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何かで見た記憶がある。
「正義の前にいるのが悪であるのは創作物の中ばかりだ」
大体の物事において、正義と信じる者の前に現れるのは別の正義であるのが現実だ。
それを正しいと信じて突き進んだ先が破滅というのだから、帝国の終わりは想像していたよりも酷いものだったと言わざるを得ない。
あれから施設を漁り続け、三日目ともなれば最早探す場所もないと言えるくらいにもなる。
そこで見つけた資料や日記からわかったことは多々あれど、今の俺に必要なものは決して多くはなかった。
何より、肝心なネメシスコードについては結局わからぬままで終わり、俺が意識を失っている間に盛大に暴れてしまった理由が判明しなかったのは非常に残念と言わざるを得ない。
それがゴライアスという遺伝子強化兵の特性なのか?
それともネメシスコードによる理性の崩壊の前兆なのか?
はたまたエルフの最後の抵抗での暴走か?
その答えが出なかったことが重くのしかかる。
追加の情報で最終兵器と競うように進められた結果、予期せぬ不具合が生じている可能性がある、という何とも嫌なものがあったことで、俺の不安に拍車がかかる。
もしかしたらこれが悪さをしている可能性もあるのだから、今回の探索で余計に真実から遠ざかった気もしてくる。
「収穫はあった。しかし一番欲しい情報は手に入らなかった」
今回の探索の結果を口に出し、しばらくそれが本当にそうなのかを自問をする。
「……余計なことを知りすぎた」
本当にこの一言に尽きる。
当時の研究者が何を思い、何を考えていたかなど今の俺には重要ではない。
目の前の問題を解決するための情報が必要なのだ。
そして、生きるために自分と同じ生存している被験者を食らうという決断を一度下したにもかかわらず、その決意が鈍りかねない当時の事情に深入りするべきではなかった。
もし仮に、俺の前に現れた最後の希望が、帝国の為、家族の為と自己犠牲を選んだ者であった場合、この決断を後悔せずにいられるだろうか?
(いや、わかっていたことだ)
見ようとしていなかった現実を突き付けられただけだ、と俺は首を振って自嘲する。
そもそも自分の動機の中にも、家族の為というもっともらしいものは含まれていた。
だがどうしてもあの一文が頭から離れない。
「モンスターの遺伝子を取り込んで、人間社会の中で生きていけるなどと世迷言を抜かす阿呆どもは、生かされる苦しみというものを考えろ」
人の営みの中に俺が戻れる日は来ない。
言われるまでもないことだったが、いざ言われてみれば思いの外重みのある言葉である。
俺が生きる居場所などないと言われれば、こんな姿になった身としては凹みもする。
では、考え方を変えて人間社会以外の場所ではどうだろうか?
幸いエルフの彼女との関係は良好と言ってもよい。
俺が生きる場所となる可能性は決して低くはないはずだ。
そのためにはネメシスコードをどうにかしなくてはならない。
「結局、行きつく先はそこか……」
俺が食らって誰かが死ぬか、誰かが俺を食らって生き残るか――もしかしたら次を探すかもしれないし、次を知らずに死ぬことになるかもしれない。
わかっていたことだが、改めて言われると酷い話である。
これを考えたゼータ博士はやはりマッドサイエンティストだったと言わざるを得ない。
「復讐が理由だったとしても、もっとやりようがあったと思うんだがな」
感想というよりは願望に近い。
彼をここまで狂わせた帝国が悪いのか、それともタガを外してしまう程に狂った彼が悪いのか?
考えたところで意味はなく、最終的には「誘いに乗った自分が悪い」に落ち着いてしまう。
「探索は終了。次を探そう」
どうにもならない現実に溜息を吐き、俺はここでの探索を切り上げることにした。
きっと次は見つかる。
そしてきっと次で見つかる。
今はそう思うことしかできないのが自分の限界だ。
荷物をまとめ、リュックを背負った俺は研究施設を後にする。
昇降機の前の扉は閉めておいたので侵入するような生物は少ないと思うが、心配になるものは仕方ないのだ。
流石に調べ残しはないと思うが、別の施設で新たな事実が判明した際、ここに戻ってくる必要が出てくる可能性がないわけではない。
可能な限り良い状態で残しておきたいのもあって、侵入者がいないに越したことはなく、こうして戸締りをしっかりとすることとなった。
ともあれ、いつまでもこうしていても仕方ないので森の中を探索しながら進む。
思えばこの辺りは看板を見てすぐさま逃げるように立ち去った記憶がある。
少しじっくりと探してみるかと何気なく探してみると、施設から離れたところに家屋の残骸と思しきものを発見した。
明らかに都市部からは外れた場所にある家など怪しさ満点である。
研究施設から比較的近い位置にあることから「何か関連した場所なのでは?」と思い近づくも、ほとんどが瓦礫の山のような状態で原型を留めていない建物となれば、生憎発見らしいものはなかった。
しかし俺はここで粘り強く探索を続行。
結果、足元に異変を感じたことで地下室があることが判明する。
「……で、またこいつなわけだ」
地下室にあったのは何時ぞやと同じく酒。
残念ながらアルコール類には詳しくないが、見た目で状態が良いとわかる地下室である。
調べてみると、ここはどこぞの貴族の保養所のような別荘だったようだ。
ならばこのワインセラーと思しき棚のものを拝借してもよいのではなかろうか?
貴族ならばさぞ良いものだろう、と三本ほどワインを頂く。
これくらいがリュックを圧迫しない限界だ。
酒の味はわからないが、アルコールを摂取した際の反応も知っておいて損はない。
また来る機会があるかもしれないので、この地下は厳重に封をする。
気分転換にはなった探索に、俺は方角を変えて東へと向かう。
まだ日は高いので一度川に寄って水の補給もしておきたいのが主な理由だ。
そんなわけで周囲を注意深く見渡しながら東へと駆け抜ける。
地味に木々の間隔が俺に優しくなかったので思ったよりも時間がかかった。
恐らく森林破壊を避けた結果、蛇行気味に移動したのが原因だろう。
夕日が反射する川を眺めながら、俺は小さく溜息を吐くと「今日のところはここまでにするか」と荷物を下ろす。
この辺りは俺がほとんど行き来していないため、獣道改め「俺の道」ができていない。
(やっぱ図体がでかいってのはいいことだけじゃないよなー)
予定が少々ズレてしまったが、これで夕食は魚に決定だ。
このところ肉ばっかり食っていた気がするので気分転換にはなるだろう。
少々埃っぽいところに長く留まり続けていたので、冷たいだろうが水浴びも追加。
思いの外やることが多く、こうなるとここで足止めとなったのは都合が良かったのかもしれない。
まずは川辺に簡易の竈を作って火を熾す。
鍋に川の水を入れて沸かしている間に石を運んで小さな生簀を作成。
そこに捕まえた魚をホイホイと投げ入れ、煮沸した水を別の容器に移して再び水を汲む。
これを繰り返して飲料水と夕食となる魚を確保。
一仕事を終えたら次は行水。
手にしたタオルで全身を隈なく拭いて体を奇麗にする。
流石に寒く感じてきたので焚き火も用意。
適当な岩を運ぶとそこに腰掛け暖を取る。
傍から見れば異様な光景に映るだろうが、周囲には人影はなし。
辺りはすっかり暗くなっているので夕食の準備に取り掛かる。
川に先ほど作った小さな生簀から魚を持ってくると、包丁替わりの鉈で鱗を削いで腹を開いて内臓を取り出す。
次は軽く塩を振って鉄串に刺し、焚き火の傍に設置すれば後は待つだけ。
パチパチと時折爆ぜる焚き火を見ていると川の向こうに気配を感じた。
(……人間、だな。数は三……いや、四か?)
明かりを消してこちらの様子を窺っているのかと思いきや、足音は確かにこちらに向かって来ている。
こんなところまで足を運ぶ人間と言えば、セイゼリアではハンターしかいない。
もしかしたら焚き火が見えたので同業と間違えてこちらに向かっているのかもしれないが、もう少し周りを見た方が良いのではなかろうか?
魔力反応を探りつつ、どのような攻撃にも対処できるように姿勢はそのままに警戒態勢へと移行。
こちらが動かないことが原因かどうかはわからないが、どうも一人が突出してこちらに向かって来ている。
その気配が川を挟んだものとなった時、俺の耳が捉えた小さな呟き。
(魔力反応あり、詠唱だな)
すぐにでも飛び掛かれるように僅かに腰を浮かす。
だが使用されたものはただの明かりの魔法だった。
僅かな月明かりの夜に現れた光球が魔術師の姿を浮かび上がらせる。
その姿を確認した俺は、思わず「おや」と小さく呟いてしまう。
そこにはいたのは俺がこの姿になって初めて出会った人間――セイゼリアの魔術師である……おっぱいさんだ。
何処かで名前を聞いたような気もするのだが、彼女のイメージがそのたわわに実った胸の果実ばかりで思い出せない。
そんな何かを思い出そうとしてる俺を見て、勘違いしたおっぱいさんが大きな溜息を吐くと、杖を持っていない空いた手でドレスローブの胸元を掴んで下ろす。
露わになった見事な双丘を眺め、俺は「相変わらず素晴らしいものをお持ちである」と満足気に頷いた。
どうやらまだ彼女は俺がおっぱいで識別していると思っているらしい。
さて、この勘違いは何時まで続けるべきだろうか?




