第19話 ―聖天来訪・その9(祭・2日目④)―
間があいて申し訳ありません。
「……レーゼル広場」
オウム返しに呟いた単語に、アリスリーゼは複雑な感情を滲ませながら言う。
「レーゼル・ファーレンハイト……建国の英雄の一人の名にちなんだ広場じゃが、知っておるか?」
「ああ、うん……聞いたことあるよ。帝国の歴史も勉強したから」
レーゼル・ファーレンハイトとは、帝都の名の由来ともなった初代皇帝アディーラ・フォーゼルハウトに付き従った忠臣の名である。
“麗天皇帝”アディーラ・フォーゼルハウト。
フォーゼ地方の田舎町の酒場の娘から傭兵という経歴を経て、帝国史上でも、そして将来においても彼女に伍する帝は現れないであろうと言われるほどに上り詰めた大英雄。
第四位階“天”が一人、“麗天”としても知られている。
非の打ちどころのない美貌、魅惑的な肢体を誇る絶世の美女であり、戦においては一騎当千、将としては神算鬼謀、学問においては幾つもの分野において伝説的な功績を残している。
大要塞フォーゼルハウト帝城も当代随一と言われた築城家でもあった彼女が一から設計したものだ。
帝国が“偽天”マダラの魔道科学の力を借りて一度は世界を征服できたのも、彼女が築いた国家としての強固な地盤あってのものだと言われている。
自らに相応しい優秀な男の子を産むことを喜びであると公言していた彼女は、特定の夫を作らず、敵味方を問わずに彼女が認めた幾人もの男との間に子を得たというエキセントリックな逸話の持ち主だ。まだ少女の時分から一児の母となり、70年余りの生涯で産んだ子の数は、18人にも及ぶという。
レーゼル・ファーレンハイトも、彼女の寵愛を受けた一人だ。
それが、名門ファーレンハイト家のはじまりであるが、その忠臣の末裔が皇帝を傀儡として権勢をふるっているのだから因果なものである。
そしてアディーラが胎を痛めて産んだ子供たちは、親子間も、兄弟間も、極めて良好な関係であったという。
互いに認め合って研鑽し、全員が歴史に名を残す傑物として大成した。
彼らは母を愛し、敬い、忠義を誓い、彼女の死後も帝国の発展のために尽力し続けたそうだ。
ベアトリスのアルドシュタイン家も、そんな家系の一つである。
つまり、フォーゼルハウト皇族も、アルドシュタイン家も、ファーレンハイト家も、初代皇帝アディーラの末裔なのだ。
そんな彼女の遺伝子を受け継ぐ者たちである故か、魔道の素養を有して生まれてくる者の割合がかなり高いのだという。
もっとも、18人の子供たちのすべての家が存続できている訳ではない。
不運に見舞われたり、子孫の世渡りの失敗によって断絶、あるいは他家に併合された家系も少なくはなかった。
10年ほど前にも、名門ウォールダー家が消滅することとなった凄惨な事件が起こっている。
と、まあそんな余談はさておき。
「そうです! レーゼル広場でこれから開かれる催しものが、私の目的なのです!」
“聖天”ファースティが、鼻息も荒く頷いた。
テンション上がりっぱなしの聖女に、アリスリーゼが怪訝に眉をひそめながら問いを続けた。
「いったい、何がはじまるのじゃ?」
「珍しい景品を賭けた大会です。出品される景品の一つに、ずっと欲しかったものがあったので、これは是非とも出場せねばと思いまして」
「わざわざ、出場するんだ?」
聖女ファースティの立場をもってすれば、頼んでお金を積むだけで入手できそうなものだが。
彼女はえっへんと胸を張り、誇らしげにこう言った。
「偉大なるアーゼスの神は、そのような行いを好みません。欲しいものがあるならば、正々堂々、万人に胸を張れる方法で入手するべきなのです」
「……そっか、ごめんね」
侮辱的な発言だったかもしれない。
やっぱり性根は気高い娘なんだな、さすが聖女と感心しつつも、悠は素直に謝罪を口にした。
「でもさ、その大会でないと駄目なぐらい貴重なものなんだね」
「オーダーメイドか、古物の類かの?」
「いえいえ、別に一品ものではありません。本なのです。最初はブリス商会などに色々と在庫を聞いてみたいのですが、最近になって欲しいというお客が来て、売れてしまったそうです。ほんのちょっとの差で売れてしまったものもありました。残念です。悔しいです……一人で、幾つも持つようなものでもないはずなのですが」
「ふうん……変な人だね、同じ本を何冊も買うなんて。コレクターなのかなあ」
話しながら、三人はようやくレーゼル広場へとたどり着いた。
活き活きとしたざわめきが、いっそう密度を増していく。
「……けっきょく、目的の本とは何なのじゃ?」
「それはですね――」
ファースティが、アリスリーゼの問いに答えようとした、その時だった。
「――悠! 悠じゃなかと!」
嬉しげに弾む、溌剌とした少女の声が飛んできた。
すっかり聞きなれた、知己のものだ。
振り返れば、予想通りの人物が、こちらに駆け寄ってくる。
大ぶりなポニーテールを、ふりふりと揺らしながら。
「伊織先輩!」
伊織は、心から嬉しそうなきらきらとした表情をしていた。
思わず、こちらの顔も緩んでくるほどだ。
「こんなところで会うなんて奇遇――いや、もしかして、悠もあの本が目当てで来たと?」
「……あの本?」
まさか、という疑問に、伊織は続く言葉で答える。
「『吼天の戦姫』たい。今回の大会の商品になっているとよ」
それは、伊織に貸してもらった娯楽小説「竜天戦記」のファンが執筆した外伝的作品――まあ、同人誌のようなものだ。
作者の素性は不明であるが、原作をとてもよく読み込んだ力作であり、原作の矛盾点として指摘されていた点を絶妙も補うエピソードも盛り込まれた、コアなファンなら一読してみる価値のある作品であるとして、評判が高いらしい。
しかし、市場に流通した量は限られており、今となってはけっこうな希少本として、入手困難になっていると伊織から聞かされていた。
「むむっ……あなたもですか!」
ファースティが、何やら構えを取りながら声を上げる。
いったい何の意味がある構えなのだろう、武術的にはまるで意味がない、素人がてきとうにカッコ付けただけのようなポーズ。
本当に彼女が世界最強の魔道師の一人なのか、非常に疑わしくなってくる。
そこで伊織は、悠と一緒にいる二人の少女の存在に気付いたようであった。
「……そこの二人、誰と?」
体育会系で割と社交的な彼女としては珍しく、警戒心らしきものが滲んでいるような眼差し。
いったい、どうしたのだろうか。
悠は、不思議に思いながらも二人を紹介することにした。
「こっちがファティ、こっちがリズ。祭りで知り合った友達ですよ」
「遠方の田舎から観光に来ました、よろしくお願いします」
「別に怪しい者ではないのじゃ」
伊織の猫のようなまん丸の瞳が、じとっと半眼に変わっていく。
悠を見上げながら、拗ねるような声で言った。
「……可愛か子ばい。コミュ力高いとね」
「え、えっと……ちょっとアクシデントがあって、そこで知り合ったんですけど」
「ふーん……ほんと、可愛かと」
やがて伊織は、小さく吐息を漏らし、目元を緩めた。
目の前の二人が聖女と皇帝とは露知らず、気楽に手を差し出す。
「島津伊織、悠と同じ異界兵だ。よろしく頼む」
まず応えたのは、ファースティであった。
「はい、お願いしますね、イオリ」
清らかな笑みを浮かべながら、伊織の小ぶりな手を握り返す。
聖女の威厳の片鱗が見えたのか、伊織はちょっとドキッとしているようだった。
ファースティのあの天使めいた雰囲気は、男女問わずに“効く”。
もし地球にいれば、伝説的なアイドルとなっていただろう。
名残惜しそうに手を離し、次はアリスリーゼに。
「……うむ」
鷹揚に頷いて、皇帝も伊織に応えた。
「…………」
「…………」
握手しながら、二人は熱っぽく見つめ合う。
……お互いの、平坦な胸元を。
「イオリよ……歳はいくつになるかの?」
「16ばい」
「……妾もじゃ」
二人は、またも視線を交わす。
そして、
『……!』
ひしっ、と熱い抱擁を交わすのだった。
凹凸の少ない胸板は、ぴったりと密着する。
そんな二人の様子に、ファースティが感じ入ったように頷いていた。
「美しい友情が芽生えたのですね……!」
「……美しいかなあ」
男の悠としては、いまいち共感を得づらいのが正直なところだ。
女の子っぽ過ぎる容姿や体付きに悩む男性がいれば、今の伊織やアリスリーゼの気持ちが分かるのかもしれないが。
しかしそれは、貧乳どころではないレアな外見的特徴だろう。
(でも、伊織先輩もまさか抱き合ってるのがこの国の皇帝だなんて夢にも思わないだろうなあ)
どんなリアクションをするか、とても気になった。明かせなくて残念である。
我ながら意地の悪い考えに苦笑しながら、悠はファースティに違う話題を振った。
「それにしても、ファティの目的があの本だったなんて……君も『竜天戦記』好きなんだ?」
「はい、ユウも知っていたのですか?」
「うん、読んだの最近だけど。面白かったよね。主人公がカッコ良かったなあ」
「私は、妻の一人のドミナがどうなるか気になって気になって……」
「死んじゃったね。悲しいシーンだったなー……」
「死んじゃいました。私、読みながら泣きました! 確かに元暗殺者で、やむを得ない末路だったのかもしれませんけど、本人も受け入れた最期ですけど、でも幸せになって欲しかったです……! 私、思わず作者に10万文字ぐらいの毒感想の手紙を送りそうになりました!」
「いいの!? 本当に君それでいいの?」
架空の第四位階、“竜天”と呼ばれた男が、奴隷の身分から乱世を治める英雄へと成り上がる物語。
壮大なロマンに満ちた戦記ものでありながら、命を奪い合う戦争というものの虚しさを描きつつ切ないラブストーリーとしても完成度が高く、男女問わずに評価が高い。
地球であればファンタジーと呼ばれるジャンルに属するが、この世界だとファンタジーではなく現実に即した科学的な内容と受け止められているだから面白いものである。
「それにしても、『竜天戦記』知ってる人多いね」
「10代の若者で読書をする機会があれば、半分以上は読んだことがあると思いますよ」
この世界には、テレビやゲーム機、インターネットのような娯楽媒体は存在しない。
娯楽の種類が少ないゆえに、傑作と呼ばれるものは特に有名になりやすいのかもしれない。
「それよりも、です! そろそろ行って受付しましょう! 思ったより人多いです! もしかしたら、人数制限があるかもしれませんよ!」
「……む、そうばい」
そわそわと落ち着きのないファースティの上げる声に、4人は会場へと移動した。
レーゼル広場では、ステージを区切って貴重な景品をかけた催し物がいくつか開催されていた。
『竜天戦記』の同人作品『吼天の戦姫』をかけたクイズ大会も、その一つである。
世界は違えど同じ人間の考えることなのか、テレビでやるようなクイズ大会と内容は似たりよったりだ。
『竜天戦記』の内容について、答えに対応して区切られた場所に集まる4択問題などを繰り返し、200人を超える参加者は6名にまで絞られる。ここからが本戦である。
悠もまた、その超人的記憶力によって残ることに成功していた。
アリスリーゼもせっかくだからと参加したが、タイトルは知っていても読んだことのない彼女は序盤で瞬殺であった。今はちんまりと椅子に座って足をぷらぷらさせながら、観客席から会場を見上げていた。
その他に、本戦に残った知己は二人。
「の、残れたばい……! 正直ダメ元だったけど、何とかなるものとね……!」
「ふふふ、当然です!」
伊織。
ファースティ。
他の三人は、悠の知らない人物である。
……が、その中にひときわ異彩を放つ存在感が一つ。
「着ぐるみ……?」
「……何か、気持ち悪か」
「え、可愛いじゃないですか」
『……えっ?』
ひそひそと話す悠たちの視線の先にあるのは、ずんぐりむっくりとしたシルエット。
犬を思わせるたるんだ着ぐるみに全身を包んだ、謎の人物であった。
「…………」
彼かも彼女かも分からないその人物は、何故かこちらを凝視している――ような気がした。
「…………っ」
悠を見て、驚愕し、動揺している――ような気がした。
素顔の見えない着ぐるみ越しでは、その表情を窺い知ることはできない。
気のせいなのだろうか。
(……あれ?)
怪訝に想いながらも観客席に視線を戻した悠の視界に、意外な人物の姿が映る。
(ガウラスさん……?)
筋骨隆々の巨躯を誇る狼人が、観客の中に混じっていた。真面目な表情で、本戦ステージをじっと見つめている。まるで家族を見守る親か兄のごとく。
彼も、大会に出場していたのだろうか。
あんまり、そういうものは興味無さそうな性格に見えたのだけど。
「さあ! それでは、本戦をはじめましょう! 参加者6名は、所定の席へどうぞ!」
司会の女性が張り上げた声に、悠の意識は本戦へと引き戻される。
とにかく、今はこちらに集中しなければ。
悠は促されるままに、用意された席に付くのだった。
書籍2巻の原稿作業はほぼ完了しましたので、ちょっと崩し気味の体調が戻れば更新ペースあげられそうです。
2日目は次話で終了、予定通りなら、4章はあと5~6話ほどで終わるかなと思うので、どんどん進めていきたいですね。




