194
立ち昇る煙を見上げながら考える。
これは何のために俺を呼ぼうとしているのか?
パッと思いつくのは商品に問題があったケース。
この場合、信用問題はさておき、俺の企みが破綻する可能性があり、渡したライフルの代わりを用意する必要性も認めざるを得ない。
追加の取引がある、ということも考えられなくはないが……渡した商品に問題がないのであればその可能性は低いはずだ。
最後にガスト以外――つまり別の誰かが俺と会いたがっている。
多分これが正解だと思われるのだが、そうなるといったい誰が俺に用があると言うのか?
(んー、あの場にいたおっぱいさんという可能性もある)
だとすれば用件は何か?
セイゼリアの魔法重視のお国柄を考えると「帝国の武器なんか取引するな」との文句か?
それとも何らかの理由でお金が必要になって止むを得ず取引を決断したか?
しばし立ち止まり考えるが、どの結論も「無視はできない」と出た。
俺は仕方なしに用意した荷物を一度降ろし、探索用から交渉用へと中身を入れ替える。
とは言ってもメモ帳やら探索で使わないものを入れただけなので時間はかからない。
「おっと、忘れるところだった」
そう言って丁寧に仕舞いこんだのは追憶の頁。
相手がおっぱいさんならちょっと一枚試し撮りさせてもらおう。
前日は耐魔の護符の鎖を延長するのに手間取ったのでまだ使っていなかった。
やはりというかこの体は細かい作業が本当に苦手だ。
しかも延長に使ったのが紐なので、これを鎖に変更するとなった時のことを考えると今から頭が痛い。
護符は首にかけているので丸わかりなのもマイナス点。
これはいずれ何か工夫がほしいところだ。
少々性能ばかりに気を取られていたな、と反省しつつ、ドスドスと森を歩く。
鎖の延長に使った紐は結んでいるだけなので、これが解けないように気を遣っての速度制限。
しばらく歩いた後に「やっぱり後でどうにかしよう」とリュックに護符を仕舞い込んで走り出す。
そして川の向こうを目視できる距離になった頃合で擬態能力を使用する。
念のために相手を確認してから姿を見せた方が良いだろう、と考えてのことだったのだが……どうやら慎重な姿勢は正解だったようだ。
「んー、見知った顔がいないな」
川の向こうに見えるは護衛と思しき武装した男女十名と禿げたオッサンが一人。
このオッサンが頻りに怒鳴り散らしているのを確認し、こいつが彼らの雇い主と断定。
次に護衛を見る。
男が八人に女が二人のようだが、魔術師は一人だけしかいない。
服装がおっぱいさんと同じドレスローブなので実にわかりやすい。
相手の戦力を分析しつつ「四号だな」と細部のチェックも怠らない。
魔力も確認してみたが、マジックアイテムを持っていると思われるのは魔術師を含めても三人だけ――つまり護衛の能力はそこまで高くはないのだろう。
男は一人を除いて前衛。
その一人は軽装に加え、弓を背負っているのでこいつが斥候役だろう。
そしてもう片方の女性はどこかで見た服装だ。
しばらく観察して「思い出した」とばかりにポンと手を打つ。
(レナと同じ服装だな)
となると神官――つまり衛生兵だ。
バランスは前衛に傾きすぎていてよろしくないが、一応形にはなっているパーティーである。
はてさて、何を想定しているかは存ぜぬが、姿を現すかどうかは俺次第。
何か判断材料になるものはないかとしばし様子を窺っているとまたもハゲ頭が怒声を撒き散らしており、それをうんざりとした様子で聞き流している護衛の面々。
これは厄介事の予感しかない。
かかわれば面倒なことになるとなれば、下す判断など一つしかない。
今回は御縁がなかったということで、と背を向けて立ち去ろうとしたその時――俺の耳が確かな悲鳴を捉えた。
反射的に振り向くとそこには己の胸を隠す魔術師の女性。
そのすぐ正面にハゲが立っていることから何かしらの理由で引きずり下ろされたと見ていい。
「しまった、見逃した!」――ではなく、なんというスケベ親父だ。
正義の怒りが俺の胸にふつふつと湧き上がるのを感じる。
あともう少しだけ様子を窺っていれば、という後悔に無意識に拳が握られる。
この硬く握られた拳の振り下ろし先は何処か?
決まっている――あの禿げ頭にだ。
しかし冷静な部分が俺を引き留める。
(いやいや、ノリで行って面倒事に発展したらどうするんだ?)
取引相手としては好ましくない相手であり、トラブルの種となる予感しかしないのならばかかわらないのが一番。
俺は見なかったことにして立ち去るべきであると判断するも、一応念のために彼らの動向を観察する。
するとあの禿げ頭は今度は口論になっている神官の頬に平手打ちを見舞った。
これには護衛の男性陣も腹が立ったのかオッサンに詰め寄り始める。
「いいぞ、もっとやれ」と心の中で声援を送りつつ事の顛末を見守る。
どうもあの禿げは権力を持っているらしく、それを盾に横暴に振る舞っているようなのだが……護衛の面々も我慢の限界らしく、何を言っているのかわからないが言い争いが始まった。
そしてしばらくそれが続いたところで、一人の男が剣を抜いた。
恐らく周りが落ち着くよう宥めているように見えるが、ハゲが剣を抜いた男を指差しヒートアップ。
男は羽交い絞めにされるもハゲに切りかからんばかりにもがいているが、彼を抑える相手との体格差は歴然であり微動だにしていない。
これで少しは冷静に話ができるかと思ったのだが……なんとこのハゲ、動けないことをいいことに拳サイズの石を拾って投げつけたではないか。
しかも運が悪いのか狙いが悪いのか、命中したのは顔面――しかも目のようだ。
解放された男は片膝をつき目を抑えるとそこに駆け寄る女性神官。
しかしその神官を「余計なことをするな」と言わんばかりに蹴るハゲ。
「あ、終わったな」という俺の呟きの通り、オッサンを取り巻く目が完全に変わった。
空気が読めないハゲはポーションによる治療を受けた男に未だ何か言っている。
剣を抜いた彼が無言で立ち上がるとそのままハゲに向かって歩き出す。
止める者は誰もいない。
向かってくる男を指差し喚くも、その伸びきった腕を男が斬り上げた。
宙を舞う右腕に岩肌を染める血。
ハゲが悲鳴を上げて蹲った。
そして止めの一撃が振り上がったところで状況を理解したのか、ハゲが逃走を図る。
当然逃げることなどできるはずもない――と思っていたのだが、煙幕らしきものを隠し持っていたらしく、周囲が突然勢いよく煙に覆われ、振るわれた剣が空を切り地面に叩きつけられる。
ハゲが斬られた腕を抑えながら涙を流して逃げた先は川。
他に逃げ場所がないのは明らかなので、そこしかなかったのだろう。
ザブザブと水をかき分けるようにゆっくりと走っている。
問題はその先にいるのが俺だと言うことだ。
「こっちくんなよ」とありもしない眉を顰めるが、俺は現在擬態能力を使用中。
彼らに俺の姿が見えるはずもなく、ハゲは真っ直ぐにこちらに向かってのそのそと走ってきている。
どうしたものかと困ったところに俺の耳が詠唱を捉えた。
煙で前方が見えないであろうこの状況で使う魔術とは何か?
それを予想するのとハゲが川を渡り切り、身を伏せたのは同時だった。
擬態能力の解除と同時に煙の中から無数の氷の矢が俺を目掛けて飛んでくる。
荷物に配慮しての咄嗟のガード。
広範囲をカバーした攻撃だっただけにそこそこの数の矢が命中したが、勿論ダメージはないに等しい。
対人を想定しての攻撃ならばこんなものだろう。
なお、ハゲの尻には三本ほど矢が刺さっており、痛みのあまり絶叫したかと思えばパタリと動かなくなった。
自分の放った攻撃の効果を確認するべく、煙を魔法で払った魔術師が俺を見てギョッとする。
対照的に俺はじっくりと彼女を観察。
こうして見ると中々の美人だ。
(慰謝料代わりに裸にひん剥いて写真でも撮ってやろうか)
鼻を鳴らし、リュックを地面に落として前に出る。
自分の魔術が俺に命中したことを周囲に刺さる氷の矢から察したのか、魔術師が何か言っているがセイゼリア語はわかりません。
さあ、大人しく罰を受けてもらおうか、と前に出た――はずだった。
森を出た俺の視界の先には地面があった。
(倒れた? いや、違う。これは……)
聞き取れない声が幾つも聞こえる中、プツリと意識が途絶える瞬間に確かに俺は見た。
視界の中に映る地面に着いた自分の手は、間違いなく黒く染まっていた。




