54
本日二度目の偵察に向かう。
夜明けにはまだまだ時間はあるので、もう一回行けると判断した。
なので先程とは違う場所から森へと入る。
具体的に言えば南側――8号さんを発見した付近である。
自分でも「攻めている」と思うが、この時間帯ならば寝ている可能性が高い。
現状の懸念材料に彼女が入っているため、早めにその所在地を突き止めておくことは決して無駄にはならないはずだ。
そういう理由で南側の攻略に向かう。
まあ、南側とは言うが南西にはまだまだ元国境線が広がっている。
しかしそちらには岩山があり渓谷となっているのでエルフはいないだろうと判断しており、わざわざ行く必要性を感じていない。
(ここから先は先程よりも慎重に行く必要がある)
森へ入ると擬態能力を使用し周囲に溶け込む。
そのまま周囲を警戒しつつ歩き続けたところ、20分ほどで青白い光が視界に映る。
こちらは先程の集落に比べて警備の人数が多く、やや物々しい雰囲気が感じ取れる。
やはり川に近いということはそれだけ警戒も強くなるということだろう。
俺は木の後ろに隠れながら望遠能力を解除すると引き返す。
まだ偵察開始初日なので、いきなり見つかるというのは避けたい。
集落の位置を把握したので今回はこれで十分と言える。
何せ相手は魔法に長けたエルフである。
どのような手段を持っているかわからない以上、ここらで引くのが無難だろう。
本拠点に戻って地図に集落の位置情報を忘れない内に書き込もう。
翌朝――数時間の睡眠から目覚めた俺は狩りを終え、長い鉄串に刺して焼いた肉を食べながら、昨晩エルフの集落の位置を書き込んだ地図を眺める。
取り敢えずこの二つの集落間を行き来するならば、と考えながら空いてる指でルートをなぞる。
肉を咀嚼し、焼けた人参に串を刺す。
(うーん、やっぱ集落のこの間を避けた方が良いか? だとするとこれ以上奥に入るなら集落を迂回することになるから……南は予想以上に大回りになりそうだ)
結論としては北側から奥へと回り込み、水場と監視に使えそうなポイントを見つけるのが最適解のように思える。
再び地図を指でなぞりルートを確認する。
この地図にはエルフの村が書かれてるが、それが正しいかどうかは不明。
俺が書き込んだ集落の情報はなく、地形も変わっている恐れもあるので過信は禁物だ。
仮にこの村が存在していた場合も考えておくが、どうして肝心の水場の情報が載っていないのか?
小さな川や池が記載されていれば楽ができたのだが、帝国軍はそこまで侵攻することができなかったということか?
もしかしたら防戦一方だったかもしれない。
幾つもの戦線を突破されていることを鑑みれば、この地図があるだけでも十分だろう。
食事を終えた俺は片付けを済ませて地図の保管場所を倉庫から本棚のある部屋に変更する。
丁度良い入れ物があったので今度からはそちらに入れる。
さて、暇になったので読書を開始。
まだ「食べられる野草」の中身がしっかりと頭に入っていない。
これを持って拠点周辺の探索も良いが、ある程度は覚えておかねば、野草を見つける度に本を見なくてはならず効率が悪い。
時間はあるが無駄遣いするのは好きではない。
必要最低限の知識くらいは身に付けておきたい――と言いながら気が付けば別の本を読んでいる。
そもそも野草とか興味のない本を長々と読み続けるとかちょっと無理。
なので今は料理本を読んでいる。
材料だけチェックをして作ることができそうなものが載っているページの端を少し折っているのだが、美味そうな料理があるとついつい見入ってしまう。
もう食べることが叶わないであろうそれを見ていると食欲が湧いてくるのだが、空腹も満腹も感じたことのない体で食欲とはこれ如何に?
それはそれとして、この料理本を見ていて思うのは「どれも作れる気がしない」ということだ。
材料はあるのだが、この「塩釜焼き」なる調理法――どう見ても塩を使いすぎである。
俺の所持量と相談するととてもではないが許容できない使用量。
結局、この本で折られたページの端はたったの5つ。
料理本一冊で帝国の豊かさが証明されるという事態には、帝国臣民の俺も苦笑い。
おまけにその5つにしても「材料的にどうにかなりそう」程度の感覚なので実際にやってみないことには作れるかどうかはわからない。
「前途多難」という言葉が頭に浮かび大きく溜息を吐く。
そんなことを繰り返していると時間は過ぎていく。
日も傾いてきたので夕食を調達しに行こうと本拠点から出たところで、不意に魚が食べたくなった。
(まあ、誰も来ないだろうし良いだろう)
きちんと周辺を警戒すれば良いだけの話なので問題が発生することはないはずだ。
そんな訳で川へ着くなり周囲に人の気配があるかどうかを確認……誰もいない。
早速魚を確保する。
二匹、三匹と次々と跳ね飛ばされた魚が川辺に落ちる。
それを狙う動物がたまにいるのだが……今日はいないようだ。
そんな具合に大小合わせて計12匹を確保。
川から上がって打ち上げられた魚を回収する。
持ってきた鉈で魚を処理し、川の水で洗ってからクーラーボックスの中の容器に移していく。
その時、何か違和感を感じた。
手を止め周囲を見渡すが何もおかしなことはない。
だが、何かがおかしい。
見える範囲におかしなものはない。
臭いも同様。
耳が捉える音の中にも不審な点は何処にもない。
(わからない……だが何かおかしいと何かが訴えている?)
俺は警戒態勢を取りつつ、魚の処理を中断して周囲を見渡す。
やはり何もない。
だが違和感は増すばかりである。
(これ、は……ここにいるのは拙い気がする)
一歩後ろに下がる。
クーラーボックスに手をかけ、この場から立ち去ろうとしたその次の瞬間――
「――――!」
突如対岸に杖を構えたエルフが現れた。
見た目40台のオバサンなので相当年を食ったエルフと見たが、先程までいなかった場所に突然現れたことに驚き反応が遅れた。
突き出された杖が光ったかと思えば、その光は俺を透過するように駆け抜ける。
俺は反射的に両腕を顔の前でクロスさせ防御に徹したが、何かが起こった様子がない。
恐る恐るガードする腕を下ろすと俺の視界にニヤニヤと笑うオバサンエルフが映る。
なるほど、どうやら死にたいようだ。
冗談で済ませられるのは子供と美人だけである。
「――!」
オバサンが叫ぶが当然お前は対象外。
一体どうやって隠れていたかは知らないが、こちらへの攻撃が不発に終わった以上は覚悟してもらう。
そう思って一歩踏み出そうとして――足が動かなかった。
どれだけ力を込めても動かない。
いや、それどころか指一本動かすことができなくなっている。
(金縛り!? 攻撃ではなく動きを封じる魔法か!)
「魔法というやつは何でもありか」と叫びたくなったが、声すら出せないとわかって非常に焦る。
何か無いかと周囲を見る。
だが目の動きさえ次第に自由が効かなくなっていく。
「――!」
頭の中にモヤがかかったかのように思考が覚束ない。
(待て、あのババアが何か喋る度、に……)
「――」
ニヤニヤと笑うババアが「こっちへ来い」と手で合図をする。
俺の足が意思に反して川へと向かう。
思考がままならない。
川を横断し、対岸に着くとそのままババアの前まで俺は進む。
「―――! ―――」
ババアが歓喜のあまり声を上げている。
どういうわけかそれだけははっきりとわかった。
(んなことはどうでも良いだろうが。何でババアなんだよ。そこは巨乳美人エルフだろうが)
薄れゆく意識の中、その部分だけはしっかりと抗議をする。
そこで俺の意識は途切れた。
これが俺の最後の記憶のはずなのだが、意識が戻るとエルフの集落にいた。
周囲はエルフに囲まれており、俺はただぼへーと突っ立っている。
(これは下手に動かないほうが良いな。というか体は動くのか?)
確かめてみたが動きそうなのはわかった。
目もちゃんと動くので見える範囲で現状の把握に務める……が、当然さっぱりわからない。
(何か魔法を使われてここまで連れてこられたのはわかるのだが……もしかしてあの8号さん助けたからそのお礼でもしようっての?)
それなら魔法なんて使うわけはないな、と即座に思い付きを否定する。
何か情報はないものかと必死に視界の情報を精査していると、あのババアが口を開く。
「やっとお出ましかい。随分と時間がかかったねぇ……」
「こちらにもこちらの都合がある。『来い』と呼ばれてすぐに来れるものか」
ババアの言葉に見えない範囲からやって来たと思われる成人のエルフが忌々しそうに返事をする。
(……あれ?)
「ほう『都合』! あの『森林の悪夢』を捕食する化物の事案よりも優先する都合!? 是非聞いてみたいもんだねぇ?」
厭らしく笑うババアだが、何を話しているのかを理解できる。
これはどうやらこいつの魔法のおかげで俺はエルフの言葉を理解できるようになったようだ。
(状況からそう推測する外ないが、まさかこんなことまでできるとは……魔法ってやつは本当に何でもありだな。帝国軍はこんな連中とやりあっていたとか尊敬に値する)
ともあれ、言語が理解できるようになったことは素直に喜ばしい。
ババア呼ばわりは訂正しよう。
もう少し特典を付けてくれるのであれば「お姉さん」と呼ぶのも吝かではないが、現状では親愛を込めて「小母さん」呼びくらいにはランクアップが限界だ。
「キリシア女史。あなたの研究意欲と熱意には頭が下がる。だが禁忌は禁忌だ」
「はっ、何が禁忌だ。私が研究を続けていなければ、この里がどうなっていたか言ってご覧。そいつはもう里の近くまで来ていた。あの『悪夢』を食らう化物だよ。そいつが里に入った時、どれだけの犠牲が想定されるか、言ってみろ!」
どうやらこの小母さんは禁忌とされるほどの強力、または邪悪な魔法で俺を無力化しているようだ。
しかしまさかここであのタコ型モンスター……「森林の悪夢」とか呼ばれているのを食ってしまったことが、予想以上に脅威と見られ、このような事件に発展するとは誰が予想できただろう。
何か違法な手段を用いてでも俺をどうにかしようとしたのは、ひとえに俺の脅威を正確に認識してのことなのだ。
というか俺が集落に近づいたのバレてたのか、何が原因だ?
「後で聞くことができるだろうか?」と言葉が理解できるようになった途端この危機感のなさには少し反省。
でも言葉が通じるのであればやりようは幾らでもある。
体の自由も取り戻せたようだが、下手に動くわけにはいかないので今は二人の会話から情報を得ることを優先しよう。
「言えないのかい? だったら私が言ってやろう。男は皆殺しにされ女子供は皆食われる。一度にあれだけ食える化物だ。食う部分の少ないエルフなら全員腹に収まるだろうさ」
何か凄い大食いみたいな言われ方してるけど、俺はフードファイターではない。
確かに体が大きい分食事量は多いかもしれないが、その言い方には悪意が含まれていると心のなかで抗議する。
幾ら禁忌の魔法とやらを使う方便であったとしてもそれは言いすぎである。
おまけに言葉がわかるようになった礼として多少の弁護はしてやるつもりだが、この言い方では印象が悪くなる。
「もう少し考えて発言してもらいたいものだ」と呆れていると男が口を開いた。
「だが、どの理由であれ禁忌と定められ、封じられた『支配』の魔法を復活させた挙げ句、それを行使したということは大きな問題だ!」
どうやら俺に使われた魔法は「支配」というらしい。
(そうか支配か……支配ね)
前言撤回、お前クソババアで十分だ。




