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HDDってこんな音も出せるんだな……急いでデータを退避。
またしても見渡す限り緑、緑、緑……緑しかないこの景色に俺は黙って頭を抱える。
地形の凹凸こそあれ、人工物は勿論のことながら「自分が今どの辺りにいるか?」の指標にすらならない光景には目眩すら覚える。
辺りを見渡せばここよりも高い位置にある場所はあるにはあり、ここと同程度ならばそれなりに点在している。
だが目に見える範囲で最も高いのは、最早「そびえ立つ一本糞」としか形容できない足場もなさそうな突起物。
言い方は汚いが、そんな棒みたいな岩肌がにょっきりと森から生えている。
(こんなオブジェクトが存在する地域なんて知らないぞ)
可能性として戦争の結果、あのようなものが発生したというケースも考えられるが、流石に俺の記憶からでは該当するものがない。
取り敢えずここが「俺の知識にはない土地であることくらいはわかった」くらいのことは負け惜しみでも言っておく。
残念なことに俺にはロッククライミングの経験もなければ、知識や技術も持ち合わせていない。
そもそもこの巨体である。
増えすぎてしまった体重を支えるだけの腕力はあると思うが、掴んだ場所が崩れる可能性は十分に考えられる。
今は無理をするより安定した行動という方針だ。
というわけで川でもないかと目を凝らして緑一色の大地を見渡しているのだが……見当たらない。
ちなみに研究施設はギリギリ見つけることができた。
緑に侵食されすぎて外壁が一部どうにか見えるくらいで、この距離では注意して見なければそこに人工物があるなどとはとてもではないが気が付かない。
そうやって注視し続けていて一つ発見があった。
同じ場所を注意深くじっと見ていると、まるで望遠鏡の倍率を変えるように視野が狭まり遠くのものがよく見えるようになったのだ。
それを何度か繰り返すことで見事に感覚を掴むことに成功。
程なくして俺はほぼ自由自在にこの機能を使うことが可能となった。
色々試したところ、遠くのものを見るだけでなく、近くのものをより詳細に見ることもできた。
要するに「ズーム機能」である。
何をどうしたらこんな能力が備わるのかさっぱり不明だが、あって困るものでもないので素直に受け入れる。
ますます人間離れしていく我が肉体……まあ、既に見た目がかけ離れすぎているので今更ではある。
さて、折角手に入れた――というより発見した能力を使って川はないとしても水場を探す。
この場所から自分の現在位置を探り当てるのは諦めた。
今はまだ太陽がほぼ真上に位置しているので、日が傾き次第方角を決めて移動することにして今は生きるために必要な水を探すことを優先する。
そんなわけで新たに体得したこの望遠能力を確認がてら、このどこまでも広がっていそうな森を高所から見下ろしていたところ、自然物とは思えない色合いが目に映った。
そこを限界まで拡大したところ、緑に覆われていながらも見える「白っぽい布地に赤のライン」という明らかに人工物にしか見えない物を発見。
ここからではそれが何なのかは判別できないが、確認しに行く価値はあるだろう。
幸い、というべきか研究施設とは反対の方角であるため、その関係性はそこまで高くはない。
ならば汚染の心配も薄れる上、場合によっては何か良い物が手に入るかもしれない。
早速崖を降り見つけた人工物の下へとのっしのっしと移動する。
流石に距離があってすぐには着かなかったが、道中何事もなく日が少し傾く頃には到着できた。
それに近づけば近づくほど、俺は遠くから発見したそれが何であるかわかってくる。
手を伸ばせば触れることができるほどの距離まで近づき、森の中に落ちたそれを見上げその姿を見て確信する。
バカでかい丈夫な布地のようなものと、割れたガラスの先から見える「操縦席」とでも言わんばかりのもの――
(飛行船かよ)
どうやら人類はまだ空を諦めていなかったようだ。
怪鳥に竜……仮にそれらを除いたとしても空を飛ぶモンスターは無数に存在し、その脅威から逃れるには至らない。
そんな中、落ちれば死ぬような人類が空に浮かべばどうなるかなどわかりきった話である。
(それでも、諦められない理由があるってのはわかるんだがな)
「空を制する」――この意味がわからない馬鹿はこの世界にはいないだろう。
軍事に流通、その利用価値は計り知れない。
一体どれだけの富を生み出すかなぞ想像もつかないだろうし、革命だって起きることは間違いない。
だが、それができた試しはない。
「やるだけ無駄」と誰しもが諦めていたはずなのにまだ挑戦する者が今の世にはいるようだ。
(となれば、こいつがいつ頃の物なのかが気になる。墜落して燃えていないということは魔法技術が主軸か? となると東か北か……)
どこが作った物なのかわかれば見えてくる情報もあるだろうが、パッと見では情報はなし。
これが墜落した時期が特定できたのなら手に入る情報は多く、何より積み荷である保存食が残っているのであればまだ食える可能性もある。
まさにこの飛行船の残骸は可能性に満ちていると言って良い。
少しばかり自分の運の良さに驚きはしたが、そもそもこんな姿になってしまっているのだからどこかで埋め合わせてくれなければそうそうに余生をリタイアしそうだ。
そんなわけで早速調査を開始したわけだが……一言で言えば探し甲斐がなかった。
操縦室の他にあったのは座席以外ない小部屋と小さな小さな貨物室。
こちらが大きいのもあるが、中に入って探すことなど不可能なので壁や扉を引き裂いたのだが体を滑り込ませるので精一杯である。
仕方なしに外側から探っていたところ、出てくる出てくる白骨死体。
原型を留めていないものを含めて恐らく合計4人分の骨が見つかった。
一部齧られている部位があったことから何があったかはあまり想像したくない。
残った衣服からどの国のものか判断がつくかとも思ったが、200年もあれば当然の如くデザインが一新されており何の判断材料にもならない。
ともあれ、この墜落した飛行船での収穫は主に二つ。
一つはこの缶の中に入った非常食。
帝国産の缶詰ほど信用があるわけではないが、まさか無事なものがそこそこの数手に入るとは思わなかった。
次に情報――俺としてはこちらの方が非常にありがたい。
何せ、この飛行船は1867年に落ちたものらしい。
つまり200年経過が確定し、施設で知り得た年代からこの飛行船は5年前に墜落したものであると思われる。
これは船員の日誌がまだ読める状態で鞄の中に入っており、それがカナン王国語であったことから多少読むことができたため得られた情報だ。
カナン王国は帝国の北に位置する魔法と科学を両立させた王政国家であり、最初に帝国と戦端を開いた国家である。
俺が学校に通う年齢の頃には既に戦争をしており「敵性言語を習うとはけしからん」などという教師もいた。
それを表立って言われた時は「それだと諜報員とか育てるの苦労しません?」という風にやんわりと返したところ、いつの間にか「スパイ志望」に置き換えられて大変苦労する羽目になった。
そもそも諜報員のような忍耐を必要とする職業は俺には向いておらず、こうしてページを捲るのが地味にしんどいので途中で何度か投げ出したくなるような奴がなれるものでない。
それにしても第一外来語にカナン王国語を選択していたことがまさかこんなところで役に立つとは……何が起こるかわからないものである。
わかっていたならもう少し真面目に勉強していた。
「200年のブランクがあるんだから読めない部分が多いのは仕方がない」と大体2日前に目を覚ました年金暮らしのはずの元帝国兵は自分に言い訳をする。
取り敢えず日誌からわかったことと言えば、この飛行船は試験として飛ばされたものらしく、案の定というか飛行生物の襲撃に遭い墜落した模様。
俺の目が覚めていた時代でもお約束な出来事ではあるが、いざそれを目の当たりにすると笑えない。
ちなみに日誌はほとんどが役に立たない情報で、わかる範囲ではひたすら上司に対する恨み言が書き綴られていた。
読めない部分を補完しつつ意訳するとこんな感じだ。
「ふざけるな、俺が希望したのは空飛ぶ棺桶の乗員でもなければ実験台でも探検家でもない。俺は、確かに『最新鋭魔動機のテスター』を志望した。これのどこが『最新鋭魔導機』だ? どう見ても百年前にもあったガラクタだろうが。○○○(翻訳できず、恐らく人名)よ、お前さんはきちんと栄養を脳にまわしているか? 毛のない頭に幾ら栄養を送ろうが無駄なんだよ、脳みそに送れ。あと口がくっせ、歯磨け」
ここから先は全部罵詈雑言なので割愛するが、二日目も似たようなものとなっている。
「おいおいおいおい、飛ぶのはいいがずっとこの速度で、か? てっきりどんどん速度上げていくものだと思ってた。これじゃフライニードルの格好の的だろうが。ああ、あの無駄に目立つ赤い模様は得点計算の為か? おう、冗談で言ってると思ってるのか? 俺は自殺志願者じゃねーんだ、今すぐ引き返して降ろしてくれ」
ちなみに「フライニードル」は別名で正式名称は「カタルンヤ」と言い、見た目は体長50cmほどの細長い羽の生えた魚。
「飛杭魚」の名前の方が有名で、鉄板も余裕でぶち抜く硬く鋭く尖った口が時速120kmで飛行物目掛けて飛んでくる。
ぶっちゃけ、今の俺でも耐えられる自信がない危険極まりないモンスターである。
「クソが。昨日は日誌を見られてぶん殴られた。ふざけるな、やっぱり俺が言った通りに襲撃されて飛行継続不可能とか言ってんじゃねーか。『このままだと後3時間保たない?』そう、関係ないね。もう俺しーらね。さっさと落ちろ、俺だけでも絶対逃げ出してやるからな」
どうやら飛行船は3日程で落ちたらしく、乗員の忠誠度も低いことからその結果は「お察し下さい」と言ったところだろうか?
一見すると役に立たない情報だが、無事な保存食が多いのは手つかずだったものが多かったのが理由だと推測できた。
問題は中身だが、カナン王国の技術力なら5年くらいは保つ……と思いたい、というか保って欲しい。
帝国産と違い缶に蓋をするタイプのものなので魔法的な技術の介入がなければ正直怖くもあるが、開けてみないことにはわからない。
俺は人間の拳大ほどのサイズの缶を一つ摘み上げるとじっくりとそれを見る。
記憶が確かならば開封のための専用の道具があったと思うが、そんな物は今の俺には必要ない。
つまりは力任せ――缶ごときが今の俺の腕力に耐えられるはずもなくあっさりと粉砕され、中から出てきたのはカチカチのパン。
要するに定番の乾パンだ。
カビの有無を確認し、ないことがわかると爪を使って引っ張り出しそれをポリポリと食らう。
「ないよりマシ」
そんな言葉が鮮明に脳裏に浮かぶ。
(栄養考えてドライフルーツか何か入れることはできなかったのだろうか)
数はあるのだが、如何せんこの体型――1日は確実だが、2日分となると少々怪しく思える。
まあ、この量では先延ばしが精々といったところである。
半分以上が破損していればこんなものだろう。
加えてこの水分が飛んだカチカチ感では、喉が乾いたわけでもなく水が欲しくなる。
やはり水源の発見は必須である。
リュックサックに入るだけ保存食を詰め込み、比較的状態の良い木箱に残りを詰め込みそれを片手で持つ。
軽く歩いてみて「大丈夫そうだ」と判断した俺は墜落した飛行艇を跡にする。
収穫がないわけではなかったが「もうちょっと何かあってもよいんじゃあないかな?」とガオガオ呟く。
走った場合の振動で分解しないか怖かったが、幸いなことに木箱は壊れることなく俺に運ばれている。
荷物は増えたがこの程度なら今の俺には問題ない。
(飛行船……それもあまり速度が出ていないもので3日の距離。カナン国境からそこまで離れていないとなると……東に向かってみるか)
現在のカナン王国の領土がどのようになっているかはわからないが、地理的に東に向かうことで「グラッシェル」という街かそこに繋がる線路が見つかるはずである。
まだ街があるかどうかは不明だが、都市の跡地でも見つかれば戦争がどのような形で終えたのかくらいは想像ができるようになる。
太陽の位置から方角はもう把握できている。
(まずは東――そこから先は臨機応変に、だな)
こうしてリュック片手に木箱を抱え、体を慣らすように色々と試行錯誤しながら東へと向かう。
両手が塞がっているという状態は思いの外この体には都合が悪いらしく、しっかりとバランスを取る必要があったが、訓練と思えばどうということはない。
曲がりなりにもこっちは軍人。
新兵と言えど、軍事訓練にはしっかりと参加していた身なので「この程度のことで音を上げるなどありえない」と疲れ知らずの上がりまくった身体スペックで曰う。
もっとも、訓練を受けていた期間はものすごく短いので本来のものを知っているわけではない。
それで新兵と名乗れる辺りを帝国の余裕のなさと取るか、それとも訓練時間を短縮できる兵装を持つ強大さと解釈するかで、現代の歴史家が言い争っているならば終止符を打ってやりたいところだ。
「がおがお」としか喋ることができない俺に何かできるはずもないが、こういうのは想像して楽しむものである。
何せ「自分がモンスター化して200年後の世界で目覚める」など非常の極み。
どうにかして楽しみでも見出だせなければやっていられない状況だ。
そんなこんなで日も傾き、もうじき夕方になろうという時、俺の嗅覚が何かを捉えた。
そう、臭うのだ。
もっと言えば、ぶっちゃけ臭い。
俺は自分の嗅覚を信じ、誘導されるようにフラフラとその先へと歩いていく。
すると予期していないものが視界に入った。
「え? 何で川が見つかんの?」という疑問が聞き慣れた「がっがっ」という声で出た。




