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第8話 -同衾-

そして、時刻は夜となり――


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 室内に、朱音の素っ頓狂な声が響く。

 窓から見えるメドレアの街には夜の帳が落ちており、空には地球より遥かに大きい月が浮かんでいる。


 あれから食事――地球の料理とそう変わらない見た目と味だった――を終えた悠と朱音に待っていたのは、魔道省による検査であった。

 今後、魔界で戦うために身に着ける装備の調整やその他、起きている時でないと取れないデータがあるらしく、検査は何時間にも渡った。

 特に悠の検査は念入りであり、終わった頃にはすでに日も落ちていた。


 そして、検査を終えた悠と朱音は、ルルに連れられ施設内のある一室へと案内されている。


 そこは、結構な広さの部屋であった。

 室内に灯された照明が高級ホテルのように上品な内装を照らしている。ソファにテーブル、化粧棚やクローゼットなどが配置され、大型のベッドが置かれていた。

 大きいベッドだ。一人では大き過ぎるぐらいである。


 ……ベッドは、その一つしか無い。

 そこは、来賓等が使う寝室であり、中でも夫婦のような男女のために用意される部屋であった。


 直前まで不機嫌も露わに黙り込み、無言の圧力で悠を弱らせていた朱音は、今はすっかり狼狽して声を荒げている。


「何で悠とルルが一緒に寝るのよ!?

 ……この変態! 痴漢! むっつり!」


「何で僕が責められるの!? ぼ、僕だって困りますよルルさん!」


「申し訳ありません、本日と明日中は、わたくしはユウ様と一緒にいなければならないので。アカネ様の寝室は、隣に用意しておりますが……」


 監視、あるいは観察の任を帯びている、ということだろうか。

 検査を終えた悠達に伝えられたのは、今夜の予定であった。


 つまり、2日後にクラスメートと合流するまではこの部屋で寝泊まりすること。

 ……悠の世話係として付けられたルルと一緒に。

 目の前に立つ、女の色香を匂わせる見目麗しい女性と一緒に。


 部屋にはベッドが一つ。

 朱音はどう考えても我を失っている泳いだ眼で、ふるふると震える指でベッドを指差し、


「わ、若い男女が同じ部屋で、ね、寝るなんて……な、なな……何か間違いが起きたらどうするのよ!?

 こいつ、女の子の振りしてあたしの裸見た変態なのよ! お風呂であたし、そそ、その……触らせて! きっとあんたも襲われるわよ!」


「朱音さん!?」


「あら、ユウ様……意外と積極的ですね?」


「だからあれ誤解だって言ってるよね!? ほら、ルルさんが何か勘違いしてる!」


 ルルに食いかかり、まくし立てる朱音。

 困惑しているのは悠も同様であるが、朱音の取り乱し様は何故か当事者である悠以上であった。まるで自分のことのように冷静さを失っている。

 一体、何か朱音をここまで動揺させるのだろうかと、悠は内心で小首を傾げていた。


 詰め寄られるルルは頬に手を当て、しっとりとした笑みを浮かべた。

 朱音の言葉を聞いても動揺するそぶりすら無く、余裕たっぷりである。

 艶のある桜色の唇に指をあて、甘い響きで言葉を紡ぐ。


「そういった意味での“お世話”も、私の仕事に含まれてますので。ユウ様が望まれるのでしたら、ご満足いただけるよう精一杯ご奉仕いたしますよ?」


「ふぁっ!?」


「な、ななな……」


 素っ頓狂な声を上げる悠と、口元を震わせよろめくように後ずさる朱音。

 ルルは、そんな二人の様子に艶然と――どこか悪戯っぽく微笑んだ。胸に手を当て、匂い立つ花のような色香を漂わせている。


「私、それなりに殿方に好まれやすい容姿と体であると自負しておりますが……ユウ様の好みには適いませんか?」


「え、えーとですねー……?」


 悠は、顔にびっしりと冷や汗を浮かべて呻く。

 思考が事態に追い付いていない。頭の中で、何かがぐるぐると渦巻いている。眩暈がしそうだ。

 

 何なんだこの甘ったるい展開は。

 昨日の命がけの戦いと今朝の緊迫したラウロとの会話から一転、何故か見目麗しい娘が熱っぽい瞳で見つめて来ている。

 まるで見ていた漫画や映画のジャンルが突然変わってしまったのような気分だった。


 端的に言って、とても困る。

 自分が女性そんな関係を持つなど、想像したことすらないのだ。死ぬまで縁が無いものだと思っていた。

 別にそういう欲求が皆無という訳ではない。以前ならともかく、今は女性を意識すれば相応にドキドキもする。


 でも、そういった関係はもっと順序を踏んで至るものではないだろうか。

 こう、一緒に遊んだり、手を繋いだり、告白したり、キスしたりとかして関係を育んで――そこまで考えて、ここは奴隷が当然のようにいる異世界だったことに思い至る。悠達の世界の常識は、通用しないのかもしれない。


 いやいやしかし、やはり悠個人の価値観としては――


「えーとですねー……?」


 熱病に浮かされたように、同じ言葉を繰り返す悠。

 ふらふらと視線を彷徨わせる悠を見て、ルルが妖しげに微笑んだ。

 いったい何を思い立ったのか、その胸元をするりと緩めその谷間を覗かせながら、


「試しに……ご覧になりますか?」


「はうっ」


 悠は、自分の脳がショートする音を聞いた気がした。

 同時に、視界の隅で噴火したものがある。


「あぁぁぁもぉぉぉぉ!」


 朱音が、頭を抱えながら叫ぶ。煙でも吹き出しそうな迫力。

 自分を指差し、未だ同様にわななく口元で、


「あ、あああ、あたし、あたしが……!」


 ルルが小首を傾げ、 


「アカネ様がお相手を? 私が一緒でよろしいならお止めはしませんが」


「違うわよこのエロ狼っ!

 ……ちょっと待って、今落ち着くから。冷静になるから」


 朱音は言葉を切り、大きく深呼吸をはじめた。

 1回、2回、3回……すーはーと胸を反らし息を整えていく。

 そして、きりっと表情を引き締めて、


「あたしも一緒に寝るから……間違いなんて起こさせないから!」


「……朱音さん!?」


 ……それは冷静な意見なのだろうか?

 悠は、ぎょっと目を見開き、更に冷や汗の増した顔で朱音を見つめる。

 彼女の表情は、どこか引き攣っていた。






「何でこんな展開になったのよ……! ちょっと、あんまりくっ付かないでよ悠!」


「朱音さんが言いだしたんだよ!? 無理だよ、さすがに3人はちょっと狭いよ……」


 灯りを落とした室内は、暗闇に包まれている。

 闇の中、一人の少年と、二人の娘、三つの声がひしめいていた。

 その源は、部屋に置かれた一つのベッドである。


「やはり、私は床で寝た方が良いのではないでしょうか」


「だ、駄目ですよ! それなら男の僕が床で寝ますよ、硬い床は割と慣れてるし!」


 ベッドには、悠、朱音、ルルの順番で3人が並んで寝ている。

 2人なら余裕のあるベッドも、3人では少々手狭だった。

 朱音もこの部屋で寝ると言いだしたために、今の混沌とした状態が生まれていた。

 

 ならば、悠と朱音はベッドに、奴隷である自分は床でとルルは申し出たが、これは悠が拒否した。

 女性を床で寝かせて、男である自分がベッドで落ち着いて寝られるはずがないと。

 これに対して、ルルオは奴隷である自分達に気を遣う必要はないと少し困った様子で言っていたが、これは悠には絶対に譲れない一線である。


 そもそも、奴隷という社会制度には忌避感を感じていた。

 そういった層が生まれざるを得なかった社会的背景もあるのかもしれないが、奴隷という身分はかつての自分をどうしても思い出してしまうのだ。

 故に、自分が彼女達をそうやって目下の者として扱うことは、悠にとって許容できることでは無かった。


 ともかくにも、全員の意見を参酌すればこうならざるを得ない訳で――


「ルルに手を出したら……分かってるでしょうね」


 守護神のようにルルとの間に寝そべる朱音が、そんなことを言ってくる。


「ど、どうやってさ? 目の前にすごい怖い顔して睨んでる人いるよ?」


 ルルが、くすりと微笑ましげに笑みを漏らす。

 先ほどから彼女は、悠と朱音のやり取りを楽しそうに見守っていた。


「……お二人とも、とりあえず今日はもう寝るといたしましょう?」


「ほら、ルルさんもこう言ってるし……ね、大丈夫だよ、信用して」


 暗闇に慣れた視界に、彼女の顔が目の前にある。

 朱音は、ぶすっと半眼でこちらを睨み、むっつりとした顔を浮かべていた。

 いつもの無愛想なへの字口。もっと愛想を良くすればとても綺麗で可愛いのに、といつも残念に思う高校生離れした美貌。

 あのはじめて出会った日の朱音は、とても魅力的であった。今も魅力的ではあるけれど。


「……当然、あたしにも手を出したら許さないわよ。もぐから」


「そ、そのセリフ、朱音さんが思っている以上に怖いからね……?」


 悠は一度、実際に鷲掴みにされた経験がある。あの時の朱音の尋常じゃない握力を知っていると冗談に聞こえないのだ。


 思わず目を逸らすと、豊かな双丘の谷間が見えた。

 彼女が身動ぎするのに合わせ、柔らかそうに形を変えている。 

 ごくりと、思わず唾を飲み込んだ。


「……どこ見てるのよ、すけべ」


「うっ……」


 朱音が頬を染め、じとっと睨んでくる。

 だったらそんなに胸元を開けないで欲しい、とは思ったが言い出す勇気は無かった。


 彼女は家でも外でも、妙に無防備な時がある。

 暑い時は平気で胸元を緩めるし、動きやすさを重視しているためかスカートもやたらと短い。本人はスパッツを履いているから恥ずかしくないつもりかもしれないが、下半身の形がくっきりと分かるあの恰好も十分過ぎるほどの刺激的なことに本人は気付いているのだろうか?


 以前、スカートの短さを遠回しに指摘したことがあったが、「だって蹴り辛いじゃない」などと斜め上にアグレッシブな返事が返ってきた。 

 もっとストレートに言えば朱音も自覚するのかもしれないが、異性である自分からはっきりと指摘するなど、怖くてとても無理である。

 そして朱音の同姓の知己など、悠は見たことも聞いたこともなかった。


「やっぱりあんたはむっつりスケベね。やっぱりこうして正解だったわ。二人っきりにしていたらどうなってたか……」


 ぶつぶつと詰ってくる朱音の声に、ルルが割り込んだ。

 苦笑まじりの声の、諭すような言葉である。


「……良いではありませんか。ユウ様が男子として健全であり、アカネ様が女子として魅力的である証拠ですよ」


「何よ、それ」


「殿方が自分の身体に反応してくれないというのは、女としてとても寂しいことです。アカネ様も、そう思いませんか?」


「時と場合によるでしょうが……もういいわよっ」


 朱音は枕に乱暴に頭を埋めて、への字口で目を瞑る。 


 悠も瞑目し、早めに寝るように努めた。

 暗闇の中、わずかな身じろぎと吐息の音が鼓膜を撫でる。


 ……いつものベッドと、違う匂いがした。


「おやすみなさい」


「……おやすみ」

「おやすみなさいませ」


 悠の就寝の言葉に、朱音とルルはそれぞれに言葉を返してくれる。


(……なんか懐かしいな、こういうの)


 誰かと一緒に寝るなど、いつ以来だったろうか。

 きっとそれは、あの研究所の狭く寒い部屋の思い出だ。薄いシーツに包まって、同じ境遇の子供達と身を寄せて震えながら夜を過ごした追憶の光景。寒かったが、それでも確かな温もりがあった。

 心地良い温もりの中、眠りに落ちる――






 ――夢を、見ている。


 無数の顔が悠に向けられ、その瞳は悠をじっと見つめていた。


 すべて知っている顔である。

 すべてこの世にない顔である。


 それは、あの研究所で犠牲になった子供達の顔であった。

 仲が良かった子供もいる。悠を嫌っていた子供もいる。口を聞いたこともない子供もいた。

 彼らの口が開き、虚ろな言葉を紡いでいく。


「ずるい」

「お前だけ、どうして?」

「わたし達は、みんな死んじゃったのに」

「一人だけ、生きて外に出るなんて」

「ぼく達だって、外に出たかった」

「わたし達のおかげで、生きていられた癖に」

「死ねば良かったのに」

「お前なんて、生まれてこなければ良かったのに」

「返してよ」

「ぼく達の命を、人生を返して」


「……わたし達は、何のために生まれてきたの?」


 悠は、じっとそれを聞いている。

 黙って唇を噛み締めて、自身を苛む無数の声を受け止め続けていた。


 それはもう幾度も見た夢の光景。

 以前の悠は、その怨嗟と悲嘆を受け止めるしか無かった。それ以外の方法を、知らなかった。


 だが、今は――


「……みんな、見ててね」


 自分の手には、あの剣がある。

 異形の怪物を屠った、あの力。

 無力な自分に戦う力を与えてくれる、魔道の武器。

 今の自分には、力があるのだ。


「この力がさえあれば、僕は――」


 その柄を血が滲みそうなほど強く握り締め、悠は絞り出すように呟いた。 

 その顔に、危うい微笑を浮かべながら。

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