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脱線すると戻すのに手間がかかる。
結局一晩寝ながら考えた結果、まずは生活環境と食の改善を優先することに決まった。
「娯楽は余裕ができた時に充実させるべきである」という脳内議員の意見が通った形だ。
食事を毎回不満に思うような状況をまずは改善。
その後にこの本拠点の充実と他拠点へ物資を移し、各所での快適な環境をまずは作成することを今後の目標とする。
早朝――俺は起き上がると朝食のために狩りを行う。
解体して肉を焼き、一部を容器に保存して煮沸した水を十分に用意する。
焼いた肉を齧りながら地下に降り、出かける準備を整える。
最後に荷物をチェックして、リュックを背負うと地上へと出る。
念の為に地下への昇降機の扉を閉じておく。
戸締まりは大事である。
さて、今回の目的地は前回商隊を襲った街道である。
あの位置で流通している物資の把握は、今後の活動にも恐らく役に立つ。
必要な物がそこで手に入るなら良し、そうではないなら別の場所に行けば良い。
何処に何が流れているかがある程度わかっているならば、その情報を元に範囲を絞るくらいはできるだろう。
最近では森の中を走るのも随分と上手くなったものだと、自画自賛しながら黙々と走る。
実際、この環境がこの体への慣れを促進したと言っても過言ではない。
正直なところ、この巨体で木々の合間を縫うように走り抜けるというのは至難の業だ。
それを当たり前のようにこなせる技量は称賛に値すると思う。
通勤ラッシュの会社員が人混みの中を誰ともぶつかることなく歩き続けるのとは難易度が違う。
昼を少し過ぎた辺りで小休憩を取る。
荷物をチェックし、容器に問題がないかを確認。
問題がないことがわかると軽く水を飲むと周囲を見渡す。
視界に映るものに異常はないか?
聴覚、嗅覚で異変は感知できないか?
(……問題はないな)
しばらくそうして周囲に気を配ってみたが、何も起こる気配はない。
短い時間だが十分な休息を取れたので移動を再開する。
それからほどなくして、生えている木の種類に変化が現れる。
恐らく国境を超えた辺りにいるのではないだろうか?
このまま森林が続くというのであれば、進行方向が狙った通りであることを意味する。
太陽以外に方角を知る術がないようなこのだだっ広い森で、この方向感覚は中々にできるものではない。
多分次はできないだろう。
(あ、方位磁石とかあっても良いな。この場合文房具屋か? それとも子供の玩具売り場?)
実物なんて見たことがないので、何処を探せば良いのかわからない。
まあ、次にショッピングモールに立ち寄った時にでも探しておけば良いだろう。
そんなことを考えながら走っていると森を抜けた。
目の前にも森があり、ここがあの町とグレンダの街を結ぶ街道だとわかった。
既に日は落ち始めており森の中は十分に暗い。
休憩を兼ねて、少し周囲を見て回ってみるが……何もなし。
まあ、そう頻繁に人と遭遇するようなことはないので、そんなものだ。
街道ということもあって、流石にゴブリン程度は排除しているし、人を襲うような魔獣もそれなりに間引きができているはずなので何も起こらない。
「つまらんなぁ」と鼻を鳴らし、目的へ向け再び走る。
ちなみに俺は森の中でも平気で自家用車並の速度で走っている。
仮に木にぶつかったところで怪我などしないし、むしろ細いものなら倒れたりする。
障害物のない平地ならば時速100キロくらいなら余裕で出せるはずだ。
帝国は何を想定してこんなスペックのモンスターを生み出したのだろうか?
(もしかしたら戦争用ではなくて対ドラゴンでも見越してのものだったのかねぇ……)
戦争でデータを取ってそれを元に新たな運用をする――つまり俺は試作型。
このあと量産型の生産に着手するわけだ。
(ヤバい。「試作型」という響きにちょっと燃えてきた)
その矢先「それはロボットものだ」と冷静になる。
(でも、ちょっとありそうなんだよねぇ)
俺以外にも蜘蛛男がいた。
他にいないとも限らない。
同型機の対決とか男の子の夢だから妄想が膨らむ。
さて、一頻り妄想を楽しんだところで辺りは真っ暗。
完全な暗闇となったところで俺は速度を落とすことなく走り続ける。
山を登ったところで真東に方向転換。
このまま行けば平地に出るので、そこからさらに東の森に今回は潜んでみるとしよう。
暗いうちに移動を済ませれば誰かに見つかる心配もない。
山を降り、平地へと出て方角を少し調整しつつ東へ向かうと、視界に入った森林へとドスドスと歩いていく。
流石に休憩を少し挟んだとは言え、ほぼ一日走り通しだったので気分的に疲れている。
体はそんなに疲労を感じていないのだから本当に肉体スペックがおかしい。
取り敢えず森の奥に移動して拠点となりそうな場所を探す。
野生の熊が唸り声を上げていたので「近所迷惑だ」と尻尾で叩いて注意する。
逃げる熊を追うことなく森の中を進むと、倒木があったので腰掛ける。
なんとなく座ってみたのはいいものの、正直座り心地はかなり悪い。
加えてこの辺りの木はあまり高くないので、姿勢が悪くなってしまうのは減点だ。
もう少し奥に行ってみようかと動いたところである音を拾う。
(熊が逃げた方角にこの音がするということは……)
急ぎ足でそちらに向かうと、そこには予想通り小さな川があった。
小さすぎて川と呼ぶべきか悩むが、流れているなら「川」で良いだろう。
ちなみに幅は俺の腕より短い。
試しに口にしてみたが、冷たくて美味い水なので問題はなさそうだ。
(水の補給が容易なのは良いことだ。この辺りに拠点となりそうな場所を探そう)
夜が明けるにはまだまだ時間がある。
十分に探索の時間が取れるのだが……ないものはない。
結局周囲を探し回っては見たものの、適した場所は見当たらず、ほぼ夜通しで歩き回って収穫はなし。
「こういうこともあるだろう」と出発前に焼いた肉を齧りながら座れそうな岩の上に腰掛ける。
肉を食べながら周囲の植物を観察していると、急に野菜が食べたくなった。
思えば、肉と魚ばかり食べている。
血も飲むなら大丈夫とかいう話を何処かで聞いた気がするが、この体の栄養状態は大丈夫なのだろうかと心配になってきた。
(野菜が欲しいなら農村と都市を結ぶ街道に網を張るべきか?)
香辛料を狙うついでに手に入る可能性もあるので、移動はまだしなくても良いだろう。
持ってきた肉を全て食べ終えた頃、夜が明けてきたので腹ごなしの運動を兼ねて狩りをする。
兎が獲れたので血抜きをして解体。
食べる部位だけ残して後は地面に埋めておく。
やはりスコップは文明の利器である。
もっと大きな物があればよいのだが、贅沢を言ってはキリがない。
塩を振って肉を焼き、腹に入れる。
追加で食べるには丁度良い大きさだった。
小指の爪を楊枝代わりにしていると、伸びてきている気がした。
なので魔剣を手に取ると爪切りの代わりはできないものかと試してみる。
結果は失敗。
爪は上手く切れず、指を少し切ってしまった。
僅かではあるが血が出たので反射的に指を咥えてしまったが、出血はすぐに止まり傷は塞がっているようにも見えた。
なんとなく察していたが、回復力もおかしいようだ。
そんなことをしながら時間を潰しているとすっかり朝である。
俺は森から街道を見ながら南下を開始。
獲物を探してコソコソと動いていると、遠くに止まっている馬車が見えた。
(全部で3台か……護衛らしき人物が一人しか見当たらないが、何かあったのかね?)
見れば見るほど不自然に思える商隊を観察していると、どうも立ち往生でもしているのか動く気配がない。
護衛の数が極端に少ない理由と何か関係があるのかもしれないが、動かないではなく「動けない」ならば格好の獲物である。
こちらが早期に発見されても逃げられる心配がないので、姿を現したまま接近することができる。
(それじゃま、あの三台をまずは見てみることにしようかね)
俺は荷物を下ろし、適当に枝を折って隠すように上に被せると、朝っぱらから堂々と姿を晒して立ち止まっている馬車へと向かう。
ある程度近づいたところで一人が大声を上げると全員が一つの馬車に乗って逃げ出した。
どうやら動く馬車が一台あったらしく、脇目も振らずに走っていく。
呆れるほど清々しい逃げっぷりである。
そう感心した瞬間――何かが聞こえた気がした。
何も聞こえていないはずなのだが、何故だかそう感じた。
(取り敢えず、馬車の中身を確認するか)
繋がれたままの馬は気の毒だが、食べたりはしないので大人しく待ってて欲しい。
そんなわけで馬車に近づき物色開始――したのは良いのだが、あるのは妙な薬品臭のする干し肉。
(こーれーは、見事に食いついてしまったか?)
俺がそう思いながらも他の荷物を探していると、今度は確かに聞こえた。
先ほどとは別のものではあるが、今もはっきりと聞こえている。
(予想よりも随分早いなー)
感心半分に面倒くささ半分と言ったところだろうか?
時間はあるので俺はもう一台の馬車も見る。
やはりというか、こちらにも薬品の臭いがする干し肉。
俺は大きく息を吐くと、立ち上がって背を伸ばし音が聞こえる方角を見る。
(数は……今見えてる範囲で300くらいか? なら500以上はいるだろうな)
先頭を走るのは数名の重装騎兵。
遅れまいと付いていく歩兵と傭兵――少数とは言え、カナン王国軍のお出ましである。
さあ、面倒くさいことになってまいりました。




