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互いに隙を窺う時間というのは漫画では長く表現されることが多い。
だが、実際に体験するとなるとすぐに終わってしまうことだってある。
俺の堪え性がなかった所為でもあるのだが、相手が待ちの姿勢だったからこうなるのも仕方ない。
そんなわけで先手を取ったは良いのだが、強打を上手く捌き、連打はしっかりと受け止める技術は、生半可な生物では到底できないものだと感心するほどだ。
だが、それらの攻防は決して無意味なものではない。
構えを取り、エンペラーへと飛びかかってから息をつく暇も与えぬ猛攻を凌ぎ切ったが故に、俺は奴の強みを一つ把握した。
(恐ろしいほどの反応速度――こいつ、確実に俺の動きを見てから対処に動いている)
まるで格闘対戦ゲームの「弱攻撃を見てから無敵技余裕でした」という理不尽さすら感じる反応速度である。
パワー、スピード共にこちらが上であることは判明したが、それを奴は反応速度で補っており、防御に徹しているように見えながらも着実に差し込んでくるが故に攻めきれない。
拳には僅かではあるが切り傷が付けられており、あのサーベルが俺を傷つけるに足るものであることを示している。
まともに斬りつけられれば危険であることは確実であり、まさか真っ向勝負で回避を余儀なくされるとは思わなかった。
(くっくっ、武器を持った豚対武器を持たないモンスターか……これじゃどっちが元人間かわからないな)
心の中で笑い、この戦闘を楽しむ。
力比べ以降は駆け引きなどを持ち出したが、奴の反応速度の前ではあまり意味がない。
ならばとラッシュを仕掛ければ、中断させるようにしっかりと隙を見てサーベルを差し込んでくる。
こう言えば八方塞がりにも聞こえてくるが、もう一つ俺には強みがある。
それはスタミナ――何よりエンペラーの持つ武器と盾は大きく、そして重い。
その重量装備を持ったまま戦い続ければ、先に体力が尽きるのはどちらかなど明白。
如何に俺が攻め続けていようが、丸一日走り続けられるスタミナを持つが故にその程度は問題にすらならない。
例え全力を出し続けたところで、その分相手の体力を削ることができるので決着は早まることだろう。
未だ有効打には至らないが、状況はこちらに有利である。
だから俺は攻める手を休ませない。
向こうもそれを薄々感じているのか焦りが見え始める。
具体的に言えば攻守の交代を狙っており、何度も立ち位置を変えようと試行錯誤を繰り返している。
(当然そんなことをさせるわけがない! さあ、俺のパワーとスピードに屈するか、それともスタミナ切れで膝をつくか! それくらいは選ばせてやる!)
仕切り直しすら許さず、攻撃の手を緩めない俺に苛立ったか、ついにエンペラーが相打ち覚悟の攻撃を行う。
俺はそれを好機と見た。
攻撃に合わせ踏み込んだ一撃は俺の胸を切り裂くも、右フックが盾を抜けて頭部へと命中。
俺の胸に一筋の赤い線が刻まれ、ゆっくりと血が腹へと伝うが傷は浅い――だから俺はその傷跡を親指でなぞり、ついた血を舐め取った。
早くも血は止まり、傷は間もなく塞がるだろう。
それを見せつけて俺は笑った。
これが最後のピース――俺の持つ回復力の前に、奴が取れる選択の幅がまた狭まった。
俺は再び攻勢に出る。
頭部へのダメージが抜けきらないうちに勝負を決めさせてもらう。
サーベルを警戒しながらも盾の上からゴリゴリと奴の体力を奪う。
防御に徹すれば直接的なダメージはないだろうが、いずれ盾を持つその腕が限界を迎える。
しかし相打ち覚悟で前に出れば回復能力の差で俺の勝ち。
守りに入ればスタミナ切れで俺の勝ち。
(さあ、どうする!? 答えを見せてもらおうか、オークの支配者!)
速度で勝るが故に、常に先手を取り続ける俺を相手に致命傷を狙うならばカウンターが定石。
当然それがわかっているから俺は警戒を怠らず、向こうもそれを理解しているので無謀な賭けには出てこない。
だから俺の奇策が見事に通った。
決して距離を空けないよう戦っていたところで更に距離を詰め、エンペラーが攻撃体勢に入ると同時に、その左足を盾の死角を利用して俺の尻尾が捕らえた。
尻尾で足を引っ張られ、体勢を崩したところに一撃をくれてやるつもりだったが、向こうもそうはさせまいとタワーシールドを地面に突き刺し強引に姿勢を戻しながらサーベルで突く。
狙いが首ではそのまま攻撃などできようはずもなく、俺は回避と同時に伸び切った腕に手刀を打ち込むが、こちらも体勢が悪く有効打とはならない。
だが、仕切り直しなどはさせてやるものか、とエンペラーがサーベルを引っ込めると同時に地面に突き立てたタワーシールドに蹴りを入れてやる。
僅かに吹き飛ばされたが故に振り切った足を斬りつけることもできず、口惜しそうに頬を歪ませながら着地をするが、そこに再び俺の猛攻が続く。
徐々に後ろに下がるエンペラーと下がった分だけ前に出る俺――距離は常に自分の間合いを維持し、どれだけ揺さぶられようとも肉体スペックをフル活用して食らいつく。
(ここまでやれば手札を隠すような真似はできないだろう。そろそろ向こうも出し惜しみなしの全力で来るはずだ)
攻撃の手を緩めず、勝機を与えぬ立ち回りの前で動かざるを得ない状況を作り出す。
全てを出し切らせた上で勝つ――そこまでする価値がこいつにはあると判断した。
(戦闘経験は確実に俺を強くする。悪いが、見た目が完全にモンスターという身の上だからな、俺の糧になってもらうぞ)
強敵と呼べる相手だからこその選択。
勝ち筋は既に見えているが、これをひっくり返されるならばそれもまた上回れば良いだけのこと。
上質なエサが最上級へと変わるのはむしろ歓迎すべきとすら言える。
未だ俺の猛攻を凌ぎ続けながらも切り返しの一手を探る――その姿にまだ勝機があると見ていることを確信する。
「次はどのような手を打ってくれるのか?」と期待せずにはいられない。
時間が経てば経つほど向こうは不利になる――ならばいい加減仕掛けてくるだろうと予想していたところ、期待のあまり甘くなった連打の合間に奴は動いた。
タワーシールドが俺の腕を跳ね上げる。
同時に視界を塞いでの一閃――狙いは足。
一筋の赤い線が俺の足首に刻まれるが、残念ながらそのサーベルのリーチではそれが限界だろう。
この程度では動きに支障はなく、むしろその一撃の代償として叩きつけられるようにタワーシールドに打ち込まれた拳がエンペラーの体勢を崩し、そこに追撃の回し蹴りが盾越しに衝撃となってその巨体を吹き飛ばす。
だが、その一連の流れも狙い通りだったのか、自分から飛びダメージを抑えた上で距離を取って仕切り直す。
これで次はあのサーベルを掻い潜り間合いを詰める必要が出てきた。
つまり、駆け引きは俺の負けである。
多少のダメージと引き換えにするには十分すぎる成果だ。
(合理的じゃないか! モンスターのくせに実に合理的な判断をするなぁ! それは経験から来るものか? それともそれほどの戦闘センスを持っているのか?)
俺は嬉しくて笑い声を上げそうになる。
足の傷ももうすぐに塞がるだろうし、ここは少し相手にも回復してもらう。
この戦いを長引かせて経験をより多く得るのも悪くはない……いや、そうするべきだ。
決着を急ぐべきではないと決断し、それを悟られぬよう警戒を増したかのように見せるために、奴の周りを一定距離を保ったままゆっくりと回る。
しかし向こうは守りに入っては勝てないことを察したのか、盾を投げ捨て両手でサーベルを持つと静かに演舞のような動きに合わせ剣を振り、腰を落とし構えを取る。
それはモンスターが取って良い動きではなかった。
明らかな武術――そしてその動きと構えを俺は知っている。
(……待てよ。どうして、お前がその構えをする? いや、そんなはずは! まさか――)
俺は周囲を見渡し、目的の物を見つけると目の前の敵を無視してそちらに向かう。
手を伸ばした俺は篝火に使われている棒を抜き取ると、台が倒れて溢れた火が地面を灯す。
俺は手にした棒で奴にも見えるように地面に字を書いた。
「帝派武神流」
奴が構えを取った際の一連の流れるような動作――それは帝国で有名だったとある漫画を元にした動画のネタである。
「折角なので実戦的にしてみました」というネタでシリーズ化して見たところ、漫画の方の元ネタとなった剣術の道場の方が協力してくれることになり、本当に実戦的になるまで続けられた動画である。
リアルタイムでこれを見ていた俺としては見間違えるはずがない。
男子生徒ならば一度はやってしまったであろうあの構え――それが目の前で再現されたとなれば、嫌でも理解できる。
奴は間違いなく俺と同じ遺伝子強化兵だ。
それを理解したのか、彼も構えたまま呆けたようにじっと地面に書かれた文字を見ている。
だが、それで戦闘が終わるわけではなかった。
「グァアッハッハッハッハ!」
その笑いはまるで狂気――血走った目が俺を睨むように見る。
友好的な気配は一切なく、サーベルを持ったままドスドスと俺に向かって歩き出す姿には敵意しかなかった。
(そうか……あんたは、帝国を恨むんだな)
それも仕方のない話だ。
そう思い、戦闘は避けられないものと覚悟を決めた。
だが違った。
向けられる明確な殺意――その意味を俺はわかっていなかった。
真っ直ぐに向かってくるその巨体は狂気染みた笑みを浮かべ、最早我慢ができないと言うように俺に飛びかかる。
これまでの戦闘スタイルとはかけ離れた姿に俺は思わず飛び退いた。
地面に両手を付き、俺を見上げたその目は血走っており、口からは涎が垂れることを気にした様子もない。
何がここまで彼を狂わせるのか?
俺には理解できない何かがあるのか?
その剣幕に一歩退いた俺に彼は笑いながら叫んだ。
「ヨウ、ヤグ! ミヅゲダ! ザン、ニンメェ!」
(´・ω・`)まあ、予想通りの正体やね。久しぶりに話が進む予感




