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本拠点に戻って荷解きを終えた俺は整理整頓に追われていた。
調味料を作るべく大量の本や器物を持ち帰ったは良いのだが、如何せん量が多かった。
そしてそれらは直ちに使用するようなものではないため、しばらくは何処かで保管しなくてはならない。
その場所を作るべく、地下施設の一室を整理整頓しているというわけである。
問題は俺が大きすぎるということだ。
人間サイズを想定して作られた施設故に、この巨体で利用するには不便が過ぎる。
結果、ただの整理整頓に予想以上の時間を費やすこととなる。
だが終わってしまえばその出来映えには満足の一言。
時間を使って考えながら配置をしたこともあり、倉庫となった部屋に入ることは叶わねど、全てが手の届く範囲に収まった。
本は全て本棚に収まり別の部屋に置かれており、秘密のデータディスクもまたここにひっそりと隠されている。
その内の一冊を手に取るとページを捲る。
「食べられる野草」という表題の本を読む。
カラーページが少々色褪せているが、植物の形や詳細な情報はまだ読み取れることができるので問題はないだろう。
ページを捲る音だけが聞こえる。
以前は本のページを捲るのも一苦労だったが、今では紙を傷付けることなく極普通に可能である。
ふと手が止まる。
本の内容が頭に入ってこない。
今、目の前の知識よりも別の事に気を取られている。
(気の所為、じゃないよなぁ)
それは違和感――あの日、意識を失い目覚めてからずっとあるものだが、最初はそれが毒物摂取による影響、もしくは精神的負荷に拠るものと深く考えていなかった。
だが万全とは言い難い体調であるにも関わらず、通常通りの動きができたことに加え、徐々に戻っていく感覚は幾分鋭敏なものへと変化していた。
それだけならばまだ好調、不調の範囲と言えなくもなかったが、心なしか身体能力が向上しているような気がする。
これが気の所為であるならば良かったのだが、先程からページを捲る指の動きが今までよりも精密に思えて仕方がない。
「これはもしや……」とある可能性が現実味を帯びてきたことで本の内容が頭に入ってこない。
(まさかあのタコの毒が思ったよりも強力でそれを乗り越えたことでパワーアップしたのか? 危機を乗り越える、死の淵からの脱出で劇的な能力向上を行う漫画を幾度も読んだが、よもやそのような展開が我が身に起こるとは……)
何というハイスペックなボディ――これは下手をすれば地上最強の生物どころか惑星最強の生物も目指せるのではなかろうか?
しかしこうなると帝国の技術力は一体どうなっていたのかと疑問に思う。
(我が祖国ながら恐ろしいもんだ。俺を実戦投入できていれば、最終兵器なんぞ使う必要はなかったかもしれないな)
あのエルフ兵士の体たらくを見てしまうとそのように考えてしまうのも無理はない。
それほどまでに帝国人には「エルフは非常に高い戦闘能力を持った種族である」という刷り込みがなされている。
俺の他にも遺伝子強化兵はいたようだが、もしかしたらそいつが何かやらかした所為で凍結になっていた可能性も考えられる。
何せあの蜘蛛男の猟奇的な嗜好は帝国軍人でなくても拒否反応を起こすレベルだ。
そんな奴が戦場で暴れまわったなど考えたくもない。
帝国の不名誉として歴史に名を残すような真似は許されないのだ。
つまり、俺としてはいつまでも任務に就かずダラダラとしているわけにはいかない。
(そう、俺はついにエルフの領土へと足を踏み入れる)
「川に来ないというならば、こちらから出向けばいいじゃない」という理論が脳内議会の過半数を獲得。
この結果には未だ納得できない部分はあれど、俺は危険を冒してでも監視任務を続行することに決まった。
最終的に決断が下されたのは「自ら志願した任務を途中で投げ出すとは何事か!」という脳内議員の一喝が決め手となった。
なお、彼の手には先日持ち帰った一軍がしっかりと握られており、開いていたページに映る女性は6号さんとよく似ていた。
体の一部のボリュームは残念ながら勝つことはできなかったが、それでもそのバランスの取れた肢体は満点を差し上げたい。
というわけでエルフの領内に侵入することが決定したわけだが、前述した通り危険が伴う任務である。
エルフの情けない姿を目撃し、俺がパワーアップしたとしても数的不利は変わりがない。
強力な魔法をほとんどの者が行使する以上、カナン王国と同じようにはいかないのは火を見るより明らか。
徹底した隠密行動でまずは敵情視察を行うことから始め、徐々に活動範囲を広めていくというのが俺の立てた計画である。
読んでいた本を一先ず本棚に戻し、晩飯のための獲物を獲りに行く。
基本的に監視任務の前段階として偵察を行わなくてはならず、夜間での行動が望ましい。
なので日中はここで本を読み、夜にすることは可能な限りこの間にやっておく。
(可能な限り……いや、姿を決して見せない。そうすることでエルフの警戒心を緩めるのだ)
狩りに行く前にこっそりと川を見に行ってみたが、やはり誰もいなかった。
川沿いに移動もしてみたが誰かが来た形跡はなく、こちら側に来たようなこともなさそうである。
なので大人しく狩りへと戻り、モンスターを適当にぶちのめしつつ猪を仕留める。
持ち帰って処理だけ済ませるとクーラーボックスの容器に仕舞い、後片付けと手洗いをして再び読書のお時間となる。
(食べられる野草、山菜にきのこの本は良いね。食材が増えればそれだけレパートリーが増える。明日は本を持って森の中を探してみるのも良いかもしれない)
拠点の周囲に食材があるならば定期的な採取ができる。
他にも幾つかポイントを抑えておけば、今後の食生活は豊かになるだろう。
問題があるとすれば、俺はきのこや山菜はあまり好きではないということだ。
流石に好き嫌いを通すつもりはないので食材の確保を優先する。
この姿になって味覚が変化していることを期待する。
座って、時に寝そべって本を読んでいると時間はあっという間過ぎてしまう。
「楽しい時間は過ぎるのが早いもんだな」と重なった本を本棚に戻す。
なお、エロ本の収納場所はそこではないのでちゃんとそちらにも持っていく。
日が暮れてきたので少し早いが夕食にする。
貰ってきた野菜も着実に少なくなってきており、香辛料を含めていずれまた確保をしに行くことになるだろう。
食後の後片付けも手早く済ませ、いざ出陣。
川に着くまでには辺りは暗く静まり返っていることだろう。
予想通りと言うべきか、川は暗闇に飲まれ水の音がその場を支配している。
(……聴覚、嗅覚に反応なし。エルフは周囲にいない)
水の中に潜んでいるということでもない限り見逃しはないだろう。
俺はゆっくりと川を渡り、擬態能力を使用する。
(暗い森で能力使用というこの隠密力。破れるものなら破ってみろ……って8号さんがいるな)
自信満々に啖呵を切ったが、目の見えない聴覚に優れる彼女がいる以上、行動には慎重さが要求される。
「思ったよりも難易度が高いかもしれない」と少し尻込みしてしまうが、ここで行かねば男が廃る。
俺は一歩踏み出し、川の先の森へと入っていく。
ここで一つ気になることがあった。
どうやら川を挟んで生態系が少し変わるらしく、仮拠点周辺では見ない植物がチラホラ見受けられる。
中には昼に読んだ「食べられる野草」に載っていたものもあった。
(おっと、目的を忘れるところだった)
思わぬ発見に意識がそちらに行ってしまった。
なるべく音を立てないように進んでいるが、流石にこの巨体でそれは難しい。
可能な限り木の枝を折らないよう気を付けて歩く。
エルフのことだから折れた木の枝で「何が通った」とか判別してそうだ。
「森の人」というイメージが強い故の勝手な推測である。
さて、恐らく順調に進んでいるようだが、変化が全く無いというのも困りもの。
何かを見つけるために偵察をしているのだから、何か成果が欲しくなるのは当然。
なので少々危険かもしれないが、以前の調査で集落の位置と予想した場所へと向かう。
結果は微妙にハズレ――予想よりもう少し先だった。
青白く光る球体が幾つもある大きな木を利用した人工物があることから、それがエルフの住居であると推測。
奥には普通の木造建築物が存在していたが、一体どちらで寝泊まりしているのだろうか?
ともあれ遠くから様子を窺うが、僅かに聞こえる声は何を喋っているのかわからないので判断材料にはならない。
仮に聞こえていたとしてもエルフ語はわからないので意味はない。
外にいるのは警備兵と思しき少数の武装したエルフのみであることから、現状あまり警戒はしていないようにも思える。
(この程度で十分と思っている可能性もないわけじゃないが……情報としては価値はある。長居をすれば見つかる恐れがあるから集落はこれくらいにしておこう。夜間の外出は少ないのがわかったことだし……今後も活動は夜で決まりだな)
一度の偵察で多くの情報を得ることができたが、今俺が最も欲しいのは地理情報。
集落の位置なども把握に務めるが、水場が何処にあるかなどは知っておきたい。
というわけでそろそろ擬態能力も時間だろうしこの場を離れる。
巡回するようなエルフは今の所見ていないが、いた場合を想定すると集落の近くで姿を晒せば警戒を強めることになる。
俺は静かに移動を開始。
川に着いたところで擬態を解除する。
どうやら使用時間が伸びているのか、擬態したまま戻ってくることができた。
予想ではもっと手前で解除されると思っていたが、どうやら俺のパワーアップは能力にも適用されているのかもしれない。
しばらく待機して回復を待った後、場所を変えてもう一度森に入るとしよう。
少しずつでもエルフ領内の情報を暴いて行く。
小さな積み重ねとなるが、それはやがて実を結び、必ずや俺に恩恵を与えてくれるだろう。




