第22話 ―聖天来訪・その12(祭・5日目①)―
5日目、祭りの最終日である。
清々しいまでの快晴。
朝の陽気が、帝都アディーラに燦々と降り注いでいる。
まだ早朝であり寝ている者も多く、店もほとんど開いてはいない。
帝都が祭りの活気に満たされるのは、もうしばしの時間を要するだろう。
しかし、その準備は朝早くから行われている。
悠たちも手伝うことになっている、本日の催しものも例外ではない。
ヘルディ広場では、幾つもの出店の準備が行われていた。
参加するグループに与えられるスペースは、学校の教室程度。
テント状の屋根の下、参加する女性ウェイトレスや協力者が、忙しなく動き、あるいは打ち合わせ内容の確認をしている。
そのうちの一つ、ブリス商会に与えられたスペース。
悠は、目の前に広がる絶景に感嘆の吐息を漏らしていた。
「うわぁー……みんな、綺麗だねぇ」
絶景だ。
少なくとも、男にとっては。
「ふふっ、ユウ様にそう言っていただけると、参加した甲斐もあるというものですね」
ルルが、しゃなりと艶を感じさせる立ち姿で嬉しそうに。
「ちょっと、露出が多くなかと……? スカート、短かいばい……」
伊織が、もじもじと恥ずかしそうに。
「あら、このギリギリ感がいいんじゃないのよ伊織ちゃん。そのムチムチの太ももを晒さないでどうするのかしら! むしろもうちょっと短くても――むぎゅっ!」
「やめろ、阿呆」
玲子が、伊織のスカートをめくろうとして省吾に襟首を掴まれて。
「ふははは! 我はもっと際どくても構わんのだ! むしろ普段の方が露出度高いぐらいであるぞ!」
レミルが、やたらとハイテンションに。
身の安全などを理由に1~4日目に外出させてもらえなかったことが、よほどストレスだったらしい。
「確かに、ちょっと恥ずかしいね……」
「まーいいじゃん? 他の人も似たような恰好だし」
他にも、綾花や澪たち異界兵の綺麗どころが、ブリス商会の用意したウェイトレス衣装に身を包んでいる。
ブリス商会側で集めたメンバーも多く、悠が帝都に出た時に立ち寄ることが多い料理店の看板娘や、商会本部の受付嬢など、タイプこそ違うが容姿やスタイルに優れた女性ばかりである。
男子メンバーの力自慢や特技持ちからも幾人か協力者として来ているが、ほとんどが天国にでもいるような、至福の表情をしていた。
「これぞまさに、眼福ってやつだよなあ……な、壬生」
「お、俺は別にそんなでもないッスよ」
「何だよ、ノリ悪ぃな。もうエロ本貸してやらねえぞ」
「はっはっは、どうせ世良ちゃんと進展でもあったんだろ、純愛だねえ」
「……知らねぇッス」
冬馬と綾花の恋の行方は、悠もクラスメイトと一緒に協力したことだし、とても気になっていることではあるが、まあ今はいいだろう。
まったく、もどかしい二人である。
相思相愛なのは、誰の目からも明らかなのに。
女性陣の艶姿に見惚れていると、パンパンと手を叩き、一人の女性が声を張り上げた。
「さぁーてサービス終了! いつまで見惚れてない! 女衆は接客マニュアルの確認と練習! 男衆も持ち場に戻って仕事しな!」
今回の出店のリーダーを務める、マリー・カレットだ。
赤みがかった髪を肩まで伸ばした、エネルギッシュな美女だ。背は低いが、スタイルはかなりいい。
年齢は20歳、ブリス商会傘下の店で、日中はウェイトレス、夜は娼婦をこなす接客のプロである。
商会の長であるエリーゼからの信任も厚く、「彼女の指示に従って無理なら、他の誰でも無理さ」という御墨付きだ。
『はーい』
と、彼女の力強い言葉に従って、仲間たちはそれぞれの役割へと戻っていく。
「よしっ……頑張るぞ」
非力――こんなところで“煌星剣”の力を借りるのも躊躇われる――ゆえに、できる仕事の種類が少なく、悠に割り振られたのは、チマチマとした確認作業である。
地味で、あまりやりたがる者がいなかった仕事でもある。
だが、せっかく任された仕事である。悠は両こぶしをぎゅっと握り、はりきっていた。
「ああ、そうそう……ユウ、だったよね」
「……?」
そんな悠に、マリーが声をかけてくる。
彼女はこれまで接客班のリーダーとして女性陣にかかりっきりであったため、話すのは初めてだ。
「何でしょう、マリーさん?」
「いや、何。お前さんのことはエリーゼ会長から聞いてたからね。ちょっと話してみたかったんだ。それに……」
マリーは、悠の顔を興味深そうに覗き込んでくる。
溌剌と力強く、それでいて人懐っこそうな美貌が、悠を真っ直ぐに見つめていた。
ぷっくりと艶のある唇が、感嘆めいた吐息を漏らした。
「ほうほう、これは予想以上に……」
プロの娼婦だけあって男に慣れているからか、その仕草はあまりに無防備かつ、あざとい。
悠が照れて思わず視線を下げると、彼女の豊かな胸の谷間が視界に入ってしまう。
慌てて目を逸らすと、マリーがにんまりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「んー、あたしのカラダに興味ある? あたし、人気あるからけっこう高いけど……会長と懇意の相手だし、特別価格で相手してあげてもいいよ?」
「い、いや! 違いますけど!」
顔を真っ赤にして慌てる悠の反応に、マリーはころころと嫌味のない笑みをこぼす。
ぽんぽんと、気安く肩を叩きながら、
「あっはっは、悪い悪い。本題は今からで、ちょっと聞きたいことがあってね」
「……何でしょう?」
マリーの表情が、真面目なものに変わった。
その声色も、先ほどまでの遊びのような気配が消え失せている。
「エスタって、兎人の女の子、知っているかな?」
「エスタ……ああ」
知っている。姿もちょっとだが見たことがある。
粕谷京介の、新たな奴隷になった亜人の少女。とても愛想が良いことで有名だ。
ティオの時と違い、主従の仲はとても円滑だと聞いている。はた目にも、粕谷の腕にぴっとりとくっ付いて、甲斐甲斐しく侍っていたように見えた。
「親しい訳じゃないですけど、彼女がどうかしたんですか?」
「何でもいいから知ってることがあったら教えて欲しいんだ。この前、ルルやイオリ達からも聞いたんだが、お前さんは記憶力がたいそういいらしいじゃないか」
「うーん……」
そう言われても、知っていることは非常に限られている。
悠は、覚えている限りのことを話す。だが、マリーの期待に沿うことはできなかったらしい。
彼女の表情に、わずかな落胆めいたものがよぎる。
「やっぱり、それぐらいしか分からないか」
ルル達が知っていることと、変わらなかったのだろう。
「お力になれずすみません……でも、どうして彼女のこと知りたがってるんですか?」
「数日前から、うちの店で働いてるんだよ。夜の部担当、つまりは娼婦としてね」
「……っ」
悠は、目を見開いて絶句していた。
粕谷は、まだそんなことをしているのか。あれからまったく、改心も成長もしていないのか。
胸やけのような嫌悪感。
唇を噛み締める悠に、マリーが少し慌てて話を続ける。
「別に、強制されてって感じじゃないけどね。主の大望を叶えるために、力になりたいからってさ。まあ、顔も身体もいいし、性格も客受けがいいから店としては嬉しい戦力ではあるんだよ」
「……そうなんですか」
本人が納得しているなら、部外者が口を挟むべきではないのかもしれない。
そう考えてみても、消化しきれない粘つく感情が胸の中にわだかまるのが自覚できた。
「ただ、どうもあたしは……いや、悪かったね」
マリーはかぶりを振って、その表情を先ほどの明るく溌剌としたものへと戻した。
この話は終わりと、そういうことだろう。
「今日は来てくれて助かったよ、ユウ。期待してるからね」
「……あんまり、大したこと出来てないですけど」
「それが決まるのは、これからさ。んじゃ、今日はよろしくね、ユウ」
ひらひらと軽く、それでいて男の気を持たせるような媚のある仕草で手を振りながら離れていくマリー。
その笑顔は、どこか意味ありげなものに見えた。
が、悠にはその意図をまったく察することは出来なかった。
「粕谷君……エスタさん……」
彼らのことが気にはなったが、今は詮無きことだ。
仕事に、集中しなければ、
この店を、優勝させなければならないのだ。
そう意気込んで、ふと周囲のライバル店を見渡した時だった。
「……あれ?」
こちらと同じように準備をしている向かいの店。
着替えを終えたらしいウェイトレスが、ぞろぞろと入ってくるところである。
その中に、よく知る顔があった。
「みんな……」
朱音、ティオ、美虎、そして彼女の取り巻きたち。
「……!」
あちらも、こちらに気付いたのか目を丸くする。
ティオが、はた目にも分かるハイテンションぶりで手をぶんぶんと振ってきた。
まるではしゃいだ子犬だ。
朱音と美虎たちも、こちらに軽く手を振って来ていた。
「可愛いなぁ、みんな」
彼女たちは、とても清楚な愛らしさのあるメイド風衣装に身を包んでいた。
どうやら、露出多めのこちらとは違う路線で行くらしい。
ティオが、「どうですカ、似合いますカ?」と言わんばかりにくるりと回って、見せびらかしてくる。
リボンとスカートが、ふわりと舞う。
素晴らしい。
朱音や美虎など、凛とした美貌のメンバーにも違和感なく似合っているのだから、あちらの服飾担当のセンスは大したものなのだろう。
だが、二人ともこういう服装に慣れていないのか、悠の視線を受けて恥ずかしそうにもじもじしていた。
すごく似合ってるよ、という意味を込めて悠は満面の笑みと頷きを返す。
伝わってくれたのか、ティオは物凄く嬉しそうに。朱音や美虎も満更でもなさそうに照れ照れとして、取り巻き達にからかわれていた。
違う店舗同士のメンバーの接触は禁止されているので、言葉を交わす訳にはいかない。
お互いに笑みを交わして、朱音たちは自分の持ち場へと向かっていった。
「まさか、向かい同士なんてなー……」
店の場所は、くじ引きで決められるはずだ。
どうにも因縁めいたものを感じるのは、悠だけはないだろう。
「あー! ハーレム野郎が敵とイチャイチャしてるぜ!」
「お前の嫁なんだから、今からでもこっちに引っ張ってこいよ、ハーレム野郎!」
「ち、違いますよう!」
冷やかすような仲間のニヤニヤ笑いに慌てて言い返しながら、悠も自分の仕事へと戻っていった。
この催しを楽しみにしていた人は、悠の思っていた以上に多かったようだ。
主催者の宣言が高々と響きわたり、ヘルディ広場の門が開かれる。
楽しげなざわめきが怒涛のように広場の中まで押し寄せてくるのが、悠の立っている店裏まで伝わってきた。
男性が多くを占める人々は広場を物色し、興味の惹かれた店へと足を踏み入れる。
満席なら、他の空いている店へ。
開催からわずか10分足らずで、ほとんどの店は大盛況の様相を呈していた。
ブリス商会の店も同様だ。
裏方として働く悠は、満席になった店内を見渡して感嘆を漏らした。
「わぁー……すっごいねぇ」
「ま、あの面子で閑古鳥が鳴くわけはないよな」
「おうおう、きびきび働きはじめるとまた華やかだねぇ。スカートがひらひらひら……くそっ、見えねえ」
「見えそうで見えない動き方を練習させられたみたいだぜ」
ルルは、さすがに上手いものだ。
玲子も、非常に手際が良い。
レミルは、何故か上から目線の接客であるが、彼女の天性の気質と幼さが、それを許容できる雰囲気を形成していた。
一方の伊織は、やや危なっかしいが、それもまた愛嬌として働いているように見える。
綾花や澪らも、直前までの練習の甲斐があってか、スムーズに業務をこなしていた。
マリーたちブリス商会組は、プロだけあって手馴れたものである。
美しく、あるいは愛らしいウェイトレス。
瑞々しい肌をやや大胆に魅せるその衣装は、彼女たちの魅力を十二分に引き出す絶妙なデザインである。
彼女たちが忙しなく働く光景は、男にとってはある種の楽園だろう。
「並んでる人もいるよ。これって、すごく順調ってことだよね。優勝狙えるかなぁ」
「んー……どうだろうな、ほら」
綾花のことを少し心配そうに見ていた冬馬が、手は止めずに顎をしゃくって見せる。
彼が示すのは、朱音たちの働いているカーレル・ロウという人物が出資している店の方角だ。
あちらにも、並びが出来ている。
こちらにも劣らぬ大盛況であり、朱音やティオたちがあくせくと働いていた。
知り合い以外のウェイトレスも、こちらに劣らぬ綺麗どころだ。
双方の店には、複数の亜人が働いている。
なので亜人への差別的感情が強い層は立ち寄ることは無かったが、今のところそれが足を引っ張っているような気配が無いようだ。
帝都外からの旅人も多いこともプラスに作用しているのだろう。
この辺りでは、ブリス商会とカーレル・ロウの店が、頭一つリードといったところであった。
「あのぅ……これも、お願いできますか?」
次から次へと回されてくる使用済みの食器。
新たにお盆いっぱいの皿を運んできたのは、おずおずと申し訳なさそうに言ってくる女性であった。
長身だ。美虎よりも大きい。身長は180cmを超えている。
整っているが、気弱そうなタレ目がちの容貌。
ふわりとした髪から突き出た、小さな角。
そして、思わず圧倒されるほどの、豊かな胸元。
牛人のシエラ。
年齢は21歳、省吾の奴隷である。
以前はほとんど別行動であったが、最近は彼も何らかの心境の変化があってか、素っ気なくも彼女を連れ出すようになっている。
おどおどと、男性ばかりの洗い場を怖がるように俯いて、所在なさげに立ち尽くしていた。
「……そこに置いとけ、シエラ。あといちいち確認取らなくていい」
「は、はいっ。ショウゴ様。お願いします、お願いします……」
何も悪いことなどしていないのに、ぺこぺこと頭を下げて持ち場に戻っていく。
彼女の気質の問題もあるのだろうが、ちょっと可哀そうでもあった。
「省吾先輩って、シエラさんに冷たいですよね。もうちょっと優しくあげてもいいんじゃないかなーって思うんですけど」
悠の言葉に、省吾はどこか遠い眼差しを見せる。
小さく肩を竦めて、こう言った。
「……お前たちが異世界に来る前に、色々とあったからな」
「そう、ですか……」
古株の何人かも、複雑な表情をしていた。
仲間割れがひどい時期があったというのは聞いている。
複数の第三位階を含めた多くの犠牲を出した事件があり、玲子と省吾が中心となって何とか状況を安定させたということも。
だが、その具体的内容までは、当時を知る者は多くは語りたがらないのだ。
省吾や美虎が、自らの奴隷に素っ気ないのも、そこの起因しているようなのだが……
(でも、少しずつは良くなってるよね)
省吾はこうしてシエラを連れてくるようになった。
そして、美虎も。
ちらりと向こうの店に目を向ければ、美虎の奴隷である猫人のミーシャが、一生懸命に働いていた。
……と、そこで気付いたことがある。
「あれ……美虎先輩は?」
「んっ? いないのか? トイレとかじゃね?」
「……そうかもしれないけど」
脳裏によぎる、ある想像。
彼女が普通にウェイトレスの服装をしていたから、自然と外していた可能性。
食事を終え、店内から出てくる客たち。
彼らの至福の表情は、果たして見目麗しい女性たちの接客を受けたからだけだろうか?
悠の胸中に、危機感が芽生えつつあった。
そこは、今回の催しのために設置された仮設の事務所であった。
参加している各店の売り上げが、次々に運営委員の報告で更新されている。
それは、広場の中央にも表示されており、運営主催のギャンブルの対象にもなっていた。
その中でも明らかに抜きん出ているのは、二つの店だ。
片や、帝都を代表する商会の一つであるブリス商会。
そして、もう片方は――
「順調ですねえ、エリーゼ会長。さすがはブリス商会、洗練された職業教育をされてらっしゃる」
「……よく言うね」
エリーゼ・ブリスは、店の代表者用に用意された席で、行く末を見守っていた。多忙の身ゆえ長居をするつもりはなかったが、いささか予想外の事態が起きている。
顔をしかめる彼女に声をかけるのは、ヘラヘラと軽薄そうな笑みを浮かべる優男だ。
「カーレル・ロウ。あんたの店、どうなっているんだい」
「いやあ、人脈って素晴らしいですよねえ」
“鋼翼”の序列第6位、“九傑”が一角、カーレル・ロウ。
この男は、投資家、実業家としても知られている。
ブリス商会と張り合っているのは、彼の出資している店舗だ。
何やらポリポリと、菓子のようなものを口にしていた。小脇には、それがたっぷりと入った袋が抱えられている。
こちらの視線に気付いたのか、こちらに掲げて見せながら、
「朝飯ですよ、安売りしてたんでまとめ買いしたんです。日持ちするんで、助かってますよ」
「……ある程度の浪費は、金持ちの義務だと思うがね。ちっとは消費者として経済に貢献しようとは思わないのかい」
「はっはっは、小遣い少ないんで」
傭兵としての報酬だけでも、すでに遊んで暮らす一生を3回は送れるほどの稼ぎがあるはずだが、尚も節制し、貪欲に金稼ぎに走るその生き様。
単に金を稼ぐことが趣味なのか、あるは何か使途があってのことなのか、そこまではエリーゼの知るところではなかった。
「ベルガーさんはお元気で?」
「ああ、よく助けられてるよ」
「そうですか、よろしく言っておいてください。“鋼翼”にいたころの彼には、世話にもなってますからねえ」
「……あんたに殺されかけたこともあると聞いてるがね」
「そりゃ、傭兵ですから。そういうこともあるでしょう」
悪びれもせずに肩を竦めるカーレル。
エリーゼは小さく鼻を鳴らしながら、自らの護衛かつ側近である禿頭の元傭兵を思い浮かべる。
元“鋼翼”の序列21位、ベルガー・グラン。
かつて、とある戦場において少数の手勢を率いて50倍という悪夢じみた戦力差を退けた不屈の士として、彼の名は知られている。
そんな彼をしてカーレルとの戦闘は、九死に一生と呼べる内容であったという。
生きているのは奇跡だ。自分の名が知れる切っ掛けとなったあの戦いの方が、遥かにマシであったと。
まさしく、怪物。
この帝都において彼と渡り合えるのは、ベアトリス・アルドシュタインとラウロ・レッジオぐらいか。他にも二人、世界に名の知れた魔道師が帝国に所属しているが、彼らは緊張状態にある隣国との国境線に出払っている。
帝国としても、この男に破壊工作にでも動かれたらと気が気でないだろう。
……まあ、今大事なのは店のことだ。
ちょうど、カーレルの店の売り上げが更新されたところであった。
それを見て、エリーゼは瞠目する。
「……っ」
「いやあ、良かった。彼女たちは頑張ってくれているようですねえ」
ブリス商会より、さらに頭一つ――いや、二つ。
カーレルの店が、トップに躍り出ていた。
「あー、もうっ! やばい! 超やばい! 甘く見てた!」
皿を持ってきた玲子が、客たちに聞こえないような声で唸っていた。
確かに、やばい。
ブリス商会の客入りは、安定している。
おおむね好調といえた。
だが問題は、ライバルである朱音たちの働いている店だ。
「おいおいおい、ぱねーな、おい……!」
「何だあれ、ラーメンの名店かよ」
「行列、カーブしてんぞ……」
大行列。
他の店の前にまではみ出しそうになり、安達百花が、その大きな声を活かして行列を整理していた。
ブリス商会の前にも、待ちはできていが、向こうに比べればささやかなものだ。待たなければならないと知ると、別の店に行ってしまう者もいる。
だが、あちらの店はそのまま客が並ぶのだ。行列は、蛇花火のように今も成長を続けていた。
さらには、リピーターまで存在しているようだ。
行列のおかげで、あちらの店の中の様子までは分からなかった。
悠は、その理由に思い至っていた。
「そうだよ、ラーメンの名店だよ……」
「ど、どういうことだよ悠」
「料理が美味しいんだよ。反則的に美味しんだ……美虎先輩の、手料理が!」
裏方のメンバー達が、戸惑いを見せている。
「いや、美虎の姐御が料理うめえってのは、聞いてるけどよ」
「しょせん、素人だろ?」
「違うんですよ! 美虎先輩の料理は、そんなレベルじゃないんです! 料理漫画だったら、口からビーム出したり、なんかいきなり服が脱げたりするレベルなんですよ!」
同時に食器を運んできたレミルと伊織が、悠の声に神妙な表情で頷いた。
「間違いないのだ。ミコの料理は、もはや一種の異能の域なのだ!」
「そうだな。あの城で美虎の料理を食べた翌日、朝起きるといつも自分の服が脱げていたぞ」
「伊織先輩は寝相悪すぎるだけじゃないですか。毎日脱げてましたよ」
『てめえ何で寝相を知ってるんだよ……!』
唸るような追及に身を縮ませながら、悠は誤魔化すように話題を変えた。
「と、とにかく、今のままじゃ本当にやばいですよ。何とかしないと――」
「――そうだね、何とかしないといけない」
いつの間にか来ていたマリーが、うんうんと頷いていた。
食器を置くが、その場から離れる様子はない。
悠のことを、じっと見つめていた。
「できれば、やめてあげたかったけど……秘密兵器の投入が、必要のようだね。仕方ないよね。うん、可哀そうだけど、本当に仕方ないことだ。ねえ、レイコ」
ふたたび皿を持ってきた玲子が、目元を押さえながら震える声を漏らす。
「ええ、仕方ないですよね……私は、可哀そうだから止めてあげようって、一生懸命に訴えたのに……!」
「……ど、どういうことですか? 秘密兵器?」
マリーと玲子は、悠を見ていた。
悠だけを、じっと見つめていた。
その瞳は、爛々と輝いていた。
そして玲子は、このように言ってくる。
「悠くん、自分にできることなら何でも手伝うって言ったわよね? 言ったわよね? 何でもするって言ったわよね?」
その唇を、抑えきれない喜悦に震わせながら。
5日目は次話で終了。
予定通りなら、今週中には投稿予定です。
4章ももう終わりが見えているので、できれば来週中には終わらせたいなとは思っているのですが。




