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気が付けば見知らぬ森の中。
もっとも、見知った森というのも限定されるのでここまでは問題ない。
(問題はここが何処か、ということだな)
自分でも信じられないくらい冷静に状況の把握に努めていることに驚くが、そこは感情抑制機能が仕事をしているのだと思われる。
手を見れば乾いた血の跡があり、何をやらかしたのかがよくわかる。
また乾き具合からもそこまで時間が経過していないことがわかるのだから、これを「不幸中の幸い」と喜ぶのは不謹慎と言えるだろう。
取り敢えず今確認すべきは現在位置が川より東か否か、である。
セイゼリアの領内に入り込むのは良い状態とは言い難い。
そして荷物を確保するためにも川の位置は重要である。
となれば最悪を想定して西へと進路を取るのは至極真っ当な選択と言える。
周囲の警戒を怠ることなく進み続けると程なくして川が見えた。
安堵の息を漏らすが気を抜くのはまだ早い。
見覚えのある地形を見つけ、そこから荷物を回収しなくてはならないのだ――と思っていたら北に少し進んだところであっさり狼煙を上げたと思われる痕跡を発見。
俺に殺されたと見える死体もあったので確定だ。
川を渡るとリュックも下ろした時のままの姿で無事確保できた。
「これで良し」
良いはずがない。
またしてもやってしまったわけである。
(スイッチの条件が全くわからない。前回から間があったことを考えれば時間経過は確実として、幾ら何でもタイミングが悪すぎる)
ただ単に間が悪いというにはピンポイントが過ぎる。
仮にそうだとしたら「俺の運どうなってんの?」と嘆くところだ。
何か条件があるはずだ、と疑ってはいるが……前回との共通点は精々戦闘か魔法くらいのものであり、今回に関してはそのどちらもカウントするには中途半端で一例とするには適切とは言えない気もする。
そしてもう一つ懸念すべき点がある。
「理性を喪失する」という恐怖が確実に薄れている。
恐らくは感情抑制機能により恐怖を感じなくなっているのだろうが、ネメシスコードの存在理由を考えるとチグハグとしか言いようがない。
ゼータ博士は暴れまわることを想定していた。
ならば感情抑制機能はむしろ邪魔になるはずである。
(ということは、だ。単純にネメシスコードとの相性が悪かっただけか。感情抑制機能が後付け……はなさそうだな。となるとラークの言っていた「ネメシスコードを遺伝子強化兵の処分に利用するために放置した」の証明になる、のか?)
兵器としての使用期間を延ばす意味でも都合が良かったというわけだ。
長々と考えてみたが、俺の平凡なお頭ではここいらが限界だろう。
ならば次の問題を処理をする。
俺は荷物を背負い川を渡りながら死体の数を確認した。
その位置からバラバラに逃げようとしたことが窺えたので森へと入る。
そして死体の数を数え終わって呟く。
「数が合わない」
血痕はあれど死体はなし。
死体は川で血塗れのケツを突き出しているオッサン含めて九体……つまり二人は生き延びたことになる。
一人見逃し、もう一人は味方の犠牲の上で逃げ果せたと見てよいだろう。
この結果に俺は深く息を吐く。
生き残りがいるとなれば、これ以上セイゼリアとかかわるのは難しい。
ならばやることは一つ。
旧帝国領南東部の空白地帯の探索を進めるだけである。
考えようによってはそちらに集中できる理由ができたとも言える。
探索に有用なマジックアイテムが手に入らなかったのは惜しいが、向上するかどうかもわからない効率に拘りすぎるのもよくない。
俺は思考を切り替えて探索へと向かった。
その前に川で軽く体を洗ったが、流石にちょっと寒かった。
炎耐性はあっても冷気耐性は高くない可能性は消えないままだ。
恐らく無属性モンスターである我が身としては、耐性は満遍なく揃えておきたい。
弱点はないに越したことはないからね。
あの一件から数日後、南部の空白地帯にて森の中を地図を片手に探索していたが、収穫が何もなかったことで不眠不休となっていることに気が付いた。
なので一度休息を取るべく、仮拠点とする地下へ戻ることを決断する。
その帰り道で北の空に薄っすらと見えるそれに気が付いた。
「また狼煙ですか」
今度は何だと言うのか?
前回の結末を考えるとあまり進んで行こうという気にはなれない。
正直このままフェードアウトしても良い気がしている。
ともあれ、今俺に必要なのは休息である。
遠くに見える狼煙を無視して俺は大きな瓦礫で隠した地下への入り口を開け、中へと滑り込むと荷物を置いて眠りについた。
そして目が覚めるとリュックの中の時計を取り出す。
「おお、半日以上寝てたのか」
思わず声が出る熟睡っぷりである。
時刻は午前七時――昨日は夕方前に寝ていたはずなので間違いなく十五時間は寝ていたことになる。
流石に丸一日以上寝ていたとは思えないので多分間違っていない。
そんなわけでまずは水分補給。
空腹を感じることはないが栄養の補給も必要だ。
というわけで朝食を確保するべく地下室から出たところでそれを見つける。
「……まだ上げてるのか」
東に見えるのは立ち昇る狼煙。
あれからずっと上げていたのかとしつこい呼び出しに少しばかりうんざりする。
間違いなく前回の生き残りから情報は得ているはずなので、これが決して好意的なものでないことくらい嫌でもわかる。
もしかしたらこちらの意図を聞き出すためのものである可能性も考えられなくはないが……お国柄を考えれば「来やがったぞ、死ね!」が一番あり得る話である。
よってこれを無視することに決めたところで、もう一つの可能性に思い至る。
「俺がやらかしたことでおっぱいさんに出動命令が下された可能性があるか」
取り敢えず思い浮かんだ可能性をまとめてみる。
その中で重要度が高そうなものはおっぱいさんとガストがいるケース。
ならば、と俺は大変簡単な解決策を出した。
(さっと行って誰がいるかだけ見ておこう)
ここからならば然程時間も必要ない。
既に幾度の往復で「俺の道」は出来上がっており、急げば一時間もあれば確認できる位置に到着するだろう。
荷物は地下に置いて行くのでそれくらいはできるはずだと俺は東へと駆け出した。
「気になるならさっさと確認してしまえばいい」と軽く考えての行動だった。
しかし俺が川の付近に到着し、望遠能力を用いて対岸に見えるそれらに息を呑んだ。
(あれは……所謂ゴーレムというやつか?)
森の中からなので全体像が見えるのは少ないが、その数は確認できるだけで十体。
近くにいる魔術師風の男の背丈から、その図体は俺と同じか少し低いくらいと見て良いだろう。
(色は灰色……素材は石か?)
だとするなら重量は間違いなく俺以上。
どの程度動けるかはわからないが、俺の情報を得た上で出す戦力ならば相応のものであるのは確実。
護衛か?
はたまた俺と戦うためのものか?
石造りと思われる人型の推定ゴーレムは佇むのみで動かない。
興味本位というのもあるが、これがセイゼリアの新たな戦力というのであれば、ある程度の情報は収集するべきである。
そう考えた俺は擬態能力を使用して川へと近づく。
そして見えてきたのはなんとバリスタ。
間違いなくあのゴーレムが使用するものだろう。
通常の矢であれば怖くもなんともないが、あの質量の武器を軽々しく食らうのは御免被る。
近接武器はないようだが、恐らくは俺に使われることを恐れて持ち込んでいないのだろう。
でなければ推定ゴーレムが人型である理由はないし、バリスタが使えるのに持ち込んでいないことにも説明が付かない。
(つまりセイゼリアは魔法技術を伸ばし、しっかりと軍事転用できているってことか)
まったくカナンとは大違いである。
二百年という俺の眠っていた時間でどれだけセイゼリアが発展したかは正確にはわからない。
こうなると急ごしらえの橋頭保ではなく、きちんとしたセイゼリアの街並みくらいは見ておくべきだったかと今更ならが悔やむが、致命的な状況に陥る前にそれを知れたので良しとしておこう。
折角なのでもう少し詳細な情報を、とじりじり距離を詰める。
一応魔法的な何かで索敵されている恐れはあるので魔力感知も欠かさない。
前に進めば進むほど情報量も増えてくる。
(ゴーレムは十体で間違いないが……)
魔術師の数が多い。
少なくともゴーレムの数の倍はいる。
その質がどれほどのものかは不明だが、あのゴーレムが前衛を完璧にこなせるというのであれば、中々に厄介な布陣なのではなかろうか?
もう少し近づいても大丈夫だろうと警戒を厳にゆっくりと進む。
そして視界が更に広まった時、俺の目には信じられないものが映った。
見知った顔が棒立ちのゴーレムに吊るされていた。
人型のゴーレムの首にかけられた縄で両手を縛られ、吊るされている裸のディエラはただ項垂れていた。
同様にその隣にはレナの姿もあり、ピクリとも動かない彼女たちの生死は不明。
咄嗟におっぱいさんのおっぱいを望遠能力で凝視――彼女の胸は呼吸に合わせてしっかりと動いていたことでホッとする。
しかしこの状況はどういうことか?
魔術師はセイゼリアでは敬意を払われているのではなかったのか?
わからぬ状況に二の足を踏む。
彼女たちの姿を見れば何をされたかなど言うまでもない。
もしも、昨日見かけた狼煙を無視していなければ、彼女たちを救うことができていたのではないだろうか?
頭に過った後悔が俺の足をその場に留める。
だが、俺が動く理由など簡単に生まれる。
人間というものは、どの時代も変わらないのだ。




