。


今週には、次話も投稿したいと思います。

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