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東方鼬紀行文  作者: 辰松
二、幻想鼬
26/29

其之二十六、鼬白玉楼へ赴く事

 ある晴れた昼下がり。


 市場へ続く道ではなく、とある山の麓の森の中。丸で木々の間に押し込んだかの様に、大きな屋敷が建っていた。立派な土塀に囲まれた広い庭には、鯉の稚魚が数匹泳ぐ池や、見るからに植えられたばかりの小さな苗木がある。


 そんな庭に面した日当たりの良い縁側で、一人の女性が俯せに寝そべっていた。古い書物の貢を捲っては、時折くすくすと笑ったり仏頂面になったりしている。彼女が笑って肩が揺れる度、その金の髪が陽光を受けてきらきらと輝く様であった。


 ふと、女性が手を伸ばす。途端伸ばした手の先でぱくりと空が裂ける。奇妙な空間が彼女の手を飲み込み、再び出て来たその手には、細く黒い揚げ菓子―――花林糖かりんとうがあった。


「んー」


 菓子をぱくりと口に入れ、広がった甘味に頬を緩める。女性はぺろりと指に付いた糖蜜を舐めると、もう一度手を伸ばし、


「くぉら」


 向こう(ヽヽヽ)で手を叩かれた。




◇◆◇◆◇




「くぉら」


 と。菓子鉢に伸びて来た白い手を、ぺしりとはたき落とす。手はもぞもぞと引っ込んで、黒い空間も口を閉じる。

 縁側に目を向けると、境界の妖怪こと八雲紫が、頬をふうと膨らした顔で此方を見ていた。


「何するのよ、八切」

「何するのよゥじゃねえや」


 此処は我が栖由邸、庭に面した縁側のある部屋。部屋の真ん中には年季の入った文机が据えられ、壁際にはぎっしり本が詰まった書架が並んでいる。

 俺が座っている文机の上には、古い紙束と新しい紙、すずりに筆、花林糖を盛った菓子鉢が置かれていた。


「人が黙ってりゃお前さん、一体幾つ食う気だよ」

「良いじゃないちょっとくらい」


 唇を尖らして、紫がむくりと体を起こす。春の日差しに輝く金髪が眩しい。


「ちょっとじゃねえ。もう四十三食ってる」

「数えてたの?」

「いや適当」


 ふるふると首を振る。紫は呆れた風な顔をしてまた寝転び、手元の書物に目を落とす。彼女が読んでいるのは、我が旅の記録である東方鼬紀行文である。



 ……本日、あの大掃除より十日程。家具の類を運び込み倉に物も入れ庭も大分整って、我が家も一旦落ち着いた。

 落ち着いたは落ち着いたのだが―――一方で、予期せぬ大きな変化があった。掃除の日に現れた烏天狗、彼女の書いた新聞記事により、わらわらと妖怪が集まってきたのだ。その上、仕方なく菓子を食わせてやった一部の妖怪達が、我が家に住み着き始めたのである。


 最初こそはあの天狗め余計な事を―――と報復を考えたが、良く良く考えればこれは、俺としては歓迎すべき事であった。何たってこのまま行けば我が家は化け物屋敷である。化け物屋敷。素晴らしい。


 まあそんな訳で、家の中及び周囲での喧嘩や過ぎた悪戯等は禁じつつ、ちょくちょく菓子を食わせてやりつつ、我が家の人口は少しずつ増えているのである。



 ―――閑話休題。



 さて現在俺は、何度目とも知れぬ紀行文の書き写し中だ。そして遇々訪れて来た紫が、それを読んでいる所と言う訳なのである。


「くぉらっ」

「むっ」


 再度伸びて来た手を叩く。今度はすぐには諦めず、此方の手を掻い潜っては花林糖を狙って来る。


「ふっ」

「ていっ」

「せいやっ」

猪口才ちょこざいなっ」


 紫の右手と俺の左手が菓子鉢の上で乱舞する。尚俺の右手は筆で塞がっており、左手が紫と戦っている間も書写を続けている。


「……何やってるんだ」


 と、呆れ声。書架に凭れて本を開いているのは、紫の式たる九尾狐、八雲藍である。


「お前さんの主人が意地汚ェんだよ」

「この鼬がケチ臭いのよ」


 言う間にも手は止まらず、息もつかせぬ激しい攻防が繰り広げられている。藍は何とも困った風で息をつき、本の貢に目を戻した。主が一緒になって遊んでいる物だから諌め辛いのだろう。

 ただ単に馬鹿々々し過ぎて関わりたくないだけかも知れないが。


「藍、手伝いなさい!」

「ちょ、手前汚ェぞ……こうしてやるぁ」


 あろう事か藍に救援を求める紫。仕方あるまいと禁断の右手の封印を解き、紫の手に筆を一閃二閃。


「何を……あぁ!? 貴方何書いてるのよ!」

「はっははァざま見ろ」


 紫の手に燦然さんぜんと輝くは、達筆なる紫婆の二文字。一閃二閃だけで何故書けたのかは気にしてはいけない。


「ふ……私も本気を出さざるを得ない様ね……! 行くわよ藍!」

「おォ、来いよ紫……明日の朝日を拝めると思うな!」


 ずごごご、と妖力をみなぎらせ両手を掲げる紫。対する俺も尾をざわめかせ、墨をたっぷり含ませた筆を構える。

 そしていざ、戦の幕が切って落とされようとしたその瞬間―――!


「紫様。八切。……読書は静かにさせてくれませんか」

「……はい」

「……はい」


 冷たい目の藍の一言に、無為かつ不毛な争いは始まる前に幕を閉じた。




◇◆◇◆◇




「ったくよー真面目腐っちゃってさー詰まんねー奴だよなー」

「全くよねーちょーっと巫山戯てただけなんだから付き合ってくれれば良いのにー」

「人生には遊び心って奴が大切なんだよなーホントゆーもあを解さねー奴ぁやだねー」

「あんなだからあの子ってば何時まで経ってもこき使われてるのよねー」

「………………仲が宜しい様で大変結構ですね」


 紫と身を寄せ合って大声で内緒話をしていると、地獄の底から聞こえる様な低く冷え切った声が帰って来た。そろそろ止めておく事にする。

 藍はふんっと鼻を鳴らし、本に目を戻して此方をシャットアウトする様に背を向けた。やれやれ。


「で、話は戻るが」


 文机の前に座り直し筆を握り、筆写を再開する。


「あんまり食うなよ、紫。俺のなんだから」

「良いじゃない別に。一杯あるんだから」


 ひょいぱくひょいぱく、実に遠慮なく紫は花林糖を持って行く。余り変わらない速さで俺も食べているから、昼方大きな鉢に盛った筈の花林糖はもう半分も残っていない。


「一杯あってもな、一杯食ったら無くなるんだよ。つか手前太るぞ」

「大丈夫よ。胸に行くもの」


 ……椛より手強い。どんな理屈だと言いたいが、まあ言うだけの事はある乳だ。いや、だから何だと言う話なのだが。


「……菓子が食いたきゃ人里に行って買やぁ良いだろーが」

「嫌よ。此処なら只だし、里に無い奴もあるし」


 それはまあ、今この時代にある筈のない菓子等あるだろうが。


「誰が只で食わすと言った。金取るぞ。一ツ一円」

「高いわ。只に負けて」


 それはもはや負けるとは言わない。


「それにしても―――」


 口に花林糖をくわえ、紫が溜息混じりに沁み沁みと言う。


「貴方が式でない事が益々悔やまれるわ……。式に出来ていたら、毎日お菓子を食べられたのに」

「……んな事で益々悔やまれても困るがな」


 そもそも、此処一週間毎日の様にたかりに来ている癖に良く言った物だ。本当に太ってしまえば良いのに。それはもうぶくぶくと。

 心中で呪詛を唱えていると、それを察知した訳でも無かろうが、話を変える様に紫が口を開いた。


「そう言えば、八切―――貴方、まだ幽々子には会ってないっけ?」

「うん?」


 幽々子嬢―――西行寺幽々子。数百年前に出会い、何だかんだと色々あって亡霊になり、現在この幻想郷に居るらしい少女である。


「萃香に霞楽からくの事聞いた時、ちょいとだけ話に出て来たな。冥界とやらに居るそうだが」

「そうそう。多分霞楽も居るわね」


 霞楽と言うのは、我が旧友の鬼である。上記の何だかんだで色々あってに同席しており、何だか良く分からない事に、幽々子嬢に惚れているらしい。


「萃香の話じゃ入り浸ってやがるらしいが」

「ま、そうね。毎日の様に会いに行ってるわ」

「ほほう。そりゃまたお熱い事で……」

「……そうでもないのよ」


 俺の言葉を否定し、紫は吐息混じりに首を振る。


「毎日会いに行ってはいるんだけど……それだけなのよねぇ」

「え? 連中くっついてねえの?」

「くっついてねえのよ!」


 信じられるか、と言わんばかりに叫ぶ紫。しかし数百年経っているのに、二人の仲は進展していないと言うのだろうか。


「毎日毎日、お茶飲んでお菓子食べてお話して帰るのよ」

「ふん」

「でもそー言う雰囲気(ヽヽヽ)が全ッ然無いのよ」

「はぁ」

「あの二人並んだ姿は、そうね―――」


 言葉を捜す様に小首を傾げ。


「老夫婦」

「……」


 大人の階段のステップを、色々と飛ばしている。


「しっかしお前さん、幾らあの針金が奥手だからってよォ」

「いーえ、見ればすぐに分かるわ。アレは絶対に恋人なんて甘酸っぱい物じゃない」


 アレ取ってくれはいはいアレですネで話が通じるに違いない、と気炎を上げる紫。それはまあ分かり易い熟年夫婦の喩えだが、数百年一緒ならそれくらいは当たり前である。


「告白もしてないに違いないわあの針金!」

「……はぁ」


 それならそれで放って置けば良いのではなかろうか、と思うのだが―――まあ、見ていてさぞかし面白くないのだろう。くっつきそうでくっつかない、ではない。くっつきそうな雰囲気の片鱗すら見ていないのに、既に熟年なのだ。


「まあ―――其処まで言うなら」


 ぱたん、と古い方の書を閉じる。新しく書き写した紙の束をとんとん叩いて均し、背にするすると紐を通して纏める。


「丁度一冊終わった事だし、ちょいと会いに行ってみようかい」

「あらそう。じゃ私も一緒に行くわ」


 言うと、紫はひょいと手を振り黒い裂け目を開く。中からは無数の目玉が覗いている。相変わらずキモい。


「そう言や、お前さんのソレ何なんだ?」

「スキマ―――よ。空間の境界を裂いて繋げているの」

「ふうん……?」


 良く分からないが、俺の『窓』とは似て非なる物であるらしい。彼女の能力は境界に関わる物なのであろうか。……境界を操る、とかそんな感じかも知れない。


「貴方も似た様なのを使ってるけど」

「『窓』か。ありゃアレがこうなってコレなんだ」

「教える気は無いって事。……用心深いのね」

「いや―――」


 今や敵対している訳でもなし、別に能力が知れても良いのだが。ただこいつは何と無く嫌なのである。其処に理由があるならば、そう。


「―――単純に嫌がらせ、かな」

「……」


 爽やかに言う俺に、紫は苦虫を五匹程纏めて噛み潰した様な顔をした。


「……まあ、良いわ。そう言う奴だってのは分かってるし」

「やァ照れるな」

「褒めてないわよ」


 知ってる。


「で―――貴方、冥界に行った事は無いのよね? 道分かる?」

「死ぬ以外の道は知らんなぁ」

「死ななくても行けるわよ。……貴方は死んで行く?」

「共に行こうぞ紫」

「貴方と心中は死んでも嫌ね」


 而して、生者にも行ける冥界と言うのは如何な物なのだろうか。それは丸で死者が現世に来るかの様な―――って、幽霊だそれは。

 あれ。そう思うと別におかしくはないのか。


「ま、仕方ないから送ってあげるわ。ほら入って」

「おいおい、妙な場所に連れてかれるんじゃねぇだろな」

「そうね。海底と宇宙どっちが良いかしら」


 怖い冗談である。……冗談だろうな。


「ほら藍、貴方も」

「……え? 何です?」


 背を向けて此方を完全に無視していた藍が、名を呼ばれて振り向き目を瞬かせた。


「何ですじゃないわよ。白玉楼に行くの」

「……、お二人だけで行かれては如何で」

「貴女私の式でしょう」

「……」


 藍は嫌々本を閉じ、嫌々書架に納め、嫌々立ち上がった。一体何を読んでいたのかと目を遣ると、世界の猫について記された洋書であった。……俺が猫を飼い始めたとして一番喜ぶのは彼女かも知れない。


「そいじゃ、行きますか―――」


 と。紫と藍に続き、スキマとやらへ足を踏み入れた。




◇◆◇◆◇




 一瞬の浮遊感の後、地面に足が着く。同時、目の前に桜色が広がった。


 場所は変われども懐かしき白玉楼、庭の桜も真っ盛りであった。やはり桜は良い、庭に植えた苗木も早く花を付けて欲しい物である。そんな事を考えながら桜の花を眺め顎を摩る。


「やっぱり桜は良いわねえ」


 と、紫。同じ事を考えていたかと思うと何だか腹が立つ。我ながら理不尽であるが。

 ―――と。


「珍しくも客人と思えば―――随分懐かしい顔ですな」

「うん?」


 背後からの声。

 振り向けば其処には、頭髪全て白銀に染まった年配の男が立っていた。背に長刀を携え、左手に抜き身の短刀を握っている。

 はて―――斯様な知り合いは居ただろうか。紫に目を遣ると、


「貴方は覚えていないかしら。妖忌よ」

「……あぁ! あの五十歳児白髪剣士君」

「五十歳児、か……」


 ぽんと手を打つ俺に、老人―――魂魄妖忌は懐かしげに苦笑した。半人半霊と言うのは長命ではあっても、人と同じく老いるらしい。随分と様変わりした物である。


「客人は珍しくも無いでしょう、妖忌。私も霞楽もしょっちゅう来てるわ」

「まともに玄関から入って来ん者を客とは呼びませんな。言うても無駄でしょうが」

「ならこいつも客じゃあないじゃない」

「貴女がスキマで連れて来たのでしょう。それだけならまだ客だ」


 これからの訪問のし方で変わりますがな―――と、妖忌は俺を見て言った。見た目相応に、随分と老成した物である。昔の妖忌少年は面白かったが―――これは揶っても駄目だろう。


「昔は可愛かったのになァ、お前さん……」

「良く言われますな」


 ほれ見ろ詰まらん。


「で、幽々子は居るのかしら」

「居ります。何時もの様に、裏手の縁側に」

「霞楽は」

「同じく」

「そう」


 紫はそれだけ聞くと、庭の奥の方へと歩き出した。詰まらなそうな顔の藍が後ろに続く。妖忌も桜に目を向け、何やら腕を組んで唸り始める。剪定でもしているのだろうか。……刀で。


「随分と、変わったモンだな」


 紫を追い、話し掛ける。小さく肩を竦められた。


「まあ、そうね。あの爺様、もう子供も居るのよ」

「そう―――かあ。出来るよなァそれくらい」


 それどころか孫も曾孫も玄孫も七代先も、出来ていたって何等おかしくない年月が経っているのである。こう言う時は少しだけ取り残された様な気分になる。


「俺もその内老いるのかねぇ」

「老いるにしても、貴方はまだまだ先でしょうね。とぉっても若々しいわ」

「そいつぁどーも」


 若々しいわァ、と言うその声は実に皮肉たっぷりである。餓鬼っぽいんだよとでも言いたいのであろう。何、爺より幾分はマシである。


「―――と。こいつは」


 建物の角を曲がると、大きな桜の木が目に入った。その木が嫌に目を引くのは、ただ大きいからだけではなく、一ツも花を付けていないからだ。

 覚えている。何せ花が咲かなくしたのは、俺と紫なのだ。


「西行妖―――だな」

「ええ。花は咲かないけど、枯れもせずに生きてる(ヽヽヽヽ)わ」


 一人の少女の死を引き金に、死を撒き散らす妖怪と化した墨染桜。花は無くともその枝振りや幹の太さは、相も変わらず立派な物である。


「―――あら。紫じゃない」


 声に、振り返る。何時かと変わらない、縁側に並ぶ少女と男の二ツの姿。俺は何だか、その変化の無さを花を付けなくなった西行妖と対照的に感じた。

 この少女は―――死んでいるのだが。


「御機嫌良う幽々子。霞楽も」

「ええ御機嫌良う。で、其方の方は……」


 やけに気取った挨拶を交わし、幽々子嬢は俺を見て首を傾げる。


「八切七一、だ。鼬だよ。其処の霞楽と、紫の旧友だ」

「霞楽の……」


 幽々子嬢は、何か思い出そうとする様に眉根を寄せる。


「何処かで―――会ったかしら」

「さて―――どうかな。ま、久し振りと言っておこうか」


 益々首を傾げる幽々子嬢。死ぬ前の事を覚えている―――訳ではあるまい。彼女が死んで、亡霊として蘇った時。俺は直ぐに去ったのだが、姿くらいは見られていたのだろう。

 自分ながら、目立つ容姿はしている。


「霞楽もな。相も変わらず陰気だなァおい」

「……む」


 ゆっくりと顔を此方に向け、一ツ唸る。駄目だこいつ。


「ムじゃねーやムじゃ。数百年振りにあった友人に言う事、他にゃねえのかいお前さんてば」

「……相変わらず、煩い」

「あーそーかいそーかい……上がるぜ幽々子」


 とっくのとうに慣れた事だが、全く以て処置無しである。

 幽々子嬢に一言断り、草履を脱ぎ捨て座敷に上がり胡座をかいて座る。何か丁度良い茶菓子はあったろうかと少し思案し、嗚呼カステラがあったなと『窓』を開く。


 と此処で、ちょっとどうでも良い話。

 我が『窓』からほいほい出て来る菓子であるが、何故そうも大量にあるのかと不思議に思う人があるやも知れない。まあ単純な話、作る時は沢山作って置いてあるのだ。だが何せ食べ物である、普通は腐ってしまう。

 其処で我が結界技術の粋を尽くして発明したのが、保存用結界『蔵』である。俺が作った結界の中でも随一の技術難度を持ったコレは、特定の物質を覆う形で発現し、劣化の要因になると思われる物を悉く排除し遮断する超スペシャルな結界なのである。

 勿論時間を止めたりする訳ではない為永遠にとは行かないが、それでもかなりの年月の保存に堪え得るのだ。


 こんな事の為に技術の粋を尽くしている辺り―――何と言うか、俺と言う奴は暇人だな等と思わなくもないのだが。


 さておき、その『蔵』からカステラを出そうとしていると、紫が隣に座って声を掛けてきた。


「取り敢えず多めに出した方が良いわよ? 沢山食べるのが居るから」

「……お前さん食い意地張ってんなァ」

「私じゃないわよ!」


 お前じゃないなら誰なのか。霞楽は少食である。藍はそんなに意地汚くない。俺な筈はそれこそ無い。

 では―――。


「……」

「何かしら?」


 いやいや。亡霊だし。


「幽々子……お前さん、カステラ食う? いやむしろ、食える?」

「食べるわよ?」


 ……食うのか。亡霊なのに。


「あら、亡霊だってこうして動いてるんだから。物は食べなきゃ」

「死んでんのにか」

「まあ―――食べる必要がなくとも、美味しい物は食べたいわ」


 それもそうである―――が。紫が良く食うと言ったのは、本当にこの亡霊少女なのか。そんな健康的な亡霊が居て良いのだろうか。


「ごちゃごちゃ言ってないで早く出しなさいよカステラ」

「……お前さん、やっぱり食い意地張ってるよ」


 紫は五月蝿いわねェと言って、扇子で俺の頭をぺしぺし叩いた。手前食わせねぇぞ。


「ほーれ長崎名物かすていらだ。有り難く食え」


 ひょいひょいと指先で切り分けて、皿に乗せて配る。紫の分はほんの少し小さく切ってやった。ざまぁみろ。


「ちょっと、何か小さくない?」

「気の所為だろ」


 無駄に目敏い奴である。


「あら、美味しいわねぇ」

「……む」


 にこにこと笑いながらカステラを口に運ぶ幽々子。実に素直で結構な事である。霞楽は案の定だが、不味い時は不味いと言う奴なので問題無い。


「……本当に、菓子作りの腕だけは良いな」

「嗚呼、悔やまれるわぁ……」


 藍よ余計な事は言わなくて宜しい。そして紫よ好い加減諦めろ。


「お代わりあるかしら」

「って早!?」


 うふふと笑いつつ空の皿を差し出したは幽々子嬢である。俺まだ口つけてさえないんだが。


「ふふふ……沢山食べるって言ったでしょー?」

「いやだってお前さん……健啖家な亡霊ってそんな」

「……幽々子は出自が特殊だ」


 ぼそりと呟いたのは霞楽であった。

 成る程彼女は実に特殊な亡霊である。亡霊が生まれる要因である筈の死への執着が彼女には無く、その所為か普通の亡霊の様な周囲への悪影響を彼女は持っていない。

 と言うか―――見るからに亡霊らしくない。性格も含めて。


「まあ―――そんな事もあるか」


 納得する事にして、心持ち大きめに切ったカステラを皿に乗せ幽々子嬢に渡す。幽々子嬢は嬉しそうに受け取り、ぱくぱくと口に運ぶ。ま、美味しく食べて貰えるのならそれで良いのだが。


「さて、俺も食うか……」

「お代わり、良いかしら?」

「早ー!?」


 恐ろしい娘。




◇◆◇◆◇



「あぁ、美味しかった―――」


 結局、出したカステラ二本の内一本と半分が幽々子嬢の口に消えた頃、俺は彼女の体内にブラックホールの存在を疑っていた―――と言うのは、流石に大袈裟な冗談だけれど。この亡霊の健啖振りに戦慄を覚えていたと言うのは、まあ、確かな事であった。


「御馳走様、八切」

「ああ、うん……御粗末様……」


 亡霊の定義について心中思索しつつ皿を片付ける。明るいし血色良いし大食だし。本当亡霊らしくねえこの娘。


「さて―――」


 がりがりと頭を掻き、此処に来たそもそもの経緯を思い起こす。鬼と亡霊の交際事情について、であったか。


「―――ふむ」


 縁側に並び寄り添う二人を眺める。見るからに自然体、である。少なくとも、若き恋人同士の初々しさ等とは無縁であるらしい。

 だが―――距離が近い。物理的な距離だけでなく、精神的な距離もだ。単なる友人であると言うには、些かくっつき過ぎと言うか遠慮が無いと言うか―――所謂個人空間(パーソナルスペース)と言う奴を共有している様で。

 しかして―――雰囲気が無い。恋人なら恋人らしくべたべたした空気でも醸し出しそうな物を、この二人の空気はからりと渇いている。ただ其処に冷たさは無いのである。


「……うーん」

「どうよ」


 眉根を寄せる俺の肩を紫がつっつく。どう、と言われても―――。


「―――老夫婦」

「でしょう」


 我が意を得たりとばかりに大きく頷く紫。まあ年齢的には正しいし、実際それだけの時間を二人積み重ねて来ているのだろうが―――。

 忘るる勿れこいつ等は、男女の付き合い等持ってはいないのである。


「……何だかなー。過程をすっ飛ばしてやがんのなーこいつ等」

「そうなのよ。時間は腐る程あった筈なんだけど」

「腐る程あるからこそ―――なのか? 霞楽にしちゃあ、急いで関係を縮める必要なんざねえ訳で……」


 俺達に背を向け縁側に並ぶ二人に聞こえぬ様こそこそと、そんな事を紫と話す。放っときゃ良かろうと思いつつも、しかして人の恋路程見て面白い物もそう無い訳で―――。

 ……これは、果たして恋路だろうか。


「……趣味が悪い」


 ぼそりと呟いたは藍である。何をするでも無く紫の後ろに控える彼女は、実に退屈そうにしている。


「失礼ね。友人として気になるじゃない。これも友情よ」

「野次馬根性―――の間違いでしょう」


 むすっとした顔でそんな事を言う。

 本を読んでいた所を無理矢理連れて来られた為であろう、どうやら機嫌が宜しくないらしい。本の続きが気になるのなら、別に持ち出しても良かったのだが。


「藍。あんまり本質を突くな痛いから」

「自覚あるなら止めたらどうなんだ……」

「ふ……自覚したくらいで止すなら端からせんとは思わんか」

「……」


 藍は心底呆れた様子で俺を見、もう知らんとでも言いたげに息をつき目を閉じた。態度の悪い式神である。


「紫紫ー。お前さんの式態度悪くねー」

「そうねー。久し振りにお仕置きでもしようかしらー」

「……お前等」


 我関せずと言わんばかりの藍を取り敢えず紫と虐めていると、振り向いた霞楽に声を掛けられた。


「……何しに来たんだ」


 何だろうね本当。




◇◆◇◆◇




「……そんじゃ、そろそろ帰るわ」

「……結局帰るのか」


 桜をぼけっと眺めしばし。何だかやる事も無いし帰る事にする。


 幽々子と霞楽は何だか二人の世界に入ってしまっていて、話相手にし辛いのである。其処に甘さが全く無いのは実に不思議な事であるが。

 妖忌老人が妖忌少年のままなら弄って遊んだのだが。嗚呼古き良きあの頃よ。帰って来い少年。


「紫はどうするよ」

「私はもうちょっと居るわ」

「……ちっ」


 紫の返答に藍が舌打ちする。俺としては花林糖が救われて有り難い事である。


「んじゃまた来るぜー」

「ええ、またねー。カステラ美味しかったわー」


 ……今の言葉は、次の土産も楽しみにしてるぜと言うメッセージだろうか。意味も無く深読みしつつ、俺は『窓』をくぐり抜けた。




 ……帰宅すると花林糖の鉢が空になっていた。家に住み着きつつある妖怪共が食ってしまったらしい。

 置いてある菓子は食っても良いと言ってある為、うっかり放置していた自分が悪いのだが。

 やれやれ。


白玉楼と猫フラグの話。

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