第3話:荒れ地の可能性
朝のマークバラードは、静けさに包まれている。
丘陵に朝霧が漂い、遠くで鳥のさえずりが響く中、私はエルルゥと一緒に小屋を出た。
アイテムボックスには、葡萄の苗や農具、そして前世の知識に基づいて選んだ土壌改良用の道具を詰め込んでいる。
私の心は、まるで新しい絵の具を手に入れた画家のようだ。
この荒れ地を、葡萄畑というキャンバスに変える第一歩を踏み出す日――その興奮で、足取りは自然と軽くなった。
「エレナ様、朝からずいぶんご機嫌ですな。ですが、この丘、ただの岩と雑草ですよ?」
エルルゥがいつものように少し皮肉を交えて言う。
彼女は剣を腰に携え、メイド服の裾を軽く翻しながら、私の後ろを歩く。
黒い髪を結い上げたその姿は、荒野に咲く一輪の花のようだ。
でも、彼女の鋭い目は、いつでも周囲を警戒している。
まるで、この静かな村にも何か危険が潜んでいるかもしれないとでも言うように。
「エルルゥ、見た目だけで判断しないでよ。この丘には可能性が詰まってるんだから! 土を改良して、葡萄を植えて、最高のワインを作るんだ!」
私は拳を握り、丘の頂上を指さした。
そこは、村の外れに広がる、岩だらけの斜面。
確かに、表面は硬く、雑草すらまばらにしか生えていない。
でも、前世の記憶が教えてくれる。
ワイン用の葡萄は、厳しい環境でこそ深い味わいを生む。
貧弱な土壌も、時空魔法があれば変えられるはずだ。
「ふむ、エレナ様の情熱は認めます。ですが、ワタクシにはただの無謀に見えます。どうぞ、ご無理はなさらず」
「無謀って言うなら、見せてあげるよ。私の魔法で、この土地が変わる瞬間を!」
私は意気揚々と手を広げ、胸の奥で時空魔法の力を呼び起こした。
淡い青白い光が手のひらに集まり、まるで星屑のようにキラキラと舞う。
目を閉じ、意識を土壌に集中する。
この丘の時間を少しだけ操り、土を柔らかく、栄養を蓄えた状態に変える――それが私の計画だ。
「エレナ様、くれぐれも魔力の使い過ぎにはご注意を!」
エルルゥの声が聞こえた瞬間、魔法が発動した。
目の前の地面が、まるで水面のように揺れ、硬い土が少しずつほぐれていくのが分かった。
雑草の根元から新しい緑が芽吹き、土の色がほんの少し濃くなった。
成功だ! でも、その瞬間、頭に鋭い痛みが走り、視界がぐらりと揺れた。
「うっ……!」
膝がガクンと折れ、地面に倒れそうになったその時、強い腕が私を支えた。
エルルゥだ。
彼女の顔は、心配と怒りが半分ずつの、いつもの表情。
「エレナ様、言わんこっちゃありません! 魔力を使い過ぎです! 少し休んでください!」
「ご、ごめん……でも、できたよ、エルルゥ。見て、土が……変わった!」
私は息を切らしながら、丘の地面を指さした。
確かに、さっきまで岩だらけだった場所が、柔らかく、耕しやすそうな土に変わっている。
エルルゥは眉をひそめながらも、地面に触れて確認した。
「……確かに、驚くべきことに土が柔らかくなっています。エレナ様の魔法、恐ろしい力ですな」
「でしょ? これで葡萄を植えられるよ!」
私は笑顔で立ち上がろうとしたけど、頭がクラクラしてまたよろけた。
エルルゥが素早く私の腕を掴み、半ば抱えるようにして近くの岩に座らせた。
「エレナ様、調子に乗るのは結構ですが、ワタクシが看病するのはご免です。少し休んで、魔力を回復してください」
彼女の声は厳しいけど、目には温かさが宿っている。
私は素直に頷き、アイテムボックスから水筒を取り出して水を飲んだ。
冷たい水が喉を通り、じんわりと体に力が戻ってくる気がした。
その時、丘のふもとから人影が近づいてくるのが見えた。
村人たちだ。
ぼろをまとった男たちと、子供を連れた女性が、遠巻きに私たちを眺めている。
彼らの目は、好奇心と警戒心が混ざったものだった。
そりゃそうだ。
突然、貴族の娘と武装メイドが村にやってきて、丘で怪しげな光を放っていたら、誰だって気になるよね。
「エルルゥ、あの人たち、話しかけてみる?」
「ワタクシが先に様子を見ます。エレナ様はここで休んでいてください」
エルルゥが剣の柄に手を当て、ゆっくりと村人たちに近づいていった。
私は岩に座ったまま、彼女の背中を見守る。
村人たちは最初、ビクビクしていたけど、エルルゥが穏やかに話しかけると、徐々に緊張が解けたようだった。
やがて、一人の年配の男性――たぶん村長だろう――が前に出て、エルルゥと何かを話し始めた。
しばらくして、エルルゥが戻ってきた。
彼女の表情は、いつもより少し柔らかかった。
「エレナ様、村長が我々を歓迎してくれるそうです。ただし、この村は貧しく、食料も少ないとのこと。エレナ様の『葡萄畑の計画』に興味があるようですが、半信半疑のようですな」
「ふふ、半信半疑でもいいよ。結果で見せてあげる!」
私は立ち上がり、村人たちの方へ歩いていった。
エルルゥが慌てて後ろに続く。
村人たちの視線が私に集まる中、私は笑顔で手を振った。
「こんにちは! 私はエレナ・フォン・リーデル。この村で葡萄畑を作って、最高のワインを造るために来たんだ! みんな、協力してくれると嬉しいな!」
村人たちは一瞬、ポカンとした顔で私を見ていた。
でも、子供の一人が「ワインってなに?」と無邪気に聞いて、場が少し和んだ。
村長らしき男性が一歩前に出て、頭を下げた。
「エレナ様、ようこそマークバラードへ。わしは村長のガルド。この村は貧しく、ろくなもんはありゃせんが……その、葡萄畑ってのは本当かい?」
「本当だよ! この丘を、葡萄でいっぱいにしてみせる。それで、村のみんなにも美味しいワインを飲んでもらいたいんだ!」
私の言葉に、村人たちはざわついた。
疑いの目もあれば、興味津々の目もある。
私はアイテムボックスから葡萄の苗を一つ取り出し、みんなに見せた。
「これが、未来のワインの第一歩。一緒に育ててくれる人、手を挙げて!」
最初は誰も動かなかったけど、子供たちの一人が手を挙げると、続けて何人かの大人が手を挙げ始めた。
村長のガルドも、渋々といった様子で頷いた。
「エレナ様、ワタクシも驚きました。貴女の情熱、村人たちにも伝わったようですな」
エルルゥが小さく笑いながら囁いた。
私は胸を張って、丘を見上げた。
この荒れ地が、私の夢の第一歩。
時空魔法と村人たちの力を借りて、絶対に成功させてみせる!




