197 とある魔術師の絶望
「だから嫌だ、って言ってるだろ」
何度目かもわからない依頼の拒否。
そもそも冒険者を引退すると決めていたにもかかわらず、何故かそれが受理されず「特別案件」という形で強制依頼を受けさせられた。
実入り自体は悪くなかったが、二度とかかわる気のなかった新種のモンスター「アルゴス」と再会することとなり、ようやくその仕事が終わったかと思えばバーリヤン商会から依頼がきた。
受けるつもりはなかった。
しかし提示された金額にレナが食いついてしまった。
依頼内容は護衛。
但し、あのモンスターを知る人間からすれば、その依頼内容は道中だけのものと言っても過言ではない。
異常な戦闘能力を持つ新種のモンスターに対する護衛ならば、それだけ依頼の金額も跳ね上がるのは道理であり、先立つものが必要な私たちにとっては都合が良かったのも事実であった。
問題があるとすれば、もう一度会う以上、私の取引を完了する必要があり、急遽ポーションを仕入れることになるも、折角なのでバーリヤン商会の依頼を受ける条件として用意させたのは我ながら良いアイデアだと思っている。
その後、無事取引を終えて、その場から立ち去り依頼主を待った。
向こうは向こうで何やら取引をしようとしているらしく、その内容をこちらに知られたくなかったことからこのような形となった。
何を話したかは今でも知らない。
ただ、この依頼を受けたことで、ギルドから警告を受けた。
なんでもバーリヤン商会に怪しい動きがあるらしく、それに同行した私たちまで疑いの目が向けられているとのことだ。
「何を馬鹿な」と言いたいところだが、あの商会に漏れず金が集まっているところは大体が怪しい。
そしてそのトップが新種のモンスターと接触していることで、護衛依頼を受けた私に「奴を見張れ」との命令が来たのだ。
勿論拒否する。
アルゴスとはきっちりとお別れを済ませた。
二度とかかわる気はない、と通達に来た職員にはっきりと言ってやったのが昨日の出来事。
そして今、再び別の職員が私の前にいた。
「い、や、だ」
宿の食堂――その対面に座る職員の男が私の拒絶の言葉に眼鏡のズレを直す。
「それが通じない案件であるとわかりませんか?」
「出入りが自由を謳う冒険者。ギルドは何時になったら私を辞めさせてくれるんだい?」
「あなたが売った情報を正しいものだと判断できるまでです」
そのための調査依頼を受けたはずだ、と睨みつけるも「ただの一度で証明できるとでも?」と鼻で笑われた。
どうあっても私を使いたいようだが、こちらも断固拒否の姿勢を崩さない。
最低でも納得がいく報酬が約束されない限りは動くつもりはなかった。
しかし次の言葉は見逃せなかった。
「ではもう一人の方に持って行きます」
「どういうつもりだい?」
もう一人が誰を示すかなんてわかりきっている。
だからこその制止だが、それ以上に適任とはとてもではないが言えないことで待ったをかけた。
「レナは関係ない。情報を売ったのは私個人だ」
「ですが、バーリヤン商会の依頼を受けた。あなたの方が都合が良いのは事実ですが、こちら側としては、どちらでも良いのです」
確かにそうだが、その場合はアルゴスとの接点が重要になってくる。
その点でもレナでは不足する。
しかしその部分を考慮する必要などないと職員は笑う。
「重要なのは商会トップである彼の動きを監視すること。理由や実績などこちら側でどうとでもなります」
押し込む理由など幾らでも作れるとばかりの態度に逃げ道が既に塞がれていると確信。
私はただ「わかった」とだけ口にして天井を仰いだ。
姿を隠すようにフード付きのローブを身に纏う。
臭いも香水を使うことで対処したが……正直これで誤魔化せるとは思えない。
何か有用なマジックアイテムでもあれば、と考えてはみたものの、アルゴスの能力は未だ把握し切れていない。
「バレたらどうしようか」と不安を抱えたままの仕事だった。
しかし蓋を開けてみればアルゴスはこちらに視線こそ送ったものの、何も言わずにバーリヤン商会の会長であるガストとの取引に集中していた。
人を胸で判別していたこともあったので体を隠すようしたのは正解だったかもしれない。
ともあれ「アルゴスの情報を売った身として見届ける必要がある」とありもしない責任感で付いて行った不本意な仕事だが、無事に終えることができた。
ただ一点、監視対象がアルゴスとの取引でマジックアイテムを出したことだけは見逃すことはできなかった。
あいつの戦闘能力はよく知っている。
そこに魔術的要素を加えるのは明らかにまずい。
よって、この件だけはしっかりと報告させてもらった。
これで終わり――その時はようやく終わったとばかりに宿のベッドに倒れ込んだ。
そしてこれまでのことを思い出しながら眠りに付こうとした時、私は致命的な見逃しをしていたことに気が付いた。
(あの夜、あの明かり……あれは火ではなかった。去り際の灯は、魔法だった?)
インパクトが強すぎることの連続だったことで印象が薄かった別れ際のメッセージ。
既にアルゴスは魔力を手繰ることができるのは間違いない。
(だとすると、セイゼリアに来た理由は?)
いや、それ以前にいったい誰がアルゴスに魔法を教えたのか?
心当たりがあるのは一つ。
「あの長耳!」
思わず声に出してしまったが、なんてことをしてくれたのか?
まさか自力で覚えたとは思えず決めつけてしまったが、恐らく間違ってはいないだろう。
前提が狂った。
アルゴスは魔法に関する何かのためにセイゼリアに近づいた可能性が出てきた。
果たしてそれが魔法の更なる習得か、それともマジックアイテムの入手か?
相手がモンスターであるだけにその目的がわからない。
考えながら無意識に指の爪を噛む。
私が何を考えたところで変わるものではないことくらいはわかっている。
しかし不安は別の形で的中する。
思えば私は警戒すべきだったのだ。
モンスターと取引を行う――それがこの国でどのような印象を受けるか?
どのような意味を持つか?
またそんな人間をどのように扱うかなど、私は自身が一番よくわかっていたはずでありながら、それを忘れてしまっていた。
決して忘れないとあの日、あの場所で誓っておきながら、私はそのことを忘れていた。
その翌日、ギルドへと呼びだされた私は指定された部屋に向かった。
そこで待っていたあの時の貴族――トネル・バウマンと見たことのある冒険者の男が一人と知っている気がする神官が一人。
「外してくれ」とトネルが職員に退室を促す。
私には席へと座るように手振りで指示するが、嫌な予感がしたので部屋を見渡した。
(窓がない。つまりは出口はここだけ、ね)
警戒心を見せる私にトネルが溜息を吐く。
「ディエラ・キノーシタ。君には背信の疑いがかかっている」
「はあ?」
トネルの言葉に思わず声が出てしまったが、昨夜考えた最悪の事態の範疇ではある。
しかし続くその内容は予想外だった。
「グオンがアルゴスに殺された。護衛についていた者たちも、この二人を除いて全滅した」
「あれだけ言っていたのに手を出した馬鹿がいるのかい!?」
そこいらの精鋭程度では相手にならない、と何度も言ったのに犠牲者が出ている。
しかしそれをこちらの責任とするには無理がある。
それを口にする前に、トネルの隣にいた神官が口を開く。
「アルゴスとの交渉に挑んだグオン氏が殺害されました。同様に護衛についた我々も攻撃対象となり、散り散りになって逃げることで私たちが生き残りました」
「何をした?」
「グオンの日頃の言動からわかると思うが……あの高圧的な態度のまま交渉し、アルゴスを怒らせ殺された。『攻撃さえしなければ大丈夫』という言葉をそのままの意味で捉えた馬鹿な行為だった」
しかし先に攻撃を仕掛けられたことには変わりはない、と冒険者の男は説明する。
その言葉を聞いても私はすぐには信じられなかったが、それ以上にあの男の馬鹿さ加減を考えればあり得ることかもしれないと不安になる。
それでも言うべきことは言わせてもらう。
「三度だ」
冒険者……名前は確かコールだったはずだ。
言い返すように彼に視線を向け、私は自分の経験を語る。
「私は三度、アルゴスの戦闘を見た。その全てで奴は先手を譲っている」
一度目はオーガ。
あろうことか真ん前まで来てからの棒立ちで頭部に一撃を貰ってから戦闘を開始した。
二度目は軍。
カナンの軍勢を相手に矢の斉射が行われるまで止まっていた。
三度目はジャイアントヴァイパー。
自ら近づきはしたものの、手は出さず巻き付かれるまで攻撃はしなかった。
こちらから攻撃しない限りは戦闘になることはない。
あまりにも理由のないアルゴスのこの行動――故に根拠として用いるには十分である。
そう私は思っていた。
「ほう? 人の言葉よりもモンスターの行動原理を信用するか?」
そして私は思い出す。
(しまった! これは悪手にもほどがある!)
このセイゼリアにおいて、モンスターの側に立つなど許されることではない。
私は自分の失態を……いや、大失態を理解し硬直した。
説明が不十分であったことは確かだ。
だがそれを挽回するための思考は既に私の頭にはなく、ただ自分が取り返しのつかないことを口走ったという事実だけがあった。
「やはりモンスターと交渉をするような輩は信用できんな」
こちらを見て笑うトネルの目に私は覚えがある。
同じ魔術師でありながら、明確に侮蔑を含んだ視線――貴族でなければ魔術師として認めることは決してない血統主義者。
「貴族主義かい」
「純血主義と言いたまえ」
想定していた最悪よりも更に悪いものが出てきた。
今までおくびにも出さなかった本性を見せたトネルが小さく笑う。
青い血が流れる者以外を魔術師と見做さず、排除すらする過激な主義者。
「魔術を行使するものは貴き血を引く者だけでよい」
かつて聞かされた言葉が脳裏に蘇る。
こいつらは理屈では動かない。
つまり、この結末は最初から描かれていたものであり、アルゴスという脅威すら、己の目的のための手段に過ぎない可能性すらある。
「ようやくこちらにも量産型が届く。それを以て西へと進む。アルゴス、と言ったか? 所詮はモンスターだ。我々の英知に勝るものか」
だがモンスターは排除するという貴族としての思考は持ち合わせているようだ。
潰し合ってくれるのであれば言うことはないが、それは今ではない。
今はここから逃げるのが先決である。
「ああ、そうだ。貴様はそのモンスターとよく知った間柄だったな? ならば……」
おびき寄せる餌になるかどうか試してやろう、と狂った主義者は笑った。
逃走、及び抵抗は瞬時に潰された。
この至近距離で魔術師がどうこうできるはずもなく、冒険者の男によって床に押さえつけられた私は何とか抜け出そうとするが、無意味であると理解するには然して時間はかからず、歯を食いしばる私に背中に膝を乗せたコールが「すまん」と小さく謝罪した。
(ギルドまで買収済みとはね……)
どうやら私はここまでらしい。
だが私だけだ。
ならば大丈夫――そんな甘いことを考えてた。
連中がその程度で満足する輩でないことくらい、少し考えればわかるはずだった。
私はこの時、文字通り「死ぬつもりで」抗うべきだったのだ。
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