第17話:初めての収穫失敗
マークバラードの冬が終わり、春の気配が丘陵にそよぐ。
葡萄畑では、カベルネ、シャルドネ、山葡萄の苗が新しい葉を広げ、朝露にキラキラと輝いている。
小屋の窓からその光景を眺めると、私の心は期待で膨らむ。
燻製魚、ピザパン、エールの宴、カルリスト領主の視察――村は少しずつ希望の色に染まってきた。
でも、今日はいよいよ葡萄の初収穫の日。
前世の記憶が囁く。
ワインは葡萄の命そのもの。
完璧なタイミングで収穫できれば、マークバラードの夢が一歩近づく。
なのに、胸の奥に小さな不安が芽生えていた。
時期を間違えたら、全部が水の泡になるかもしれない。
「エレナ様、朝から妙に緊張した顔ですな。初収穫とはいえ、貴女が無茶な魔法を使わないか、ワタクシ、心配です。くれぐれも魔力の使い過ぎは禁物ですよ」
エルルゥが朝食のパンを切りながら、いつもの鋭い視線を向けてくる。
彼女の黒いメイド服は春の陽気に少し汗ばんでいるけど、剣を携えた姿は変わらず凛々しい。
シルビアは暖炉のそばでローブを羽織り、栗色の髪を指でいじりながら、どこか落ち着かない様子で言った。
「エレナ、葡萄の収穫、めっちゃ楽しみ! クシナーダじゃ葡萄はあんまり育てなかったけど、君の畑、なんかすごいことになりそう! 風魔法で通気良くしてあげようか?」
「シルビア、ナイス! 風魔法で畑の空気をフレッシュにしてよ! エルルゥも、今日は剣より収穫かごを持って手伝ってね。初めての収穫、絶対成功させるんだから!」
私はパンを頬張り、目を輝かせて言った。
エルルゥは眉をピクリと動かし、ため息をついた。
「ふむ、ワタクシの剣は貴女を守るためのものですが、かごなら持てなくもありませんな。ですが、クシナーダの噂が気になる以上、ワタクシの警戒は怠りませんよ」
「大丈夫だよ、エルルゥ! アイテムボックスに収穫道具もバッチリ詰めてあるし、時空魔法でちょっとだけ成長を調整して、最高の葡萄を収穫するよ!」
私はウィンクして、アイテムボックスから収穫用のハサミや麻の袋を取り出した。
シルビアが「エレナ、ほんと準備万端だね!」と笑い、エルルゥが「貴女の無謀さ、毎度驚かされますな」と呟いたけど、彼女の目にはほのかな期待が光っていた。
私の胸は、初収穫の成功を想像して高鳴っていた。
でも、どこかで小さな声が警告していた。
焦るな、エレナ。
葡萄は気まぐれな子だよ。
朝の畑は、春の陽光に浴して生き生きとしている。
カベルネは力強い緑、シャルドネは繊細な輝き、山葡萄は野性味溢れる蔓を伸ばしている。
村人たちが集まり、ガルドが「エレナ様、ついに収穫だな!」と杖をついて笑う。
トムが「葡萄、食べられる?」と目を輝かせ、子供たちが「ワイン、どんな味?」と騒ぐ。
私はアイテムボックスからハサミを配り、村人たちに収穫のコツを教えた。
「みんな、熟した実だけを丁寧に切ってね。カベルネは濃い紫、シャルドネは黄金色、山葡萄は小さくて黒っぽいよ!」
村人たちが頷き、畑に散らばる。
シルビアが風魔法でそよ風を起こし、畑の空気を清々しく保つ。
エルルゥはかごを手に、子供たちに「乱暴に扱うなよ」と注意しながらも、珍しく楽しそう。
私は一房のカベルネを手に取り、匂いを嗅いだ。
甘い果実の香りに、心が躍る。
でも、なんだか実が少し硬い気が……。
前世の知識が警鐘を鳴らす。
早すぎた? いや、大丈夫、時空魔法で調整できる!
「エレナ様、無理な魔法は禁物です! 葡萄は自然のままでも――」
エルルゥの言葉を遮り、私は手を広げた。
「大丈夫、エルルゥ! ちょっとだけ時間を進めて、完璧な熟し具合にするよ!」
青白い光が手のひらに集まり、畑の一部を包む。
葡萄の実がわずかに膨らみ、色が濃くなる。
村人たちが「おお!」とどよめく。
でも、魔法の負担がじわじわと体に響き、頭がクラッとした。
やばい、またやりすぎた……。
「エレナ様!」
エルルゥが素早く私の腕を支え、シルビアが「エレナ、無理しないで!」と駆け寄る。
私は息を整え、笑顔で答えた。
「大丈夫、ほら、葡萄、めっちゃいい感じになったよ!」
でも、収穫を始めてみると、違和感が広がった。
カベルネは色は濃いけど味が薄く、シャルドネは甘さが足りない。
山葡萄に至っては、一部がしぼんで不作の兆候。
私は一房を口に含み、顔をしかめた。
酸っぱい……! 前世の知識が叫ぶ。
時期を誤ったんだ、エレナ! 時空魔法で無理やり成長を早めたせいで、葡萄の魂が追いついてない!
「エレナ様、どうしたんだ? 葡萄、ダメなのか?」
ガルドが心配そうに近づいてくる。
村人たちがざわつき、トムが「美味しくないの?」と小声で聞く。
私は地面に膝をつき、胸が締め付けられた。
初めての収穫、失敗だ……。
私の無謀さが、みんなの期待を裏切っちゃった。
その夜、小屋に戻った私はベッドに突っ伏し、枕に顔を埋めた。
悔しさと情けなさで、涙が滲みそう。
エルルゥが暖炉のそばで剣を磨き、静かに言った。
「エレナ様、失敗は誰にでもあることです。ワタクシ、貴女の情熱を信じています。次こそ成功させましょう」
シルビアが私の背中をさすり、優しく笑った。
「エレナ、クシナーダじゃ、初めての魔法はみんな失敗するよ。君の葡萄、絶対美味しくなるから! 風魔法で通気改善するから、次はバッチリだよ!」
二人の言葉に、胸がじんわり温かくなった。
でも、村人たちに申し訳なくて、すぐに立ち直れない。
そんな時、ドアがノックされ、ガルドとトムの母親が現れた。
彼女が手作りのピザパンを持ってくる。
「エレナ様、落ち込むなよ。村のみんな、葡萄がダメでも、エレナ様の夢を信じてる。次、絶対できるさ!」
ガルドの皺だらけの笑顔に、トムが「僕、畑もっと手伝う!」と叫ぶ。
村人たちが次々に小屋に集まり、「エレナ様、がんばれ!」と声を揃えた。
私は涙をこらえ、立ち上がった。
「みんな、ありがとう……。失敗しちゃったけど、絶対、再挑戦するよ! 時空魔法で次は完璧なタイミングにする!」
私は手を広げ、軽く時空魔法を発動。
畑の時間をほんの少し早送りし、次のシーズンの準備を始めた。
シルビアが風魔法で土壌の通気を改善し、エルルゥが「ワタクシも畑の見回りを増やします」と頷く。
村人たちの笑顔が、私の心に火を灯した。
夜、暖炉の火がパチパチと音を立てる中、シルビアがぽつりと呟いた。
「エレナ、クシナーダの噂、ますます気になる。失敗の噂が広まったら、カルリストやクシナーダが何か企むかも……」
エルルゥが剣を手に、鋭く言った。
「シルビア殿、その噂、詳しく話していただけますか? ワタクシ、エレナ様と村を守ります」
私は二人を見回し、力強く言った。
「シルビア、エルルゥ、ありがとう。クシナーダやカルリストが何を企んでも、私たちの村は負けない。失敗は次への一歩。みんなで、最高のワインを作るよ!」
星空の下、畑の葡萄が静かに揺れていた。
初めての失敗は苦いけど、村人たちの笑顔と二人の支えがあれば、絶対に再挑戦できる。
次の挑戦は、ワイナリーの基礎作り。
マークバラードの夢は、ここからまた始まる!




