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手元にあるのは表紙と思われる一枚のみ。
他にもあるはずだと探して見つけたのが一冊の日記。
恐らく同じ机から見つかったものなので中身には期待できるが……今はこの表紙の続きが優先だ。
そんなわけで見つかった続きはなんとゴミ箱の中から。
しかもクシャクシャにされている上に状態が酷く悪い。
それだけではなく目次と内容が若干異なる――というかページが違う。
(あ、これ失敗して捨てたやつか)
最悪はこちらを解読となりそうだ、と肩を落とす。
その嫌な予感が的中するのだから溜息も吐きたくなる。
「わかりにくい……が、ギリギリ読める部分がそこそこある。でもなぁ……」
既知の部分が存外多い。
ラークの情報が正しいという裏付けは取れたが、新情報には未だ見つからず苛立ちが積もる。
だが、ある一文を発見したことでそんな感情は吹き飛んだ。
「――アサルトモード! やっと見つけた!」
最初に書かれていたのはそのスペック。
読めない部分は多々あれど、通常時に比べて平均三割の能力向上に加え、文中では外皮の硬質化による高い防御性能に着眼している文が読み取れた。
だがそれ以外については書かれている部分はなく、どうやらこれはただのスペックの表記のようだ。
同様にステルスモードの表記も発見。
こちらは俺が危惧した通り、擬態能力発動中は外皮が変質するために防御能力の低下を引き起こすとの記述を発見した。
(つまりあの状態で斬られるのは危険、と……いや、もしやと思ったことがビンゴだった)
あの時の自分を褒めながら他にないかと読み解くと面白い一文を発見した。
なんとこのステルスモード、部分的な変化も可能らしい。
つまり顔だけ出してホラー映画みたいなこともできるし、戦闘中に尻尾だけ隠して攻撃なんてこともできるようだ。
思わぬ収穫に早速試してみる。
「……ん? 結構難しいぞ?」
全体のオンオフに慣れすぎてしまったのか、部分的な変化が上手くいかない。
五回目の挑戦も失敗に終わり、この件は一先ず保留として書類の続きを読み解く。
しかし紙の状態が悪いこともあってか、これ以上の収穫はなかった。
(だがはっきりした。俺は通常モード、ステルスモード、アサルトモードの三種の形態を使い分けることで、拠点の攻略や後方への強襲を目的とした遺伝子強化兵だ)
まずは収穫一つと前向きに考えよう。
部屋はまだまだあるので詳細な情報を得られる可能性は十分ある。
次の部屋へと移動しようとして手に持った日記に目が行った。
こちらにも何か有用な情報がないとも限らない。
「一応目を通しておくか」という程度に日記をパラパラとめくり始める。
最初の方こそ日記らしい日常を書き留めたものであったが、内容が遺伝子強化兵とその研究へと移り変わると徐々にその様相が変化していく。
「ゼータ博士。貴方の危惧は正しかった。帝国は遺伝子改造技術を軍事へと割り振った。上手くいけば難病の治療どころか、喪失した肉体すらも取り戻せたかもしれない技術なだけに私の失望は大きい。だがこれも戦争さえ終われば解決するはずだ。今私にできることは犠牲になった者たちの冥福を祈るのみ。この悪魔のような所業を前に、私は誰に許しを請えばよいのだろうか?」
元々は医療のための技術――それはラークから聞いていたが、それが軍事へと切り替えられた時の研究者は人を助けるはずの技術が、人を殺すための技術へと変わったことに戸惑いを隠せなかったことが窺える。
「こんな実験をいつまで続けていればいいのか? 軍事機密扱いとあって退職することも許されず、実験動物の死体を山積みにしている自分が嫌になる。せめて博士がいてくれたなら……いや、この罪は私のものだ。誰かに預けてよいものではない」
所々読めない部分を頭の中で補完しつつ読み進める。
研究者という目線での遺伝子強化兵計画――思いの外この人物はまともなようで、この実験に対して否定的であり、その苦悩が書かれていた。
「キメラ計画が私の手から離れた。命を弄ぶ研究から解放されたと思ったのも束の間。次は遺伝子強化兵計画なるものに付き合わされることとなる。キメラ計画のデータを基に、人間にモンスターの遺伝子を組み込むことでモンスターの能力を持った兵士を生み出そうというのだ。馬鹿げている! 帝国は命を何だと思っているんだ!」
いいぞ、もっと言ってやれ、という感想は置いておくとして、やはりこの人物はかなりまともだ。
狂気にも等しい研究を続けることに対して否定的であり、罪悪感を感じている。
こんな人物がいたにもかかわらず、残酷な結末に終わったのは俺の良く知るところだ。
そして読み進めていくうちに著者の悲痛な叫びを聞くこととなる。
「何故だ? 何故成功してしまう? どうして成功してしまったんだ? こんな技術は世にあってはならない。いや、キメラ計画の時点で逃げ出すべきだったんだ。ああ、すまない。許してくれ。私はそんなつもりじゃなかったんだ!」
予期せぬ失敗ではなく、予期せぬ成功。
偶然の産物で生まれた成功から泣いて懺悔をする彼女を幻視する。
「ドーゼルは言った。これだけの死を積み上げておきながら今更逃げるのか、と……」
ただそれだけが書かれたページ。
俺は次へとページを捲る。
「逃げ出すことは許されない。死体を積み上げることも止められない。ならばせめて、この戦争を勝つために――」
その先は黒く塗り潰されて読めなくなっていた。
何が書かれていたかはなんとなく想像できてしまう。
彼女は何かを理由に自分を正当化することを拒んだのだ。
「どうして博士はこんなものを? ネメシスコードは本当に必要だったのか? 貴方の教えを受けた一人として問いたい。そうまでして貴方を追放した帝国が憎かったのか?」
ここでネメシスコードが登場する。
読み進めた甲斐があったと言うべきだが、喜ぶのはまだ早い。
これは日記――欲しい情報があるとは限らない。
「『段階を踏んだ理性の喪失』とあるが、それが何を意味するかを博士は理解していたのだろうか? それともネメシスコードは既に誰かの手で別の物へと変わってしまったのか? 博士とは未だに連絡が取れない。どうすればいい?」
新情報が一つと疑惑が一つ。
ネメシスコードによる理性の喪失は段階を踏んで進んで行くこと、そしてそのネメシスコードが誰かが本来のものとは違うものにした可能性があること。
具体的な内容が書かれていないのが非常にもどかしい。
俺は更にページを捲る。
「西部戦線が決壊したらしい。研究の完成を急かされるが、急げばできるものではない。いや、そうじゃない。ここ以外にも遺伝子強化兵計画の研究施設があることが判明した。こうもはっきりと帝国への忠誠が揺らぐのを感じる日が来るとは思わなかった」
思わず漏れ出る乾いた笑い。
こんな姿になった身としては少しばかり共感できる嘆きである。
だが俺は知らなかったとはいえ、望んでこの姿となった。
後悔はするまいとページを捲る。
「今日は何も書きたくない」
ただ一言だけ書かれたページがその心中を物語る。
次のページを急かす心と指が合致しない。
「恐らく私は人類史に残る罪人として記録されるのだろう。未だ完成ならずとはいえ、ここまで出来上がってしまえば後は時間の問題だ。ここで私の手から離れたとしても、この技術は完成する。ならばせめてできる限りのことはしよう。それが無駄なことだと笑われても、ただの自己満足だと蔑まれようと、それ以外に私にできることはもうないのだから」
文章から察するに余る彼女の苦悩。
どうにもならないと諦めたのか、それともやるしかないと腹を括ったのか、どちらにせよ彼女は全うする道を選び、その中で自分にできることをしたのだろう。
ならばその成果は何処にあるのか?
未来からの問いかけにこの日記は応えてくれた。
「ああ、まさか私の願いが通るとは思わなかった! 私は僅かとはいえ罪を償う機会を手に入れた! 必ずや実現してみせる。究極生物計画は阻止できなかったが、ネメシスコードの削除だけは実現してみせる。賛同者も少なくない。後は予算さえあれば、既にコードを打ち込まれた者からも取り除くことができるようになる」
思いがけない救いの手――それはネメシスコードを解除するための研究が行われていた可能性。
逸る指でページが上手く捲れない。
次のページに俺の希望が、この時代に目覚めてしまった被験者たちの希望がある。
俺の指が紙を摘まみ、ゆっくりと慎重にページが捲られた。
「帝都で行われる会議に我々は出席する。多数の命を犠牲にし、屍の山を作ってまで帝国に尽くしてきたのだ。私たちの願いの一つくらいは何が何でも聞いてもらう。ここまで何度死のうと考えたかはわからない。しかしそれでも、私にはまだやらなくてはならないことがある。地獄というものが本当にあるのであれば、もう少しだけ待ってくれ。私はまだ生きなくてはならない。運命の時は五月二十五日――私は必ず帝都で贖罪の一歩を掴んでみせる」
その数字には見覚えがあった。
集めた新聞の日付――その最後が五月二十五日。
もしかしたらこれはその数年前……いや、差し迫った戦況が、それが同じ年の話なのだとわかってしまう。
最終兵器の投入と帝都の消失。
希望とは、何故にこうも儚いのだろうか?
手にした日記が俺の手から滑り落ちる。
俺はそれをただ黙って見つめていた。




