232 とある剣聖の切り札
その報が里に齎された時、ワシは長年の相棒を手に精神統一を行っていた。
長く生きるとどうも勘というやつに突き動かされることが間々ある。
このところどうもいいところがない、と少しばかり恰好をつけていただけでは決してない。
ともあれ、あのアルゴスが増えたと聞いたワシは「はあ?」と思わず聞き返してしもうた。
詳細を聞くならばフォルシュナのところに行けばよいらしく、この奇妙な報せを詳しく知るべくそちらに足を運んだ。
「ガラスの窓が付いた大きな金属製の箱に黒いアルゴスが眠っていた。それを灰色のアルゴスが起こした」
何を言っているのかわからんかったが、どうも新しい方の黒色アルゴスが何らかの装置で眠っていたらしく、これを目覚めさせたようだ。
また黒アルゴスは明確にこちらと敵対しており、目覚めるなり襲い掛かってきた。
それを古い方の灰色アルゴスが止めに入り自分たちを逃がそうとしたことから、灰と黒には何かしらの関係があることは確実と見られる。
最初から信用などしていなかったが最低でも警戒を促すべきだ、とのことである。
「なんかよーわからんことになっとるな」と鼻をほじっていたところ、まだ情報があるらしく話は続く。
爺の脳みそにそんないっぺんに詰め込もうとするでない。
「起きた方のアルゴスは明確に人語を喋っていました。それもフルレトス帝国のものだと思われます」
「……なんと」
灰アルゴスは喋ることができなかった。
いや、そのフリをしていた可能性は考えられるが、それだとわざわざ学習して喋ることができる過程を演じていたことになる。
本当に喋ることができなかったか?
それともそのような演技をする必要があったのか?
「よーわからんのう」とワシは思考を放棄する。
帝国と関係があろうがなかろうが、どっちにしろ斬ればそれで解決する――そう思ったのじゃが、どうも黒の方が灰よりも強いらしい。
灰色の方なら若い頃のワシで「まあ、勝てるじゃろ」と見立てている。
とは言えこれはあくまで予想。
あの精霊剣を全力で振るえない奇妙な感覚と魔法耐性があれで上限とは思えない。
最悪は精霊剣を封印、または制限される可能性がある限り、楽観視できないというのが本音。
そして黒い方は灰色より強い。
こんな嫌な予感は大戦以来じゃな。
だが、それでも動かねばならんのが最強の辛いところ。
ワシ、強すぎてごめんね?
もっとも、その最強も弓が代替わりして名ばかりになってしもうたが、未だ「最強の剣士」であることは間違いない。
厳密に言えばこの里で「最強のエルフ」はワシになるから嘘は言ってない。
それはそれとして最近ちょっと里が緩みすぎじゃと思う。
悪夢でちったぁ引き締まったかと思えば、すぐ元通りになっとる。
これじゃワシが苦戦しようとして手加減誤った意味がない。
うん、相性問題あるし、ワシの剣は対人想定しとるから実は人外は苦手。
それに魔力系の攻撃通じないのもあって割と本気で苦戦したけど、あれわざとだから。
切り札も温存してたし、本気でやれば勝ててたから。
ともあれ、聞くべきことは聞いたのでワシは相棒を引っ提げ森へと入る。
予感、というよりも確信に近い。
「こうしなくてはならない」または「こうした方がいいはずだ」と幾多の戦場を経験して身に付いた面倒な直感。
これを無視すれば大体誰かが死んだ。
だから後悔のないように進み、斬り続けた。
だが同時にもう一つの予感がワシの中にある。
「ああ、この歳になってまだ死線を潜らにゃならんのかい」
恐らくこの戦いはワシの人生の中で最も厳しいものとなる。
あてもなく森を彷徨い歩き、どれだけの時間が経過したじゃろう?
気が付けば日が傾き始めている。
昼飯くらいには戻るつもりであったが、どうやらワシの勘はまだ早いと言っているらしく引き返す気にならない。
「……近いか?」
歳を取ると独り言が多くなる。
気配を探れば周囲からは野生動物の姿が消えていた。
目を閉じ更に深く気配を探る。
「来るか」
目を開き相棒を手に顔を上げる。
遠くに見えるのは一度力量を計ったアルゴスというモンスター。
しかしその色は黒。
互いに一言も発することなく示し合わせたかのように近づく。
歩きながら徐々に思考が戦闘状態へと移っていく。
(おいおい、奴さんどんだけ殺気巻き散らかしてんだ)
なんか恨みでもあんのかよ、と戦う前から嫌になる。
無言のまま距離が近づき、どちらからともなく両者の足が止まり黒いアルゴスが口を開く。
「――、――」
それは確かにフルレトス帝国の言葉だった。
何を言っているかは正確にはわからない。
だが、何を言われたのかは凡そ把握した。
「老いたな、剣鬼」
全てがわかるわけではない。
だが戦場で散々聞いた言葉だ。
わかるものはどうしてもわかってしまう。
剣鬼――そう呼んでくれるということは、こいつの正体はワシの想像通りということだ。
「亡霊が……きっちりあの世に返してやるよ」
アルゴスの正体は二百年も眠っていた帝国産モンスター。
恐らく同じような結論が里でも出ているだろうが、こうして目の当たりにしないと信じるのは難しい。
ワシのことを「剣鬼」と呼んだ以上、こいつは元人間と見て間違いない。
(つまり、人をモンスターに変えたか。帝国もやりたい放題じゃな)
「へっ」と吐き捨てた直後、ワシの目が捉えたのは迫る漆黒の拳。
後ろに小さく飛び退き様にその伸びきった腕を斬り上げる。
「……マジかよ」
手応えはなかったが多少の出血くらいにはなる一撃だったはずだ。
だがつけた傷跡は瞬時に回復した。
アルゴスの回復能力は知っているが、もしかしたらこいつはそれ以上かもしれない。
少なくともサイズは黒い方が大きい。
同じと思っていたので少しばかり目測を見誤り、先ほどのような危うい初手となってしまった。
目の前の黒アルゴスが悠長に斬られた腕を確かめている。
そして笑った。
「この程度か?」とこのワシを挑発したのだ。
「安心しろよ。寝坊助にはきっちり永眠をプレゼントしてやる」
纏うは風、操るは光。
音は無く幻の中に剣戟を忍ぶ。
この言葉を残した一人の男の背を想う。
(唯一ワシが師と呼んだ剣聖の技、見切れるものなら見切ってみろ)
現れたのはもう一人のワシ。
無論幻術だが、奴の目に見えるもう一人も既に入れ替わっている。
左右に展開した幻術を前に出し、その後ろにワシはつく。
一撃で二体の幻術が同時に破られぬよう距離を取らせ、敵に両腕を使わせる姑息な術。
初見殺しこそが必勝の策。
得手不得手のお陰で使える手は少ないだが、あの小細工剣聖は師と仰ぐには十分の引出を持っていた。
ワシが模倣した中でも最も完成度の高い「鏡幻の一筆」を以て、こやつの強さを正確に計る。
左右の幻がそれぞれ鏡のように本体と連動し、姿を消した本体は相手に合わせて動きを変える。
状況に応じて左右のどちらかを本物であるかのように誤認させる誘いの一手。
自らの思い描く通りに戦いを進める――故にこれを一筆とす。
あの男のしてやったりの顔と声を思い出して腹が立つが、実際これを破るのに七度かかった。
今のワシが使える最善の一手と断言できる。
迫る幻術を前に黒アルゴスがどちらが本物かを見比べている。
恐らくは音や臭いでも判別を試みているのだろうが……それは悪手だと経験者から言わせてもらう。
音は消した。
だが消せるならば、望む場所で出すこともできる。
黒アルゴスが左に狙いを定めた。
一歩前に踏み出し、迫る拳に合わせるように精霊剣で防ぐように構えた幻術が足を止め――その拳でかき消えた。
直後、黒アルゴスはもう片方の腕で裏拳を放ち右の幻術を消し飛ばす。
驚愕の表情は一瞬。
されどワシの剣は準備ができている。
霧散した幻術が精霊剣に集い、ワシは姿を現わすと同時に黒アルゴスの心臓目掛けて全力の突きを放つ。
纏った魔力を解放した一撃は黒アルゴスを吹き飛ばす。
防御が間に合わず、まともに渾身の一撃を受けた奴のダメージは如何程か?
吹き飛んだ巨体が木を折り、地面に背中から叩きつけられるように落ちた。
しかし奴は何事もなかったかのように起き上がる。
その胸には確かに先の一撃の痕跡があるが、それが致命打には程遠いことは明らかだった。
悠々とこちらに向かって歩み寄る黒アルゴスを前にワシは大きく溜息を吐く。
(魔法耐性、ではなく単純に硬すぎるのか)
幸いなのは精霊剣への干渉は小さく、灰アルゴスと同等程度であるということ。
なおも無防備に歩く黒アルゴス。
「まさかとは思うが、今のが全力か?」
まるで「期待外れだ」とでも言うように奴はワシの前で立ち止まりそう言った。
ああ、お前の力はよくわかった。
これで遠慮なく切り札を切れる。
ワシは袖を手繰ると精霊剣に自らの腕を添えて引く。
鮮血が刃を滴り――剣が脈動した。
「起きろ、ローウェス。滅びを食らえ」
キーワードを発した直後、血管のような文様が精霊剣に浮かび上がる。
長年注ぎ続けた魔力を解放し、あるべき力の一端を強制的に目覚めさせる。
青白く光る刃が形成され、握る両手を通じて萎びたワシの体に活力が巡る。
活性化された肉体は若さを取り戻し、全盛期だった頃を彷彿とさせる力が全身に漲ってくる。
「終わりだ。バケモン」
瞬時に距離を詰め、足を奪いに行ったがこれは躱された。
足首に残る血が滲む一筋はこちらの攻撃力が奴の防御力を突破した証。
下がる黒アルゴスを追い、もう一度足を狙う――と見せかけて迫る拳を斬り払う。
寸でのところで反応されたことでその手を両断することは叶わなかったが、拳にははっきりと斬撃の傷跡がつけられた。
息を一つ吐き、間合いを詰めてより攻撃的に立ち回る。
打ち合う危険性を理解したか、黒アルゴスはこちらの斬撃を躱すかいなすで対応しているが、それをさせ続けるほど耄碌はしていない。
深手を見事に避けられているが、確実にその黒い両腕は負傷させて攻撃能力をそぎ落としている。
躱し切れなかった斬撃は徐々にその足から流れる血の量は増し、再生能力が追い付いていないことを示している。
このまま続ければ勝利は確実。
だが、この状態は精霊剣に貯め込んだ魔力が尽きれば終わる。
時間制限がある以上、早々に決着をつける必要がある。
攻める手を休めることなく、また攻撃する余裕を与えることすらせず、予備動作を確認すれば潰し、地形を使って詰めていく。
何度も死地に追い込んだつもりだ。
だが黒アルゴスはその尽くを超えてみせた。
(ただのバケモンじゃねぇ。間違いなく幾多の戦場を乗り越えた戦士だ)
これだけ差を見せつけても折れる気配すらない。
闘志は未だ揺らぐことはなく、時折聞こえる声が奴を奮い立たせている。
何を言っているかはわからない。
きっと何処かの戦場で殺した人間の中にこいつの戦友がいたのだろう。
二百年――こいつにとっては果たしてそれが何時の話になるかはわからない。
しかしその恨みに応えてやるつもりはない。
時間にして僅か数分の攻防。
全身から血を流す黒アルゴスは未だ諦めていない。
だからもう終わらせてやる。
「恨めよ。それが戦争だ」
最大速度で前に出る。
驚くべき反応速度で迎え撃つ姿勢を取った黒アルゴス。
どうやら向こうもここで決めるつもりらしい。
だが「それに付き合うつもりはない」と右足で急停止をかけ、そのまま地に着いた足を目掛けて剣を振るう。
フェイントにかかった――そう思った奴は焦ったか飛び退いた。
それを見て急停止をかけた右足が地面から離れる。
下段攻撃は言わば予備動作。
当たろうが当たるまいが関係はない。
本命は後ろに飛んだ黒アルゴスを追うように深く踏み込み、剣を振った遠心力をそのままに地を蹴り空中で放つ回転斬り。
腕を防御に回したようだが、精霊剣の軌道は肉を裂き、骨を断ち、そしてその首を刎ねる。
精霊剣は腕へと吸い込まれ肉を裂き――骨で止まった。
同時にワシの手が精霊剣から剥がれるように落ち、そのまま地面へと枯れ枝のような体がポトリと落ちた。
「……歳は取りたくねぇなぁ」
制限時間よりも先に肉体が限界を迎えた。
後一秒あれば、と勝負を急がなかったことを悔やむ。
最初から相打ち覚悟でやれば、寿命を迎える前に勝負をつけることができていた。
「ああ、格好悪い」
呟く声はあまりにか細い。
こんなものが自分の最期だとはね。
存外俺もみみっちいな。
人間の最近≠長寿種の最近




