黒薔薇の暴走
またしても間に合わず……
申し訳ないです……
今回グロい表現が所々あります。
苦手な方はあまり想像せず読んでいただければと思います。
それではどうぞ!
可愛い――
それは、その言葉は――
(特別な、言葉。魔法の、言葉)
マリアンヌは、一度聞いたり見たりしたことは即座に記憶することが出来た。だから、聞き返すという行為はほとんどすることがない。しかし今、彼女は目の前の侍女に聞き直していた。聞き取れなかったわけではない。嘘をついているとも思えない。だが、彼女の頭が理解することを拒んだのだ。
もし、ここでアンナがマリアンヌの急変に気付いたならば、あんな恐怖を味わわなくて済んだだろう。だが、アンナはチャンスを逃してしまった。
「だから、私に向かって『可愛い』とっ!?」
気が付けば、マリアンヌはティーカップをアンナに向かって投げつけていた。
当てるつもりはなかった。当たったら顔に傷がついてしまう、とかそんなんじゃない。そんなもので許されはしない。
これは、あくまで陽動。
目の前は真っ赤に染まり、体中が燃えるように熱いのに、なぜか頭は冷え渡っていた。
(この女を、消す)
そのために、一番良い手段をとったにすぎない。
マリアンヌは後ろを振り返っているアンナを横目に、素早くベッドまで移動する。枕の下に隠してある剣を取るためだ。
別に、剣がなければならない、というわけではない。何の訓練も受けていない少女を殺めるなど、マリアンヌにとっては赤子の手を捻るようなものだった。しかし、ただ殺すだけでは気が済まない。
ローズマリーに可愛いと言われた顔をズタズタに斬り裂かなくては。
ローズマリーに可愛いと言われ、ときめいた心臓を貫かなくては。
マリアンヌの気が済まない。
(ローズマリーに可愛いと言われていいのは、わたくしだけ)
マリアンヌの手が、剣に触れる。慣れ親しんだ重さ。慣れ親しんだ感触。
最早マリアンヌの体の一部といってもいいこの剣は、彼の戦争の時もマリアンヌと共にあった。
少し力を入れば折れてしまいそうなほど細い剣。マリアンヌの細い腕でも振るえるように、と作られた彼女だけの剣。けれど、数多の人の血を吸い、その命を奪ってきた剣。
所以に、この剣自体が広く人に知られている。
だから、だろうか。
脱兎のごとく走り出すアンナ。
それは、マリアンヌの予想だにしない行動であった。
普通、マリアンヌの殺気に当てられれば、大の男であっても動けなくなるものである。それにも関わらず、逃げることができたアンナは、かなり図太い神経をしているといえるだろう。
そのせいで、マリアンヌの反応が一瞬遅れた。そしてその一瞬が、明暗を分けた。
急いでマリアンヌが投げた剣は、アンナがすり抜けた扉に
ダンッ!!
鋭い音と共に刃の半ばほどを突き刺して止まる。
そのままドタバタと階段を駆け降りる足音が塔に響く。
(往生際の悪い女だ)
逃げられたというのに、マリアンヌは余裕の笑みを浮かべる。
だって、本当の意味でアンナはマリアンヌから逃げることはできないから。
マリアンヌはこの国の権力者だ。仮に彼女が城を出ることが出来たとしても、兵士に命じて彼女を捜させればいい。そして、命を掛けてまで彼女を守ろうとする人はいないだろう、とマリアンヌは思った。
(精々頑張って逃げるがいい。逃げれば逃げるほど、お前の精神は恐怖に蝕まれていく)
マリアンヌは扉に近づき、剣を引き抜いた。剣に写るその顔は、狂気に満ちながらも背筋が凍るほど美しい。
剣の状態を確認し、投げ捨てた鞘を取りにベッドへ向かう。頭では、アンナの場所を正確に計算していた。
(あの女が全速力で塔を出たとしても、城門まで20分はかかる。それまでにあの女を捕らえるよう、門番に伝令を出せばいいだけのこと)
絶対に、簡単には殺さない。
顔の皮を剥ぎ、舌を切り、鼻を削ぎ、耳を潰し、顎を砕き、目を抉る――
(この場で死ななかったことを後悔させて差し上げるわ)
残酷な笑みを浮かべ、どうやってあの女を殺そうか、と思案するマリアンヌ。しかしその思考は、突然の侵入者によって打ち切られた。
バタンッ!!
と乱暴に開かれた扉。
転がり込んで来たのは、一人の衛兵――デューイだった。
彼は素早く視線を走らせ部屋の状態を確認すると、マリアンヌに目を止める。
ほっとしたように詰めていた息を吐き出すと、マリアンヌの方へ足を一歩踏み出す。
「マリアンヌ様!ご無事、で……」
デューイの言葉が止まる。
彼の視線は、マリアンヌが握る剣に固定されていた。
(……無事、ではないかもしれない……)
主に自分が。
デューイの背筋を嫌な汗が伝う。
そんなデューイを見て、マリアンヌは唇の端を吊り上げる。
「わたくし、入室の許可をだしたかしら?」
途端、部屋に掛かる圧力が倍増したように感じた。
これは決して問いかけではない、とデューイは悟る。
慌てて膝間付き、謝罪をする。
「申し訳ありません!マリアンヌ様の御身に危機が迫っていると聞き、慌てて駆けつけた次第にございます。どうか、この無礼を御許し下さい」
「あら、そうだったの」
ふっ、と部屋の空気が弛む。
それにつられ、張っていた緊張を少しだけ緩めたデューイであったが、続いたマリアンヌの言葉に、今度は全身を凍らせた。
「そんな戯れ言を信じてしまうような無能は、必要なくてよ」
殺気を感じ、デューイは膝を付いたままの姿勢で後ろへ跳んだ。空白になった空間を、マリアンヌの剣が凪ぎはらう。
それを確認しつつ、デューイは距離をとり態勢を整える。少ししか動いていないにも関わらず肩で息をし、全身から脂汗を吹き出させていた。
(あぶな、かった……)
剣に覚えのあるデューイであったからまだ避けることができたが、そうでなければ、今頃頭と胴体がサヨナラしていたところだった。
つまり、マリアンヌは本気なのだ。
本気で殺しにかかっている。
デューイは一度深く息を吸い、吐き出す。そして意を決したように立ち上がると、鞘に納めたままの剣を、マリアンヌに向けた。
しかし、剣を向けられてなお、マリアンヌは不敵に笑う。
そんな物を向けようと向けまいと、結果は変わらないのに、とでもいうように。
そして、優雅な動作で剣を構えた。
まるで隙のない、芸術品のような構え。
勇ましくも美しいその姿は、まるで戦いの女神のようで。
デューイは、自分の敗北を覚悟した。
剣を交えずとも感じる、圧倒的な実力の差。自分の持つ剣が、棒切れのように頼りなく感じられた。
(アレクセイ様以来だ。こんなに、絶望的なまでに実力の差を感じるのは)
剣を握る者なら誰もが憧れる、近衛騎士団団長、アレクセイ・ハイドラ。まだ兵士に成り立ての頃、一度だけ手合わせしてもらったことがあったが、その時自分は瞬殺だった、とデューイは思った。
その時と違うのは、相手が真剣を握っているということだ。
つまり、負ければ死ぬということ。
兵士になった時から、死は覚悟しているつもりだった。しかし、それはあくまで敵と対峙して引き起こる結果であって、自らが仕える主人によってもたらされるなど、夢にも思っていなかった。そもそも、何に対しマリアンヌが怒っているのか、デューイは把握できていなかった。
(訳も分からず殺されるなんて、ごめんだ)
勝てるなどとはデューイも思っていない。しかし、逃げることぐらいは出来るかもしれない。
万に一つの可能性に賭け、デューイは腰を落とした。
勝負は一瞬だった。
動いたのは両者同時。しかしリーチの長いデューイが先に上段から一閃する。それをマリアンヌは刃の背で流すように受け、そのままデューイに肉薄する。デューイは下がらず、逆に一歩踏み出した。至近距離では剣を振るうことが難しくなり、マリアンヌの腕力では大した斬撃を与えることができないと見越しての判断だった。
しかし、それは誰もが考えつく戦法だった。誰もがマリアンヌに対し行う行動だった。だから、この行動はマリアンヌには読めていたし、これに対する対策も、心得ていた。
マリアンヌは右足を軸に、突如回転する。デューイには全く読めなかった行動であったため、一瞬動きを止めてしまった。その一瞬を狙って、マリアンヌは回転した勢いそのままに、柄をデューイの側頭部に叩き付ける。
ゴッ!!
と鈍い音が部屋に響き、後を追うように、デューイがぶっ飛ぶ。
壁にぶつかり、そのままズルズルと沈むデューイ。
脳を強く揺さぶられ、デューイの意識は朦朧としていた。立ち上がりたいのに、視界が定まらないせいか全身に力が入らない。生まれたばかりの子鹿のようにブルブルと震えるデューイを、マリアンヌは光を宿さぬ冷たい瞳で見下ろしていた。
そして、おもむろに剣を振り上げると、静かにデューイに告げた。
「さようなら。デューイ・マグワイヤー」
デューイは今だ焦点の定まらない目で、今まさに自分の首を落とそうとする少女を見上げた。
(……名前、覚えていて……)
聞き間違えかもしれない、と思いつつ、そのことに感動している自分にデューイは心底飽きれた。思わず苦笑いしてしまう。殴られた側頭部から出血しているのか、血の臭いがした。
そんなデューイに向け、何の躊躇いもなくマリアンヌは剣を振り降ろす。
その剣がデューイの首に届く、その時。
「マリアンヌ様ぁぁッ!!」
一人の少女の絶叫が、部屋に木霊した。
ほんとうはもうちょっと書きたかったけど時間的に無理なのでここであげちゃいます。
次回、ようやっとマリアンヌとローズマリーが再会!!
はてさて、ローズマリーはマリアンヌの暴走をいかにして止めるのでしょうか?!




