第9話 ―帝都の日常・その9(強くなりたい)―
“鋼翼”――正式名称は、『セレスフィア総合傭兵ギルド』。
何とも味気ない名前である。
世界中の国家の治安と経済に根ざし、依頼に応じて武力を貸し与える仲介組織だ。場合によっては、国家へのテロ活動にすら応じるという。
勢力として見た場合、統率された戦力としては、“覇軍”が最強であるという見識は世界共通であるが、参加している傭兵たちの総力においては“覇軍”に比肩すると言われている。
あらゆる国家に属さず、それ故にあらゆる国家に属する傭兵組織。
その帝都アディーラ支部の前に、朱音たちは立っていた。
「さすがに立派ねー……」
「お城みたいですネ」
人通りの多い商店街を抜け、やや寂れた区画である。
朱音たちが見上げるのは、石造りの4階建ての建築物だ。質実剛健を体現したような無骨な外観であるが、武の象徴たる組織の在り方を思えば相応しい。
頑丈そうな木製の扉には、鎧のように硬質な翼を持つ鳥が描かれたプレートがはめ込まれていた。
自由に世界を駆ける、武装の翼――これが“鋼翼”と呼ばれる由来なのだろう。
「多くの機密を扱っているからな……まあ、行政側の人間としては苦々しいことだが……はー……」
後ろに立つベアトリスの声は、力無い。
あのピシっと姿勢の良い立ち姿は、今はもう見る影もなかった。
背後に幽鬼が立っているような心地である。
ここに辿り着くまでに、いったいどれほどの猫と相対して来たのか、20匹を超えたあたりから覚えていない。
……というよりは、精神の均衡を失っていくベアトリスが語尾に「にゃ」を付けながら猫に話しかけた時、あまりの痛々しさに朱音の精神は無意識にそこから先の記憶を拒絶していた。なのに、どうして目じりが赤く腫れているのだろう。自分は何も、哀しいものなど見ていないはずなのに。
ティオは健気にもベアトリスのお供を続け、ひどく憔悴した様子であった。賽の河原で石を積み続けた子供のごとき、虚ろな眼差し。
「……ティオ、大丈夫?」
「もしかしてわたし、ベアトリス様にとても酷いことをしてしまったのでしょうカ……どうお詫びすれバ……」
天使である。
無言で、頭を撫でてあげた。
長い耳が、気持ちよさそうにピクピク動く。
「……ん、おほんっ」
ベアトリスの、わざとらしい咳払い。
振り向いてみると、怜悧な美貌の女騎士が立っている。
つい先ほどまで、まるでFXで全財産を溶かしたような顔をしており、いたたまれなくてとても見ていられたものじゃなかったのだ。
とりあえず正視できる顔になったことに、安堵した。
「入ろう、ちょうど約束の時間だ」
朱音とティオが会おうとしている人物には、ベアトリスが“鋼翼”を介して連絡を付けてくれているそうだ。
名門アルドシュタイン家の令嬢である彼女の存在は、かの傭兵組織ですらも無視できないということだろうか。
「そ、そうですね」
「はいデス……」
気を取り直した3人は“鋼翼”アディーラ支部へと足を踏み入れた。
椅子やテーブルといった調度品が整然と置かれた、広々としたロビー。傭兵の溜まり場というイメージからすると意外なほどに上品な装いである。清掃が行き届いているのか、清潔感もあった。
大きな掲示板には、何やら書かれた紙が何枚も張り出されていた。
壁に貼り付けられた人相書きと数字の羅列は、賞金首か何かだろうか。
「……」
そこに、何人もの男女がいた。
多くが武装しており、荒事に慣れた佇まいであることが、朱音には分かった。“鋼翼”に所属する傭兵たちなのだろう。
彼らは朱音たちの姿を認めると、胡乱げな眼差しを向けてくる。
嫌な目つきだ。目を合わせるとつい睨み返しそうだったので、朱音は務めて無視していた。
ティオが、居心地悪そうに肩を竦める。怯えているのかぎゅっと手を握ってきたので、優しく握り返してあげた。
彼らの多くは、ベアトリスの姿に気付くと目を見開いて驚いていた。
ひそひそと話し声が聞こえてくる。
「気にするな、行こう」
ベアトリスが、ずんずんと前に進んでいく。
明らかに注目されているが、素知らぬ様子であった。
彼女が向かう先には、木製のカウンターが配置されており、向こうに女性の姿が見えた。
受付だろうか。
女性は、こちらの姿を認めると愛想の良い笑みを浮かべて会釈した。
ベアトリスも会釈を返し、カウンターの前に立って、朗々とした声で、
「帝国騎士のベアトリス・アルドシュタインだ。先刻の約束通り、カーレル・ロウと――」
「――はいはい、ここに居ますよ。お待ちしていましたよアルドシュタイン卿」
軽薄な、男の声。
振り返ると、2階に続く階段から一人の青年が下りてくるところであった。
茶色がかった長髪、中肉中背の優男である。
へらへらと、緩んだ笑みを浮かべていた。
カーレル・ロウ――“鋼翼”の序列第6位、“九傑”が一角。
彼の登場に、場の空気が一変したことが分かる。
ロビーにいる傭兵の幾人かが、息を飲んだ気配があった。
カーレルは、朱音とティオの姿を認めると苦笑めいた表情を見せる。
「あの城以来ですかねえ、怪我は何ともないんで? いやあ、けっこう気にしてたんですよ。可愛い女の子の肌を傷つけちゃいましたからねえ」
「……見ての通りよ。そっちこそ、頭はもういいの?」
カーレルは、コンコンと自分の額を指で小突いて見せた。
朱音の頭突きにより、頭蓋骨にヒビが入った箇所である。
傷も腫れも皆無。後遺症も残っていないようであった。
「治療費はかさみましたけどね」
「……悪かったわよ」
「別に気にしちゃいませんがね……ま、敗北の痛みとして受け取っておきましょう」
カーレルの口にした『敗北』という単語に、周囲が一斉にざわめき始めた。
傭兵たちが、目を丸くして朱音に注目している。
カーレル・ロウに勝利しただと?
あの少女は、いったい何者だ?
そんなニュアンスの話し声が、わずかに耳に届いてきた。
「……勝ったなんて、思ってないわよ」
……馬鹿馬鹿しい。
あんなもの、勝利と言えるものか。
最初から最後まで手を抜かれ、揚句にこの世で最も気に食わない男の助勢によって、ようやく得られた勝負の結果。
思い出すだけで、屈辱で腸が煮えくり返るのだ。
そんな朱音の内心を知ってか知らずか、カーレルはにやにやと薄ら笑いを浮かべながら上を指し示した。
「こんなところじゃなんなんで、上がって来てくださいよお三方」
3階にある応接室に、朱音たちは通された。
朱音ら3人はソファに並んで座り、向かいのカーレルと相対している。
「いやあ、いいものですねえ。華がある。そっち狭くないですか? 俺の隣、空いてますよ?」
「嫌よ」
「ご遠慮しますデス」
「断る」
「……そりゃあ残念」
カーレルは肩を竦めて、事務員と思しき女性が運んで来てくれたお茶を口にした。
「やれやれ、まさかかの名高き帝都の剣聖、アルドシュタイン卿から名指しされるとは思っていませんでしたが……俺に用があるのは、そちらのお嬢さん方のようで?」
その通り。朱音はこの男に用がある。
そして、ティオも。
彼女と目くばせすると、ティオが微笑み『先にどうぞ』と促してきた。
ありたがく甘えさせてもらうことにする。
カーレルを真っ直ぐ見つめて、真剣な表情で口を開いた。
「糸の操り方を、教えて欲しいの」
「……糸を?」
カーレルの目が、すぅっと細まる。
「あたしの魔法は、糸を具象化する能力よ」
「ええ、虹色の綺麗な糸でしたねえ」
「……でも、あんたにはまるで通じなかった」
世界最高峰の鋼糸使い、カーレル・ロウ。
その精密にして強靭な糸の乱舞に、朱音とティオは終始圧倒されていた。
当然の結果であった。
経験が違う。年季が違う。もしかしたら、才能も。
だがそれで仕方ないと思えるほど、朱音は物わかりが良くはない。
「あたしは、強くなりたい。仲間の足を、引っ張りたくないの。だからそのために、私は自分の魔法をもっと使いこなさなきゃならないわ……この、糸の能力を」
<絢爛虹糸>は、朱音の意思に従って動く。
だが、その糸を動かすという操作に朱音の魔道師としてのキャパシティを割いている状態なのだ。
これを朱音自身の技術によって補うことが可能となれば、糸の強度や牽引力、射程距離といった要素に力を注ぎこむことが可能となる。
「今のままじゃ、駄目なの……!」
昔は朱音に守られてばかりだった悠は、今や自分よりずっと強くなった。
もはや朱音は、悠にとって護るべき対象なのかもしれない。
……冗談じゃない。
朱音は、悠の隣に立ちたい。
あの危なっかしいお人好しを、支えてあげたい。
背中に隠れて護ってもらうなど、真っ平御免である。
朱音は、カーレルに向かって深々と頭を下げた。
「お願いします。あの糸の使い方を、あたしに教えてください」
朱音からは、カーレルの顔が見えない。
彼は、どんな表情で朱音を見下ろしているだろうか。
「アカネさん、顔を上げてもらえますかね」
言う通りにする。
カーレルは、静かな表情で朱音を見つめていた。
同時にそれは、朱音の知らない真面目な顔である。
「俺は、これでも“鋼翼”の第6位に置かせてもらっています。俺を指名して仕事を依頼したらどれほどの報酬や費用が動くか、ご存知ですか?」
見当もつかない。
朱音は、黙って首を横に振った。
「まあ、内容にもよりますがだいたいは――」
カーレルが示した金額を見て、朱音は青ざめた。
この世界に来て、それなりになる。おかげである程度の金銭感覚も身についてきた。
その金額は、日本円にして数千万円を下らないだろう。
第三位階の魔道師としてそれなりの立場を得た朱音であるが、はるか雲の上の金額である。
「この技術に身に付けるまで、それなりに努力もしました。そして俺は、その技術を使って金を稼いでいます……さて、アカネさんはそれに相応する対価を差し出すことができますかね?」
「それ、は……っ」
数千万円もの金銭。当然、持っていない。
では朱音に、それだけの対価に代替できる価値があるのだろうか。
「……ありません」
朱音は、悔しさの滲んだ呻きを漏らす。
カーレルの言葉は、正論であった。
カーレル・ロウはプロである。普通の人間には到底稼げないであろう金額を稼ぐ特殊技能の持ち主なのだ。
そんな相手に、自分は軽い気持ちでものを頼もうとしていた。
何たる非常識。子供の発想である。
「ア、アカネ……」
ティオが気遣わしげに見上げてきたが、反応を返す余裕がなかった。
朱音が恥ずかしさから俯いていると、
「私の存在が対価では、不満か」
ベアトリスが、そんなことを言ってきた。
朱音は驚いて顔を上げる。
ティオも同じような表情をしていた。
カーレルは、顎を撫でながら興味深そうにベアトリスを見つめている。
「名門アルドシュタイン家とのコネクション、金銭では測りがたい価値があるだろう。貴公にとっても有益かと思うが」
「……ほう?」
「べ、ベアトリスさん、それは……いくら何でも悪いです」
お願いしていたのは、カーレルと顔合わせの場を用意してくれるだけである。
それ以上のことをしてもらうのは、さすがに申し訳なかったし、情けない。
だがベアトリスは、穏やかな表情でかぶりを振った。
「いいのだ。私としても、“九傑”と繋がりを持っておくことは悪い話ではない」
そして彼女は、カーレルを実直な眼差しで見つめる。
「さあ、カーレル・ロウ。返答や如何に」
「……二つほど、条件を付けても?」
「聞こう」
そこから先の話は、朱音やティオにはよく分からない内容であった。
ただ、“人獣”という言葉は、印象に残っている。
数分ほどの話し合いの結果、ベアトリスの譲歩もあって交渉はまとまったようだった。
カーレルは芝居がかった仕草で両手を広げ、
「いいでしょう。アカネさんの頼み、引き受けるといたしましょう……ただ、アカネさんとティオさんのお二人には別に要求がありますが」
「……何?」
「何ですカ?」
いったい何を言われるのかと身構える。
そしてカーレルが口にした内容は、少々意外であった。
はじめての経験であるが、無理な要求ではない。それにちょっとだけ、興味も湧く内容であった。
戸惑いながらも、引き受ける。
「……ありがとうございます。あの、ベアトリスさんも」
「いいと言っているだろう。お前が強くなれば、我々帝国の利益にも繋がるのだ。精進しろよ、アカネ」
「……はい」
いい人だなと思う。
武道を歩む者としても、人としても、尊敬できる人だ。
ただよう良い空気を、
「まあ、あの仕事は割と後ろめたかったんで、罪滅ぼしも兼ねて軽くお説教した後に引き受けるつもりだったんですけどねえ。いやあ、思わぬ収穫ですよ、良かった良かった」
軽薄なカーレルの声が、ぶち壊しにした。
「……っ」
ベアトリスの額に、わずかに青筋が浮く。
頬が、ぴくぴくと引きつっていた。
「べ、ベアトリス様……大丈夫ですカ?」
「だ、大丈夫だ……言っただろう、この男とのコネを作っておくことは、こちらの利益にもなると……くぅぅぅっ……!」
隠しきれない悔しさが溢れ出ている。
先ほどの交渉、かなり苦渋の譲歩もあったように見えた。
というより、終始カーレルのペースだった気がする。
もしかすると、ベアトリスはこういう交渉事が苦手なのかもしれない。
「そ、そのっ……本当にごめんなさい……」
「いいから、とにかくアカネは強くなることを考えろっ……くそう、くそう……!」
しょげこんでしまったベアトリスを気にした風もなく、カーレルはティオへと問いかける。
その声色は、微妙に優しかった。
「で、ティオさんの俺へのお願いは?」
「あっ、その……お母さんのお話を、聞かせて欲しかったんデス」
「ああ、そりゃあお安い御用ですよ。あの人にはちょっと借りもあるんでね。君に返させて貰うとしましょうか」
……何はともあれ、朱音とティオの願いはベアトリスの助力と犠牲によって叶うこととなった。
ベアトリスに報いるためにも、強くならねば。
朱音はよりいっそう、その想いを強くするのだった。
10000P超え、ありがとうございます!
次話は、またちょっと違うキャラを掘り下げる話をしようかなと
やるエピソードは決まっているのですが、順番でちょっと悩んだりしています
できれば来週も最低1話は更新予定です




