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黒薔薇とあの男

大変大変お待たせしました!


それではどうぞ!




 「名前すら忘れてしまわれるほど耄碌されたなんて、わたくしの方こそ、失望致しましたわ、叔父上」


 ギルベルト・スチュワート公爵――四大公爵家の一角、スチュワート家の現当主にして、マリアンヌの母親の弟、つまり叔父に当たる男は、マリアンヌの言葉を鼻で笑うと、勝手にマリアンヌの正面の椅子に腰かけた。


 「何を言う。“レオナルド”こそ、お前が母親からいただいた名であろう?」


 公爵が入室した際、反射でたちあがりマリアンヌの後ろに控えていたローズマリーは、その言葉に視線を鋭くする。しかしそれすらも公爵は意に介していないようで、悠然とマリアンヌの反応を見ていた。


 「その名は捨てました。それに、わたくしをその名で呼ぶということは、スチュワート公爵家がわたくしを王子に仕立てたと、そう取られてしまいますわよ?」


 「お前自身がスチュワート公爵家の関与を否定したではないか」


 「えぇ。けれど、その言葉を信じた人がどれだけ少ないか、叔父上もお忘くれになったわけではないでしょう?」


 マリアンヌの言葉に、公爵は端整な顔を歪ませる。


 そう。そんな話、誰も信じなかったのだ。


 おかしな話だが、マリアンヌ自身、スチュワート公爵家が加担していたのか否か知らなかった。主導していたのは間違いなくあの女だが、果して、あの女にそこまでの力があったのか疑問が残る。それでも、スチュワート公爵家が潰れれば自分の後ろ楯がなくなるため、マリアンヌはスチュワート公爵家は加担していないと証言した。

 そのお蔭か、御家取り潰し自体は免れたが、中枢にいたスチュワート公爵家に連なる者は皆地方へ左遷され、今や王都に残っているのはマリアンヌだけであった。



 スチュワート公爵がマリアンヌの後ろ楯になる代わりに、マリアンヌは城で仕入れた情報を流す――それがこの二人の関係。親族などという情は存在しなかった。



 「……そもそも、お前が嘘を貫いていれば、こんなことにはならなかった」


 苦々しく告げられた言葉に、ローズマリーは思わず声を荒げそうになる。けれど、ローズマリーより早くマリアンヌの言葉が滑りこんだ。


 「それが不可能なことであったと、叔父上にだって分かっているはず…………国王とは、それほど自由な権力を持っていないわ」


 もし、マリアンヌがレオナルドのままであったなら、レオナルドはきっとこの国の王になっていただろう。しかし、王になれば必ず世継ぎを求められる。女であるレオナルドにはどうすることもできない問題だ。


 「女だと知られるのは時間の問題……だから、少しでも被害の少ない時期に自ら告白しただけのこと……もし国王になってからだったら、間違いなく叔父上もわたくしも、打ち首でしたわ」


 「……確かに、私もお前も不自由なく暮らしている……一人を犠牲にしてな」


 視線でマリアンヌを射殺そうとするかのように、公爵は殺気をこめてマリアンヌを睨む。しかしマリアンヌは怯むことなく、平然と言い返す。


 「あら、その言い方は不適切だわ。あの人自身が撒いた種ですもの。罰を受けるのは当然のこと」


 「お前はッ……!!」


 ガタンッと大きな音をたてて、公爵は立ち上がる。その瞳は憎しみに激しく燃えていて、薄い唇はわなわなと震えている。今すぐにでも殴りかかってきそうな公爵を、けれどマリアンヌは冷めた表情で迎え撃つ。


 「……わたくしを憎むのは結構。叔父上のお好きなようになさればいいわ。けれど、もしその憎しみを剣で購おうとするのであれば、わたくしも容赦はしなくてよ。黒薔薇の全力を持ってお相手致しますわ」


 マリアンヌの持つ力は、スチュワート公爵家に遠く及ばない。しかし、黒薔薇となれば話は別だ。




 この国の英雄にして、象徴。




 国民からの敬愛を一身に受けるその存在は、今なお絶大な支持を集めており、『あの方の行うことは正しい』と、世間から無条件に受け入れられる。


 例えば、レッドランド伯爵家を潰した時のように。


 だから、スチュワート公爵は黙ってマリアンヌを睨んでいた。今のスチュワート公爵家には、黒薔薇の威光を弾き返すだけの力はない。


 ギリ、と公爵は歯噛みする。

 こんな小娘の脅しに屈するしかない自分が情けなく、煮えくり返るほどに腹立たしかった。


 (いつか必ず、この屈辱を返してやる――姉上のためにも)



 スチュワート公爵は爪が皮膚に食い込むほど強く拳を握る。痛みを意識することによって敵意を押し込み、いつもの毅然とした公爵の仮面を着けることに成功した。静かに腰を下ろすと、おもむろに口を開く。


 「……まぁいい。それで、何か有益な情報はあったか?」


 実に急な話題変更であったが、とっととお帰り願いたいマリアンヌにとっても、本題に入ることに不服はないので特に突っ込まなかった。


 「そうね……あぁ、シンクレア伯爵が、新薬の開発に成功したそうよ」


 「新薬?」


 「ええ。副作用の一切ない、麻酔薬ですって」


 「ほぅ……それが事実なら、世界に流通できるな。“エンブレム”は?」


 「現在申請中」


 その言葉を聞き、公爵は少しだけ残念そうに息をついた。


 「“エンブレム”がなければ、大々的には扱えぬな」


 「けれど、“エンブレム”を受けた後に話を持ち掛けては、他所に先を越されるかもしれませんわ。幸い、伯爵はヴィッセルでもフロートでもなく、ターグと取引がしたいようですし、パーティの間にそれとなくお話されてみては?」



 アルシュタイン王国三大港の一つ、ターグ港を有するスチュワート公爵領は、港の利用料よって多額の収益を得ている。その分、領民に課す税を軽くし、より優秀な人材が集まる環境をつくる。そうやって、スチュワート公爵領は勢いをつけてきたのだった。故に、如何に多くの商人に利用されるか、というのが領土を運営していく上で重要になってくるのだ。

 利用してもらうためには、こちらから有望な商品を持つ商人にアプローチをかけることも必要だ。そのためには、より多くの情報が必要になる。


 しかし、領土を持つ伯爵以下の貴族は、国の許可なしに自分の領土から出ることはできない。そう法律で決められているため、今までは中枢に出向している者が領主の支持を受け、情報交換をしたり交渉をしたりしていた。しかし、先に説明した通りスチュワート公爵家に連なる者は皆地方へ左遷されてしまった。だから、スチュワート公爵家と取引したいと思う者たちは、マリアンヌの元に集まるのである。マリアンヌがスチュワート公爵家の窓口になっていることを知っているから。マリアンヌに気に入られ、公爵に話しをしてもらえれば後日、公爵自ら交渉に来てくれると、分かっているから。


 昼に来たシンクレア伯爵も、そういう連中の一人だ。




 マリアンヌの言葉に公爵は「お前に言われずとも、そうするに決まっているだろう」と不機嫌そうに言う。その言葉があまりに子どもっぽくて、マリアンヌは小さく笑ってしまった。


 「差し出がましいことを申しました。ではそんな叔父上に、面白いお話しを一つ」


 「……なんだ?」


 「シンクレア伯爵が連れているサシャ・ファルマという薬師について調べると、何かしら良いことがあるかもしれませんわよ」


 「良いこと?どういうことだ?」


 公爵の問いに対し、マリアンヌは愛らしく首を傾けると「さあ?」と答えた。公爵は憤慨する。


 「さあ?なんだそれは!ふざけているのか?!」


 「いいえ。至って真面目に答えていますわ。ですが、叔父上の質問の答えは、わたくしも知らないのです。知らないものには、答えられませんわ」


 「では何を根拠に」


 「しいて言うなら、女の勘、かしら」


 「勘だと!?そんな不確かな情報を私に流そうとしたのか!」


 「あら、たかだか数十分会っただけで、そこまでのことが分かるはずありませんわ。それに、調べ事は叔父上のほうが得意ではなくて?」


 爵位の高い貴族は“影”と呼ばれる隠密を持っているものだ。王族に次ぐ権力を持つ公爵も、当然持っている。いったい何人いるのかは知らないが、少なくとも自分の手足となって動いてくれるのがローズマリーただ一人、というマリアンヌよりは多いに決まっている。


 「……」


 苦虫を噛み潰したような顔をする公爵に、マリアンヌは美しく微笑んでみせる。



 「人は皆、秘密を抱えて生きているもの。例えば――」



 マリアンヌは身を乗り出して公爵に顔を近付ける。内緒話しをするようなその仕草に釣られ、公爵もマリアンヌの口許に耳を寄せた。目の前にある男の耳に、マリアンヌはゆっくりと囁いた。





 「――血の繋がった姉を、女として愛している、とか」





 公爵の目が一瞬大きく見開かれ、その中心で漆黒の瞳が動揺を隠しきれずに揺れた。

 それを見て、マリアンヌの推測は確信に変わった。


 (やっぱり、そうだったのね)


 漸く掴むことのできた公爵の弱味に、裸足で雪の中を走り回りたい衝動に駈られるくらい、マリアンヌの心は踊った。けれど、今はまだ顔に出してはいけない。まだ、使う時ではない。


 鋼の自制心で舞い上がる己を律し、マリアンヌは優雅に微笑む。

 もし、ここでマリアンヌが少しでも勝ち誇ったような表情を見せていれば、公爵はマリアンヌの殺害を“影”に命じていただろう。しかし、マリアンヌは己を律してみせた。マリアンヌは勝ったのだ。己と、公爵に。


 一方の公爵は、必死に体の震えを抑え、平静を装っていた。しかし、カラカラに乾いた口から出た声は掠れ、彼が受けた衝撃の大きさを物語っていた



 「……誰かは知らんが、大層な秘密だな」


 「えぇ、本当に。きっと苦労が絶えないでしょうね」


 「……お前も、下手な秘密を持たぬよう、精々気を付けることだ」


 マリアンヌを睨みつけそう言い捨てると、逃げるように公爵は部屋を出ていった。









 バタンッ!と大きな音を立てて、ローズマリーが扉を閉める。

 小さな背は『二度と来るな!!』という怒りのオーラを撒き散らしており、この十数分が彼にとっていかに苦痛な時間であったかが、ありありと伝わってくる。


 そんなローズマリーに、マリアンヌは思わず苦笑をもらす。


 「何をそんなに怒っているの?」


 「『何を』?そんなの、決まってるじゃないですかっ!」


 勢いよく振り返った彼の目が潤んで見えるのは、きっとマリアンヌの目の錯覚ではないだろう。


 「あの男の言葉とか態度とか視線とか、とにかく全部ですよ!マリアンヌ様に対する全てですよ!」


 現在の時刻を考えれば非常識極まりない声量で、ローズマリーは堪りに堪った怒りを爆発させる。普通なら顔をしかめるような声が、しかしマリアンヌにはとても甘く感じられた。


 「いつものことよ。気にしていたら、きりがないわ」


 「マリアンヌ様がよくても、俺が嫌です!なんで、あんな……あんな酷いこと、平然と……」


 小さな拳を握りしめ、ローズマリーが憤る。その姿が、マリアンヌはたまらなく愛しかった。


 「あの男がわたくしを“レオナルド”と呼ぶのは、“マリアンヌ”という名に抵抗があるからよ。あの男にとって“マリアンヌ”は一人だけ……わたくしが“レオナルド”のままだったら、と言ったのは、そうであったらならあの女は壊れていなかっただろうから。あの男にとって、あの女は“特別”なのよ」


 立ち上がり、扉の前から動かないローズマリーに歩み寄りながら、マリアンヌは静かに告げた。


 ローズマリーは『分からない』というように、頭を横に振る。


 「マリアンヌ様だって、その“特別”な人の子です。なら、同じように“特別”じゃないんですか?」


 (愛する女を奪った男の血が、半分流れているもの)


 という言葉は、自分の中に留めておく。知れば命を狙われかねない、危険な秘密だからだ。


 「スチュワート公爵家の血が、半分しか流れていないもの」


 「そんなの、当たり前のことじゃないですか。子どもが親の血を半分ずつ受け継ぐなんて、俺だって知ってますよ。公爵様って、バカなんじゃないですか?」


 人の陰口など滅多に言わないローズマリーのバカ発言に、マリアンヌは思わず笑ってしまう。それをどう受け取ったのか、ローズマリーは拗ねたように唇を尖らせる。


 「……俺、結構本気で言ってるんですけど」


 「ふふふ。別に馬鹿にしているわけではないのよ。あまりに的確な表現だったから、つい。それに、本当にあの男のことなどどうでも良いのよ」


 そっと、マリアンヌの細く長い指がローズマリーの唇に触れる。ふっくらとした感触に、マリアンヌは思わず口付けたいという欲望に駈られるが、どうにか留める。代わりに、言葉を紡いだ。


 「あの男の“特別”なんかに、なりたくなどないわ…………貴方の“特別”なら、なりたいけれど」


 甘く囁かれた言葉に、ローズマリーは目を丸くする。そして琥珀色の瞳が、艶やかな熱を宿す。それは、ローズマリーには珍しい、いつもとは違う反応だった。


 (少しはわたくしを意識して?)


 遅れて頬を朱に染めたローズマリーの「ご冗談か過ぎます」という言葉を丸っと無視して、マリアンヌは微笑む。


 「明日も沢山人に会わなければならないし、もう寝ましょう……今日はなんだか、良い夢が見られそうだわ」




 


 





今回はなんだか書いてて難しかったです……


早くいつもの軽いかんじに戻りたい……


というわけで?次回はアンナさん登場!

ローズマリーの受難はまだまだ続きます!




11部の黒薔薇と公爵でスチュワート公爵がスチュワート侯爵になっていたので、直しました。




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