37:アンジェラの失恋
「君は彼が好きなんだね」
……好き?
「え……?」
予想外の言葉を告げられ、シャーロットは目を瞬いた。
「私が、リオンを……?」
リオンを好き?
そんなことは今まで考えたこともなかった。リオンは幼くて憎たらしい、まるで弟のような存在で……。
「ないないない! 私がリオンを好きだなんて!」
シャーロットは手を左右に振りながら否定した。あるはずない、そんなこと。だって、それじゃあ……。
「じゃあ、君の気持ちはどう説明するの?」
「どうって……きっと、弟と仲が悪くなったように感じて」
「じゃあどうしてリオンがアンジェラと一緒にいると悲しくなるの」
確信をつかれてシャーロットは息を飲んだ。
「弟が恋人を作って寂しくはなっても、悲しくはならないんだよ、シャーロット」
シャーロットは口を開いて、しかし、なにも言葉が出てこなかった。
反論できない時点で、きっとそういうことなのだ。
「……私、リオンが好きだったの……」
ようやく気付いた自分は馬鹿だ。
「あんな、生意気で、裏表がなくて、偉そうなやつの、どこが好きなんだろう……」
好きなはずなのにどこか納得いかないシャーロットが呟くと、ハロルドが答えてくれた。
「裏表がないからよかったんだろう。裏表のない人間は、裏切らないからね、君の元婚約者みたいに」
シャーロットの元婚約者は、シャーロットに対しては、薄ら寒い笑顔をいつも浮かべ、お世辞を言っていた。それが本心のものでないことぐらいわかっていたし、シャーロットも政略結婚だと割り切っていた。
でも裏切られた。
いつかそうなるかもしれないかもと思っていたけど、本当にそうなって、ひどく相手に失望した。
「殿下はいつもまっすぐだ。君に堂々と本心を見せてくれる。僕にはそれができなかったね」
ハロルドはいい人だ。だけど、それはつまり、自分の思いを押し殺してしまうことに他ならない。
優しいハロルドは何でも人を優先させてしまう。笑顔で気配り上手。だけどそれは、シャーロットの求めているものではない。
「生意気だけど、曲がってなくて、いつだって真摯に向き合う人だ。君にはそういう人があっているよ」
ハロルドは、いつもの柔らかい笑みを浮かべている。
「ハロルド……ごめんなさい」
自分が鈍いせいで、大事な幼馴染を傷つけてしまった。
「気にしないで。初めからわかっていたけど、つい希望を抱いてしまったんだ」
ハロルドがシャーロットの頭を撫でる。
「これからはまた幼馴染として、君と仲良くしてもいいかな?」
「もちろん!」
シャーロットにとって、ハロルドは何物にも代えがたい友だ。
異性の愛はなかったが、友情はある。
「じゃあ、シャーロット、行っておいで」
「え?」
「今度は君が彼を追いかける番だよ」
ハロルドに背中を押され、シャーロットは後ろ髪を引かれながらも、「ありがとう」と告げて、その場を後にした。
後ろを一度振り返ると、ハロルドが笑顔で手を振ってくれていた。
◇◇◇
一方アンジェラとパーティーに参加していたリオンはというと――
ハロルドとシャーロットが仲睦まじく寄り添っているのを見て引き離したい気持ちをぐっと堪えていた。
「アンジェラ、邪魔しに行っていいか」
「ダメですわ」
そわそわしながら隣にいるアンジェラに訊ねると、きっぱりと止められた。
仕方なく我慢するも、視線はシャーロットから外さない。隣にいるアンジェラの存在は最早リオンにとって空気である。
「妬けますわね」
アンジェラの言葉にリオンはようやくシャーロットから視線を外し、アンジェラを見た。
「わ、悪い」
一応シャーロットに気にしてもらうための作戦だとしても、パーティーのパートナーであるというのに、扱いが悪かったと思い、アンジェラに謝った。
アンジェラはふう、と息を吐いた。
「別にいいですわ。殿下がシャーロットだけを見ているのは、わたくしだけでなく、みんな知っております」
「だよな」
「殿下」
「ご、ごめん」
そういえばアンジェラは自分のことを好きだと言っていたのだった。その相手に他に好きな人間がいると改めてはっきり言うのは酷だったかもしれないと、ギロリと睨まれながら思う。
アンジェラの言う通り、リオンがシャーロットを好きなのは暗黙の了解となっている。
パーティーでは自分の色のドレスを贈って周りにわかりやすく手を出すなとアピールしていたし、リオンはシャーロットへの好意を隠していなかった。
その上、シャーロットへ縁談が届かないように、徹底的に排除していた。それでシャーロットが行き遅れに悩むとは思っていなかったが、あと少しだけ待ってもらえばいい予定だった。
ハロルドが横から手を出さなければ。
「殿下」
アンジェラがリオンの肩を軽く叩く。
ハロルドへの恨みで顔を顰めてしまっていたのに気付き、慌てて笑顔の仮面を被る。
「しっかりしてくださいませ。このままあのぽっと出の男にシャーロットを渡してしまうおつもりですか?」
「いやハロルドは俺より前からシャーロットと出会っているからぽっと出ではないけど」
どちらかと言えば、ハロルドからしたらリオンの方がぽっと出の男だ。
「そんなことどうでもいいんですのよ」
アンジェラがピシャリと言う。
「このわたくしが、こうして協力して差し上げているのですから、必ずシャーロットを手に入れてくださいな」
「て、手に入れるって……」
「頑張ってくださいませ。そのためのこの『あれ? 彼の隣に自分じゃない女の子が……胸が苦しい、これって嫉妬……』作戦ですわ」
「言いたかったんだけど、お前ネーミングセンス皆無だな」
「まあ! 協力してもらっておいて失礼ですわね!」
アンジェラは怒るが、本当にひどいネーミングセンスだと思う。教養はあるはずなのだから、それをぜひとも役立ててほしいものだ。
リオンはおずおずと、立腹しているアンジェラに訊ねる。
「なあ、本当にうまくいくと思うか?」
「まあ、殿下らしくない! いつもの自信満々な俺様はどこにいったのですか!」
アンジェラに叱責されるが、リオンはらしくもなく、うじうじと指をいじった。
「だって……俺はっきりシャーロットに友達、って言われたんだぞ……自信もなくなるだろ……」
ショックすぎて寝込んだ。食事も喉を通らなかったが、相変わらずリオンを溺愛している両親が医者を呼ぼうとしたので渋々部屋から出た。おちおち落ち込んでもいられない。
「俺はシャーロットより五つも年下だし。落ち着きないし。大人っぽくないし。余裕もない。俺、シャーロットに好かれている気がしない」
はっきり言われた「友達」と言う言葉が、耳元で繰り返されているように感じる。
うだうだ落ち込んでいるリオンの背中をアンジェラが力いっぱい叩いた。
「何を言っているんです! 第一、そうだとしても、シャーロットをあきらめられるのですか? ほら、あれを見て!」
アンジェラがテラスにいる人影を指差した。
遠くてはっきり見えないが、リオンにはすぐにわかる。愛しのシャーロットと、憎きハロルドだ。
「あきらめたら、あんなふうに二人が仲良くしているのを、ずっと見続けることになるんですのよ! 殿下にそれが耐えられまして?」
リオンは想像した。
ハロルドの隣で微笑むシャーロット。白いドレスに身を包み、幸せそうにするシャーロット。定期的にハロルドとの惚気を語りにくるシャーロット。ハロルドそっくりな子供を抱いたシャーロット。
「……無理だ!」
リオンの目に力がこもった。アンジェラがほっとする。
「そうそう、それでこそ殿下ですわ」
と、そのとき、テラスで動きがあった。シャーロットがその場をあとにし、テラスにはハロルド一人。
アンジェラはリオンを手にした扇でツンツン突いた。
「ほら、二人が離れましたわ! 行くなら今です! 頑張ってくださいませ!」
「ああ、アンジェラありがとう!」
アンジェラに促され、リオンは笑顔でシャーロットのもとへ走っていく。
それを見送りながら、アンジェラはぽつりと告げた。
「――本当は、殿下にシャーロットをあきらめさせようと思って、こんな作戦を考えたのに」
傷ついたリオンを慰めた、そうして、もしかしたら自分を愛してくれるのではないかと……そう期待したのだ。
だが、結果は自分の予想していた通りに終わった。そう、まったくもって予想通りだった。
――二人が戻ってきたら、笑って迎え入れてあげないと……。
しかし今は無理だ。唇を噛み締め俯くアンジェラに、スッと飲み物が差し出された。
「やあ、おそらく君も仲間じゃないかと思ってね」
ハロルドだった。
「仲間って何ですの? わたくしはフラれたのではなくて、自ら身を引いたのです」
「手厳しいなあ」
苦笑するハロルドから飲み物を受け取った。
まだ成人していないアンジェラは酒は飲めない。シュワシュワはじける炭酸と、甘酸っぱいラズベリーの味の広がるジュース。
今の自分にぴったりの飲み物だ。
「だいたい、あなたがシャーロットをしっかりと繋ぎ止めないからいけないのです」
「仕方ないよ。僕はシャーロットから見向きもされなかったからね」
アンジェラからの悪態をさらりと流し、すべてを受け入れている男に、アンジェラは勝てそうにない。アンジェラはそんなあっさり切り替えられない。まだまだ未熟な子供だ。
「わたくしが大人だったらよかったのかしら」
「いや、たぶんダメだと思うよ」
「……はっきり言わないでくださらない?」
アンジェラとて言ってみただけだ。実際自分がリオンより年上になったとしても、リオンは自分を選ばない。
わかっている。リオンは年齢どうこうで選んでいない。
シャーロットだから選んだのだ。
アンジェラは、手の中にあるグラスを軽くゆすりながら、呟いた。
「さようなら、わたくしの初恋」




