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第7話 ―帝都の日常その7―

「お待たせ!」


 美虎と別れ、第一宿舎へと下りた悠とルル。

 朝日の差し込む石造りのロビーに、二人の少女の姿があった。

 待ち合わせをしていた朱音とティオは、すでに先に来ていたようだ。


「……ん」


 いつもは帝国から支給されている制服をしている朱音であるが、今は私服である。

 動きやすさや涼しさを重視した軽装の衣服であり、地球でも好んで着ていたタイプのものだ。

 その豊満な身体のラインや、しなやかな脚線美が露わになったいささか刺激的な恰好ではあるが、朱音の凛とした美貌には良く似合っている。


「大丈夫デス、今来たところですかラ」


 ティオは、いつも通りのメイド風衣装である。

 女の子らしくお洒落をすればとても可愛らしいのだが、残念ながら奴隷用の首輪がどうしても目立ってしまうのだ。それはルルも同じで、ティオと同様にメイド服のままであった。


「朱音、どうかした?」


 朱音は、どこか険しい表情をして悠を見つめていた。

 そのしかめっ面の下に何か別の感情を隠しているような、そんな顔。

 彼女より身長の低い悠は、小首を傾げながらその美貌を見上げた。


 朱音は、微妙にもじもじとしながら、ぼそりと小声で、


「……忘れなさいよ」


「何を?」


「だからっ……!」


 ずい、と寄ってくる朱音。

 耳元に口を近付け、囁くような声で言葉を続ける。

 

「昨日、夢の中でティオが変なこと言ったんでしょ!? 嘘だから、デタラメだから! あたし、そんなんじゃないから!」


「えっ……あっ!」


 悠は、そこでようやく得心がいった。

 つまりはティオの、朱音が求めてきたら抱いて欲しいだの何だのというあの言葉だろう。

 “紅”の原本の解読作業に没頭していて、すっかり忘れていた。

 

「う、うん……分かってるよ」


 もし言われていたどうしようという思いもあったのだ。

 良かった。これで何もかも丸く収まるではないか。

 悠は、安堵に表情をゆるませた。


「……嬉しそうね」


 なのに朱音のじとっとした眼差しは、どこか不機嫌そうだった。


「な、何で睨むの?」


「別に」


 ぷい、と顔を反らして離れる朱音。

 その態度に戸惑う悠。

 そんな二人を、ルルとティオは生温かい眼差しで見つめていた。

 微笑ましげな苦笑を浮かべるルルが、口を開く。


「……では、そろそろ参りましょうか」


 そして、4人は第一宿舎を出発したのだった。






 陽光の降り注ぐ帝城の敷地内を歩き、帝城内へ。

 そして軍や魔道省などの関係者しか入れない区画を抜ければ、一般開放されている区画に出る。

 かつて世界を支配していた大帝国の威信を示すためなのだろう、かなりの人手や資金を費やしたと推測できる、見栄えの良い立派な景観が広がっていた。

 そこを抜ければ、帝都の街区へと通じる門だ。

 通常、異界兵が帝都に出るには、事前の申請と審査が必要である。

 だがしかし、今回は必要が無かった。


「あ、もう来てる……待ち合わせの時間まだなのに」


「真面目な御方ですから」


 門のそばに、一人の女性が背筋をぴんと伸ばして立っている。

 金髪碧眼、すらりとした長身の、生真面目そうな鋭い美貌。

 門番役である兵士が、落ち着かない様子でチラチラとその女性を見ていた。

 彼女はこちらに気付くと、口元を小さく緩めてみせる。


「……む、来たか。おはよう、皆」


「おはようございます、ベアトリスさん」


 ベアトリス・アルドシュタイン。

 彼女もまた、悠たちと一緒に帝都に出ることになっていた。

 誘ってもいいかと聞いてきたのはティオである。帝国内では数少ない味方として認識している人物なので、悠は快諾した。


「ベアトリス様、おはようございます」

「おはようございますデス!」

「おはようございます」

 

 ベアトリスと挨拶を交わした4人。

 そのまま、目の前に立つ女騎士を見つめていた。

 ベアトリスは、怪訝に眉をひそめて問うてくる。


「……どうしたのだ?」


「いえ、ベアトリスさんの私服って初めて見たから……」


 ベアトリスを顔を合わせる機会はそれなりにある。

 だがその服装は、いつも軍服か鎧姿である。

 今の彼女は、いたってラフな衣服に身を包んでいた。


「まあ、いつもは公務中だったからな。私とて女だ、私用中ならそれなりにめかし込みする」


 薄手のシャツにズボン。シンプルな服装だが、仕立てはとても上品であった。高級品なのかもしれない。

 朱音ほど軽装という訳でもないが、しなやかな身体のラインの出た、動きやすそうな衣服である。

 腰には、いつも彼女が身に帯びている長剣が下げられていた。

 

「……変だったか?」


「とんでもないデス、すごく似合っていまス! ですよね、ユウ様」


「うん、とても綺麗だと思います」


 ルルや朱音も、肯定的な意見を口にしていた。


「む……そうか。そう言ってもらえると嬉しいな。お気に入りなんだ」


 満更でもなさそうな表情を見せるベアトリス。

 こうして見ると、やはり美人である。そして美虎と同等以上の長身で、スタイルも良い。

 そして性格は実直にして誠実。


(これでまだ独身なんだなー……)


 確か、今は24歳だったか。

 10代で結婚すること者が多いこの世界、ましてや貴族社会においては、既に「行き遅れ」扱いされる年齢だそうだ。

 家柄も良いはずなのでこの上ない優良物件のようにも思えるのだが、政治的な立場もあることだし、なかなか難しい問題なのかもしれない。


 そもそも、未だに男性と交際した経験すら皆無らしい。

 以前、うっかり悠が結婚とか男女交際の話を彼女に振ってしまったことがある。

 その時、ベアトリスは真顔になった。

 一切の感情の消え失せた、まっさらな表情。

 人は、それを絶望という。

 悠はその後、女性陣に正座させられて説教を食らう羽目になった。


 いわゆる、地雷というやつだ。踏んでも誰も幸せにならない。

 なので、頭の中で思うだけにする。


「さて、では行こうか」


 ベアトリスの言葉に、4人は頷いた。

 彼女は先ほどからガチガチに固まっていた門番に歩み寄り、自らの身分を示す紋章を見せた。

 悠とそう年が変わらないであろう若い兵士の表情がいっそう強張る。ベアトリスを相当に意識しているようだ。


「上位貴族、アルドシュタイン家のベアトリスだ。連れは4名。通るぞ」


「はっ! どうぞお通りください!」


「うむ、ご苦労。引き続き職務に励んでくれ、エイル・ブラート」


「え? あ……はっ!」


 名前を呼ばれたことに目を見開き、感極まったように頭を深々と下げる兵士。

 ベアトリスは彼の肩をぽんと叩き、門を通った。

 悠もぺこりとお辞儀をして、ベアトリスに続く。

 帝国貴族であるベアトリスの同行人として、悠たちは何の手続きもなく帝都へと出ることができたのだ。


 門から出ると、帝城正面と帝都を接続する、長い跳ね橋が伸びている。下は運河であり、荷物の運搬をしていると思しき小船を散見することができた。

 悠は前を歩くベアトリスに小走りで並び、彼女に問いかけた。


「……さっきの人、知り合いですか?」


「いや、彼は新兵だ。言葉を交わすのは初めてだな」


「でも、名前を呼んでましたよね、名札とかも無かったですけど……」


「彼らはこの城を守るために命を賭して戦う兵士であり、ひいては帝国武門の筆頭たるアルドシュタイン家の部下だ。次期当主として、仕える兵士の名前と顔ぐらいすべて覚えているさ」


「へえぇ……」


 これが、人の上に立つ者の立ち振る舞いというものか。

 まさしく貴族、という感じである。

 悠は、きらきらした眼差しで彼女を見上げ、感動のままに口を開いた。

 

「すごいですね! なんかカッコいいです!」


「そうか? 当たり前のことだと思っていたが……うん、そう言われると少しこそばゆいな」


 クールな美貌が、照れ臭そうに微笑んだ。

 武道の達人であるためか、ただ歩く姿すらも颯爽とカッコ良く見える。

 その背を見つめるうちに、橋を渡り切った。


 そして視界に広がるのは、活気に満ちた帝都の大広場である。

 正面には、多くの人々が行き交う大通り。

 建物も、人々も、現代日本では決して見ることのできない光景だった。


「あの、今更ですけど……仕事の方は大丈夫だったんですか?」


 ふと気になった悠は、ベアトリスに問いかけた。

 彼女は極めて多忙である。政争で敗れた皇帝派であるゆえに多くの雑事を押し付けられた状態であり、更にはその責任感の強さで業務の一つ一つを誠実にこなしていたそうだ。

 悠たち異界兵と帝国の間に立つこともその仕事の一つであり、その真面目っぷりはよく伝わってくる。


 そんな彼女は、どこかリラックスした表情でこちらを見下ろした。


「ああ、問題ない。お前たちのおかげだ」


「どういうことですか?」


「あの夢の世界だよ。あそこで、幾つかの仕事の前準備を終えることができた。部下からも、いい加減に休暇を取ってくれと言われていたところなのでな、ティオの誘いはちょうど良かった」


「そう言っていただけると、わたしもお誘いした甲斐があるデス」


「その……よろしく、お願いします」


 にこやかに言うティオと、やや畏まって頭を下げる朱音。

 ベアトリスは、自分の立場やコネを用いて朱音とティオが会いに行くという人物との仲介を行ってくれるのだそうだ。

 あの夢幻城での戦いで、敵手として相対した人物らしい。

 悠とルルがこれから会いに行く相手も、あの戦いで省吾と拳を交えた人物であった。


「うん、力になれて嬉しいぞ。では、向かうとしよう」


 朱音たちの行く先は、“鋼翼ギルド”のアディーラ支部。

 悠とルルは、その途中の店で待ち合わせをしている。

 支部の所在する場所は、大通りからかなり離れた区画だ。戦闘を生業とする荒くれが多く集う場所であることへの治安の配慮や、傭兵の中には亜人も少なくないため富裕層に多いフォーゼ人至上主義者からの反発を逃れるためであるらしい。

 ここからは少々遠いが、気分転換の散策も兼ねていることを思えば、むしろ都合が良いといえた。

 5人は連れ立って、大通りから逸れた街道へと入っていく。


 比較的大きな建物が並ぶ大通りとは異なり、雑多な店の多い道である。

 その品物やサービスも、多種多様で混沌としており、整然とした大通りには無い種類の活気が溢れていた。

 まだ数回しか帝都に出たことが無い悠にとっては、いまだ目が飽きることのない光景だ。

 だが、街全体の雰囲気に、悠はどこか違和感を得ていた。


「んー……?」


「どういたしましたか、ユウ様?」


「何か、いつもとちょっと様子が違うなって……なんか、そわそわしてるっていうかさ」 


 良い意味で落ち着きが無い、とでもいうのだろうか。

 楽しげに浮足立っているような気配が、悠には感じられた。

 悠の言葉の意味を、ルルはすぐに察したようである。彼女は小さく頷き、


「お祭りが近付いてますからね」


「お祭り!」


 悠は表情を輝かせた。

 悠にとっては、未体験のイベントである。

 あのまま地球で生活していれば、もうすぐ見られたはずなのだが。

 聞き耳を立てていた朱音が、会話に参加してきた。


「……こっちにも、そういう時期があるの?」


 その問いに応えたのは、ベアトリスである。


「いや、そういう祭りもあるが、今回は特別だ。この国の多くの者がアーゼス教徒であることは知っていると思うが、“教会”のさる御方が、この帝都を訪れるのでな。その活気に便乗しようという商人たちの打算もあり、盛大に祭りが催されることになっている」


「さる御方、ですか?」 


 うむ、と生真面目な表情で悠に頷き返し、 


「“アーゼスの聖女”ファースティ・アーゼルフィール様……教皇と比肩すると言われる“教会”の重鎮だ。名前ぐらいは知っているのではないか?」


「ファースティ……あ」


 確かに悠は、その名を知っている。

 書物で見かけた名前であった。

 魔道における高名な実力者の名が連ねられた本だ。

 彼女の名は、その中でも特別な項目に記されている。


 すなわち、“聖天”と。

 第四位階アルス・マグナが一人、最年少の“天”であると記されていた。

 あのマダラと並ぶであろう、最強の魔道師の一角である。

 単身で世界のパワーバランスに影響を及ぼすと言われる生ける戦略兵器が、またもや帝都を訪れるのだ。


「そんな凄い人が、この帝都に来るんですか……その、何か色々と、大丈夫なんですか……?」


「今までも、何回か来てるらしいデス。とっても綺麗で優しい人だって有名デス」


 ティオは、複雑な表情で言う。

 亜人差別の元凶ともいえるアーゼス教の要人だ。彼女にとっては思うところもあるのかもしれない。

 そんな彼女の心境を察したのだろうか、ベアトリスが気遣うような言葉をかけた。

 

「聖女様はアーゼス教でも革新派の筆頭でな。亜人差別など愚かしいと公言されている。あの御方が台頭されてからは、世界的に亜人との融和が進んでいるそうだ。帝国では、貴族の多くを原理主義派が占めているが……聖女様はまだお若い。いずれ“教会”を掌握すれば、帝国の法にも影響を及ぼすかもしれんな」


 “聖天”を語るベアトリスの口調には、確かな畏敬の念がにじんでいた。 

 彼女もまた、アーゼス教徒なのだろう。 

  

「……そうなると、いいのですけどネ」


 あまり期待していないような声で、ティオは苦笑をにじませる。

 頼るべき故郷も同郷の者もなく、母と二人、あるいは一人っきりで生きてきた彼女だ。色々と、亜人であるという理由で酷い目に遭ってきたのだろう。 

 悠は沈みかけた空気を払うように、弾んだ声を上げた。


「でもお祭りかあ……行きたいな。いつから始まるの?」 


「聖女様が帝都に到着されてから本格的な準備が始まるはずなので……そこから、3,4日程度はかかるのではないでしょうか。ベアトリス様、聖女様のご到着はいつ頃の予定なのですか?」


「本来は明日の予定だったのだが、近隣の村や町に立ち寄って信徒の慰問や布教を行っているおかげで遅れているようだ。まあ、いつものことだがな。あと3日ほどはかかると思うぞ」


 合わせて、およそ1週間後だろうか。

 ひそかに夢だったわたあめとか金魚掬いは無いかもしれないが、祭りっぽい何かは楽しめるだろう。

 悠は、胸元でぐっと両こぶしを握る。


「ぜったい行こうね、ルルさん!」


 鼻息も荒く意気込む悠を、ルルは悪戯っぽい表情で覗き込んだ。

 尻尾をぱたぱた揺らしながら、色っぽい声色で、


「おや、私と二人っきりでしょうか?」


 朱音とティオの肩が、ぴくんと反応した。

 嫌な予感がして、悠はぶんぶんとかぶりを振る。


「い、いや、他の皆も誘ってだけど……!」


「左様でございますか。それは残念」


 くすくすと笑みをこぼすルル。


「でもユウ様、お祭りは数日ありますので……お気が向きましたら、いつでもお声をかけてくださいね? 私、待っていますから」


「そ、そういう話題振られたら困るって知ってる癖にぃ……!」


「ふふ、申し訳ございません」


 ルルはちっとも悪びれない笑みで言う。

 背後で、朱音とティオが何やらぼそぼそと話し合っていた。ティオが朱音に何かを求め、朱音が追い詰められたように狼狽している。

 ルルにはその二人の話が聞こえているのか、狼耳はピンと立ち、愉快げにピクピクと反応していた。


「若いな、青春だな、いいな……」


 そしてベアトリスは、微妙に切なげな眼差しであった。

 理由を問うてはいけない気がして、悠はさっと目を逸らす。


「え、えーと……」


 何か話題を変える切っ掛けは無いかと辺りを見渡す。

 そして、塀の上で丸くなっている毛玉のようなものを発見した。

 茶色がかった猫である。

 暢気にあくびをしている姿が可愛らしい。


「あ、猫だ」


「猫だとっ……!?」


 何故か、ベアトリスが妙に大きく反応した。

 猫の存在に気付くと、まん丸とした毛玉を、食い入るように見つめていた。

 尋常ならざる様子に、悠はきょとんとしながら問いかける。

 

「猫、嫌いなんですか?」


「い、いや、そういう訳では……!」


 珍しく口ごもるベアトリス。

 そのまま、悩ましげな様子で黙り込んでしまった。


「ユウ様! 見てて下さイ!」


 ティオが、ずいと前に出る。

 くりっとしたつぶらな碧眼が、頼もしげな眼光を宿していた。


 ああそういえば、と悠は夢の中でのやり取りを思い出す。

 事情を知らないルルは、ぱちくりと目を瞬かせて問うてきた。


「ティオは、何を始めるのですか?」


「猫の鳴き真似して、近くに呼ぶんだってさ」


「呼ぶだとっ……!?」


 またベアトリスである。

 くわっ、と目を見開いて反応していた。

 何やら様子がおかしい。

 気になったが、朱音やルルが喋っているので、そちらに意識を傾ける。


「そういえば特技だって言ってたわね……」


「なるほど、猫を……羨ましい特技ですね」


「ルルさんも呼びたいんだ?」


「私、猫派ですから」


「へえー、犬じゃないんだね」


「あら、狼人である私が犬派だと、絵的にちょっとまずいではないですか」


「ん、んー……?」


「じゃあ、行ってきまス!」


 ティオは、親指を立ててサムズアップ。

 この世界には無い表現のはずであるが、どうやら地球人の皆を見て覚えたようだ。


 とてとてと歩み寄っていくティオ。

 接近に気付いた猫が、警戒の体勢を取る。今にも逃げ出しそうだ。

 立ち止まったティオが、その場にちょこんと座り込んだ。

 まるでお座りをしている猫のように。


「んみゃあ」


 猫のつぶらな目が、驚いたように見開かれた。

 

「にゃー、なぁー」


 んにゃん、と猫が鳴く。

 まるで、ティオに語りかけているようだった。


「うにゃっ」


 なー。


「にゃう、にゃぁぁん、にゃ?」


 ……ふにゃぁ、ごろごろ。


「ほんとに来た!」


 ティオの足元に転がって、なすがままになっている猫。

 恐らくは野良であろう薄汚れた猫は、すっかり警戒心を解いてティオにすり寄っていた。

 ティオは、どやっといった感じで自慢げに見上げてくる。


「えへへ、どうですカ?」


「すごい、すごいよ! 思ってた以上だった!」


「ほんとね……これ、芸として成立するレベルじゃないの? お金取れそう」


 感心する悠と朱音。

 朱音はティオに歩み寄り、一緒に猫を可愛がっていた。

 隣のルルも、何やら神妙な表情でうんうん頷き、感じ入った様子である。


「捕まえるなら私にもできますが、呼び寄せるとは……あまりお腹を減らせずに済みますね、素晴らしいことです」


「……お、お腹?」


 彼女は、どこか遠い眼差しで猫を見下ろしながら、


「森猫は俊敏ですので……得られる栄養より捕まえるのに消費する栄養が上回る、ということが往々にしてあるのです」


「お肉目線!? 猫派ってそういうこと!? 違うよ、これお肉じゃ……お肉だけど! でもタンパク源じゃないからね!?」


「あら、それぐらい分かっております……冗談ですよユウ様」


 頬に手をあて上品に微笑むルル。

 だが猫を見下ろすその眼差しは、隠しきれない鋭さを帯びていた。

 狼人は、肉食を主とする森の狩猟民族だと聞く。その血が騒ぐのかもしれない。

 食卓に肉があると、ルルのテンションはいつも露骨に上がるのだ。

 あらゆる意味で肉食系である。


「ル、ルルさん、まさかこっそり動物狩って食べたりとか……」


「おや心外な。私、淑女として通しておりますので、そのような品のない振る舞いはしたしませんよ。まあ、その、本能的に疼くものが無い訳ではありませんが」


「そ、そう……」


 仲間うちでは常識人として安心感のあるポジションにいるルルであるが、稀にこんな顔を見せる時があった。油断大敵である。

 そんな会話をルルと交わしていると、猫と戯れるティオと朱音に歩みよる者がいた。 


「あ、あぁ……」


 ベアトリスである。

 熱に浮かされたようにほんのり上気した頬、とろんとした表情は、一瞬だがあの怜悧な女騎士だと認識するのが躊躇われた。

 その足取りは、ふらふらと危うい。

 声をかけるのが微妙に怖くて、悠はそのまま彼女の動向を見守っていた。

 接近に気付いたティオが、愛らしい小顔に戸惑いを浮かべる。


「べ、ベアトリス様……?」


「ね、ねこ……ねこ……」


「えっ、あ……にゃんこ触りたいですカ?」


 こくん、と無言で頷くベアトリス。

 はいどうぞ、とティオは抱き寄せた猫をベアトリスの方に向ける。


「おお……!」


 ベアトリスの表情は、まるで誕生日プレゼントをもらった子供のようだ。

 何か神々しいものに触れようとするかのように、震える手が猫へと伸びていく。

 そして――


「――きゃあっ!? ど、どうしちゃったデス!? 暴れないでっ……あっ、待っテ!」


 猫は、急に狂ったように暴れ出した。

 ふぎゃあふぎゃあ、と鳴き声を荒ぶらせ、ティオの腕から逃れる。

 そのまま、まるで命でも狙われたかのごとく一目散に逃げ出し、雑踏の中に姿を消した。


「あ、あぁぁ……ねこぉ……!」


 ベアトリスの悲しげな呻き。

 そのまま、がくりと膝を折って地面に両手を付く。

 凄まじい落ち込みようである。悠たちは割とドン引きであった。


「え、えぇと……ベアトリス様?」


「どうしたのよ……?」


 戸惑うティオと朱音。

 悠は、ルルへと振り返った。


「ルルさん、何かした? 殺気出したりとか……」


「えっ、今の私のせいになるのですか……? いえ、その……違う、と思うのですが」


 いつも飄々としているルルすらも、事態についていけずに当惑しているようだった。

 ベアトリスがくずおれた体勢のまま、絞り出すような声を上げる。 


「違う、ルルのせいではない! 咎は、私にあるのだ……!」


「べ、ベアトリス様……」


 ティオは、おろおろとベアトリスの傍で手を彷徨わせている。


「あー……つまり」


 朱音が、一連の事態を整理する。

 まあ、推測できる内容など、一つしかないのだが。

 その場の4人の脳裏に浮かんでいたであろう結論を、朱音はばっさりと口にした。 


「猫好きだけど、猫に嫌われてる、と」


「うぐぅぅ……! あんなにリラックスした猫でさえ無理なのか!」


 悔しげに呻く女騎士。

 世の不条理を嘆くように、地面を拳で叩いていた。

 帝都第一位の剣士は、悲痛な声を上げる。


「何故だ! 私はただ、撫で撫でしたり、抱き締めたり、ご飯あげたり、頬ずりしたり、舐めてもらったり、戯れたり、散歩したり、お風呂入ったり、一緒に寝たり、朝ぺろぺろして起こしてもらったり、一日中甘えられてまとわり付かれたり、仕方ないから膝に乗せて仕事してみたり、そしてゆくゆくは大量の子猫にじゃれ付かれてもこもこに埋もれたりしたいだけなのに!」


「山盛りですネ!」


 条件反射でツッコむティオ。

 ますますしゅんとするベアトリス。

 ティオは慌ててフォローに入り、一生懸命に言葉を選んで慰める。


「その……また呼びますかラ! 協力しまス! きっとベアトリス様と仲良しになれるにゃんこいますよ、きっト! ね、アカネ様!」


「え……そ、そうよ! 諦めなければ、夢はぜったい叶うわベアトリスさん!」


「そ、そうか……そうだな!」


 ベタな文句に元気づけられ、勢い良く立ち上がる女騎士。意外とチョロい。

 良く見れば、やや大ぶりなお尻を包むズボンには、可愛らしい猫の刺繍がしてあった。 

 

「……ユウ様、何やら複雑な表情をしてらっしゃいますが」


「いや、何ていうか、僕の中のベアトリスさんのイメージが……」


 クールでカッコいい大人の代表格であったベアトリス・アルドシュタインのイメージが、ガラガラと崩れていく。

 一方のルルは、楽しげにくすくすと笑みを漏らしていた。

 

「そうですか? 私は意外と可愛らしいところもあったのですねと感心していますが。別に今までの凛々しいお姿が偽りであった訳ではないでしょう。重い責務を背負いながら生活していると、ああいったこともストレス解消には必要なものですよ」


「……ルルさんも偉い人だったんだよね。やっぱりあんな感じのストレス発散とかしてたの?」


「えっ」


 ルルの肩が、びくりと震えた。

 目は見開かれ琥珀の瞳が泳いでいる、ものすごく微妙な形の笑みで固まっていた。頬に一筋の汗が伝う。伝う汗は、次々と増えていく。

 狼耳はぺたんと、しっぽはしゅーんと垂れ下がった。

 珍しく、ひどく狼狽しているように見えた。


 悠は、小首を傾げて訝しむ。


「ルルさん……?」


「い、いえ……そうですね、まあ……人並み、に、は……?」


 何故か顔を逸らし、震え声のルル。

 どう見ても動揺していた。

 いったいどうしたのかと悠が問おうとすると、


「時間を取らせてすまなかった。さあ、行こう! 猫もいるかもしれないしな!」


 元の調子を取り戻したベアトリスが、張り切った声を上げた。

 いつになく活き活きとした表情である。

 ルルは救いを得た表情で、つかつかと早足で進んでいく。


「行きましょう。さあ行きましょうユウ様。彼も待っていますので、さあ、お早く。どうか、後生ですから……!」


 早口の言葉。最後の方は、どこか懇願めいていた。

 悠は釈然としないものを抱きながらも、その言葉に従った。


「う、うん……」


 結局、そのままその話題はうやむやとなった。

 ……その疑問が解けるのは、もう少し後のことである。

5000字ぐらいの予定だったのに、色々とシーン足してたら10000字近くに……

次話も1週間以内に投稿予定です。

書籍2巻は、半分ぐらい追加シーンの書き下ろしになりそうです。ウェブ版の既読者の方にも楽しんでいただけるよう頑張ります。

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