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森を歩く足取りは重いと感じるわけではないが、やるべきことをやったと思っていても不安が残り、二足歩行であることを加味しても少し遅い。
少なくとも必須とされる新たな精霊剣の使い手は確認できた。
賢人たちが俺の頼みを聞いてくれた結果である。
協力する気が微塵もなかった彼を押し留め、俺が一人で少佐に当たることができる状況を整えてくれた爺様たちに感謝する。
もう片方の六号さんとの交渉結果はそもそも気配が掴めないのでどうなってるのかわからない。
その能力を見込んだのは自分なわけだが「俺が探知できないイコール少佐に発見されない」の図式が成立する前提の作戦なのでどうしても不安が残ってしまう。
一人エルフの里を離れ「何でもいいから使えそうな武器を」と頼み込んで手にした人間用の大剣が頼もしく感じるはずもなく、正に「ないよりマシ」という表現がピタリと当て嵌まる。
持ち手を布で巻いて持ちやすくしたが、それでも片手用の武器としてみても頼りない。
これが巨大なメイスとかだったならまだ使いようがあったのだが……ないものねだりをしても仕方ない。
俺は溜息を一つ溢すと森を歩き続ける。
もう少し歩けば川が見えてくるだろう。
川を渡れば待機しているであろう少佐に恐らく見つかる。
少佐と定めたタイムリミットは夜明け。
猶予はあまりないが、余裕を持って間に合わせることはできる。
そんな時、不意に足が止まった。
「本当にこれ以外に手段はないのか?」と自問してしまう自分がいる。
だが俺は頭を振って雑念を消して歩き出した瞬間――俺の足は再び止まることになった。
幻覚だとはわかってる。
目の前にはよく見知った顔の最後に見た記憶のままの男。
腕を組み、木に背を預ける不機嫌そうな人の姿をしている自分がこちらを睨みつけている。
何か言っているが声は聞こえない。
だが何を言われているかははっきりとわかった。
「死ぬぞ?」
言われなくてもわかってる。
だが守れる。
何もしなかった、何もできなかった凡骨に過ぎなかったこの俺が、ようやくたった一つを成せるのだ。
家族が残したものを守ることができる。
あの日、心に決めたことを今度こそやり通す。
偶然ではない俺の選択で繋ぐのだ。
「だからこれでいい」と視線から逃れるように顔を伏せる。
本来ならこの命はとうにないものだ。
運良く生き残り、ここまで生き足掻いた。
十分生きたとは言えないが、自分がなすべきことが見つかったのだ。
ならば、やるべきことはただ一つ。
ただそれをするだけだ。
そもそも俺がここで生き延びてその後どうするつもりなのか?
今回の件でエルフとの共存は無理だとわかった。
結局、俺は元人間であっても「帝国人」という枠組みの中にいたということだ。
「「俺が生きる場所など何処にもない」」
重なる声に伏せていた顔を上げる。
幻覚はもう見えない。
ただ誰かが横を通りすぎ、軽く腕を叩かれた気がして振り返るがそこには誰もいない。
「……行こう」
迷わないともう決めた。
だから後は――この命を使うだけだ。
川を超えたところで複数の気配を感じた。
どうやら森から出たことでフォルシュナの隠密部隊を感知できたようだ。
これならば俺がしくじらなければ目的を達成できる。
少佐を探しながら前へと進む。
森は暗くとも周囲がちゃんと認識できるこの体の便利さに感謝しつつ、大剣を握る手が無意識に力んでしまう。
そのまま歩き続けたところで前方に気配を感じた。
まだ距離はあるが暗い森の中に立つ大きな影を見つける。
そちらに向かって俺は歩く。
「どういうつもりだ?」
近づきつつある俺に少佐が問う。
「申し訳ありません。自分は少佐と道を同じくすることはできません」
「どういうことかと聞いている」
手に武器を下げたまま、近づく俺を気にすることなく少佐は問い続ける。
「長耳どもに何かされたか?」
「いいえ、自分の意思です」
「……理由は?」
「ネメシスコード」
溜息を吐いた少佐が顔を伏せこめかみを押さえる。
「私がまだ知らないことがあるのだな?」
顔を上げ、状況を把握しつつある少佐が暗い森の中で歩きながら黙って頷く俺を視認し、また一つ溜息を吐いた。
「何故話さなかった?」
「それを含めて今からお話しします」
十分に近づいたので俺は立ち止まる。
周囲に潜む者はいるはずだが彼らはフォルシュナの氏族。
ならば後のことは彼女がどうにかしてくれる。
それを信じて俺は語る。
「ネメシスコードが制御不能となった被験者を自壊させるためのものだというのは表向きの理由です。本来の用途は遺伝子改造で生み出され、モンスターの姿となった者たちを殺し合わせるものです」
「意図が読めんな」と顎に手をやる少佐が疑問を口にする。
それに答えるように俺は頷き回答する。
「遺伝子改造技術は元々は医療用でした。軍事利用に反対し、研究から遠ざけられたゼータ博士が復讐のために仕組んだものではないかと思われます」
「非効率が過ぎる」
「かもしれません。問題はその過程にあります。埋め込まれたネメシスコードは被験者の理性を喪失させ、いずれは見たままのモンスターと成り果てます」
少佐のこちらを見る眼が厳しいものとなった気がした。
何も言わず続きを促すように少佐はこちらを睨みつけている。
恐らくは想像できたのだろう。
自分がモンスターとなった場合の被害と俺が辿った道、その両方を頭の中で思い描いてしまったが故に何も言うことができないのかもしれない。
「自覚症状が出るには時間がかかりますが、半年前に目覚めた私はいつ理性を失いただ暴れるだけのモンスターになるかわかりません。突然スイッチが切り替わるように意識が途絶え、気づけば殺戮が行われた場で血に塗れた手を眺めていました」
そして次に意識が途絶えた時、戻ることがあるかどうかわからない不安に苛まれていることも明かす。
流石にまだそれは早いとわかっているが、そんな不安を抱えているのは事実なので嘘は言っていない。
「そして、これはあなたにも起こり得る現象です」
「……問題の解決策は?」
「ネメシスコードを持つ被験者を三人殺し、コードを奪うことです」
少佐の反応は思ったよりも薄かった。
俺が前に立ち塞がっていることで敵対せざるを得ない理由を考えていたからなのだろう。
必要なのは殺すことではなく食らうことだが、全てを開示して目的を達成できない結末は回避したい。
「ネメシスコードは段階的に情報を開示します。しかし一人目ではそれらは秘匿され、二人目で全て明かされます。そして三人目でネメシスコードの解除法を知ることになると予想しています」
「私が三人目というわけか。なるほど、貴様が生き残るためには私を殺す必要がある。つまり私と敵対するのは必然だったのだな。しかし、だ」
「何故勝てると思った?」と戦闘態勢に入った少佐を前に俺は気圧される。
だがそれでも俺は一歩前へと踏み出す。
「勝てる勝てないではなく、そうする外ないのです」
目的をすり替え、あくまでも個人の事情とした上で本気の少佐と戦う。
疑問を持たれてはいけない。
何がきっかけで瓦解するかもわからない拙い計画。
俺程度が思いついたものを隠し通すのだから、でき得ることを全てやってなお足りない可能性を考慮しなくてはならない。
「残る被験者は我々のみです。私はモンスターとなることを回避し生き残るか、少佐が理性を失い世界にその爪痕を残すか、です」
「それを鵜呑みにする理由もないな」
「当然です。だから、こうするしかない」
俺は苦笑し、手にした大剣を少佐に突き付ける。
理解できない、と言わんばかりに頭を振った少佐が歩き出す。
(わかってるさ、勝ち目なんざないことくらい)
能力も技能も経験さえも敵わない。
無警戒に近づく少佐は恐らく俺との戦力差を正確に理解しているのだろう。
俺が動いてからでも間に合う――敵とすら見做されていないことに絶望するが、それで引くなら俺は今ここに立っていない。
間合いに入ると同時に右足と大剣を握る右手を引く。
武器というリーチを最大限活かす全力の一突きは、一歩大きく前に踏み込んだ少佐の拳に粉砕された。
砕かれた鉄の破片が舞う中、更に踏み込んで放たれた拳が俺の顔面に迫る。
直撃の瞬間に後ろに飛び退くも間に合わず、俺は殴り飛ばされて地面を転がり木にぶつかったことで止まった。
わかっていたことだが一撃が重い。
壊れた大剣を投げ捨て、僅かに歪む視界を意識の外へと追いやり構える。
悠然と近づく少佐を待ち構え、間合いに入ると同時に仕掛けるもその全てが後出しの一撃によって粉砕された。
手頃な石を拾っては投げつけるが効果はなく、大岩を持ち上げればがら空きになった腹に拳が突き刺さる。
質量武器ならば効果が見込めたかもしれないのはわかったが、これではどうしようもない。
吐瀉物を撒き散らかしながら無様に転げ回って距離を取り、詰め寄る少佐に立ち上がり様に土をぶつける。
目潰しのつもりだったが、目を閉じた少佐に効果はなく、その爪先が俺の腹を再び抉った。
「ゲハッ」という潰れたような声が漏れるが、持ち上がった俺の体から伸びた尻尾が少佐の軸足に巻き付く。
しかし少佐の体は微動だにせず、戻した足で伸びた尻尾を踏みつけられた。
トカゲの尻尾切りでも発動したのか、踏まれた尻尾が千切れたことで俺は再び自由に動けるようになる。
「その程度か?」
少佐は千切れた尻尾を一瞥し、俺を見ながら言い捨てる。
恐らく少佐が予想していたよりも俺はずっと弱いのかもしれない。
わかっていたことだが、文字通り相手になっていなかった。
「あなたにはきっとわからない」
この程度は想定内だ。
ずっと押されっぱなしだったことで川を背にすることとなったが、これくらいならば許容範囲だろう。
「俺は、あなたの努力を知らない。あなたが目指したもの、そのためにどれだけの時間を費やし、どれだけの研鑽を重ね、そこに至ったかはわかるわけもない。ただ、あなたの功績を知っていて、それが認められたことを知っているだけだ」
俺の語る言葉を聞いてはくれるが何も言わない少佐。
もっとも、何か返されても俺は喋り続けるだけなので黙っていてくれた方がありがたい。
「それでもあなたの願いは叶わなかった。少佐、努力が報われなかったのは初めてでしたか?」
エリートとなるべく生まれ育った者と何の才能もなかった自分を比べ、僻みの言葉が自然に出てしまう。
今更だが、やっぱり俺はエリートや才能がある人間はあまり好きではなく、家族だけが例外だったようだ。
「どれだけ努力しても、誰にも認められなかった。どれだけ必死に足掻いても、見上げることしかできない家族を疎ましく思ったこともあった」
「……何を言っている?」
夜が明け始めた空を眺め、一人語る俺に少佐は口を挟んでくるが俺が語る言葉に変わりはない。
「それでも、俺は愛されていた。だから――」
もう手段は選ばない、と言った直後、少佐は何かに気づいたのか川の向こうに意識を逸らした。
「貴様……長耳どもと手を組んだか!?」
その怒号に俺は怯むことなく沈黙を以て肯定した。
(俺の実力じゃ本気を出させることもできない。あしらわれて終わるならば、それは不自然なんだ。だからこうすることしかできなかった)
かもしれないが現実となった不甲斐なさ。
だが上手くいかないことには慣れている。
人を騙し、怒らせる手段ならば、悪友と呼ばれた彼らから聞いている。
「よりにもよって、あの忌まわしき種族の力を借りるとはな!」
怒りを顕わに接近する少佐を前に俺は笑って応える。
こうすれば少佐は俺を敵と見做して排除する。
何処に潜んでいるかもわからない戦力とこれから来ると予想される増援を前にすれば、その選択は至極当然のものだろう。
攻めから一転して守りに入り、時間を稼ごうとする動きを見せる俺に少佐が追い付くなど造作もない。
最初の一撃を防いだ腕は折れてこそいないが二度目は厳しいだろう。
どうにか躱し、逸らすことで決定打となることを避けてはいるものの、ただひたすら耐え忍び、チャンスを窺い続けることしかできない。
このまま押し切られるのではないかと不安になってきたところで、大きな木を背にしてしまったことで退路がなくなり、そして機会は訪れた。
「帝国兵にあるまじき裏切り! 貴様はあの汚物どもと変わりな――」
一瞬の隙を突き、喋る少佐のその口に伸ばした手をねじ込み黙らせる。
所謂「貫き手」と呼ばれる一撃で少佐を怯ませることに成功した。
「戦いの最中によく開く口だな! 少――」
しかし開いた口に突っ込んだ手が食い千切られ言葉が途切れた。
距離を取ろうとする俺とそれを追おうとした少佐の足が止まる。
口元を隠すように手で押さえ、意図していない自分の動きに驚愕している。
「……何をした?」
「真実を隠したことは悪いと思っている。それが、それこそがネメシスコードなんだ」
狙い通りに少佐は俺の指を食った。
これで少佐は俺を食わずにはいられない。
理性を失い、獣のように俺を捕食しようとするだろう。
だがそうなるまでにはまだ時間があり、それが最後の戦いだ。




