20
俺は混乱している。
ありきたりな言い方だが、そうとしか言えない。
だってさ、明らかに自然に生まれてくるとは思えない「人間+蜘蛛」としか形容できない怪物とか、映画の中でも見たことがないような姿をしたモンスターが帝国語を喋ってるのだから混乱もする。
しかもそれってもうこいつの正体が一つしかないわけで……
(俺と同じ帝国の遺伝子強化兵――もしくはそれに準ずる何かとしか思えない)
200年の眠りから目覚めて初めて出会えた同胞がコレというのはどうかと思うが、同じ帝国人(?)として情報の共有と確認を行いたい。
「ガアッ、ゴォアゴガァング」
でもやっぱり出るのは「ガオガオ」という声。
ちなみに「待て、俺も帝国人だ」と言おうとした。
しかしこいつも人間から化物へクラスチェンジしたかと思えば、人身売買組織にジョブチェンジまでしてるとか忙しいやつである。
まあ、モンスターのような姿ならば真っ当な職に就くなど不可能だから仕方がないと言えば仕方がないのだろうが、もう少し帝国軍人としてその選択はもう少し考えて欲しかったところではある。
「ああ、クソが。こいつら付けられたのかよ……ほんと役に立たねぇグズだな」
言葉は当然通じるはずもなく、目の前の俺を警戒しつつ部下を罵る。
どうにかしてこちらの意思を伝えなければと思ったところあっさりと名案が浮かぶ。
(あ、そうか。声が無理なら文字を書けばいい)
そう思って指の爪で床に文字を書こうとした時――俺の腕がピタリと動かなくなった。
「俺の許しなく動いてんじゃねぇぞ、デカブツ」
注意深く観察すると俺の手には透明な糸のようなものが絡みついていた。
(蜘蛛の糸か!? 触れた感触が一切なかったぞ! いや、それよりも……)
腕だけではなく体のあちこちに蜘蛛の糸が絡まっている。
蜘蛛の体をしているからあるだろうとは思ったが、まさか予備動作もなく絡め取られているとは思わなかった。
この部屋に予め仕掛けられていたと思うべきだろうが、もしも自由自在に操作できるというのであればその脅威は計り知れない。
犯罪組織とは言え、新たな職についていることも考えると、恐らく俺よりはずっと早く目覚めていたに違いない。
ということはそれだけ今の体を使いこなしているということでもある。
「はあー、やっぱ素人は使い物にならねぇな。人攫い一つ満足にできねぇのか」
苛立ちを隠すことなく人間の指の爪を噛む。
職業軍人からすれば賊など素人同然なのだろうが、自分の部下を駒としか見ないタイプの男のようだ。
「こういう男の下には付きたくないな」と思いながら、どうしたものかと悩む。
(ここまでの言動からどう見てもこいつは最早「軍人崩れ」の悪党だ。同じ帝国人として協力関係くらいはなれるかと期待したが……これは無理そうだな。とするとこいつをどうするか?)
放置すれば周辺の脅威として俺という存在の隠れ蓑として暴れてくれるに違いない。
その場合、どの程度の被害が周囲の街や村に及ぶかは計り知れない。
何せ俺と同じ遺伝子強化兵と思われるので、そのスペックはカナン王国の対処能力を上回る可能性すらある。
では、始末する場合はどうか?
まず一番の問題となるのが勝てるかどうかがわからない。
相手の能力が不明という点は向こうも同じだが、俺は見たままの能力がメインである。
対して蜘蛛をベースとしていると見る以上、様々な能力を有していると見て間違いない。
現在俺の体に絡まっている程度の糸であれば問題はないが、これが束ねられたものであったならば、そこから抜け出すことができなくなる恐れもある。
つまり、戦闘になった場合のリスクはかなり大きい。
「ここは糸を引きちぎって帝国語を書いて見せるべきだろう」ということで考えがまとまったところで、蜘蛛男が口を開く。
「あー、こんなことなら俺が行っとくべきだった。折角娼婦の釣り出しに成功したのに、こんなすっとろい図体だけのデカブツに横取りされた挙げ句、アジトまで付けられて来るとかマジでふざけんてじゃねぇぞ、おい!」
そう言って俺の顔面を蜘蛛の足が蹴る。
痛くも痒くもないので全力ではないのだろうが、少々こいつの言葉が引っかかった。
「クソが、やっと次の女を甚振れると思ったのに……テメェの邪魔でお預けだ」
また蜘蛛の足が俺を蹴る。
「どんだけ裸にひん剥いて泣かせても勃たねぇ。一体どこに行ったんだ、俺のご立派様はよぉ!」
蹴る速度が増し、爪を立たせて突き刺そうとするが、貧相なその足では俺の体は貫けない。
蜘蛛男は爪が刺さらないことに舌打ちをし、賊の死体から短剣を足と糸を使い手繰り寄せる。
「あのバカどもに輪姦させてもちっとも反応しねぇ。一体どうすりゃ俺は女を犯せるんだ? 一体どこに俺のモノ勃たせてくれる女はいるんだぁ?」
蜘蛛男の手にした短剣が俺の肩口に振り下ろされる。
当然刺さらないし、刃が音を立てて欠ける。
「無駄に硬ぇ体してんじゃねぇ!」
また顔面を蹴られるが痛みはない。
「あー、そうだ。また子連れを捕まえよう。んでこの前みたいに裸で踊らせて、ガキを使ってゲームだ。今度は何を入れさせるか――」
言い終えるより前に俺の拳が蜘蛛男を襲う。
だが、その一撃は瞬時に後ろに飛び退かれ回避される。
「やる気かぁ? モンスター風情が!」
俺の正体には気づいていない。
黙って攻撃を受けたことでこいつの攻撃はほぼ通らないことは確認済み。
勝算は得た。
こいつはここで始末する。
こんなゴミが帝国軍人だったなどあってはならない。
何よりも――
(こいつを放置すれば一体どれだけの女性が犠牲になるかわかったもんじゃない。俺だってなぁ、エロいことがしたいんだよ! その可能性を、貴様なんぞに奪われてたまるか!)
大層な大義名分など必要ない。
こいつは俺にとって邪魔になる。
そういうことにしておけば、俺が力を振るうことに迷いは生まれない。
「ああ、そりゃ人間を想定した糸じゃ、このデカブツは止まらねぇか」
俺が糸を振り切ったことに納得しているようだが、まだこちらの力を把握できてはいないはずだ。
攻撃と防御はこちらが断然有利。
不安要素は蜘蛛が持っていそうな能力――例えば毒。
軍事用に強化されている以上、間違いなく持っていると見るべきだ。
(あとはどこに毒があるのか、だが……牙がないんだよな。となると候補はどこになる?)
蜘蛛の毒と言えば牙から注入するタイプのものしか俺の知識にはない。
その牙がこいつにはない。
本来蜘蛛の頭部があるべき場所に、人間の胸から上が生えているのだから当然と言えば当然だ。
ならば、位置的に毒でも吐くか?
それとも他の虫の特徴を持っていて毒針でも持っているか?
「もう少しその辺を暴いてから仕掛けるべきだったか」とタイミングを間違ったかと少しばかり悔やんだが、俺にも効くような毒を打ち込まれたらそこで終わりだったので、悪くはなかったということにしておく。
警戒しつつ、蜘蛛の糸を振り払い蜘蛛男へと詰めるが、無駄に部屋が広いおかげでカサカサ動き回る相手を捕捉できずにいる。
そして相手のニヤニヤ笑い。
こいつは本当に軍人だったのだろうか?
俺は賊の死体を持ち上げ振り回す。
やはりというかたっぷりと絡みつく蜘蛛の糸。
「罠を張って待ち構えてます」と言わんばかりの顔からやりたいことが丸わかりである。
叫ぶ蜘蛛男を無視して、そのまま賊の死体を投げつけると目標の目前で止まる。
割と本気で投げたつもりだったが……やはり糸は警戒しなければならない。
「殺してやるよ、モンスター」
俺の行動がお気に召さなかったのか、明らかに今までのヘラヘラした物言いと違う。
天井に張り付きながらも姿勢を低く構えたので、俺もそれに応じるように両手を広げた。
逃がす気はない。
どのように行動しようが、掴めば俺の勝ちだ。
どちらも動かず睨み合いが続く――そう思った直後、奴が動く。
意表を突かれたが、最初から先手は譲るつもりだったので問題はない。
何故ならば、ダメージを無視して相手に合わせた方が確実だからだ。
相手の足の動きに合わせ、完璧なカウンターのつもりだった。
だが俺は奴を殴ることも、掴むこともできなかった。
俺の手にあったのは、まさしく「抜け殻」と呼ぶべき蜘蛛の殻。
(こいつ! あの一瞬で脱皮しやがったのか!)
想定外の能力で取り逃してしまったかと思ったが、奴は俺が壊した出入り口にいた。
俺は即座に反転し、蜘蛛男との距離を縮め――激痛で足が止まる。
「ガッアアァ!」
シュウシュウと音を立て煙を上げる右手。
原因はすぐにわかった。
(脱皮した殻の粘膜! これが酸のように拳を溶かしているのか!)
のたうち回りそうになる痛みを噛み殺し、蜘蛛男に向かい突進する。
だがそれは張り巡らされた糸に阻まれ、奴の手前から先に進めない。
「そこで死んでろ、バケモン」
それだけ言うと蜘蛛男が口を窄め、黄色の液体を噴射した。
避ける術もなく、それをまともに受けると液体が付着した部分が徐々に紫色に変色していく。
俺の変化を見た蜘蛛男が糸を使って飛ぶように去っていく。
(生死を確認しないということは、それだけ強力な毒ということか!?)
顔を背けたおかげで頭部にこそかからなかったが、首元から腹にかけてが紫色に変色しており、そこが熱を帯びジクジクとした痛みに変わっていく。
このまま放置すれば明らかに拙いことになるは火を見るより明らかである。
だがその前にこの糸をどうにかしなければならない。
単純に引っ張っただけでは引きちぎることもできず、下手に動けば上半身だけでなく足まで絡め取られてしまう。
「グゥオオオオッ!」
だから俺は吠えた。
そして全力を持って蜘蛛の糸が張り付いた壁を蹴り砕いた。
戻ってこられたらアウトだ。
だが、動かなくても終わりだ。
俺は体についた破片を物ともせずドスドスと通路を走る。
目指すは隠した荷物。
幸いにも既に蜘蛛男は脱出しており、後は遭遇しないことを祈るのみ。
這々の体で目印のスレッジハンマーの下に辿り着いた俺は荷物を漁り、手にした魔法薬を二種類とも変色した部位にぶっかける。
そして追加で薬を使おうとした時、痛みが収まっていることに気づいた。
俺は恐る恐る変色していた部位に触れるが、痛みはなく元通りの体がある。
溶けていた右手にも薬をかけると、みるみる見えていた骨が肉で覆い隠され、皮膚が出来上がっていく。
「魔法薬ってすげぇ」
俺が喋ることができたなら、きっとそう口にしていただろう。
というか再生シーンがちょっとグロかった。
「ガッ、ハー……」
俺は大きく息を吐くと近場の木にもたれかかる。
(やばかった! 魔法薬貰ってなければマジでやばかった! っていうか相性ちょっと悪くねーか!?)
あのおっぱいさんに感謝の念を送りつつ、今後のことを考えようとしたが、顔が思い出せずあの見事な胸しか出てこなかった。
あれだけ印象が強かったから仕方がないとは言え、これには俺も苦笑い。
だが、おかげで平静を取り戻すことができたのでおっぱいに感謝だ。
勿論、何もなくても感謝を捧げる対象であると曇りなき眼で宣言する。
ともあれ、戦った場合のリスクが想定を遥かに超えて大きかった。
放置すればどれだけの犠牲が出るかは想像以上となる予感がするが、下手に関わるとこちらが死にかねない相手ともなれば、無策に戦って良い相手ではない。
(となれば、最初にすべきことは何か? 相手の手はある程度暴いた。少なくともあれ以上の攻撃手段はないと見て良い)
ならば後はあいつ自身の情報も欲しい。
となればアジトを探すというのは何か有力な手掛かりを見つけることができるかもしれない。
何より「元帝国人」であるならば、目覚めた施設内部から何かを持ち出している可能性だってある。
もしも奴が戻ってくるようであれば、今度は遠距離戦を仕掛ければ良い。
丁度洞窟には牢獄があるので、投げる金属には事欠かない。
迎撃のための陣地を構築すれば、毒以外に有用な攻撃手段はないはずだ、と体に付いた瓦礫を剥がしつつ考える。
少々体がベタつく気もするが、体に張り付いていた瓦礫を剥がし終えたので洞窟へと戻る。
元帝国人が使っていたのだから、俺にとっても有用な物があるに違いない。
そんな浅はかな思考で格子を折りながら戻った俺は、T字路を右折した先で後悔することになった。
そこにあったのは無残な死体。
数はどれほどだろう?
体が溶けている者もおり、正確な数字を出すことはできない。
少なくとも、その重なり具合から50以上はいるだろう。
そのほとんどが女性であり、その中の一つから俺は視線を外すことができなかった。
「あー、そうだ。また子連れを捕まえよう。んでこの前みたいに裸で踊らせて、ガキを使ってゲームだ。今度は何を入れさせるか――」
あいつの言葉が頭を過る。
視線の先には親子と思われる裸の死体。
重なり、毒を受けた部分がよりどす黒く変色していることから何をされた……いや、何をさせられたのかが推測できた。
(ゲーム感覚で、子供に親を殺させるか!)
直視に耐えないものだった。
見てしまった以上、もう放置はできない。
俺は拳を握りしめ歯を食いしばる。
そもそも、あの蜘蛛男は俺にとっても脅威である。
(もう、手段なんぞ選ばない)
あいつだけは、絶対に狩り殺す。
※魔法薬はかなり高級なもの。一般的なものは即効性も回復力もかなり低い。




