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支配の魔法にかかっているフリを続けて早1ヶ月――正確には35日目になる。
嬉しい誤算と言うべきか、危惧していた言語の習得は驚くほどの成果を上げている。
原理は不明だが耳にするエルフ語が理解できた上に、本に書かれた文字すら読めるのだ。
これで進まない方がどうかしている。
加えて、俺の生活環境が決して良くないことも相まって学習意欲が向上したこともある。
何せあのクソババアは俺が「何かの素材にならないか」と体の皮膚を削ったり血を採取したりと実験動物扱いである。
まるで科学者のような奴だ。
いや、科学であれ魔法であれ探求者というものはこういうものなのだろうと怒りを抑え納得する。
だがそれで俺を支配する代価を安く済ませてやるかどうかは別の話だ。
あいつの行動力と理念は理解した。
ならばどうすればこのクソババアに最も大きなダメージを与えることができるか?
それを考える楽しみがあるからこそ、俺はここまで我慢することできる。
プライドが高いのはわかっている。
だからそのプライドをへし折る。
その為には何をすることが最も効果的か?
(ああ、実に楽しみだ)
怒りというのは溜め込みすぎるといっそ笑えてくるらしく、どうにも無意識に頬が吊り上がるのを感じる。
表情筋の都合で本当にそうなっているのかは不明だが、気が付けば笑っている自分がおり、自制の日々を送っている。
ふとした拍子にクソババアの頭と胴が離れていたり、首が360度回転していたりしていては困るのだ。
(そうだ! 研究だ! あいつの目の前で研究成果を灰にしてやるというのはどうだ?)
ダメだ。
それだけでは足りない。
あいつは名誉を欲している。
故にプライドを粉々に粉砕し、そこに不名誉をたっぷりとトッピングしてやることを忘れてはならない。
後世語られる愚か者として名を残す手伝いをしてやろう。
そんな都合の良いシチュエーションはあるだろうか?
(さあ、考えろ。一体どんな状況で、何をすれば俺は満足できる?)
まあ、そんなポンポンと案が出てくるわけもなく、思案に耽って時間が過ぎていく。
日によっては今日のように放置されることも珍しくはなく、最近実験の成果が芳しくないのか、クソババアの機嫌が悪いせいで二日ほど飯をもらっていない。
こういう時は頻繁に金切り声を上げてその苛立ちを俺にぶつけるが、痛くも痒くもないので無視するようにしている。
そもそも遺伝子強化されたとは言え元人間の体の一部が一体何の役に立つというのか?
何を試みているかは存ぜぬが、レアアイテムが必ずしも有用ではないということを貴様も知るべきである。
日が暮れて外に夜の帳が降りる頃、俺の時間がやってくる。
このババアは存外眠るのが早く、眠った後であれば学習に時間を費やすことができる。
10日目に倉庫を改造された車庫のような場所で寝泊まりするようになってからは、ここに積み上げられた本が俺の教科書である。
魔法に関するものがほとんどだが、それでも文字が読めるというだけで語学の教科書となるのだからこの能力は大いに活用させてもらう。
言ってみれば暗記さえしてしまえば良いのだからここまで楽な勉強もない。
文字を見ればそれがどのような意味でどう発音するかがはっきりと理解できる。
単語や文章であっても同じで、理解ができるから覚えるだけで済むという実に簡単なものだ。
目に見えて成果がでる勉強がこんなにも楽しいものだったとは知らなかったと感動すらした。
だが、時間が経てば感動も薄れる。
今やあのババアへの制裁を早くしたいがための勉学に励む姿には、その名残は何処にもない。
問題があるとすれば、ここにある本だけでは常用単語の網羅すらできているとは思えず、些か不安があるということくらいだ。
残念ながらここにある本は全て読み終わっているため、これ以上の学習には新たなものを必要とする。
だが、手に入れる手立てがなく困っている。
夜は見張りもいるので尚更だ。
この倉庫には窓がなく、入口を背にして塞いでしまえば何をしているか見えなくなるのは本当に都合が良かった。
倉庫の中には魔法の道具も幾つかあり、微弱であれ発光する物があったのも助かった。
幾ら夜目が利くとは言え、真っ暗では本が読みにくいのは確かなのだ。
こう奇跡的に状況が揃ってしまうのは少々怖いものがあるが、考えていても仕方がない。
ご都合主義だろうが何だろうが使えるものは使うし、どんな状況でも利用できるならやってやる。
今の俺には贅沢を言う余裕などない。
あのクソババアを制裁することでいっぱいなのだ。
言語の学習は新しい本が手に入らないとあって既に頭打ちと言って良く、後はいつどうやって制裁するかを決めるだけなのだが、肝心なそれが未だに決まっていない。
(研究成果やそれに類する物は全て破壊。これは確定。次にどうやってあのババアのプライドをへし折るか、だが……良い案がない。理想としては大勢の前で大恥をかかせてやりたいところだが……その状況がそもそも来る気配すらない)
研究者というインドア派故か人と関わることが少なく、大衆の前に出るようなイベントが発生しない限り、俺が望むシチュエーションというのは作られることがない。
ぶっちゃけ俺がババアを殺して暴れるだけで目的は達成したようなものなのだが、それをやりたくない理由がある。
一つはエルフが完全に敵に回るのは厄介である。
この支配の魔法を含め、禁術に指定されている強力な隠し玉を持つエルフが手段を選ばず俺を殺しに来た場合、果たして生き残ることができるかどうか不明なのは言うまでもない。
完全ではないとは言え、一時的に支配の魔法によって意識を失っていたのだから警戒は当然。
そしてもう一つの理由なのだが、それは俺が今食べている果物にある。
どうやら俺を監視している者達の中に6号さんの手の者がいるらしく、俺が何も食っていないと知るとこうして何か持ってきてくれる。
量はないが味は中々のもの。
品種改良が施された帝国産と甲乙付け難い美味さには俺も驚いた。
6号さん自身が持ってきてくれることもあって、できるだけ彼女に迷惑がかからないようにやり遂げたいというのが最後の理由だ。
ちなみに会話内容から俺を監視しているのは、ゼサトと呼ばれるババアと言い争っていた氏族と自然調和委員会である。
どうやらクソババアは敵を作りすぎたようだ。
(はー、これじゃ俺が手を下さずとも他がババアを潰しそうで……)
ふとリンゴの咀嚼が止まる。
今何かを閃きかけた。
(ババアが他に潰されるとして……それは何処がやる? 多分ゼサトとかいう氏族だ。ではどうやって? 権力を持った奴がやりそうなことと言えば?)
考えがまとまり始める。
必ずしもそうなるとは限らないが、これは一つの案としては最高ではないか?
(そうだ! 見せつけてやれ! あのクソババアがやらかしてしまったということを盛大にぶちまけてやれ!)
性能の隠蔽は二の次だ。
既に傭兵達に悪戯したくてやっちまっている上、俺に付けられた名前が伝わっているということはいずれ知られることとなる。
俺は頬が吊り上がっていくのを感じたが、それを抑えることはしなかった。
口の中で小さく「がっが」と笑う。
後は、その機会がなかった場合のことも考えよう。
テンションの下がった俺は再び思案に没頭した。
支配37日目――今日は生憎の曇り空である。
基本寝る時以外は屋外の俺には雨はあまり好ましくないが、水浴びは疎か体を拭くこともできないでいるので、むしろ降って欲しいとすら思ってしまう。
朝から俺の硬い外皮を削るよう命令を下したクソババアは、屋外に設置された椅子に座り、刃こぼれしたナイフを見ては忌々しげに舌打ちをする。
言われるがままに言われた通りのことだけを行う俺は、生半可な刃物では通らない硬い皮に刃を押し当て、削るようにナイフを動かしてはダメにする。
「モンスターなので刃物の使い方がわかりません」と言わんばかりにナイフを使い物にならなくしてやる。
一度は魔剣を使って俺の体を削ったは良いが、どうやら他人の物を無許可で持ち出し使ったらしく、その持ち主が物凄い剣幕で抗議に来ていた。
多数のエルフを従えて脅しをかけていたことに加え、支援を打ち切ると言われてはババアは何もできず魔剣を返却せざるを得なかった。
その時の悔しそうな顔は実にいい気味だった。
それ以降、どうやら何もかもが上手く行っていないらしく、最近のクソババアは常時不機嫌。
しかもそれに輪をかけるように俺が命令を微妙に履き違えたり、望む結果を出さないように動くため更に悪化。
「クソ、クソ、クソ! どいつもこいつも私を馬鹿にしやがって!」
他の要因もあるだろうが、今ではこのように不満が口に出るくらいには良い感じに仕上がっている。
「これはひょっとするとひょっとするのでは?」と俺もわくわくしていると、5人のエルフが書状を携えてババアを訪ねて来た。
ババアは立ち上がって彼らの正面に立ち睨みつけるが、それを意に介した素振りも見せず一人の男が前に出ると、書状を広げそれを読む。
「キリシア・レイベルン。賢人会議での決定をあなたにお伝えします。あなたの持つ第一及び第二、第三の探求者権限の凍結。加えて禁忌に該当する魔法及びそれに関連する資料の破棄。これらを制約の儀によって強制する」
クソババアの手から杖が落ちた。
乾いた音が鳴り、杖が地面を転がるがババアはそれどころではなく「信じられない」というより「そこまでするか?」という顔をしている。
それに比べ、5人の使者は必要なことは伝えたのでもう用はないとあっさりと立ち去る。
クソババアは杖を拾うこともなく、ただ呆然と彼らの背中を見送っている。
使者とすれ違うように武装した多数のエルフ達がやって来ると、その内の一人がニヤニヤと笑いながら声をかける。
「さて、制約の儀を執り行いますのでご同行を願いします。キリシア女史」
「……ああ、良いだろう」
同行を請われてもしばし固まっていたクソババアがようやく絞り出すようにそう答えた。
ゆっくりと杖を拾い立ち上がるが、その顔は伏せられたままだった。
武装したエルフに囲まれたババアが歩き出す。
俺はその姿を黙ってみていた。
何故ならば、俺の耳にははっきりとその口から笑い声が聞こえた。
最高のタイミングがきっともうすぐそこである。
(´・ω・`)次回はお楽しみの制裁回よー




