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わかっていたことではあるが、帝国の領土は広い。
大陸が北と南に区分されており、丁度くびれのようにやや細くなり始めたあたりまでが帝国領土である。
南北合わせても最大の版図を誇るが故に、端から端へと移動するにも時間がかかるのが難点なのだが、帝国はそれを鉄道を使うことで解決した。
列車や車といった移動手段があり、一日とかからずほぼ大陸を横断できるという強みが、帝国を世界最大の強国へと押し上げたのは言うまでもなく、今はその恩恵を受けることができない悲しみを手頃なオーガにぶつけている。
(まったく、せめて、鉄道跡、でも、残っていれば! もっと、楽に、移動できた、のに!)
サンドバックと化したオーガにワンツーパンチでフィニッシュを決めると、俺は大きく息を吐いて手頃な岩に腰掛ける。
本拠点を出発し早三日目――空を見上げようにもこの鬱蒼とした森の中では僅かな隙間からしか見えず、まだ昼間だと言うのに薄暗い環境に俺は少々滅入ってしまった。
同じ環境が続きすぎるというのも良くない。
元々帝国南部は開発が遅れ、自然豊かな土地が多かった。
(いや、地理的な都合で開発ができない部分が多かったという方が正しいか?)
特に南西部はエルフ領との兼ね合いもあってか、ほぼ手つかずのままであり、あまり大きくはないが山脈があるおかげで防衛に兵を回す必要がなく、結果として帝国でも有数の狩場として親しまれていた部分もあった。
そんなわけで需要というものができてしまった以上、臣民の声を無視して開発に踏み切ることができなかったという事情から「いっそ狩場にしてしまえ」と整えられた世にも珍しいモンスター養殖場があった土地である。
つまり、俺は帝国西部のエルフ領に近い地域からほぼ真南に向かったことで、この人工的に作られた楽園を進んでいる。
正直に言おう。
(こんなニッチなレジャー施設なんて覚えてるわけないだろ!)
朽ちた看板を見てようやくその存在を思い出したのだから、モンスターハントという趣味がマイノリティであったことは間違いない。
そもそも巨大生物との戦いはゲームの中だけで十分である――とそこそこデカイモンスターが曰う。
さて、うめき声一つ上げなくなったオーガを木から下ろしてこの場から立ち去る。
このまま南に突っ切るとどれだけのモンスターと遭遇するかわかったものではない。
その度にこうして立ち止まるわけにもいかないので、ここは進路を南東に変更。
この辺りの地理には詳しくはないが、確か穀倉地帯に隣接するそれなりの規模の都市があったと記憶している。
移動速度が出せないこの悪路では、今日のところはそこまでが限界だろう。
そう思いながら進路を変更したのだが、街の跡を見つけるのに時間がかかり、結局は深夜に到着した。
まったく、世の中思い通りにはことが進まないものである。
翌朝、街の跡を探索したいので適当に屋根のある場所で一泊したのだが、寝床と呼ぶにはあまりにお粗末な出来映えでは眠ることもままならない。
「どうもよくない流れが来ているな」と名前も知らない街の跡を探索する。
そしてわかった意外な事実。
(うん、色々な物が持ち去られている)
ここにある道具や物資を何者かが持ち出して運んだ形跡があり、それが街の状態から大量であることも確認できた。
(確か……北はゴブリン。南はオークが幅を利かせているんだったな?)
6号さんから得た情報が正しいのであれば、容疑者はオークと見て間違いない。
オーク程度の知能ならば、わかりやすい道具であれば問題なく使用できるだろう。
略奪だけのゴブリンと違い、オークは集団となれば知能の高い者が生産を行うことも知られている。
(200年間帝国の物資を使って放置されたオークの集団――これもう群れってレベルじゃなくなってる可能性あるな)
おまけに帝国が整備した大規模な農業地区がある。
もしもこれを再利用していたとなれば、それはもうオークの王国ができていてもおかしくない。
相手がゴブリンなら万単位でも問題はないが、オークとなるとどうだろうか?
(規模次第だな。あと帝国の武器の中に使用可能な物が万一残っていた場合が怖い)
質の高い金属製の道具などそれだけでも武器となる。
この体を傷つけることができるとは思えないが、何か別のことに使われるのであれば警戒は必要だろう。
「確認する必要があるな」と小さくがおがお呟くと、街を出て記憶を頼りに農場がある方角へと進む。
恐らく二時間ほど悪路に悩まされつつも走ったところ、空に煙が上がっているのを目撃する。
多少樹木の密度が薄くなってきた矢先この発見である。
(火事だったら勘弁して欲しい。オークが火を使っているのはもっと勘弁して欲しい)
火は文明の始まりだ。
それをオークが使っているとなれば、連中には何かしら文化が生まれている可能性がある。
知性的な生物を殺すことには躊躇いを覚えるが、そこはオークだから良いかと考えを改めた。
そもそもゴブリンというのは国という単位で見ればゴキブリのようなものだ。
ならばオークはネズミだろうか?
なるほど、害獣退治は重要だ。
二足歩行なら何でも性処理の対象にする故に、時に人を攫うオークに与える慈悲はない。
だが、まずは様子見だ。
現在の情報からでも人類史でもお目にかかれないレベルの規模となっている可能性がある。
オークの戦力をある程度でも把握するまでは隠密行動を心がけるべきだ。
念には念を入れる。
何せ人類が未経験という数の場合、何が起こるのかが不明なのだ。
もしかしたらエルフ並に強力な魔法使いが現れている可能性だってないとは言い切れない。
立ち上る煙を目指し、慎重に歩き続けて方針が確かなものとなった時――視界が開けた。
そこはまさに農場だった。
それを見下ろす形で俺は立ち竦む。
一見して畑とわかるそれが、目の前に広がっているのだから驚きもする。
そしてオークが火を使い、何かを焼いて食っている。
(こんな真っ昼間からBBQとは……)
大きな鉄板を3匹のオークが囲い、焼いた肉や野菜を美味そうに頬張っている。
和やかな雰囲気で労働の後の食事を楽しんでいる様子だ。
少し汚れた瓶に口を付け、水を飲みつつ焼けたものを口へと運ぶ。
時に「それは俺のだ」と口論をしながらも、三匹で仲良く青空の下で飯を食う。
まるでそれが特別ではない日常の風景のようで、グップグップと楽しそうに笑うオーク達を見ていたら、気づいた時には俺の足元にそれはそれは大きなネズミが三匹ほど血まみれで横たわっていた。
「やっちゃったぜ」
舌を出して首を傾げて頭に拳をコツンとあざとく乗せる。
うん、何かむかついたからね、しょうがないね。
(しかしまさかいきなり方針を無視してやってしまうとは……肝心な時に仕事をしないな、この感情抑制機能は!)
やってしまったものは仕方がないので、死体は放置して野菜を幾らか頂いてから退散する。
オークは鼻が良いので死体を隠してもすぐに見つかる。
だったら最初からしない方がマシなのだ。
そんなわけで擬態能力もあまり効果がないという中々に難しい隠密ミッション。
「いっそゲリラ風に暴れるのも良いか」と戦術を考えていたところで思い出す。
(あ、目的は現在の帝国人を見ることだった。オークなんざ無視だ、無視)
しかしこうなるとこの農場を迂回しなくてはならず、オークの住処にぶち当たりそうでもある。
まあ、その時はそうなってから考えれば良いか、と森へと戻り移動を再開。
すると、予想通りというかお約束というべきか――日がそろそろ落ちるという頃、オークの集落を発見した。
しかも恐ろしく巨大であり、これを迂回するとなると一夜明けてしまうのではなかろうか?
丘上から見える範囲では、切り倒した木を使った小屋のようなものまであり、バカでかい馬小屋のようなお粗末な建造物には大量のゴブリンが繋がれている。
どのような用途かはお察しだ。
人間やエルフはいるかどうか念の為に確認したのだが……まあ、やはりいるわけだ。
鎖に繋がれ、身動きしない全裸の女性が二人。
「助けるべきか否か」と逡巡していたところ、俺はあることに気がついた。
彼女達の胸に動きがない――つまり、呼吸をしていない。
(遅かったか……これは喜ぶべきことではないが、内心ホッとしているも事実なんだよな)
死体の状態から察するに、あの二人が死亡したのは今日だろう。
もしも俺がもっと早くに到着していたら救えたかもしれない。
だが、結局は「たられば」の話だ。
死んだあの二人に俺ができることと言えば、オークを殺すか、これ以上捕まる女性が増えないよう少し目を光らせてやるくらいが精々だろう。
死体を持ち帰ってやることも考えたが、今の俺はモンスターだ。
それがどのような誤解を招くか――それを考えられないほど冷静さを失ってはいない。
取り敢えず、今はここを突っ切るか、それとも迂回するかの判断が必要な場面である。
そのための材料をまずはここに潜んで手に入れるとしよう。
風向きが味方をしてくれているうちに決める必要があるというのだから、最近の流れの悪さがちょっとばかり気にかかる。
そんな懸念材料を抱えての偵察となったが、程なくして一匹のオークが立ち止まりしきりに何かを気にして鼻を動かし始めた。
(うん、風向きが変わったね。そうなると思ったよ、チキショウめ!)




