72 とあるエルフの独り言2
(´・ω・`)冷たいものを飲みすぎてお腹を壊す。5月なのに暑くなりすぎ。
キリシア女史の処分が決まり、僅かな猶予時間はあっという間に過ぎ去った。
儀式室へと連行されてきた彼女はやや憔悴した顔にこそ見えたが、その目にははっきりとした意思が読み取れる。
態度こそ従順であるが、彼女は何かを狙っている。
粛々と制約の儀が進む中、突如キリシア女史は大声を上げ暴れ始める。
大人しくしていたことで拘束が弱くなった時を逃さず、掴まれた腕を振りほどくと机を倒し、兵の移動を阻害しつつ囲まれないように立ち回っている。
「バカ共が! 命令に使う魔具を複製していないとでも思っていたのかい!?」
その言葉に隣りにいた兵士に彼女を取り押さえるよう命令をするも、既に遅かった。
「来い、アルゴス!」
彼女がそう叫ぶと同時に天井を突き破りアルゴスが現れる。
恐れていたことが起こり、行く手を阻むアルゴスが我々の動きを封じ込める。
待機させていた兵士が入ってきたところで状況が好転するはずもなく、キリシア女史は勝ち誇った笑みを浮かべ高説を垂れ流す。
そして何を思ったのか「アルゴス、その女を犯せ」と最悪な命令を下した――のだが、当のアルゴスは動く気配がない。
そこにゼサトの長男が一言。
「……そいつはメスではないのか?」
よくよく見れば股間には生殖器らしきものは見当たらず、アルゴスが「彼」ではなかったことが判明。
しかし生殖器がないのであれば、オスでもなければメスでもない――所謂「無性」なのではないだろうか?
だとしたらアルゴスというモンスターは変異種か何かなのかもしれない。
よもや生きて変異種と遭遇することになろうとはと驚いたが、キリシア女史がならばと私達の殺害命令を下す。
全員がその言葉を聞き身構えた直後――キリシアが床に叩きつけられた。
「なぁにをしている! あいつらだ! この手をさっさとどぉけろ!」
抑え込まれてなお暴れる彼女を無視して、アルゴスは床に散らばった物の中からペンを探し出し、それを手に取ると倒れた机に文字を書き始めた。
「お前はもう用済みだ」
この意味を私はすぐには理解できなかった。
しかし、次に書かれたものでこの場にいる者全員が理解した。
「言語、魔法の学習は完了した。お前が自分の魔法が成功したと疑わなかったおかげだ。感謝する」
アルゴスは彼女を利用していただけだった。
(いや、驚くべき場所はそこじゃない! たった40日にも満たない時間でエルフの言語をここまで習得した!?)
アルゴスの言葉を信じるのであれば、彼は言語と魔法の学習を完了している。
明らかに異常と呼べる知能を有する「悪夢」すら捕食するモンスター――これを我々は何と呼べば良いのか?
アルゴスがあっさりとキリシア女史を殺害した。
それで終わる話ではないのは誰もがわかっている。
そして誰がやるべきかも決まっている。
私は一歩前に進み、アルゴスと向き合った。
「何故、キリシアを――彼女を殺しましたか?」
答えは凡そ察しは付くが、これは確認だ。
「研究対象であり実験動物。生命の危機。殺害する理由はある」
先程と変わって少しばかり拙い文章ではあるが、そのような意味として私は捉える。
ゼサトの長男もそのように捉えたらしく、アルゴスに「何故今頃になって彼女を殺した」のかを問う。
「支配の効果の抵抗には時間が必要だった。抵抗可能となる前に生命の危機があった」
この答えで理解した。
キリシア女史が復活させた支配の魔法は不完全なものであったと――でなければ禁忌に指定された強力な魔法の支配下から抜け出すことは不可能なはずである。
(でも、アルゴスだったから支配の魔法が通用しなかったというケースも考えられる。しかしそれを大ぴらにすることなんてできるわけがない。そんな怪物がすぐに近くに生息しているとなれば混乱は必至)
同じ結論を出していたらしく、背後から「失敗したのではなく未完成だったか……」と声が聞こえてくる。
「復活した支配の魔法を不完全だった」とすることで、即座にこの場を制したのだから「流石はゼサトの一族だ」と心の中で称賛してしまう。
しかし私の役目はまだ終わっていないし、終わらせてもいけない。
「彼女の命を奪った理由は理解しました。では、もう一つ聞かせてください。あなたは何故このようなことをしたのですか?」
彼がどう答えるのかでアルゴスというモンスターの脅威を測る。
それ以上に、私が知りたいという部分が大きかったのだが、もしも彼が想定以上の知能を有していた場合、委員会の一部がどう動くかは想像に難くない。
そのためにも知る必要があった。
だが返ってきた答えは「質問の意図がわからない」というものだった。
つまり彼はこう言っている。
「それ、答える必要ある?」
これはかなり拙い状況だ。
後ろから小さく舌打ちが聞こえてきたので彼も理解したのだろう。
現状、アルゴスはエルフに対して良い印象など持っていない。
当然と言えば当然だが、その知能の高さから敵対は避けることができると踏んでいた。
しかしこの言い方ではその見込は薄く見えた。
ならばと質問を変え、最悪の事態を想定する。
「あなたはどうして我々の言語を、魔法を学ぼうとしたの?」
アルゴスは何も答えない。
考えるような素振りは見せているので言葉を探しているのだろう。
私は待った。
だが、返ってきた答えは最悪と言って良いものだった。
「余興」
つまり、彼はキリシア女史の支配の魔法に抵抗しながらも遊びでエルフの言葉を覚えたというのだ。
我々に対する興味からの学習であればよかったが、ただの遊びで言語と魔法を覚えられたのだからそこにエルフが介入する余地はない。
沈黙が天井に大穴を空けた部屋に漂う。
あわよくば交流を、という考えを白紙に戻し、アルゴスという脅威への対処を第一に考える必要が出てきた。
思考を切り替え、再び言葉を交わそうとしたところでアルゴスは天井の穴から出ていった。
このまま去られてしまえば全てが終わってしまう。
そんな悪夢に駆られ私は伴も付けずに飛び出した。
追いかけるが距離がある。
しばし走り続けていたが、アルゴスが止まったのでこれ幸いと跳躍し、風の魔法で一気に距離を詰めた。
「何処へ行く気ですか? 私がいれば、里の中ならば大抵の場所へ行くことができます。良ければご一緒しませんか?」
アルゴスの前に着地すると同時に早口でまくし立てる。
今、何の成果も得られないままに立ち去られてしまえば、全てが取り返しのつかないことになってしまう。
そんな懸念に突き飛ばされるように私は前に出る。
するとアルゴスが私に手を伸ばした。
抵抗はできない――いや、してはならない。
私は黙ってアルゴスに持ち上げられるとそのまま肩に乗せられた。
まだ最悪の事態は避けられる。
そう信じることができたから、彼が向かう場所に黙って運ばれる。
付いた場所はキリシア女史の研究所――ここで何をするのかと問うて見たが、その答えは「完全なる破壊」という歓迎できない内容だった。
アルゴスがエルフと敵対することがないよう、可能な限り要求に応えるつもりだったのだが、里の外とは言え燃やすことに協力を求められるとは思っていなかった。
渋る私に対し、彼は強硬手段に出たのでやむを得ず火を付ける役目を担う。
このような形でとは言え、自分が法を犯すことになってしまったことに少なからずショックを受けていると、アルゴスは私に地面に書いた文字を見せる。
「ここにくる理由がなくなった」
恐らく彼は知的生物として自分の情報の隠滅を図ったのだ。
知られたくない何かがある?
それとも我々が彼を警戒するように、彼もまた我々を警戒しているのではないか?
そう考えた時、これまでのアルゴスの言動にほんの少し理解という希望が灯る。
「あなたの目的は何ですか?」
もしもそうであるならば、彼はエルフという種族から身を守るために危険を冒したことになる。
「あなたは、我々をどうするつもりですか?」
高度な知能を持つが故に、無知でいることに耐えられなかったのではないか?
「……あなたは、エルフに何を望みますか?」
だとすれば、自分以外に存在しない種であるアルゴスは、どのようにして安心を得るのか?
(もしも彼に「孤独」という概念があるのであれば……)
そう思い、顔を伏せたところにアルゴスが新しく書いた文字が見える。
「また果物を所望する」
その言葉に私は少しだけ彼という生物がわかった気がした。
次に会える時にはもっと長く話し合おう。
戦う必要はない。
無理に距離を縮める必要もない。
ただ隣に住む者としての関係が丁度良い。
きっとそんな意味が込められた言葉だと思うから。
火は勢いを増し空へと昇る。
「ああ、どう言い訳したら良いのやら……」
私の小さな独り言は隣の彼には届かなかった。




