第5話:複数種類の葡萄
マークバラードの朝は、昨日よりも少しだけ温かく感じる。
丘陵に朝日が差し込み、土の匂いが私の鼻をくすぐる。
小屋の窓から外を眺めながら、私はアイテムボックスから葡萄の苗を取り出した。
赤ワイン用のカベルネと白ワイン用のシャルドネ――王都で吟味して選んだ品種だ。
でも、私の心はそれだけじゃ満足しない。
前世の記憶が囁く。
最高のワインは、多様な葡萄が織りなすハーモニーから生まれる。
マークバラードの土壌で、もっと大胆な挑戦をしたい。
「エレナ様、また妙な笑みを浮かべておりますな。何か企んでいるのでしょう?」
エルルゥが朝食のスープを運びながら、鋭い目で私を見た。
彼女の黒いメイド服は、相変わらずこの村の埃っぽい風景に不釣り合いだけど、その凛とした姿が私の心を奮い立たせる。
「ふふ、エルルゥ、聞いて! 私、決めたの。この丘に、いろんな種類の葡萄を植えるよ! カベルネ、シャルドネだけじゃなくて、シャンティーの森に自生してる山葡萄も使いたい!」
エルルゥのスプーンがカチャリと止まった。
彼女の眉が、いつもより高く上がる。
「山葡萄? エレナ様、あの酸っぱくて渋いだけの代物を? ワタクシ、貴女の情熱は認めますが、これはさすがに無謀かと」
「無謀じゃないよ! 山葡萄は、きっとこの土地の味を閉じ込めた特別なワインになる。時空魔法を使えば、成長も早められるし、最高のブレンドができるはず!」
私は拳を握り、目を輝かせて言った。
エルルゥはため息をつきながら、でもどこか楽しそうな顔で首を振った。
「ふむ、エレナ様の無謀さには慣れましたが、こればかりは結果を見なければ信じられませんな。ワタクシ、貴女の安全だけは守ります。さあ、森へ行くなら準備を」
「やった! エルルゥ、最高の相棒だよ!」
私は思わず彼女に抱きついた。
エルルゥは「エレナ様、はしたない!」
と小声で叱ったけど、その声にはいつもの温かさが滲んでいた。
シャンティーの森は、朝の光に照らされて、まるで緑の宝石のようだ。
木々の間を抜ける風はひんやりとしていて、土と葉の匂いが混ざり合う。
私はアイテムボックスから麻の袋とナイフを取り出し、エルルゥと一緒に森の奥へ進んだ。
山葡萄は、森の奥の岩場や木の根元にひっそりと実っていると聞いていた。
前世の知識では、山葡萄は酸味が強く、栽培種とは違う野生の魅力がある。
マークバラードのワインに、独特の個性を与えてくれるはずだ。
「エレナ様、こんなところに本当に葡萄があるのですか? ワタクシにはただの雑草にしか見えませんが」
エルルゥが剣を手に、周囲を警戒しながら言う。
彼女の目は、まるで魔獣でも出てきそうな森の奥を睨んでいる。
「あるよ、絶対! ほら、あそこ!」
私は岩場の陰に、紫がかった小さな実が連なる蔓を見つけた。
山葡萄だ! 小さくて、市場の葡萄みたいに立派じゃないけど、その素朴さが逆に愛おしい。
私はナイフで慎重に蔓を切り、アイテムボックスに収納した。
エルルゥは眉をひそめながら、私の手元を見ていた。
「エレナ様、その酸っぱい実で本当にワインが? ワタクシ、貴女の味覚が心配です」
「ふふ、エルルゥ、信じてよ! これを育てて、時空魔法で成長を早めたら、きっとすごいワインになるから!」
私は笑いながら、さらにいくつかの蔓を見つけて収納した。
森の奥は静かで、鳥のさえずりと葉擦れの音だけが響く。
でも、私の心は高鳴っていた。
この山葡萄が、私の夢に新しい色を加えてくれる。
カベルネやシャルドネとブレンドすれば、マークバラードだけの特別なワインができるはずだ。
小屋に戻ると、私はさっそく丘陵の畑に向かった。
時空魔法で改良した土は、柔らかく、耕しやすくなっている。
村人たちが興味津々に集まってくる中、私はアイテムボックスから苗を取り出し、丁寧に植え始めた。
カベルネ、シャルドネ、そして山葡萄――それぞれの苗を、丘の斜面にバランスよく配置する。
村長のガルドが、杖をつきながらやってきた。
「エレナ様、こんなにいろんな葡萄を植えるのかい? こりゃまた大胆な……」
「ガルドさん、ただの葡萄じゃないよ。この村の未来を閉じ込めた葡萄なんだ!」
私は笑顔で答えたけど、内心は少しドキドキしていた。
山葡萄は栽培が難しいし、味のバランスを取るのも簡単じゃない。
でも、前世の知識と時空魔法があれば、きっとできる。
絶対に。
「よし、行くよ!」
私は手を広げ、時空魔法を発動した。
青白い光が手のひらから溢れ、畑全体を包み込む。
苗の周りの時間が加速し、緑の芽がぐんぐんと伸びていく。
カベルネの葉は力強く、シャルドネは繊細に、そして山葡萄は野性味を帯びた勢いで育っていく。
村人たちが「おお!」と声を上げ、子供たちは目をキラキラさせて見つめていた。
でも、魔法の負担がじわじわと体に響いてくる。
頭がクラクラし、視界が揺れた。
やばい、またやりすぎた……!
「エレナ様!」
エルルゥが素早く私の腕を支えた。
彼女の顔は、いつもの「言わんこっちゃない」って表情。
でも、今回は怒る前に、優しく水筒を差し出してくれた。
「エレナ様、貴女の情熱は素晴らしいですが、命あっての夢です。少し休んでください」
「う、うん……ごめん。でも、ほら、できたよ!」
私は息を整えながら、畑を見上げた。
苗は一晩で数週間分も成長したみたいだ。
山葡萄の蔓は特に力強く、岩場のような土壌にも負けずに根を張っている。
ガルドが感心したように頷いた。
「こりゃ驚いた……エレナ様、ほんとにこの村を変えるつもりだな」
「うん、絶対に! ガルドさん、みんなでこの畑を育てて、最高のワインを作ろう!」
村人たちがざわめきながら、笑顔で頷いてくれる。
子供の一人が山葡萄の苗に触れ、「これ、酸っぱいの?」と聞いてきた。
私は笑って、その子の頭を撫でた。
「酸っぱいけど、きっと美味しいワインになるよ。一緒に育ててみない?」
子供たちが「やる!」と声を揃えた瞬間、私の胸は熱くなった。
エルルゥがそっと私の肩に手を置き、珍しく穏やかな声で言った。
「エレナ様、ワタクシ、貴女の無謀さが少しだけ理解できた気がします。この畑、確かに可能性を秘めていますな」
「でしょ? エルルゥ、ありがとう。やっぱり、君がいてくれるから頑張れるよ!」
私は彼女の手を握り返した。
丘の上には、未来のワインを約束する苗たちが揺れている。
この荒れ地が、葡萄の緑で覆われる日が、きっと来る。
私の夢は、ここから始まるんだ!




